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波の音が消える前に  作者: 音香(Otoca )


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34話

話し合いが終わると一花はアランたちと別れ、黒川の家へ向かうことになった。


管理局の地下駐車場。


黒川の車の前で一花は緊張して立っていた。


「乗って」


「はい」


(後ろでいいのかな……)


黒川が鍵を開けると一花は後部座席のドアに手をかけた。


「一花さん」


呼ばれて顔を上げると黒川は助手席のドアを開けていた。


「こっち」


「あっ……すみません」


黒川はそんな一花の反応を見て話した。


「俺は運転手じゃないし、君は客じゃない。これから数週間一緒に暮らして訓練する相手だろ」


「はい……」


「さあ、乗って」


「ありがとうございます」


一花は小さく頭を下げてから助手席に座ると黒川も運転席へ乗り込み出発した。


窓の外を流れる景色を眺めながらも一花の身体には力が入っていた。


「そんなに緊張するか?」


突然声をかけられ一花はハッとした。


「いえ……」


「さっきから姿勢が変わってない」


確かに車に乗ってからずっと背筋を伸ばしたままだった。


「す、すみません……」


「謝らなくていい」


黒川は運転しながら答える。


「もう少し肩の力抜かないと疲れるだろ」


一花はそう言われて少しだけ肩の力を抜いた。


国家特務保安管理局のギルドマスターであり、総理直轄の権限を持つ日本トップのエスパー。


一花も管理局で四年近く働いていたがその間一度も直接関わることはなかった。


遠くから姿を見ることすら珍しい存在。


そんな人の車に乗り、これから家で一緒に生活するなんて想像もできなかった。


「あの……私がお家にお邪魔して本当に大丈夫なんでしょうか?」


「なぜそう思う?」


「愛菜さんもいますし……黒川さんとお話できる立場ではない気がして……」


その言葉に黒川は少し黙った。


「確かに仕事上はな。でも今は訓練担当とガイドだ。それ以上でも以下でもない」


黒川は淡々と言う。


「そうですね……」


一花は黒川の真っ直ぐな言葉に気圧(けお)されて言葉を飲み込んだ。


すると黒川は一花が身を引いたのを感じ取る。


「言葉がきつく聞こえたのなら申し訳ない。気にするなという意味だ」


黒川は一花に対して特別扱いではなく、ただ同じ目線で話してくれていたことに気がついた。


「はい」


一花は小さく返事をした。


しばらく走ると車は街中から離れていった。


高い建物が消え、周囲には緑が増えていく。


森に囲まれた場所に一軒の家が見えると静かに入口の門が開いた。


黒川はそのまま敷地内へ車を進め、車庫に車を止めた。


「着いたぞ」


一花は車から降りると目の前の家を見上げた。


「どうした?」


「一軒家なんですね……」


「おかしいか?」


「いえ。もっと高層マンションとかかなって思っていたので」


黒川は少しだけ口元を緩める。


「高層マンションじゃなくて残念だったな」


「そっ、そういうつもりではなくて……すみません……」


一花が慌てて否定すると腕の中のクロが黒川に向かって威嚇した。


「シャー!!」


一花は焦ったようにクロを見る。


「クロ!」


黒川はクロが怒っているのを見てふっと笑った。


「冗談だ。子猫ちゃんもそう威嚇するな」


「ニャー」


まだ少し不満そうに鳴くクロに黒川は微笑んだ。


「完全に信用されてないな」


「すみません……」


「謝らなくていい。むしろ優秀な護衛だ」


黒川はそう言いながら車庫から玄関へ向かう。


「職場で毎日高層階にいるから、プライベートくらい静かで落ち着く景色を眺めたかったんだ」


「そうなんですね……」


一花はもう一度辺りを見回した。


すると風で揺れる木々に静かできれいな空気を感じた。


日本トップのギルドマスターという肩書きから想像していた場所とは全然違った。


黒川は玄関の鍵を解除しドアを開けた。


「どうぞ」


「お邪魔します」


一花はクロを抱き直し、黒川の家へ一歩踏み入れた。


玄関を抜けリビングに入ると、一花は思わず家の中を見回した。


広いリビングダイニングに大きな窓。


外は真っ暗で何も見えなかった。


室内には必要な物しか置かれていないのに不思議と冷たい感じはしない。


一花がクロを抱えたまま室内を見ていると黒川は時計に目をやる。


「先に風呂入ってくるといい。湯船も沸かしてある」


「いや、黒川さんがお先に……」


「緊張して疲れてるだろ。俺は後でいい」


一花は少し戸惑ったが素直に従うことにした。


「ありがとうございます。あの……クロも洗った方がいいですよね?」


一花は少し困ったように黒川を見る。


ゲートの中からずっと一緒だった。


でもクロは普通の猫ではないと判明したから無理に洗っていいのか分からなかった。


すると黒川はクロへ手を伸ばす。


「少しだけ触れるぞ」


「ニャー」


クロは警戒するように見ていたが、今度は威嚇しなかった。


黒川がそっと背中へ触れると淡い力がクロを包んだ。


すると黒い毛並みがふわりと揺れる。


「これで大丈夫だ」


「え?」


「表面の汚れとゲート内の残った気を落とした」


「クロ、ふわふわ……」


「風呂よりこっちの方がいいだろ」


「ニャー」


少し得意げに鳴くクロを見て黒川は笑った。


「ありがとうございます」


お礼を言いクロを床に下ろした。


一花が浴室へ向かうとクロも当然のようについていく。


「本当に離れないな」


黒川が呟くとクロが振り返る。


「ニャー」


当たり前だと言っているようだった。


一花はゆっくり湯船につかった。


(本当に……戻ってきたんだ)


急に実感が湧いてきて一花はふーっと息を吐いた。


風呂から出て髪の毛を乾かしリビングへ戻ると、テーブルの上には料理が並んでいた。


「ちょうど出来たところだ。座ってろ」


キッチンに立つ黒川を見て一花は驚く。


ネクタイを外し、少し着崩したシャツにエプロン姿の黒川がキッチンに立っていた。


「黒川さんが作ったんですか?」


「ああ。息抜きの一環でな」


「すごいですね……」


二人で向かい合って食事をする。


「美味しいです!」


「そうか」


短い返事だが少しだけ黒川の表情が柔らかくなった気がした。


二人の食事が終わると一花はすぐに立ち上がった。


「片付けますね」


「いい」


「作ってもらったので、これくらいさせてください」


黒川は一花を見ると任せることにした。


「分かった。任せる」


「はい」


一花は食器を片付け洗い始めた。


黒川はその間に風呂へ向かった。


片付けを終えテレビを見ながらソファーでクロを撫でていると浴室から戻ってきた黒川を見て一花の動きが止まる。


濡れた髪に黒いTシャツにスウェットパンツ姿だった。


普段、管理局で見る隙のない姿とは全く違う、少し気の抜けた雰囲気に一花は思わず見とれてしまった。


「どうした」


声をかけられ一花は我に返る。


「あ、すみません……いつもと雰囲気が違ったので」


黒川は冷蔵庫からビールを取り出す。


「家でまでお堅くしないだろ。一花さんビール飲む?」


「私は大丈夫です」


当たり前のことなのに黒川も普通に生活している人なんだと感じた瞬間だった。


黒川は一花の隣に座りビールを飲んだ。


「そういえば呼び方を決めてなかったな」


「呼び方……ですか?」


「ああ」


黒川は一花を見る。


「うーん……俺は一花と呼んでいいか」


「はい。私は……」


一花は困ったように考える。


名前で呼ぶにはまだ恐れ多いと迷っていると黒川が先に言った。


「慣れるまで黒川のままでもいい」


「すみません……」


足元のクロと目が合うと黒川は少し口元を緩める。


「そういえば、お前もクロか」


「ニャー」


「クロ同士だな」


そう言って背中を撫でると初めて受け入れたように見えた。


「クロが怒らないですね……」


「少しは受け入れてくれたのか」


黒川は静かに笑った。


それからしばらくはリビングで過ごした。


黒川はニュースを見ながらビールを飲み、一花は隣でクロを撫でていた。


会話が多いわけではないが不思議と気まずさはなかった。


ふと時計を見ると、思っていたより時間が経っていた。


黒川が空になった缶を片付け立ち上がる。


「そろそろ寝るか」


「はい」


その言葉に一花は少し身体を強張らせた。


ガイドとして訓練する以上、同じ部屋で過ごすこともある。


それでも初めて黒川と二人きりで過ごす夜に緊張しないわけがなかった。


二階の寝室へ入ると黒川はとくに距離を詰めることもなく、壁側の大きなテレビをつけた。


ニュースの音が静かに流れる。


二人はベッドの両端に横になった。


不思議な距離。


近いのに近すぎない。


「……あの」


「ん?」


「これ……出してもいいですか?」


一花が空間ポーチから取り出したのはアザラシのぬいぐるみだった。


黒川は一瞬それを見るとふっと笑った。


「いいよ」


「ありがとうございます」


一花は安心したように抱きしめる。


ニュースの音だけが静かに部屋に流れる。


一花はアザラシのぬいぐるみを抱き締めたまま、天井を見つめていた。


眠ろうとしているのに目が冴えてしまう。


隣には黒川がいる。


でも何かをしてくる気配は全くしなかった。


「眠れないか」


突然声をかけられ、一花は少し驚いた。


黒川はリモコンでテレビの音量を少し下げる。


「無理に寝ようとしなくていい」


「はい」


「環境が変わった初日にすぐ寝られる方が珍しい」


淡々とした言葉でも、その普通の言葉が一花には楽だった。


無理に大丈夫と気を遣わなくていいと教えてくれた。


しばらくニュースの音を聞いていると、少しずつ身体の力が抜けていく。


足元ではクロが眠っている。


腕の中にはアザラシのぬいぐるみ。


隣には静かに同じ時間を過ごしてくれる人がいる。


気づけば一花は眠りについていた。


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