劉徳然
「玄徳兄!どうかご無事で!!」
そう言って後ろに駆け出したのは、劉備が実の弟のごとく可愛がってきた劉徳然であった。
ついてこようとした簡雍を目で制し、劉備の制止も振り切ってただただ後ろに駆ける。
呼びかけに応えてくれた仲間たち数百人の装備は、戟、弓矢、盾。
迅速に布陣を整え、できる限りの策の準備を終えた頃には、大軍は目の前に迫っていた。
敵軍の先頭には、馬に跨った武人がいた。人公将軍を名乗る張梁である。
男は馬を止め、哀れむような顔で劉徳然の部隊を見ていた。
「そのような小勢で、我らを止めようとするか・・・」
小さく呟いたこの男の横に、道士然とした男がやってくる。地公将軍、張宝である。
本軍を率いる張角に代わり、地方の全軍の指揮を執っているのが彼であった。実質的な黄巾軍の大将ともいえよう。事実、本来の三国志の世界において張角が早々に病死してしまったあとは、彼が太平道を引き継いでいた。
「張梁よ、何故止まる?あの程度なら、即座に踏み潰せるであろうに。」
「敵の顔をよく見ろ、兄上。あれは死を覚悟した兵だ。ああなった兵は強い。故に、慎重にならねばならぬ」
「そういうものか。」
「あの隊にでたらめにぶつかれば被害は大きい。故に、隊列を整えて当たる。止まったのはそのためだ。」
そう言うと張梁は、右手を高く上げ、
「叩き潰せ!」
振り下ろすと同時に号令をかけた。雄叫びとともに、大軍が劉徳然の部隊に襲いかかる。
「総員、盾を構えよ!敵軍を押し止めるぞ!弓隊は矢を番えて狙いを定めよ!」
即座に劉徳然の部隊は盾を構える。騎馬と盾がぶつかり合う直前、徳然は手を振り下ろした。
瞬間、矢が敵兵を射抜いた。そのまま馬は突っ込んできたが、騎手を失った馬は勢いが殺され、盾を構えた兵達も死ぬ気で踏ん張ったため、吹き飛ばされたものはいなかった。
盾まで到達した敵もいたが、振り下ろす槍を盾兵が防ぎ、後ろに控えた戟兵が馬の足をすくって打ち倒した。
「やりおる!敵の将は中々の逸物だ、漢にまだあのような男がいたとはな!騎馬隊下がれ!歩兵を当てる!」
騎馬隊が退き、歩兵が出てくるまでの間に、劉徳然の部隊も後ろにさがった。
歩兵がこちらに突っ込んでくる。それを見て、徳然が指示を出す。
「今だ!火矢を放て!」
火矢は歩兵たちの前に刺さり、周辺の草木を焼いた。
火に怯み、歩兵隊の勢いが止まる。
「凄いです、徳然様!これなら逃げ切れるかも・・・!」
田豫は劉徳然の奮闘に僅かな希望を見出したが、劉徳然の顔からは、いささかも悲壮感が消えていなかった。
「まだだ。」
劉徳然の目線の先には、張梁がいた。いつの間に動いていたのか、彼は火の前にいる。
「はあっ!」
張梁は何か唱えたと思うと、突然大声を出した。その瞬間、火は消えてしまった。
「人公将軍様が奇跡を起こされたぞ!」
敵兵はにわかに勢いづく。
「ま、まさか・・・!」
「やはりか・・・人ならざる力、ここまでとは。来るぞ!敵兵に備えよ!」
劉徳然の部隊は、完全に死を覚悟し、各々の武器を構えた。
田豫も、己が死を覚悟した。そして、遥か後ろにいるであろう劉備に、己が夢を託して散っていこうと決めた。
そんな田豫の肩を叩くものがいた。劉徳然である。
「徳然様?」
「田豫、君はここから逃げるんだ。」
予想外の一言に、田豫は目を見開いた。
「嫌です!」
「言うことを聞いてくれ!」
その時、こちらまで聞こえるほど大きな張梁の大喝が響いた。
「敵は侮れぬ!全軍で包囲し、押し潰せ!」
敵が全軍でこちらに迫ってくる。圧倒的な数と勢い。飲み込まれれば生き残れないのは明白であった。
「田豫。これを持って行ってくれないか。」
劉徳然は、懐から何かを取り出した。それは、前夜に簡雍に渡そうとして突っぱねられた遺書と、「史記」であった。
「遺書は玄徳兄に。誰かが届けなければ、私の言葉は誰にも届かず消えてしまう。」
「では、私ではない誰かにお頼みください!」
「私の部隊で最も年少なのは君だ。それに・・・私の後を託せるのも、君だけだ。」
「後を・・・?」
「そうだ。君は、武、知、どちらにも得がたい才を持っている。その才を磨かぬまま、こんな所で散らしてはいけない。この「史記」は、君に託そう。私が屋敷に保管している本もだ。沢山勉強して、沢山身体を鍛えなさい。そして・・・」
「・・・」
「玄徳兄を、私の大切な兄を、支えてあげてくれ。」
田豫は頷いた。その目には涙が浮かんでいた。
劉徳然は、優しい笑みを浮かべながら田豫に言った。
「さあ、行け!」
田豫は、全力で後ろに駆け出した。
田豫が去ってから約半刻が経った。
劉徳然は血まみれになり、肩で息をしているが、まだ戦い続けていた。
「死ねっ!」
敵兵が槍を繰り出す。その槍を手で掴み、血のぬかるみを利用して懐に飛び込んで剣で貫く。
彼の身体から流れた血は、周辺の地面を赤く染めるほど多かった。
張梁は、自ら前線に出て劉徳然に近づいた。
ふと下を見る。漢軍の兵は、今戦い続けている男を除けば全て倒れていた。
だが、黄巾兵も多く倒れている。ざっと見て、倒れている漢軍の二倍以上だ。
張梁は馬をおり、兵士たちを下がらせ、自らは劉徳然のすぐ近くまで近寄った。
「・・・よくぞここまで奮戦した。貴様、名は?」
劉徳然は、声のする方をゆっくりと見た。目は血でかすみ、既にほとんど見えなくなってはいたが、自分に声をかけたのが張梁であると言うことは、不思議と理解できた。
「劉、徳然。」
掠れた声で答える。
「そうか。劉徳然よ。貴様は、この乱世に何を見た?」
劉徳然はニヤリと笑うと剣の切っ先を張梁に向け、その問いに答えた。
「劉備玄徳の、天下」
「・・・覚えておこう。さらばだ。」
張梁は、白銀に光る剣を構えた。自らの手でとどめを刺すことが、この男への最大限の賛辞だと信じるからだ。
劉徳然も、それに応えるかのように、血で真っ赤に染まった剣を構えた。
一瞬の静寂の後、二人は同時に駆け出す。
張梁の剣は劉徳然の心臓を切り裂き、その命脈を断った。
「・・・見事。」
だが、張梁の横腹にも劉徳然の剣は届いていた。
致命傷には至らないが、決して浅くはない傷である。
「劉徳然。その名と志は、黄巾の世成りし後も永遠に歴史に刻まれよう。」
張梁は、劉徳然の遺体を丁重に棺に入れ、漢軍に送り届けることを指示した。
「弟よ。何故、この男をここまで丁重に取り扱う?憎き漢軍の将であろうが。」
張宝であった。戦いの決着が着いたのを見て、ここまでやってきたのだ。
張梁は、人の心を理解せぬ己の兄に軽く軽蔑の念を起こしたが、それを直ぐに飲み込んで答えた。
「敵と言えど、見事な男であった。故に、彼の王の元に還してやらねばと思っただけだ。」
「・・・そうか。咎めはせんが、理解もできんな。」
「・・・それでいい。私とあの男の間の感情は、誰人にも理解できまい。」
「・・・これ以上の追撃は無意味。一度退くぞ。」
こうして張梁・張宝軍は追撃を諦め、劉備達は命を拾うこととなった。
田豫は走り続けていた。託された書と、想いを握り締めながら。




