第8話:初めてのクエストと異常な陣容
城塞都市グランヴェールの冒険者ギルドは、未だかつてない異様な熱気に包まれていた。
本来であれば、ここは血の気の多い荒くれ者たちが依頼を取り合い、時には拳で語り合うむさ苦しい場所である。しかし現在、ギルドの空気は『神殿』あるいは『王宮の謁見の間』のように厳かで、かつ少しでも音を立てれば殺されるかもしれないという異様な緊張感に満ちていた。
その原因はもちろん、ギルドの壁際に設置された巨大なクエストボードの前に立つ、一人の可憐な少女の存在だった。
「うーん……たくさん紙が貼ってあるけど、私でもできそうなのはどれかなぁ」
金色の髪を背中で揺らしながら、シルヴィはクエストボードを真剣な表情で見上げていた。
【特級VIPカード(ブラックゴールド)】を半ば強制的に押し付けられたとはいえ、彼女の本来の目的は「自分でお金を稼いで自立する」ことである。ステータスが全て最低値の「1」である彼女にとって、魔物の討伐クエストなど論外。間違ってゴブリンの棍棒がかすっただけでも致命傷になりかねない。
「姫様、文字はお読みに?」
「あ、うん。なんだか見れば勝手に頭の中で読めるみたい。不思議だね」
「なんと素晴らしい……! 姫様の類まれなる知性は、この世界の言語体系すらも超越しておられるのですね!」
背後で控えるロアンが、またしても盛大な勘違いをして感涙にむせいでいたが、シルヴィはもう慣れっこになっていたので華麗にスルーした。
シルヴィの視線は、ボードの一番下、初心者向けの『Fランク』と書かれたエリアに注がれている。
「街の清掃……下水道のネズミ駆除……近隣の森での薬草採取……。ネズミはちょっと怖いから、やっぱり薬草採取がいいかな。これならハイキングみたいで楽しそうだし!」
シルヴィがペリッと一枚の羊皮紙を剥がし、振り返ってにっこりと微笑んだ。
「私、これにする! 『癒やし草の採取』。近くの『さざなみの森』で十本採ってくれば銀貨三枚もらえるんだって!」
その可愛らしい宣言に、ギルド内にいた数百人の冒険者たちから「おおおぉぉ……」という地鳴りのようなため息が漏れた。
(あの神々しい姫君が、自ら土に触れて草を摘むというのか……!?)
(俺が代わりに千本採ってくるから、その笑顔を俺に向けてくれぇぇっ!)
男たちは皆、両手を胸の前で組みながら涙を流して天を仰いでいる。
「ひ、姫君! それになさるのですか!」
ギルドマスターのヴァンが、凄まじい勢いでスライディングしてきてシルヴィの足元にひざまずいた。
「薬草採取などという下賤な労働、姫君の白魚のようなお手を汚すことになりまさぁ! どうか、どうかそのクエストは俺が代わりに……!」
「ヴァンさん、それじゃ意味がないの。私は自分でお仕事がしたいんだから。それに、森のお散歩って気持ちよさそうじゃない?」
「お、お散歩……! そ、そうでしたか! 大自然の息吹を感じるための高尚なる遊山! それならば俺が口出しする筋合いはねえ!」
ヴァンは一人で勝手に納得し、額を床に擦り付けた。
受付カウンターに依頼書を持っていき、震える受付嬢リーザに手続きをしてもらう。
「で、では、Fランク依頼『癒やし草の採取』、確かに受理いたしましたぁっ! 期限は本日中、安全第一で……あああ、女神様が森に行かれるなんて、どうかご無事でぇぇっ!」
「ありがとうリーザさん。行ってくるね!」
シルヴィがギルドの外へ向かって歩き出すと、ロアンとエランが両脇を固めるようにピタリと追従した。
「さあ、姫様。森へ向かう前に、万全の準備を整えねばなりません」
ギルドを一歩出た瞬間、ロアンの顔つきが歴戦の戦士のものへと切り替わった。
「たかが近くの森とはいえ、姫様にとっては未知の領域。何が起こるか分かりません。まずは向かいの道具屋へ参りましょう!」
向かいにある大手道具屋の暖簾をくぐると、ロアンは店主に有無を言わさず金貨の詰まった袋をカウンターに叩きつけた。
「おい店主! 店にある最高級の回復ポーション(エリクサー級)を全て出せ! それから、毒消し、麻痺直し、石化解除の薬もだ! 在庫を全部樽に詰めて持ってこい!」
「えっ、ぜ、全部ですか!? いや、在庫だけでも数百本はありますが……」
「足りんかもしれんな。他の店舗からも買い占めてこい! 姫様が万が一、転んで擦り傷でも作ろうものなら、即座にポーションの風呂に沈めて治癒しなければならんのだ!!」
「ロアン、やりすぎ!!」
シルヴィは慌ててロアンの背中に飛びついたが、体力1の彼女がぶつかってもロアンは微動だにしない。
「だいたい、薬草採りに行くのにポーション数百本って重くて持てないでしょ!」
「ご心配には及びません、姫様! このロアンの力をもってすれば、樽の三つや四つ、小指で担いでみせますゆえ!」
実際にロアンは、店主が震えながら用意した巨大な木樽(数百本の高額ポーション入り)を、ひょいと軽々と肩に担ぎ上げてしまった。
一方、エランもまた、店の前で尋常ではない魔力を練り上げていた。
「エランさん、何してるの……?」
「姫様の絶対安全領域を構築しておりますの。まずは第一結界『精霊の防壁』。次に第二結界『古代竜の鱗盾』。さらに第三結界として『空間歪曲の不可視鎧』を重ね掛けし……ああ、まだ足りませんわ。もし空から隕石が降ってきたら姫様が驚かれてしまいます。第四結界も展開しますわ」
「隕石は降ってこないと思う!!」
シルヴィの制止も虚しく、エランの杖の先から放たれた極彩色の魔力が、シルヴィの身体を何重にも包み込んでいく。
傍から見れば、シルヴィの周囲だけ空気がぐにゃぐにゃと歪み、近づく光さえも捻じ曲げるような圧倒的な防御フィールドが形成されていた。
「これで、たとえ魔王の全力の魔法攻撃を受けても、姫様の御髪一本たりとも揺れることはありませんわ」
「……なんか、私だけすごく重装備のボスキャラみたいになってない?」
シルヴィは自分の身体の周りでチカチカと光る幾何学模様の結界を見ながら、深くため息をついた。
しかし、過剰な準備をしていたのは、ロアンとエランだけではなかった。
シルヴィたちが道具屋で騒いでいる頃。
ギルドの中では、ギルドマスターのヴァンが、ギルド内に残っていた高ランク冒険者たちを緊急招集していた。
Aランク、Bランクの凄腕たちが、ヴァンの前に一列に並び、息を殺して直立不動の姿勢をとっている。
「いいか、野郎ども。よく聞け」
ヴァンの声は地を這うように低く、そして殺気に満ちていた。
「我らが姫君が、この後『さざなみの森』へ向かわれる。目的は薬草採取という名の、神聖なるお散歩だ。……意味は分かるな?」
「はっ!」
顔に傷のあるAランクの重戦士が、脂汗を流しながら答えた。
「姫君の視界に、薄汚い魔物の姿を絶対に入れてはならない……ということですね!」
「その通りだ!!」
ヴァンは机をバンッと叩いた。
「姫君は虫も殺せぬほどのお優しいお方だ! もし魔物と遭遇し、それが討伐されるようなことになれば、姫君の美しい瞳が悲しみで曇ってしまうかもしれねえ! それだけは、この俺の命に代えても防がねばならん!」
「マスターの言う通りだ!」
「俺たちの汚い仕事(殺し)を、あんな純真な姫君に見せてたまるか!」
冒険者たちも、目に涙を浮かべながら熱く同調した。
「そこでだ」
ヴァンは、懐からずっしりと重い皮袋を取り出し、机の上にドサリと置いた。
ジャラッ、という乾いた音が響く。中身は全て、王国の流通で最高額を誇る『白金貨』だった。
「これは、俺のポケットマネー(全財産)だ。これを報酬とした、ギルドマスター直属の緊急裏クエストを発動する!」
ゴクリ、と冒険者たちが息を呑む。
「クエスト内容はただ一つ! 姫君が『さざなみの森』に到着される前に、森の中にいる全ての魔物を、物理的かつ完全に『排除』しろ! ただし、絶対に姫君の視界に入ってはならねえ! 音も立てるな! 血の匂いも残すな! 落ち葉一枚、姫君の歩む道を邪魔するような真似は許さん!」
「「「ウオオォォォォォォォッッ!!!」」」
凄まじい雄叫びがギルドを揺るがした。
「任せてくだせぇマスター! 俺の双剣で、ゴブリンどもを音速でミンチにしてやりますよ!」
「私の炎魔法で、血の匂いごと森の奥の魔物を灰にしてやるわ!」
「よし、散れ! 姫君が到着されるまでに、森を『完璧なピクニック会場』に作り替えろ!!」
ヴァンの号令とともに、数十人のギルドの精鋭たちが、窓から、裏口から、凄まじいスピードで森へと向かって駆け出していった。
それはまさに、一国の軍隊が最重要拠点を防衛するための、軍事作戦レベルの機動力であった。
ただ一人の、ステータスオール1の少女が薬草を摘むためだけに、街の最高戦力とヴァンの全財産が惜しげもなく投入されたのである。
そんなギルドの裏事情などつゆ知らず。
シルヴィは、ロアンに輿を担がれるのをなんとか断り、「お散歩なんだから自分で歩く!」と言い張って、自分の足で森へと向かって歩いていた。
もちろん、その歩みは致命的に遅い。
少し歩いては「ふぅ」と息をつき、道端の綺麗な花を見ては「わぁ」と立ち止まる。
その度に、ロアンはポーションの樽を担いだまま「おお……なんという可憐な立ち姿……」と涙ぐみ、エランは「姫様が花を愛でておられる! すぐにこの花周辺の土壌を魔法で極上のものに改良いたしますわ!」と杖を振り回していた。
街を出てから約一時間。
通常なら二十分で着くはずの距離を、のんびりとしたペースで進み、ついにシルヴィたちは目的地である『さざなみの森』の入り口に到着した。
「着いたー! ここがさざなみの森だね!」
シルヴィは額の汗(エランがすぐに魔法の風で乾かした)を拭いながら、目の前に広がる鬱蒼とした森を見上げた。
太陽の光が木々の隙間から差し込み、キラキラと輝いている。風が吹くと、葉擦れの音がまさにさざなみのように心地よく耳に響いた。
「よし、それじゃあ癒やし草を探しに行こう! ギルドの依頼書には、湿気の多い木の根元によく生えてるって書いてあったよね」
シルヴィはウキウキとした足取りで森の中へと足を踏み入れた。
しかし、その背後で、ロアンとエランは警戒レベルを最大に引き上げていた。
(おかしい……)
ロアンは獣人の鋭い嗅覚で周囲の空気を探りながら、眉をひそめた。
(この森には、低級とはいえスライムやゴブリン、ウルフなどの魔物が多数生息しているはず。だが……魔物の気配が、一匹たりとも感じられん。いや、気配どころか、虫の鳴き声すら不自然なほど聞こえないではないか)
エランもまた、魔力探知を広げながら冷や汗を流していた。
(森の奥から、複数の強大な魔力の残滓を感じますわ。これは……ギルドの高ランク連中の魔力? なぜ彼らが、こんな初心者向けの森で本気の魔法をぶっ放した跡があるのです?)
二人が訝しんでいる中、当のシルヴィは「あ、これかな?」と木の根元にしゃがみ込んでいた。
「あった! 癒やし草! 先端が少し丸くて、淡い緑色の葉っぱ……間違いないよね?」
シルヴィが嬉しそうに草を摘み取ると、ロアンたちは慌てて思考を打ち切り、賞賛の声を上げた。
「さすがは姫様! なんという見事な観察眼! この森にある無数の草の中から、一瞬で目的のものを探し当てるとは!」
「ええ! 姫様の手で摘まれた草は、もはやただの薬草ではなく神の霊薬へと昇華されましたわ!」
「いや、ただの草だから。ほら、あっちにもあるよ!」
シルヴィは楽しそうに、次々と薬草を摘んでいく。
その周囲は、本当に絵に描いたような平和な森のお散歩風景だった。
だが、シルヴィの視界に入らない森の奥深く、木々の陰や茂みの向こう側では、壮絶な光景が広がっていた。
『(おい、あそこにゴブリンの生き残りがいるぞ! 姫君の方向に向かってる!)』
『(させるか! 音を立てるなよ!)』
シュバッ!
茂みの奥から飛び出そうとしたゴブリンの首が、不可視の糸によって音もなく刈り取られる。
倒れそうになったゴブリンの死体を、別の盗賊が地面に落ちる前にキャッチし、そのまま空間収納の魔法袋へと放り込む。
血が一滴、地面に落ちそうになるのを、魔術師が瞬時に炎魔法で蒸発させる。
その一連の動作にかかった時間は、わずか一秒未満。
『(よし、完全に処理した。姫君の視界はクリアだ)』
『(おい見ろ、姫君がこっちに向かって歩いてくるぞ!)』
『(ヤバい、この木の根元のゴブリンの血痕が消しきれてねえ!)』
『(俺が身体で隠す! お前たちは上から花びらでも散らして、不自然じゃないようにしろ!)』
シルヴィが「あっちにもあるかな?」と歩いていく数十メートル先では、ギルドの精鋭たちが死に物狂いで『安全で美しい森』を偽装していた。
土にまみれ、魔物の返り血を浴びたAランク冒険者たちが、シルヴィが近づいてくるのを見て、必死に木の陰に隠れながら涙を流す。
(おおお……生で見る姫君の笑顔、やっぱり半端ねえ……)
(尊い……俺たちが一晩中魔物を狩り尽くした甲斐があったぜ……)
(姫君、足元の木の根に気をつけてくだせぇ……あっ、つまずきそうになった! 可愛すぎる!!)
シルヴィが「よいしょ」と小さな木の根をまたぐ度に、森の奥に隠れた数十人の屈強な男たちが声なき歓声を上げ、あるいは尊さに胸を打たれて悶絶していた。
「なんだか、すごく静かで安全な森だねぇ」
シルヴィは十本目の癒やし草を袋に入れながら、満足げに微笑んだ。
「魔物なんて全然出ないし、空気も綺麗だし。これなら、私でも毎日通ってお仕事できそう!」
その言葉を聞いて、ロアンとエランは顔を見合わせた。
彼らにはすでに、森の奥で必死に息を潜めているギルド連中の気配がバレていた。しかし、彼らが『姫様のために森を安全にしている』という意図を察したため、あえて見逃しているのだ。
「ええ、そうですわね、姫様」
エランが優雅に微笑む。
「姫様の威光の前に、魔物どもは恐れをなして逃げ出したのでしょう。この森は、もはや姫様の専用のお庭も同然ですわ」
「うむ! もし明日もいらっしゃるというなら、このロアンが事前に森の木を全て切り倒し、平坦な絨毯を敷き詰めておきましょう!」
「だからそういう大掛かりなことはしなくていいの!」
シルヴィは笑いながら立ち上がった。
「よし、目標達成! ギルドに戻って報告しよう!」
こうして、シルヴィの初めてのクエスト「薬草採取」は、彼女の知らないところでギルドの精鋭たちの血と汗と涙(とヴァンの全財産)を犠牲にしながら、完璧な平和のうちに完了したのである。
彼女の「地道なFランク冒険者ライフ」という夢は、周囲の過剰な姫プによって、すでに国家の防衛任務レベルの壮大なエンターテインメントへと変貌を遂げていた。
そして、この日を境に『さざなみの森』は、ギルド連中によって毎日毎晩魔物が完璧に間引かれる、「世界で一番安全な(魔物にとっての地獄の)森」として生まれ変わることになるのだった。




