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第48話:伝説の頂点と最強のペット

大陸最北端に位置する絶対禁忌の地、『終焉の谷』。

数千年の長きにわたり、世界を無に帰すための絶望と怨念を溜め込み続けていた古代の邪神は、たった一人の少女の「お肌が乾燥するから怒らないで」という涙ながらの訴え(と、限界突破のパッシブスキルの直撃)によって、完全にその存在意義を書き換えられてしまった。


「わあ、可愛いワンちゃん! フワフワで温かいね!」


すっかり晴れ渡った青空の下。

抉れ、マグマが噴き出していた地獄のような谷底は、エルフのエランとAIメイドのアオイが瞬時に魔力で整地し、今や広大で平坦なピクニック広場のような空間へと変貌していた。

その中央で、レベル1の最弱吸血姫シルヴィは、膝丈ほどのサイズにまで圧縮(デレ化)された邪神を両腕に抱きかかえ、満面の笑顔でそのダークな毛並みに頬ずりをしていた。


「きゅぅん……♪ くぅぅん……♪」

かつて神々すらも恐怖した破壊神は、今や完全に牙を抜かれた究極の愛玩動物ペットと化し、シルヴィの腕の中でこれ以上ないほどの至福の表情を浮かべ、細長いドラゴンのような尻尾をちぎれんばかりに振っている。


(アア……!! なんという幸福! なんという温もり!! 世界を滅ぼすだの、復讐だの、あのような下らないことに数千年も費やしていた過去の自分が恥ずかしい!! 私は今、この宇宙で最も尊きマスターの腕の中で、永遠の安らぎを手に入れたのだ!!)


邪神の無数の赤い眼球は、大きく澄んだ二つの愛らしい瞳へと変化し、シルヴィの顔を見上げてはペロペロと頬を舐めようとしている。

「あははっ、くすぐったいよー!」

シルヴィがコロコロと鈴を転がすように笑う。


その、あまりにも平和で、そして宇宙の真理すらも狂わせる理不尽な光景を。

満身創痍で地面に座り込んでいた七人の化け物たち(従者)は、滝のような感動の涙を流しながら見つめていた。


「おおおぉぉ……! 奇跡だ……! 神話の時代より語り継がれる最凶の災厄すらも、姫様の前では一瞬にしてひざまずき、あまつさえ愛らしいペットへと転生してしまうとは……!!」

獣人最強の戦士ロアンが、粉砕された両腕をダリウスに支えられながら、天を仰いで号泣する。

「姫様の底なしの慈愛が、絶望の瘴気を完全に浄化してしまわれたのですわ……! ああ、私たちのような野蛮な武力など、姫様の神々しい御力の前では何の意味も持たなかった!!」

エランが吐血した口元を拭いもせず、恍惚とした表情で祈りを捧げる。


「聖女様……! 貴女様こそ、このルクスヴェル世界を統べる唯一絶対の光!!」

聖騎士セリアが地面に額を擦りつけ、マイラ、ノクティス、ルルもまた、極限の崇拝と敗北感(姫様の可愛さに対する敗北)を入り交じらせて深く平伏していた。


『マスター! 皆様! 空間座標の固定、および広域転移魔法陣の再構築が完了いたしました!』

空中に浮かぶホログラムAIメイドのアオイが、恭しく一礼する。

『マスターの御肌がこれ以上、谷底の乾燥した空気に晒されるのは危険です! 大至急、聖王迎賓館のバルコニーへとご帰還なさいませ! すでに最高級の紅茶とケーキの準備は整っております!』


「ほんと!? わーい、お腹空いちゃった! 帰ろうみんな!」

シルヴィは、フワフワの邪神ワンちゃんを抱きかかえたまま、アオイの展開した光の魔法陣へとピョンと飛び乗った。

ボロボロになった七人の従者たちも、互いに肩を貸し合いながら、光の中へと足を踏み入れる。


「さあ新入り。姫様の腕の中という最高の特等席をもらったのだ。もし少しでも姫様を重さで疲れさせたら、その毛皮を剥いで絨毯にするからな」

ノクティスが冷酷な声で邪神に囁く。

『キュゥゥン!!(訳:分カッテイル!! 私ハ今、自ラノ質量ヲ羽毛ノヨウニ軽くシテ、主ノ腕ノ負担ヲ極限マデ減ラシテイル!!)』

邪神は誇らしげに胸を張り、シルヴィの胸元にスリスリと身を寄せた。


シュガァァァァァンッ!!

光の柱が天に昇り、シルヴィたちの姿は終焉の谷から完全に掻き消えた。


***


一方その頃。

ルクスヴェル大陸の各地では、空を覆っていた赤黒い絶望の空が一瞬にして晴れ渡り、元通りの美しい青空と太陽の光が戻ったことで、未曾有の大パニックと歓喜の嵐が巻き起こっていた。


「そ、空が……青空に戻ったぞ!!」

「瘴気が消えた! 息ができる……!!」

「神よ……! 誰かが、あの絶望の邪神を討ち果たしてくれたのだ!!」


人間の王都、魔界の魔王城、エルフの隠れ里、ドワーフの地下都市。

全種族が、迫り来る世界の終わりを覚悟していた中での、突然の奇跡。

そして、世界のトップに立つ者たちは、皆一様に「ある可能性」に思い至っていた。


(あの数千年の災厄を、わずか数十分で討伐し、世界を救うことができる存在。……そんな規格外の化け物が、この世界のどこかにいるとすれば)


人間国の国王、教皇、そして魔界の魔王。

彼らは皆、数日前に『裁きの平原』で人間軍と魔王軍の戦争を「ピクニック」で強制終了させた、あの恐るべき金髪の少女の姿を脳裏に浮かべていた。

教会の聖騎士からは『光の聖女』と崇められ、魔王軍の幹部からは『真祖の姫君』と恐れられる、絶対的な不可侵存在。


「すぐに出立する!! 聖都アイギスの迎賓館へ向かえ!! 聖女様が……あの御方が、邪神を討伐されたに違いない!!」

国王が玉座を蹴り倒す勢いで叫んだ。

「魔界の全軍に告ぐ! 転移門を開け!! 我らが真祖様シルヴィの元へ急行し、世界の救済に対する最大の賛辞と忠誠を捧げるのだ!!」

魔王もまた、巨大な翼を広げて王城を飛び立った。


彼らは、世界の破滅を救ってくれた「英雄」に対し、国家の存亡を懸けて感謝と忠誠を誓うべく、我先にと聖都アイギスへと転移魔法や飛竜を駆使して急行したのである。


***


そして、数十分後。

聖都アイギスの中心部、広大な敷地を持つ聖王迎賓館の正面ゲートに、信じられない顔ぶれが同時に到着していた。


「……魔王!! 貴様、なぜ人間の神聖なる都に足を踏み入れている!!」

白馬から飛び降りた人間国の国王が、剣の柄に手をかけて怒鳴った。その隣では、教皇が杖を構えて冷や汗を流している。


「フン、人間の王よ。勘違いするな。我は貴様らと争いに来たのではない。世界を救われた真祖の姫君に、魔族を代表して最敬礼を行うために参ったのだ!」

漆黒の魔力衣を纏った魔王が、腕を組んで傲然と言い放つ。

「奇遇だな。我々も、聖女様に世界の命運を救っていただいた御礼を申し上げるために来たのだ。……邪神との死闘、さぞかし聖女様はお疲れであろう。もしかすれば、深いお傷を負われているやもしれん」


国王の言葉に、魔王も神妙な顔つきになった。

「うむ……。いかに真祖様とその従者たちが規格外とはいえ、相手はあの古代の邪神だ。相打ちに近い、凄惨な血みどろの死闘であったことは想像に難くない。我々は、決して物音を立てず、静かに、最大の敬意を払って謁見を申し出ねばならん」


かつては血で血を洗う不倶戴天の敵同士であった人間国のトップと魔族のトップが、「シルヴィの安否を気遣う」という一点において、完全なる意思の疎通と平和的協調を見せていた。

彼らは、互いに武器を収め、足音を忍ばせながら、迎賓館の奥、ロイヤルスイートルームに続く美しい庭園バルコニーへと向かった。


(さぞかし、悲惨な光景が広がっていることだろう。傷つき倒れた従者たち、そして、力を使い果たし、血に濡れたドレスで眠る聖女様の姿が……)


国王も、教皇も、魔王も、悲痛な覚悟を胸に抱き。

庭園へと続く、巨大なガラス扉を、ゆっくりと、静かに押し開けた。


ギィィィ……。


扉が開かれたその先。

彼らの目に飛び込んできたのは、凄惨な死闘の痕跡などではなかった。


「あはははっ! ワンちゃん、そこくすぐったいよー!」

「きゅぅぅん! きゅっ、きゅぅん!!」


突き抜けるような青空と、温かく降り注ぐ太陽の光。

色とりどりの花々が咲き乱れる庭園の、純白のガーデンテーブルの上には、最高級のケーキと湯気を立てる紅茶が美しく並べられている。


そして、そのテーブルの傍ら。

マイラが仕立て直した汚れ一つない美しいサマードレスを着たシルヴィが、ふかふかの芝生の上にぺたんと座り込み、膝ほどの大きさの【ダークな毛並みを持つフワフワの小動物】を抱きしめて、満面の笑顔でコロコロと笑っていた。

小動物は、シルヴィの顔をペロペロと舐め回し、尻尾をブンブンと振って、これ以上ないほどの至福の表情を浮かべている。


その周囲には、ロアン、エラン、セリア、ダリウス、マイラ、ノクティス、ルルの七人が、シルヴィの楽しそうな姿を見て「おおおぉぉ……尊い……!」と悶絶しながら、甲斐甲斐しく紅茶のおかわりやクッションの準備をしている姿があった。(※彼らの怪我は、エランとルルの限界突破の治癒魔法と、アオイの医療システムによって、帰還後数分で完治していた)


「「「「「……………………え?」」」」」


国王、教皇、魔王。

ルクスヴェル大陸の最高権力者たちの思考が、そのあまりにも平和で、お花畑な光景を前に、完全にフリーズした。


死闘? 血みどろ?

そんなものはどこにもない。そこにあるのは、休日の昼下がりを楽しむ貴族の令嬢の、究極に優雅なティータイムそのものであった。


「……ま、魔王、殿……」

国王が、ガタガタと震える指で、シルヴィの腕の中にいる小動物を指差した。

「あ、あの聖女様が抱きかかえておられる、あの黒い獣……。あれは、ただの犬、ですかな……?」


「…………」

魔王は、顔面からすべての血の気を失い、滝のような冷や汗を流しながら、その小動物を凝視していた。

魔王には、視えるのだ。

あの愛らしい見た目のフワフワの毛玉の奥底に、間違いなく、先ほどまで世界を絶望の淵に沈めていた【古代の邪神】と全く同じ、途方もなく巨大で、おぞましい魔力の残滓コアが存在しているという事実が。


「ば、馬鹿な……。嘘だろう……!?」

魔王が、腰から崩れ落ちるようにして膝をついた。

「あ、あの中身は……間違いなく、あの古代の邪神だ……!! 邪神の魔力そのものだ!!」


「な、なんだとォォォッ!?」

国王と教皇も、悲鳴のような声を上げて腰を抜かした。


「じゃ、邪神だと!? あの神話の災厄が……あのように小さく、愛らしい犬のような姿になって、聖女様に甘えているというのか!?」

「討伐したのではない……! 聖女様は……世界を滅ぼす破壊神を、一瞬にして自らの『ペット』として手懐けてしまわれたのだ!!」


パニックに陥り、絶叫を上げるトップたちの声に気づき、シルヴィがキョトンとして振り返った。


「あれ? おじさんたち、誰?」


シルヴィが、邪神(フワフワ形態)を胸に抱いたまま、小首を傾げて無邪気な瞳を向けた。


その瞬間。

シルヴィの全身から、ステータス【魅力】【カリスマ】のカンスト値によるパッシブスキル『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』が、国王、教皇、魔王の三人にモロに直撃した。


ズドォォォォォォォォォンッ!!!!


「「「————ッッッ!!!!」」」


三人の脳内で、国家のプライド、権力への執着、種族間の因縁といった、すべての世俗的な概念が、原子レベルにまで粉砕され、消え去った。


太陽の光を背に受け、金色の髪を風に揺らし。

かつて世界を滅ぼそうとした最凶の邪神を、慈愛に満ちた笑顔で優しく抱きしめている、透き通るような美しさを持つ一人の少女。

それは、いかなる教会の宗教画よりも神聖で、いかなる魔界の伝説よりも圧倒的な、【神話の完成形】とも言える奇跡の光景であった。


「アァァ……!!」

教皇が、両目から大粒の涙をこぼし、地面に這いつくばって祈り始めた。

「神よ……! 私は今、真の神の姿を目の当たりにしております!! 争いも、憎しみも、すべてを愛で包み込む絶対の救済!! 聖女様こそが、この世界そのものです!!」


「王冠など……。この光の御前では、石ころ以下のガラクタに過ぎん……!」

国王が、自らの頭から王冠をもぎ取り、放り捨てて、最も深い土下座の姿勢をとった。

「光の聖女様!! いや、絶対神様!! どうか、どうかこの愚かな我々を、貴女様の永遠の庇護の下にお導きください!!」


「真祖様ァァァァッ!!」

魔王までもが、巨大な身体を丸め、床に額を擦りつけて咽び泣いた。

「魔界の全領土、全軍勢、すべてを貴女様に献上いたします!! 邪神すらも愛で屈服させる貴女様の圧倒的な『尊さ』の前に、魔王の称号など塵芥に等しい!! 今日より我々は、貴女様の忠実なる下僕にございます!!」


バシャンッ、カランッ。

三人の最高権力者たちが、自らの武器を、権力の象徴を、すべてのプライドを投げ捨てて、シルヴィの足元(正確にはバルコニーの入り口)にひれ伏した。


彼らの瞳には、もはや戦意も、野心も、反抗心も、一ミリたりとも存在しなかった。

あるのはただ、シルヴィという圧倒的な「尊さ」に対する、狂気的なまでの崇拝と、絶対的な服従の意志だけである。


「えっ……? えっ……?」

シルヴィは、突然やってきたおじさん三人が、いきなり王冠を投げ捨てて大泣きしながら土下座を始めたのを見て、完全に困惑していた。

「どうしたの!? どこか痛いの? 泣かないでー!」


「姫様。お気になさらず」

執事ノクティスが、優雅に歩み寄り、シルヴィの前に新しい紅茶のカップを差し出した。

「彼らは、姫様のあまりの美しさと慈悲深さに当てられ、感動のあまり己の小ささを恥じているだけです。……おい、貴様ら。姫様のティータイムの邪魔だ。端の方で静かにひれ伏しておれ」


「「「ハハァァァァァァッ!!!! 御意ニ御座イマス!!」」」

国王、教皇、魔王の三人が、文字通り地を這うようなスピードでバルコニーの端へと移動し、ピタリと動かなくなった。


「う、うん……? なんだかよく分かんないけど……」

シルヴィは、不思議そうに首を傾げながらも、ノクティスから紅茶を受け取った。

「まあ、いっか! ワンちゃんも、一緒にケーキ食べる?」

「きゅぅん!」

邪神ワンちゃんが、嬉しそうに尻尾を振ってシルヴィの膝に飛び乗る。


こうして。

ルクスヴェル大陸の頂点に君臨する人間と魔族のトップたちは、シルヴィが「邪神を抱いて微笑む」という神話の光景を目の当たりにし、完全にその精神を陥落させられた。


一切の武力を持たず。

ステータスはオール1のまま。

ただ「お茶を飲んで、ペットを可愛がっていた」だけであるにもかかわらず。


最弱吸血姫シルヴィは、この日、世界の全勢力を完全に一つにまとめ上げ、争いのない、永遠の平和な時代を(意図せずして)強制的に作り上げてしまったのである。

圧倒的な姫プによる世界征服。その伝説は、今まさに絶対的な頂点へと達しようとしていた。

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