33話
アラン、ヒロ、レイ、サーシャ、一花の五人は国家特務保安管理局のギルドマスター執務室を訪れていた。
初めて来た場所に一花は緊張を隠せなかった。
腕の中には小さくなったクロを抱いている。
ゲートから出た直後よりは元気になり、自分で歩けるほど回復したのだが以前のような大きさにはまだ戻らず、今は子猫ほどのサイズだった。
(一体、何を調べるんだろう…… )
一花は無意識にクロを抱く腕に力を込める。
「ニャー」
クロが安心させるように鳴いた。
その時、扉が開きスーツ姿の黒川が入ってくる。
「悪い、待たせた」
「忙しいところ悪いな」
アランが返すと黒川は軽く笑った。
「お前が頼み事してくる時は大体面倒な案件だな」
「否定はしない」
昔からの付き合いだからこその空気だった。
黒川は一人掛けソファーに座ると一花を見る。
「直接話すのは初めてだな、一花さん」
「宜しくお願いします」
一花は緊張しながら頭を下げると黒川はその様子を見て表情を少し柔らかくした。
「まずは無事に戻ってくれてよかった」
「……ありがとうございます」
「そんなに緊張しないでくれ。まずは話を聞かせてほしい」
その言葉に一花は少しだけ肩の力を抜いた。
黒川の視線がクロへ向く。
「それで、その子猫か?」
「はい。ゲートの中で会いました」
「詳しく聞かせてくれ」
一花はゆっくりと話し始めた。
ゲート内での生活。
クロと出会ったこと。
ずっと一緒に過ごしていたこと。
そしてある日、突然声が聞こえたこと。
その話を聞いた瞬間、黒川の表情が変わった。
「声が聞こえた?」
「はい」
「その猫の?」
「多分……」
一花はクロを見る。
「でもクロが鳴いた後から声は聞こえなくなりました」
黒川はしばらくクロを見つめた。
「触れてもいいか?」
「はい」
一花がクロをそっと渡し、黒川が抱き上げた瞬間。
「シャー!!」
今まで聞いたことのない威嚇の声にクロは毛を逆立て、黒川を睨んでいた。
「クロ!?どうしたの」
一花は慌ててすぐにクロを受け取ると、クロは嘘みたいに大人しくなり一花の腕に顔を埋めた。
「すみません……」
「いや」
黒川はすぐに理解した。
ほんの一瞬触れただけで十分だった。
「なるほどな」
黒川の表情が真剣になるとアランが聞いた。
「黒川どうだ」
「ああ、この猫は恐らく神獣だろう」
その場にいた全員の動きが止まった。
「神獣…… 」
「ただの野良猫じゃない。古い記録にしか残っていない存在だ。高い知能と特殊な力を持ち、自分が認めた相手以外には基本的に懐かない」
「認めた相手…… 」
皆の視線が一花へ向く。
「つまりその子が一花さんを選んだんだ」
一花は信じられないようにクロを見る。
「クロが……私を?」
クロは当然だと言うように。
「ニャー」
と鳴いた。
その姿にレイが笑う。
「なんか納得だな。クロ、一花ちゃん以外興味なさそうだし」
「確かにな」
ヒロも頷いた。
「恐らくゲートから出られた理由もそれだ」
黒川が説明するとアランが反応した。
「神獣の力か」
「ああ。本来、核を失ったゲートから外へ出ることは不可能だ。でも神獣なら空間そのものに干渉できる可能性がある」
黒川は小さくなったクロを見る。
「ただ、相当無理をしたんだろうな」
「え……」
一花の顔色が変わる。
「今小さいのは力を使いすぎているだけだ。時間が経てば戻る可能性が高い」
その言葉に一花は安心したようにクロを抱きしめた。
「よかった……」
クロは「ニャー」と鳴いて一花の手に顔を擦り寄せた。
黒川はその様子を見ながら静かに言った。
「君は、思っているより特別な存在かもしれないな」
「え?」
一花だけがその意味をまだ理解していなかった。
「一花さん、こちらに来てくれるか」
黒川に言われ、一花はクロをそっと床へ下ろした。
「待っててね」
クロは少し不満そうに鳴いたがおとなしくその場で座る。
黒川がソファーから立ち上がり壁際に移動し一花を自身の前に立たせた。
「一花さんはDランクガイドだったな」
「はい……」
一花が小さく頷くと黒川は少し考えた後、口を開いた。
「少しだけ試させてほしい」
「何を…ですか?」
黒川は真剣な表情で一花を見る。
「今から逆ガイディングで力を流すから、それを浄化して私に戻してくれ」
「分かりました」
「アラン、一花さん借りてもいいか?」
アランは少し嫌な顔をしたが黒川に委ねた。
「一花ちゃんが嫌がらなければ」
「私は…大丈夫です」
「一つ注意事項がある。何があっても手を離さないように。いいね」
「はい」
一花が頷くと黒川は一花の両手を握り、ゆっくりと力を流した。
「っ……」
一花は思わず息を飲んだ。
アランとは違うが同じかそれ以上に強い、静かな水流のようなのに底が見えないほどの力を感じた。
少しでも気を抜けば飲み込まれてしまいそうだった。
(落ち着かないと…… )
一花は目を閉じ、流れ込んできた力を受け止め毒素部分だけを包み込むと綺麗に浄化して黒川に戻した。
黒川は予想以上だと感じていた。
流した力が抵抗なく戻ってくる。
それどころか。
(浄化速度が速すぎる)
黒川は確認のために流す力の出力を上げた。
「っ……!」
一花の身体がびくりと震えると足から力が抜け、崩れ落ちそうになった身体を黒川が支えた。
「一花さん」
「すみません……」
一花は荒い息を落ち着かせようとしていた。
黒川は一花を支えながら静かに見つめていた。
「おかしいな」
「どういうことだ」
アランが心配になって声をかける。
「通常の接触ガイディングなら数値はDランク程度だ。だが、俺の力にここまで耐えられるDランクはいない」
その言葉にアランたちの顔が険しくなる。
黒川は一花を見つめながら少し考えた。
何か条件があるはずだ。
この子自身も気づいていない何かが。
「一花さん、もう一つ試していいか」
「もう一つ…ですか?」
黒川の表情は真剣だった。
「粘膜ガイディングだ」
その言葉に一花は身体を強張らせた。
「恐らく君の能力は通常とは違う発動条件があるはずだ。私が生理的に無理じゃなければ確認させてほしい」
一花は少し迷ったあと頷いた。
「……分かりました」
「無理ならすぐ止める」
そう告げると黒川は一花へ顔を近づけると唇が重なり舌を絡め力を流した。
黒川は一花の様子を伺っていた。
(これは……さっきとは全然違うな)
さっきのガイディングでは届かなかった部分まで一気に浄化されていく感覚に、さらに出力を上げてみたが綺麗に浄化され戻ってきた。
しかし一花の身体は熱く熱を持ち、力が吸い取られ立っていられなかった。
黒川はすぐに一花の状態に気づき、支えるように腕を回し確認作業を終えるとすぐに力を止め唇を離した。
一花は荒い息を吐き頭がぼーっとして黒川の胸元に身体を預けた。
頭の隅では終わったと分かっているのに、初めて扱う大きすぎる力の余韻に身体が追いついていなかった。
「一花さん」
名前を呼ばれると力なく黒川を見上げた。
「……はい」
一花の状態を確認するとアランたちから見えないよう、自身の胸元に一花の顔を隠した。
「大丈夫なのか」
アランが怪訝そうに声をかける。
黒川は一花を支えたまま静かに答えた。
「問題ない。彼女の潜在能力だけなら間違いなくSSランク相当だ」
その言葉に部屋の空気が止まった。
「ただし本人がまったく扱えていない。今まで誰も教えてこなかったんだろ。当然だな」
黒川はアラン達へ視線を向けた。
「オルネアや愛菜とは違う。彼女らはSランクの自分の能力も限界値も理解している。どう受け止めて、どう返せばいいか経験で分かっている。でも一花さんは違う。強すぎる力を持っているのに、使い方を知らない状態だ」
才能だけで無理やり成立させている今の状態は危険だった。
「訓練すれば今よりは変わるだろう」
「訓練って……」
ヒロとレイが怪訝そうに呟いた。
「誰が引き受けるかにもよるのではないでしょうか」
サーシャが冷静に答えた。
黒川はしばらく考え込んでから静かに口を開いた。
「アラン、一花さんを数週間、俺の方で預からせてもらえないだろうか」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
「は?」
先に反応したのはレイだった。
ヒロも表情を険しくする。
「どういう意味ですか」
黒川は全員の反応を予想していたのか落ち着いたまま答える。
「彼女には力を扱う訓練が必要だ。このままじゃ一花さん自身が自分の力に振り回される。能力が高くても本人が使い方を理解していなければ危険なんだ」
一花は何も言えなかった。
さっき自分でも分かった。
黒川の力を浄化はできたけど制御できたわけじゃない。
ただ必死に受け止めただけだった。
「待ってください」
ヒロが口を挟む。
「でも発動条件は粘膜ガイディングなんですよね。それを数週間って……」
その言葉に空気が重くなり、レイもアランも明らかに納得していない顔だった。
「無理にはしない。ある程度感覚を慣らすためだ」
黒川ははっきり答えた。
「いきなり強い力を受ければ、さっきみたいに身体の反応だけが先に出る。自分で制御する方法を覚えないと一花さんが辛いだけだ」
正論だった。
分かってはいるが納得できるかは別問題だった。
レイは少し眉を寄せる。
「でも黒川さんには愛菜ちゃんがいますよね」
黒川はレイを見る。
「高ランクの君達なら分かっていると思うが、彼女はパートナーであって付き合っているわけでも結婚してるわけでもない」
当然のような返答だった。
「そうですけど……」
ヒロは言葉に詰まる。
エスパーとガイドは普通の恋愛関係とは違う。
浄化の相性やスピードを重視するのだ。
分かっていても簡単に割り切れなかった。
黒川は小さく息を吐くと視線を下げ足元に来ていたクロに目をやる。
「それに、俺は子猫ちゃんに許されてないから一花さんに何かあれば、この子が止めるだろう」
クロは当然だと言うように鳴いた。
「ニャー」
「クロ……」
一花はようやく一人で立てるようになり黒川から離れた。
アランは黙って考えていた。
頭では分かっている。
黒川に任せるのが一番安全だ。
SSランクであり、管理局の日本のトップ。
能力について一番理解している。
でもまた自分の手の届かない場所へ行かせることに簡単には受け入れられなかった。
「一花ちゃん」
アランが声をかける。
「はい」
「君が嫌なら断ってもいい。どうしたい」
一花は少し驚き考えたあと、自分の思いを答えた。
「……私……力を扱えるようになりたいです。ちゃんと使えるようになって皆さんの隣に立ちたい……」
その答えに誰も反対できなかった。
アランは諦めたように息を吐き、黒川を見た。
「分かった。数週間だけだ」
「ああ」
「一花ちゃんに無理はさせるなよ」
「分かってる」
アランは渋々許可した。
黒川は執務机の引き出しからカードを二枚持ってきた。
一枚は一花に渡し、もう一枚はアランに渡した。
「俺の家の鍵だ。力の訓練は私が担当するが精神安定には君たちが適任だろ。俺は昼間は家に居ないからその間は好きに来てくれていい」
「黒川……」
「不透明さは余計な不信感を生むだけだ。一花さんを預かる身として何事も信頼関係だからな」
「よろしく頼む」
アランが頭を下げた。
「任せろ」
黒川は短く答える。
その横で一花は腕の中のクロを抱く力を強めた。
もう必要とされない人生で終わりたくなかった。
誰かの代わりでも誰かのためだけでもなく、ルーフェスギルドの一員として皆の隣に立ちたいと思った。
「頑張るね、クロ」
小さく呟くとクロは答えるように鳴いた。
「ニャー」
こうして一花の新しい訓練生活が始まることになった。




