第6話:冒険者ギルドの洗礼(逆)
翌朝。城塞都市グランヴェールの空には、雲一つない爽やかな青空が広がっていた。
最高級迎賓館『金獅子亭』のロイヤルスイートルームのふかふかな天蓋付きベッドで目を覚ましたシルヴィは、大きく伸びをしてから窓の外を見下ろした。
石畳の通りにはすでに多くの人々が行き交い、活気に満ちている。馬車の車輪の音、商人たちの威勢の良い呼び込みの声。まさにファンタジー世界の朝、といった風情だ。
「よし! 今日から私も、立派な冒険者として自立するんだから!」
両手で頬をパンッと叩き、気合を入れる。
体力も筋力も「1」の最弱吸血姫だが、目標はあくまで安全第一。「街の中での探し物」や「近場の安全な森での薬草採取」といった、いわゆるFランク(初心者向け)の地味なクエストをコツコツとこなし、自分の日々の食費と宿代くらいは自分で稼ぐのだ。
「おはようございます、姫様! 本日も太陽が霞むほどのお美しさで!」
「おはようございますわ、私の女神様。朝露を集めて淹れた特製のハーブティーをご用意いたしました」
身支度を整えてリビングに出ると、すでに完全武装のロアンとエランが直立不動で待機していた。
彼らは昨夜、シルヴィが寝ている間も一睡もせず、交代で部屋のドアの前と窓の外(エランが風の魔法で滞空していた)を警備していたらしい。過保護にもほどがある。
「二人ともおはよう。今日もよろしくね」
シルヴィが微笑むと、二人は「おおぉ……!」と胸を押さえて感激の涙を流し始めた。毎度のことながら、彼らの沸点の低さには驚かされる。
「さあ、姫様。朝食をお召し上がりになったら、いよいよ冒険者ギルドへのご出立ですね」
ロアンが大剣の柄を撫でながら、ギラリと目を光らせた。
「ギルドの荒くれ者どもが、万が一にも姫様に不敬な視線を向けるようなことがあれば、このロアンが瞬時に全員の眼球を……」
「やめて!? 普通に行くの! 私は新人の冒険者として登録しに行くんだから、目立つようなことは絶対ダメ!」
「し、しかし……姫様のような高貴なお方が、あのような泥と血の臭いが染み付いた下賎な場所に足を運ばれるなど……」
「いいの! 冒険者になるって決めたんだから!」
シルヴィがキリッとした表情(本人はそのつもりだが、周囲から見れば子猫が威嚇しているようにしか見えない愛らしさ)で言い切ると、二人は「あぁ、そのお覚悟もまた尊い……!」とひれ伏した。
朝食を済ませ、三人は迎賓館を出発した。
目的地である『グランヴェール冒険者ギルド』は、街の中心部から少し外れた、職人街と歓楽街の境目あたりに位置している。
街を歩く道中も、シルヴィのパッシブスキル『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』は絶賛フル稼働中だった。
彼女が歩くたびに、すれ違う人々はハッと息を呑み、まるで王族のパレードに遭遇したかのように道を譲り、深く頭を下げる。八百屋のおじさんは「これをどうか!」と新鮮なリンゴを差し出し、花屋の娘は「お姉ちゃんにピッタリのお花!」と花束を押し付けてきた。
当然、ロアンとエランが殺気を放ちながら周囲を牽制している影響もあるのだが、街の人々の目は純粋な「崇拝と親愛」に満ちていた。
「なんだか、みんなすごく親切だね……」
抱えきれないほどの果物や花束(すべてロアンが軽々と持っている)を見ながら、シルヴィは呑気に微笑んだ。
やがて、三人の前にひと際大きな石造りの建物が現れた。
扉の上には、剣と盾を交差させたエンブレムが掲げられている。建物の外にまで、むさ苦しい男たちの怒声や、酒をあおる笑い声、そして鉄と鉄がぶつかるような物騒な音が漏れ聞こえてくる。
間違いなく、ここが冒険者ギルドだ。
「うわぁ……なんか、すごく『荒くれ者たちの集会場』って感じの雰囲気……」
シルヴィは少しだけ気圧され、ごくりと唾を飲み込んだ。
冒険者ギルドといえば、実力主義の完全な縦社会。新人が入ってくれば「おいおい、お嬢ちゃんが来る場所じゃねぇぜ?」と絡まれ、実力を見せつけることで認められる……というのが、前世の知識で読んだファンタジーのお約束である。
「ロアン、エラン。絶対に、絶対に私より先に手を出さないでね? もし絡まれても、私が話し合いで解決するから」
「はっ! 姫様がそう仰るなら、このロアン、たとえ顔面に酒をかけられようとも微動だにいたしません!」
「私も、姫様の御心のままに。ただ、万が一姫様に触れようとする者がいれば、その者の腕だけは空間ごと切断させていただきますわ」
「それもダメだからね!?」
念を押した上で、シルヴィはギルドの重厚な木製の両開き扉の前に立った。
両手を扉にかけ、ぐっ、と力を込める。
しかし。
「……あれ? 開かない」
ステータス『筋力1』の悲哀である。分厚いオーク材で作られたギルドの扉は、シルヴィの力では微塵も動かなかったのだ。
「ふぬぬぬぬ……っ!」と顔を真っ赤にして扉を押すシルヴィ。その姿はあまりにも愛らしく、後ろで控えていたロアンとエランは鼻血を吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。
「ひ、姫様! 私がお開けいたします!」
見かねたロアンがスッと前に出ると、小指の先で扉を軽く突いた。
キィィィィンッ!! という凄まじい音と共に、重厚な扉がまるで紙切れのように軽々と(そして勢いよく)開け放たれた。
その瞬間。
ギルド内の空気が、完全に凍りついた。
ギルドの中は、まさにシルヴィの想像通りの『ならず者の巣窟』だった。
朝からジョッキで安いエールをあおる筋骨隆々の戦士たち。依頼書の奪い合いで胸ぐらをつかみ合っている獣人とドワーフ。テーブルに足を乗せ、血糊のついたナイフを手入れしている眼帯の盗賊。
ざわめきと怒声、むせ返るような酒と汗と血の匂いが充満していた空間。
しかし、開け放たれた扉から、眩い朝陽を背に受けて一人の少女が足を踏み入れた瞬間——。
『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』の二つのパッシブスキルが、爆発的な波紋となってギルド内の隅々にまで一瞬で浸透した。
「あ、あの……おはようございます。新しく冒険者登録をしたいんですが……」
シルヴィの、まるで銀の鈴を転がしたような可憐な声が、静まり返ったギルド内に響き渡った。
「……………………」
誰も、声を発さなかった。
いや、発することができなかったのだ。
ジョッキを傾けていた戦士は、口からエールを滝のようにこぼしながら完全に硬直していた。
胸ぐらをつかみ合って今にも殴りかかろうとしていた獣人とドワーフは、互いの拳を止めたまま、目を見開いてシルヴィを凝視している。
ナイフを手入れしていた眼帯の男は、手元が狂って自分の太ももにナイフを突き刺してしまったが、痛みすら感じていない様子でポカンと口を開けていた。
(う、うわぁ……やっぱりすごいアウェー感。みんな怖い顔してこっち見てる……!)
シルヴィは内心でビクビクしていた。
当然だ。屈強で傷だらけの男たちが、無言で、しかも血走った目で一斉に自分を見つめているのだから。
しかし、彼らの目は『敵意』や『値踏み』で血走っているのではなかった。
(な、なんだこの尋常じゃないオーラは……!?)
(かわ……いや、尊い!? なんだこの全身の細胞が「ひれ伏せ」と叫ぶようなプレッシャーは!)
(俺の、俺の薄汚れた魂が浄化されていく……!! 眩しい! 眩しすぎる!!)
荒くれ者たちの脳内では、致死量の『魅力』と『カリスマ』による未曾有のパニックが巻き起こっていたのである。
さらに、シルヴィの後ろから、音もなくロアンとエランがギルド内に足を踏み入れた。
「おい、貴様ら」
ロアンが、地を這うような低い声で呟いた。その背後には、幻覚のように巨大な魔獣のオーラが立ち昇っている。
「姫様の御前だぞ。その薄汚い息を吐くことすら、本来なら許されぬことと知れ。もし姫様の歩みを進める道に、貴様らの影が1ミリでも落ちてみろ。……全員、生きたまま肉の挽き物にしてやる」
「その必要はありませんわ、ロアン」
エランが杖の先で床をコツンと叩くと、ギルド内の気温が一気に氷点下まで下がった。
「影が落ちる前に、私が全員の存在を歴史から消去しますから」
『真祖の威光』による絶対的な神聖さと。
二人の規格外の従者が放つ、絶対的な死の恐怖。
「ヒッ……!!」
誰かが短く悲鳴を上げたのを合図に、ギルド内の荒くれ者たちが一斉に動いた。
「道を開けろォォッ!!」
「どけ! 椅子を引け! テーブルを片付けろ!!」
「床を拭け! 女神様の靴が汚れたらどうする気だ!!」
ドタバタドタバタッ!!
先ほどまで乱闘騒ぎを起こしていた男たちが、信じられない連携とスピードでギルドの中央に広い通路を作り出したのだ。
ある者は自分の着ていた上着を脱いで泥だらけの床に敷き、ある者はひざまずいて深く頭を垂れ、ある者は壁に張り付いて息を止めている。
受付カウンターへと続く、一直線の完璧な道。まさに、男たちの肉体と涙で敷かれたレッドカーペットである。
「えっ……あ、あれ?」
シルヴィはきょとんと首を傾げた。
「お嬢ちゃんが来る場所じゃねぇ」と絡まれる覚悟をしていたのに、なぜか全員が綺麗に道をあけて、礼儀正しく(?)ひざまずいている。
「……すごーい!」
シルヴィはパァッと顔を輝かせた。
「冒険者の人たちって、みんなすっごくマナーが良いんだね! 見た目はちょっと怖いけど、すごく親切!」
完全なる勘違いである。
彼らはマナーが良いわけでも親切なわけでもない。ただ、シルヴィのスキルに心をへし折られ、背後のロアンたちに命の危機を感じて必死に服従のポーズをとっているだけなのだ。
しかし、シルヴィはそのレッドカーペット(上着)の上を、呑気にニコニコと笑いながら歩き始めた。
「おはようございます!」
道すがら、顔に無数の傷跡がある大男(Aランクの凶悪な重戦士)にシルヴィが挨拶をしてペコリとお辞儀をした。
「ブッ……!!」
挨拶をされた大男は、そのあまりの可愛らしさと神々しさに限界を迎え、鼻から猛烈な勢いで血を噴き出してその場に卒倒した。
「あわわ、大丈夫ですか!?」
「ひ、姫様! あのような汚物に近寄ってはなりませぬ!」
ロアンが慌ててシルヴィを引き剥がす。卒倒した大男の顔は、なぜか至福の笑みに包まれていた。
「す、すごい熱気だね……みんな体調悪いのかな?」
シルヴィは首を傾げながら、ようやく一番奥にある受付カウンターへと辿り着いた。
カウンターの中にいたのは、普段は荒くれ者たちを冷たくあしらうことで有名な、肝の据わったベテラン受付嬢のリーザだった。
しかし、今のリーザはカウンターに両手をつき、ガタガタと震えながら滝のような涙を流していた。彼女もまた、シルヴィの魅力とカリスマの直撃を受け、精神のタガが完全に外れてしまっていたのだ。
「あ、あの。冒険者の登録をお願いしたいんですけど……できますか?」
シルヴィが上目遣いで、少し不安そうに尋ねる。
「で、で、ででで、できますぅぅぅっ!!!」
リーザは裏返った声で絶叫し、引き出しから最高級の羊皮紙で作られたVIP専用の登録用紙をバンッと叩き出した。
「どのようなご用件でも! 登録でも、ギルドの買収でも、私の命の譲渡でも、なんなりとお申し付けくださいませ、麗しき女神様ぁぁっ!!」
「買収はしないよ!? 登録だけでいいの!」
ギルド内は、異常な静寂と、すすり泣くような(感動の)嗚咽に包まれていた。
最強の戦士たちも、熟練の魔法使いも、冷徹な受付嬢も、ただレベル1の少女の前に平伏し、その存在を崇め奉っている。
しかし、この異常すぎる空間の空気を察知し、ギルドの奥にある『ギルドマスター室』の扉が、バンッ! と乱暴に蹴り開けられた。
「……おいおいおい。朝っぱらから俺のギルドで、一体何の葬式をやってるんだ、あぁ!?」
現れたのは、顔を斜めに走る大きな刀傷と、筋骨隆々の巨体に歴戦の傷跡を刻んだ初老の男。
かつて大陸最強と謳われ、泣く子も黙るこのグランヴェール冒険者ギルドを力でまとめ上げる厳格なギルドマスター・ヴァンであった。
「誰だ、ギルドの秩序を乱すふざけた奴は! このヴァン様が直々に……」
怒りに任せてずかずかと歩み出てきたヴァン。
そして、彼の鋭い鷹のような視線が、受付カウンターの前に立つ金髪の美少女・シルヴィと交差した。
ギルドの空気が、さらなる異常事態へと向かう瞬間であった。




