第49話:世界平和のティータイム
ルクスヴェル大陸の最高権力者たち——人間国の国王、教皇、そして魔界の魔王。
彼らが、己のプライドも王冠もすべてを投げ捨て、聖王迎賓館のバルコニーの端で「姫様尊い……」と呟きながら平伏してから数時間後。
事態は、さらに前代未聞の、そして極めて平和的かつカオスな方向へと転がり始めていた。
「えへへ、せっかくみんな集まったんだから、一緒にお茶しようよ! アオイちゃん、テーブルとお椅子、もっといっぱい出せる?」
シルヴィが、邪神(フワフワ形態・以下『ワンちゃん』)を膝に乗せたまま、満面の笑顔でホログラムAIメイドのアオイに尋ねた。
『ハッ!! マスターの御心、痛いほどに理解いたしました! すぐに最高のティーパーティ会場をセッティングいたします!』
アオイが空中で一礼すると、バルコニーの空間が青い光に包まれた。
遺跡のダンジョンコアの権限(と莫大な魔力)をフル活用し、バルコニーは一瞬にして、数百人が余裕で座れるほどの広大な『空中庭園』へと物理的に拡張(増築)されたのである。
純白のクロスがかけられた長大なテーブルが現れ、マイラが即席で鍛造したオリハルコン製の頑丈な椅子が次々と並べられていく。
「ひ、姫様!? あのような泥に塗れたオヤジども(国王と魔王)を、姫様の神聖なるティーテーブルに同席させるおつもりですか!?」
ロアンが、信じられないという顔で叫んだ。
「ええ! 姫様の視界には、私たち七人とアオイ、そしてこの新入りの毛玉だけで十分ですわ!!」
エランが、教皇たちを睨みつけながら猛抗議する。
「もう、そんなこと言わないの。せっかく遊びに来てくれたんだから、おもてなししなきゃ!」
シルヴィは、全く悪気のない、純度百パーセントの善意の笑顔で答えた。
彼女にとって、世界を統べる王も、魔王も、ただの「ちょっと変わったおじさんたち」でしかない。ステータス【魅力】【カリスマ】のカンストによる強制力が働いているため、彼らが自分に敵意を向けることなど絶対にあり得ないという、本能的な安心感もあった。
「さあさあ、おじさんたちも、あんなところで縮こまってないで、こっちに座って!」
シルヴィが、バルコニーの隅でプルプルと震えている三人の最高権力者に向かって、元気に手を振った。
「「「ヒィィッ!! 恐レ多イ!! 恐レ多スギマス、絶対神様ァァッ!!」」」
三人は、テーブルに着くことなど、太陽を直接手で触るような大罪だと本気で信じ込み、泣きながら首を横に振った。
「フン。姫様が『座れ』と仰っているのだ。……もしその椅子を断るのなら、俺の大剣で貴様らの足を膝から下で切り落とし、強制的に座高を低くしてやろうか?」
ロアンが、背後からドス黒いオーラを放ちながら、巨大な剣をチャキッと鳴らした。
「「「ヒィィィィッ!! 座リマス!! 座ラセテ頂キマスゥゥッ!!」」」
国王、教皇、魔王の三人は、光の速さで(しかしシルヴィを驚かせないよう足音は一滴も立てずに)テーブルの末席へとスライディング着席した。
彼らは、背筋をピンと伸ばし、両手を膝の上にきちんと揃え、まるで厳しい面接を受ける新入社員のようにガチガチに緊張していた。
「うんうん、みんないい子だね!」
シルヴィが満足そうに頷く。
「さて、本日のメインイベントにございます」
ノクティスが、一滴の無駄もない流麗な所作で、巨大な銀のティーポットを掲げた。
「魔界の深淵でしか採れない最高級茶葉『夜想花』の特級品。姫様の御前であるため、私の暗殺術の粋を集め、一ミクロンの雑味も残さず抽出いたしました。……おい貴様ら、一滴でもこぼしたら首を刎ねるぞ」
ノクティスの冷酷な警告と共に、国王、教皇、魔王の前に、琥珀色の紅茶が注がれたカップが音もなく置かれる。
三人は、ブルブルと震える両手でカップを持ち上げ、神の血でも飲むかのような覚悟で、一口、紅茶を口に含んだ。
「…………ッ!!」
三人の目が見開かれた。
「美味い……! なんだこの、魂の底から浄化されるような味わいは……!!」
国王が、感極まって涙をこぼした。
「ああ……! 長年の政務の疲労も、種族間の憎しみも、すべてがこの一杯の紅茶の温かさに溶けて消えていくようだ……!」
教皇が、天を仰いで祈りを捧げる。
「魔界に、これほど素晴らしい茶葉があったとは……! 私は今まで、何のために生きてきたのだ……!」
魔王も、己の過去の行いを恥じるように深く項垂れた。
彼らは、世界を滅ぼす邪神の瘴気よりも恐ろしい「姫プ勢のプレッシャー」と、ノクティスの淹れた完璧な紅茶の味に、完全に精神を武装解除されてしまった。
「美味しいでしょ? あとね、ケーキもあるよ! アオイちゃんが焼いてくれたんだ!」
シルヴィが、自分の前にある巨大なケーキの皿を指差した。
『ハッ!! 遺跡の宝物庫より発掘した古代の超絶甘味料を、マスターの健康を第一に考え、カロリーゼロに変換して焼き上げた特製シフォンケーキにございます!!』
アオイのホログラムが、誇らしげに胸を張る。
「わあ、カロリーゼロ!? すごい! じゃあ、いっぱい食べても太らないね!」
シルヴィが目を輝かせ、フォークで大きな一口を切り取り、自分の口ではなく——膝の上で尻尾を振っている『ワンちゃん(邪神)』の口元へと運んだ。
「はい、ワンちゃん。あーん」
『キュゥゥン!!(訳:アァァァッ!! 主ノ御手カラ直接!! 至上の喜ビ!!)』
邪神は、これ以上ないほどの至福の表情で、ケーキをパクリと平らげた。
かつて星を砕こうとした口で、カロリーゼロのシフォンケーキをモグモグと幸せそうに咀嚼している。
「あはは、美味しい? いっぱい食べてね!」
シルヴィが、ワンちゃんの頭をワシャワシャと撫でる。
その、究極に平和で、究極に理不尽な光景を前に。
テーブルの末席に座る三人の最高権力者たちは、もはや涙を止めることができなかった。
「……見ろ、魔王よ」
人間の国王が、震える声で隣の魔王に語りかけた。
「あの、かつて世界を絶望の淵に沈めた古代の邪神が……。あのように穏やかな顔で、聖女様の手からケーキを食べているのだぞ」
「……ああ、見ている」
魔王も、巨大な拳を震わせながら深く頷いた。
「我らは……我々は何という愚かな真似をしていたのだ。人間と魔族で領土を争い、血を流し合い……。世界を支配しようなどと、なんとちっぽけな野望であったか」
「その通りです」
教皇が、目を真っ赤に腫らしながら二人に同調した。
「真の世界の理とは、圧倒的な武力でも、恐怖による支配でもなかったのです。……すべての悪意を、憎しみを、あのように『愛』と『慈悲』で包み込み、共にケーキを食べる……。それこそが、この宇宙が到達すべき究極の平和の姿であったのです!!」
ステータス【魅力】【カリスマ】のカンストによる極大パッシブスキル。
それが、世界トップの三人の脳内で、完全なる【悟り】の境地を開かせてしまったのである。
「魔王よ……。いや、魔王殿」
国王が、魔王に向かって、真っ直ぐに手を差し出した。
「もう、争うのはやめにしよう。我々人間と魔族が血を流すことは、あの聖女様の美しいお茶会の空気を濁すことに他ならない。……このルクスヴェル大陸から、すべての戦争を無くそうではないか」
「……うむ。異論はない」
魔王は、己の恐ろしい魔力の籠もった巨大な手で、国王の小さな手を、力強く、しかし決して傷つけないように優しく握り返した。
「我ら魔族の力は、すべて、あの真祖様の笑顔を守るためだけに行使されるべきだ。人間と魔族は、今日この日より、永遠の同盟を結ぶこととしよう」
「神(聖女様)に誓って!!」
教皇が、二人の握手の上に、自らの手を重ねた。
ここに。
ルクスヴェル大陸の歴史上、最も長く、最も血塗られた人間と魔族の対立は。
なんの政治的交渉も、領土の割譲も、条約の調印式もなく。
ただ、一人の少女が「ペットにケーキを食べさせている姿」を見たおじさん三人が、勝手に感動して悟りを開いたことによって、完全なる、そして恒久的な【世界平和】へと至ったのである。
「あ、おじさんたちもケーキ食べる? まだいっぱいあるよ!」
シルヴィが、三人が手を重ね合って泣いているのを見て、ニコニコと声をかけた。
「「「いただきますゥゥゥゥッ!!!! 聖女様(真祖様)の御慈悲、骨の髄まで味わわせていただきますゥゥゥゥッ!!!!」」」
三人は、もう涙で前が見えない状態になりながら、アオイが切り分けたケーキを、神の供物を頂くかのような手つきで口に運び、さらに号泣した。
「……フン。まあ、姫様の御前で争いを起こさないというのなら、生かしておいてやらんこともない」
ロアンが、腕を組みながら鼻を鳴らす。
「ええ。これからは、人間も魔族も協力して、世界中のすべての道を姫様が歩きやすいように大理石で舗装し直す事業に取り掛かってもらいますわよ」
エランが、とんでもないスケールの公共事業を笑顔で提案する。
「おっしゃー! アタシは姫様の巨大な黄金像を、各国の首都のど真ん中にブチ建ててやるぜ!!」
マイラがハンマーを振り上げて叫ぶ。
「うんうん、みんな仲良しが一番だよね!」
シルヴィは、全く会話のスケール(世界征服レベル)を理解していないまま、紅茶を一口飲み、幸せそうに微笑んだ。
空は、どこまでも青く澄み渡り。
聖都アイギスの迎賓館のバルコニーでは、人間、魔族、獣人、エルフ、ドワーフ、竜人、吸血鬼、AIメイド、そして元・邪神という、多次元宇宙的なカオスな面々が、一つのテーブルを囲んで平和にお茶を楽しんでいた。
これが、ルクスヴェル世界における、すべての争いの終着点。
最弱の吸血姫が、文字通り「指一本動かさず(※お茶とケーキは自分で飲んだ)」に達成してしまった、圧倒的すぎる姫プによる【大団円】の光景であった。
「……さて、姫様。食後のデザートはいかがいたしますか?」
ノクティスが、一滴の隙もない完璧な執事の微笑みで尋ねた。
「あ、あのね! 私、まだ食べたことないんだけど、遺跡の宝物庫にあったっていう『古代のプリン』が食べてみたいな!」
「「「「「「「ハッ!! 今すぐご用意いたします、我らが至高の姫様ァァァァァッ!!!!」」」」」」」
七人の化け物たちと、一人のAIメイド、そして三人の最高権力者たちの声が、世界で最も平和で、過保護なハーモニーとなって、抜けるような青空へと響き渡っていった。




