歴史の重み
曹操と出会ってからというもの、劉備は勉強にも、遊びにもより一層力を入れるようになった。
彼が交流するものの中には、洛陽のならず者たちも少なからずいた。
そんな劉備を心配して公孫瓚が何度も諌めたが、劉備は「多くの人と交わらなければ、人間の本質は見られません」と言って聞かなかった。
他の二人にも、それぞれの変化があった。
簡雍は、曹操と相対し、あまりに小さな己の器に気が付かされた。その事が、大いなる焦りとなり、その焦りは凄まじい向上心へと変化した。結果、彼は武においても、知においても、目覚しい成長を遂げつつあった。
特に武術において簡雍は大変な苦労をした。元々武術向きの人物ではないので、剣一つちゃんと振れるようになるまでも時間がかかった。だが、才能がないからと言って諦める訳にはいかなかった。
劉徳然も、それまで敬遠していた武術に積極的に取り組むようになっていた。
簡雍は、一人物思いにふけるのだった。
曹操。俺は、あの男といつか戦わなければならないことを知っている。曹操と戦う時、俺には「歴史をある程度知っている」という強みがある。両親が熱く語ってくれたおかげで、主要な戦いで彼らがとった作戦もおおよそ頭に入っている。
だが、簡雍には、己の知識を持ってしても、曹操には勝てないという確信があった。
例え知識を利用して、史実の一手を先読みしたところで、曹操は即座に「本来の歴史では打つ必要がなかった」新たな手を打つだろう。そうなれば、今の自分の才能では勝ち目はない。歴史は、先を知っているからといって、簡単に越えられるほど甘いものでは無い。まして、史実の劉備は天下を取る事が叶わなかったのだ。その壁は高く、分厚い。
歴史の知識は、決定的な一手を打つ、その瞬間まで最後の手段として秘めておくべきだろう。
曹操に勝って歴史を変え、劉備に天下を取らせるにはまず、自分が強くなるしかない。たとえ、孔明や龐統、関羽や張飛のようにはできなくても、作戦を立て、将としても戦えるようにならなくては。
そこまで考えると、決意もあらたに鍛錬へと向かうのであった。
ある日、洛陽では大きな騒ぎが起きた。
民衆は口々に述べる。
「北門の鬼が、十常侍・蹇碩の叔父を殺した」と。
十常侍といえば、現在の朝廷を牛耳っている宦官。その親戚に手を出したとあれば、曹操も只ではすまない。
三人は、噂を聞くや否や洛陽北部へと急ぐのだった。




