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51 閑話:雇用主の手作りご飯 ニコル視点

「ニコルさん、今日この後の予定はありますか?」


「いいえ? 特にありませんけど…」


 営業を終えた店内の掃除をしていると、雇い主である芽衣に声をかけられた。

 ニコルのこの後の予定といえば――ここでの仕事を終えたら、帰宅途中にあるライナス食堂で夕飯を食べるぐらいだ。美味しい食事を堪能した後は寄り道せずに帰宅し、少しだけワインを飲んで寝る。それぐらいの予定…という物ではないが、働いた後はいつもそうして過ごしているので、今回もいつも通りの行動をするつもりだった。

 すると芽衣は笑顔で話しかけてきた。


「もし良かったらうちでご飯食べていきませんか?」


 最初はその言葉を理解出来なかったが、何度か反芻していくうちにニコルはとても驚いた。


「い、いいんですか?」


「はい。簡単な物で良ければ…」


 ニコルは密かに芽衣の――異世界人たちの食事が気になっていた。今まで見たこともない調理法やメニューの数々。それも今までのレシピや材料を少し工夫するだけでとても美味しい物に変化する。

 そのため航太が働いているライナス食堂へ頻繁に通い、そこで出される新作料理をとても楽しんでいた。

 航太の作る料理も美味しいが、芽衣が出してくれるであろう料理も気になる。それに折角芽衣が誘ってくれたのだ。次にいつこういう機会が訪れるのか分からない。なのでこの誘いは絶対に受け取らなくては…とニコルは決意した。


「本当にいただいてもよろしいですか?」


「はい」


 どんな料理が出てくるんだろう? 屋台で買った物なのか、それをアレンジした物なのか。それともニコルのために手作り料理を…などと、色々な考えが浮かんでくる。

 芽衣は再度確認するニコルに対して微笑みながら「2階へどうぞ」と、今までニコルが上がったことのない2階――プライベート空間へと促す。


「お、お邪魔します」


 女性の部屋を訊ねるのは数回しかないので(しかもだいたい玄関先まで)、内心ドキドキしながら芽衣の後に付いていく。

 階段を上りきると「ここで靴を脱いで、このスリッパを履いて下さい」と云われた。


「?」


 どうやら芽衣の部屋では靴のまま歩くのではなく、このスリッパという物に履き替えなくてはいけないようだ。

 ニコルは云われた通りに靴を脱ぎ、そして用意されたスリッパを履いた。


「慣れるまでちょっと歩きづらいかもしれませんが、これなら家の床が汚れることも少なくて、とにかく掃除が楽なんですよ」


 そこでニコルは芽衣が履いているスリッパの底がモジャモジャしていることに気付いた。


「あれ? こっちはメイさんが履いているスリッパと違いますね」


 芽衣が用意してくれたスリッパの底にはモジャモジャがついていなかった。


「それは来客用の…普通のスリッパで、私が履いているのはお掃除スリッパなんですよ」


「?」


「スリッパの後ろにモップ…う~ん何て云えばいいんだろう…このモジャモジャで埃などのゴミを絡め取ってくれるので、歩きながら掃除も出来る便利なグッズなんです」


「それはとても便利ですね!」


 家の中でもずっと靴を履いていると、その靴底に付いている汚れが床に付着し、その都度生活魔法を使って綺麗にするか濡れた布で拭き取るかしなくてはいけない。

 しかしスリッパ(もしくは綺麗な靴)に履き替えれば、毎日掃除をしていても頑固な汚れは減っているはずなので、その分掃除をする時間が短くなって楽になるだろう。それに芽衣が履いている掃除スリッパなら、歩きながら掃除も出来るそうなので、もっと掃除が楽になると思う。


「その…スリッパは売り出さないのですか?」


 これがあれば便利なのに…と思っていると、芽衣は苦笑していた。


「本当なら販売してもいいんですけど、今は新商品の販売だけで精一杯なので…」


 確かに折りたたみ鏡などの売れ行きは凄い。日によっては未だ午前中で完売してしまう商品もあるのに、そこへ更に新商品を追加してしまえば、芽衣もニコルも対応出来なくなってしまうかもしれない。


(スリッパはまた今度…ということで、新しい靴を用意して家でやってみよう)


 良いことを聞いたニコルは明日にでも家の掃除をしっかりし、芽衣のように室内履きを用意しようと思った。

 スリッパの話を終えると芽衣はキッチンの前に立ち、調理の準備を始めた。


「それじゃ今から準備をするので、座って待っていて下さい」


「はい」


 本当にやることがないニコルは云われた通り椅子に座り、そして失礼ながらも部屋を見回してみた。

 室内には所々に女性らしい可愛い小物が置かれている。


(そういえば店内の小物もメイさんが設置したんだっけ)


 壁には一般家庭では珍しい大きな時計や板――確かウォールラックという物が取り付けられていた。店内に設置されているウォールラックにも植物やフォトフレームなどが置かれているので珍しくはなかったが、芽衣の部屋も同じように色々な小物などが並べられていた。

 女性の部屋をあまりジロジロ見るのは失礼だと思い、慌てて芽衣が作業をしているキッチンを見てみると、そこには色々な調味料や調理器具と思われる物が置かれていた。あんなに沢山の調味料や調理器具は一般家庭では見たことが無い。まるでレストランのようだと思った。普段料理をしないニコルでもキッチン周りが凄いと思った。


(ああ、凄い数だ。本当に異世界には便利な物が多いんだな)


 ニコルが室内を見ている間に芽衣はてきぱきと動き、鍋とフライパンを置いたコンロに火を点け、その間にトマトなどの野菜を切っていた。その様子を見て、芽衣が普段から料理をしているということを知った。

 雇用主である芽衣からタダで夕飯を食べさせてもらうのは申し訳ない。それにこのままずっと待っているのも落ち着かないので、思い切って芽衣に声をかけてみることにした。


「あの…何かお手伝いすることはありませんか?」


 普段からあまり調理はしないニコルだが、気付いたらそう訊ねていた。

 すると野菜を切りながら芽衣は「う~ん…」と考え始めた。


「それじゃ山芋を叩いてもらえますか?」


 芽衣は野菜を切る手を止め、マジックバッグから山芋を取り出した。山芋の皮を全部むき、それを適当な大きさに切ってから透明な袋に入れる。

 どうやらこれで準備が出来たようで、ニコルは芽衣から棒と透明な袋を受け取った。


「この棒で山芋を叩いて下さい」


 テーブルの上に板を置き、そこの上に置いた袋を「こんな風に…」とドンッと棒で叩いて見本を見せてくれた。


「あまり強く叩きすぎず、少し粒が残るようにして下さい」


「分かりました」


 初めての山芋叩きに内心ドキドキしながらも、ニコルは云われた通り一生懸命叩く。次第に山芋が潰れていき、触ってみると少し感触があった。この感触が芽衣の云う粒という物なのだろう。


「終わりました」


 粒が残った状態の山芋を芽衣に渡す。


「ありがとうございました。もう少しで完成するので、座ってて下さい」


 ニコルが山芋を叩いている間に芽衣は順調に調理を進めていったようだ。

 そうして暫らく待っていると「お待たせしました」と芽衣が料理を運んできた。

 目の前に置かれた皿にニコルは驚いた。どうやら麺のようだが、うどんより細いし、野菜や茹でたと思われる肉が盛られている。そして先程手伝った山芋が野菜や肉の上にかかっていた。


「これはうどん…じゃないですよね?」


 下にある麺を見たニコルは芽衣に訊ねる。


「はい。これはそうめんという麺です。うどんと同じ材料で作られているんですけど…確か規定の太さがあって、その太さによって名前が変わるみたいです」


「そうなんですか?」


 同じ材料で作っているのに太さで名前が変わってしまうとは、なんとも不思議な麺なのだなと思った。


「個人的にはうどんはチュルッともちっと。そうめんはチュルッとあっさり…って思っています」


「?」


 芽衣が麺について説明してくれるが、ニコルには麺の材料が同じなのに太さが違うぐらいしか分からず、首を傾げるので精一杯だった。


「とにかく夏はさっぱりした物が食べたくなるので作ってみました。ニコルさんのお口に合うか分かりませんが…食べた感想をもらえると嬉しいです」


 緊張しているらしい芽衣にニコルはニコッと微笑む。


「美味しそうです。いただいても?」


「はい、食べてみて下さい」


 ニコルの言葉に芽衣は笑みを浮かべた。そして芽衣は「いただきます」と声を出して、箸という物を手にした。ニコルはまだ箸が使えないので、フォークを手にして早速食べ始める。


「いただきます」


 芽衣から教えてもらった食事前の挨拶をし、フォークで麺を掬う。元々うどんやパスタもフォークを使って食べているので、細い麺でも簡単に掬うことが出来た。


「…ん! うどんよりも細いからか、どんどん食べたくなりますね」


 麺を口にしたニコルは驚きながらも手と口を動かす。

 先程芽衣が説明してくれた言葉がなんとなく分かったような気がした。確かにうどんはモチッとしているが、そうめんはスルッとしているので幾らでも食べられる。それに麺が細いからか、これなら食欲がない人でも食べられそうだと思った。


「それにお手伝いしたこの山芋。これが更にヌルッとツルッとしていて、どんどん食が進んでいきます」


「そうなんですよ。この山芋をそうめんやお肉たちと絡めて食べると、これが不思議なことに全部食べきっちゃうんですよ」


 ニコッと芽衣が笑う。

 麺を茹でて野菜と肉を盛っただけ…ではなく、ちゃんと肉にも下味が付いているし、つゆも店で食べている麺類とは違い、濃い色をしているのに美味しい。どんどん食べ進んで行くニコルを見ていた芽衣はニコッと笑ってから食べ始めた。


「沢山食べて、しっかり栄養を摂って、また明日から頑張りましょう!」


「はい」


 その時は何も考えずに返事をしてしまったが、後日にあの食事会はどうやら芽衣なりにニコルのことを気遣ってくれたようだと思った。


(また機会があればご馳走になりたいです)


 そう心の中で思いながら、今は目の前にある美味しい食事を楽しんだ。




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