17話
翌日。
一花は重い身体を起こし顔を洗うため浴室へ向かった。
鏡に映った自分の顔を見て一花はゆっくり目を伏せる。
目元は酷く腫れていた。
昨夜、事実を知って部屋へ戻ったあと一花は声を押し殺しながら泣き続けた。
涙が止まるまで泣いてそれでも胸の奥の苦しさは消えなかった。
ベッドへ戻っても何もする気が起きず、ただぼんやり天井を見つめていた。
気づけば昼近くになっていた。
コンコン、と部屋のドアがノックされる。
一花がゆっくりドアを開けるとヒロとサーシャが立っていた。
二人は一花の顔を見た瞬間、表情を険しくする。
「泣いたのか?」
ヒロに言われ、一花は咄嗟に笑顔を作った。
「昨日テレビ見てて眠れなくなっちゃったんです」
苦しいくらい無理矢理な言い訳だった。
ヒロとサーシャは互いに目を合わせるが深くは追及しなかった。
「気分転換に水族館でも行きませんか?」
サーシャが優しく声をかける。
一花は少し迷ったあと小さく頷いた。
「……はい」
「一階のロビーで待ってますね」
そう言われ、一花は急いで支度をした。
ロビーへ向かうと、そこにはヒロとサーシャだけではなくアランと愛菜もいた。
「お待たせしました」
一花が頭を下げるとサーシャが小声で話しかける。
「すみません。ロビーにいたら二人に捕まっちゃいまして」
困ったように笑うサーシャに一花も曖昧に微笑み返した。
昼過ぎということもあり、急いで車へ乗り込み近くの水族館へ向かった。
館内は家族連れやカップルで賑わっていた。
巨大水槽で泳ぐ魚に頭上を泳ぐサメ。
イルカショーでは大きな水しぶきが上がり観客席から歓声が響く。
一花は久しぶりに少しだけ楽しいと思えた。
アザラシが水面から顔を出す姿に思わず笑みが零れる。
そんな一花をヒロは少し離れた場所から静かに見ていた。
しばらくして男性陣が煙草を吸いに行き、一花と愛菜は御手洗いへ向かった。
一花が手を洗い終えた時、鏡越しに愛菜が声をかけてきた。
「ねー、一花ちゃんって場の空気読まないよね」
「っえ……」
突然の言葉に一花は固まった。
愛菜は鏡を見ながら続ける。
「だってさ、なんかいつも“私被害者です”みたいな態度でさ」
冷たい声だった。
「しかもDランクガイドなんでしょ?なのになんでこんな良い男が揃ってるとこに所属できるわけ。夜の相手が上手いとか?」
一花の顔色が一気に青ざめる。
愛菜はそんな様子を見て嘲笑った。
「あんたみたいな女が一番嫌い」
そして最後にぞっとするほど低い声で囁く。
「邪魔したら殺すから」
その目には本気の色が宿っていた。
愛菜は何事もなかったように先に出ていく。
一花はその場に立ち尽くしたまま動けなかった。
震えが止まらず指先が冷たくなっていく。
必死に息を整え、一花はようやく皆の元へ戻った。
「一花ちゃん」
サーシャがソフトクリームを差し出した。
「どうぞ」
「えっ……」
戸惑いながら受け取り一口舐めると冷たい甘さが広がる。
「美味しい?」
「……美味しいです」
一花は小さく笑った。
昨日クッキーを食べたっきり口にしていなかった。
サーシャは安心したように微笑む。
「ゆっくり食べてください」
その優しさが胸に沁みた。
その後、売店近くのゲームコーナーで愛菜がアランへ甘え始める。
「アランさん、あのぬいぐるみ欲しい~!」
「お金あげるから自分でやりな」
アランは呆れながらも店員へ料金を支払った。
愛菜は何度か挑戦したものの、欲しかったぬいぐるみではなく小さなキーホルダーしか取れず少し不機嫌になった。
「えー、最悪……」
そんな愛菜を横目に、しばらくしてアランが売店の奥から戻ってきた。
腕の中には大きな白いアザラシのぬいぐるみが抱えられている。
愛菜が嬉しそうに駆け寄ろうとした瞬間、アランはそのまま一花の前へ立った。
「ほら」
「……え?」
ぽかんとする一花へぬいぐるみを差し出す。
「一花ちゃんにそっくりだろ」
まん丸でどこか困った顔をした白いアザラシだった。
一花が戸惑いながら受け取ると、アランは優しく頭を撫でる。
「これで元気だして」
その声は柔らかかった。
アランはずっと一花が無理に笑っていることに気づいていた。
「ありがとうございます……」
一花はぬいぐるみを抱きしめながら微笑んだ。
(私は身代わりなのに…… )
ヒロさんは運転して水族館へ連れてきてくれた。
サーシャさんは優しく接してくれる。
アランさんは何を考えてるか分からないけど、わざわざぬいぐるみを買ってきてくれた。
多少でも気にかけてくれている。
たとえ全部が本物じゃなくても。
今まで拒絶され続けてきた人生より、ずっと温かかった。
だから別れの日まではこの場所で思い出を作ろう。
一花はそう思った。
帰りの車では愛菜はヒロに言われ助手席に座らされていた。
その後ろにサーシャ。
一番奥にアランと一花が並んで座る。
アザラシのぬいぐるみは一花の肩から腰ほどまである大きさで抱きしめるとふにゃりと柔らかかった。
車の揺れと疲れで次第に眠気が襲ってくる。
こくり、と頭が揺れた瞬間、アランがそっと一花の頭を肩へ引き寄せた。
「寝とけ」
低く優しい声だった。
一花はぬいぐるみを抱き締めたまま静かに眠りへ落ちていく。
ヒロはバックミラー越しにその様子を確認すると少し遠回りの道へハンドルを切った。




