第40話:経験値ゼロと新たなる伝説
巨大な地下ドーム空間を覆い尽くしていた、世界を滅ぼすほどの極大レーザーのエネルギーと、七人の化け物たちから放たれた極大殺気のプレッシャー。
それが今や、まるで嘘のように霧散し、空間には平和で幻想的な光の粒子だけがフワフワと舞い散っていた。
『——マスター。数千年の長きにわたり、ワタクシはこの冷たい地下の底で、ただ愚かなる侵入者を排除するためだけに存在しておりました』
空中に浮かぶ、淡いブルーの光で構成されたホログラムのAIメイド。
彼女は、空中で見事なスライディング土下座を決めた姿勢から、ゆっくりと顔を上げ、ルビーのように赤い瞳を持つレベル1の最弱吸血姫シルヴィを、熱に浮かされたような眼差しで見つめ上げた。
『しかし、貴女様という宇宙の真理、究極の尊さに出会えた今! ワタクシの存在意義は完全に上書き(オーバーライド)されました! 破壊と殺戮のプログラムは、すべてゴミ箱へ! 今日よりワタクシは、マスターの笑顔を守り、マスターのお世話をするためだけに稼働する、貴女様だけの専属AIメイドにございます!!』
古代の超絶兵器が、完全に「萌え」と「庇護欲」に屈服し、自らのアイデンティティをメイドへと書き換えてしまったのである。
「えへへ、メイドさんが増えちゃった! よろしくね、えーっと……お名前はあるの?」
シルヴィが全く警戒することなく、ニコニコと尋ねる。
『システム識別コードは存在しますが、あのような無機質な番号で呼ばれるなど、マスターの美しい唇を汚す行為! どうか、マスターの素晴らしいネーミングセンスで、ワタクシに新しいお名前を授けてくださいませ!!』
「うーん……じゃあ、青く光ってるから『アオイ』ちゃんはどうかな?」
『アオイ……!! アオイ……!! アァァァァッ、なんて素晴らしい響き!!』
ホログラムのAIメイド——アオイは、両手で自らの顔を覆い、バチバチと感涙の光の粒子を撒き散らした。
『古代魔術言語のどの美しい響きよりも、マスターのつけてくださった「アオイ」という名が愛おしい!! ありがとうございます、マスター!! このアオイ、メモリが焼き切れるまでご奉仕いたします!!』
その、あまりにも平和で、そして理不尽極まりない光景を前に。
七人の従者たちは、構えていた武器や魔法を完全に下ろし、ただただ言葉を失って立ち尽くしていた。
「……信じられん」
獣人ロアンが、大剣『滅山』を地面に突き立て、呆然と呟いた。
「俺たちが束になってようやく破壊できるかどうかの、古代の神話級兵器だぞ……。それが、姫様がただ立って、数言お声をかけられただけで、完全降伏した上にメイドに転職しただと……?」
「これぞ、まさしく神の御業ですわ……!!」
エルフのエランが、杖を握りしめ、顔を真っ赤にして打ち震えている。
「物理的な破壊など、三流のやること! 姫様は、対象の『心』そのものを掌握し、戦わずして完全に屈服させられたのです! ああ、私たちの奥義など、姫様の前ではただの野蛮な暴力に過ぎませんでしたわ!!」
「聖女様……! やはり貴女様は、すべての争いを終わらせる絶対の光……!!」
セリアが聖剣を抱きしめ、床に膝をついて祈りを捧げる。
「ヒャハハハ! 姫様の魅力の前じゃ、古代の鉄クズもメロメロってわけだ! 痛快だぜ!!」
マイラが鼻血を拭いながらハンマーを振り回す。
「……チッ。また一人、姫様のお世話をする泥棒猫(機械だが)が増えたか。だが、お茶淹れの技術ではこのノクティスには到底及ばんだろうがな」
ノクティスが執事服の襟を正し、ライバル心を燃やす。
「私が先輩メイドですわよ! ホログラムなんかに姫様のお着替えは手伝わせませんからね!」
ルルが早速、アオイに向けて威嚇のシャーッという声を上げる。
そんな従者たちの異常なまでの感嘆と崇拝の眼差しが注がれる中、アオイはシルヴィに向かって深々と一礼をした。
『マスター。この「古代賢者の試練場」は、今この瞬間を以て、完全にマスターの所有物となりました。ワタクシのコアにアクセス権限を登録いたします』
ピロリロンッ♪ パパパパーン!!
突然、地下ドーム空間全体に、どこか聞き覚えのある、極めてファンタジーRPG的な『ダンジョンクリアのファンファーレ』が大音量で鳴り響いた。
「わあ! なんかすごい音楽が鳴ったよ!」
シルヴィが目を丸くする。
『そして、これより、遺跡の全機能と、古代の賢者が遺したすべての財宝を、マスターに譲渡いたします! 宝物庫、オープン!!』
アオイが空中で指を鳴らした(ホログラムなので音はしないが、モーションをとった)瞬間。
ドーム空間の壁面のあちこちが、地響きと共にズゴゴゴゴ……と開き始めた。
そこに現れたのは、目を疑うような光景だった。
壁の奥の巨大な空間に、山のように積まれた純金、見たこともないような魔力を放つ宝石の数々、伝説の金属ミスリルやオリハルコンのインゴット、そして、神話の時代に作られたとされる国宝級の魔道具の山。
その総額は、ルクスヴェル大陸の大きな国を、三つや四つ丸ごと買い取れるほどの、文字通り「天文学的な莫大な財宝」であった。
「うわああああっ!! キラキラがいっぱい!! すごい!!」
シルヴィが歓声を上げて飛び跳ねる。
「……な、なんだと!?」
ロアンたち七人の従者も、その財宝の山を見て息を呑んだ。
「これほどの財宝……! さすがは数千年前の古代遺跡の最深部だ……!!」
「姫様! これで姫様は、名実ともに世界一の富を手にされましたわ!!」
『さらに、マスターには特別な称号が授与されます!』
アオイの宣言と同時に、シルヴィの脳内に、システムの機械的な音声が響いた。
【通知:Sランク迷宮『古代賢者の試練場』の完全攻略を確認しました】
【通知:全トラップの無力化、中ボスの討伐、およびダンジョンコアの完全掌握を達成。クリア評価は『規格外(SSS)』です】
【通知:特別称号『古代迷宮の制覇者』を獲得しました。この称号を持つ者は、すべての古代遺跡において最上位の権限を有します】
「称号だ! 『古代迷宮の制覇者』だって! なんかすっごくカッコいい!!」
シルヴィは、両手をグッと握りしめ、満面の笑顔で喜んだ。
莫大な財宝を手に入れ、最高にかっこいい称号をゲットし、そして何より、Sランクの超絶危険なダンジョンを「完全攻略」したのである。
(えへへ……! 途中でロボットさんも自分で倒したし、最後のボスも私の言葉で降参させちゃった! 私、この遺跡でいっぱいいっぱい活躍したよね!)
シルヴィの胸は、かつてないほどの達成感と期待で大きく膨らんでいた。
(これだけすごいダンジョンをクリアしたんだもん! きっと、経験値もものすごい量が入ってるはず! レベルも一気に上がって、体力も筋力もドーンって増えてるに違いないよ!)
現代日本のゲーム知識を持つシルヴィにとって、「難関ダンジョンクリア=超レベルアップ」というのは常識中の常識であった。
「よーし……! それじゃあ、お待ちかねの……」
シルヴィは、ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、虚空に向かってその言葉を唱えた。
「『ステータス・オープン』!!」
フワリと、シルヴィの目の前に半透明の青いウィンドウが浮かび上がる。
七人の従者たちも、「姫様の御力がどれほど跳ね上がったのか!」と、固唾を飲んでそのウィンドウを見守った。
シルヴィは、期待に目を輝かせながら、ステータス画面の数値を上から順番に確認していった。
【名前】シルヴィ
【種族】夜魔の真祖
【称号】古代迷宮の制覇者
「うんうん! 称号はちゃんと入ってる!」
【魅力】 測定不能(限界突破)
【カリスマ】 測定不能(限界突破)
【パッシブスキル】『真祖の威光』『絶対的庇護欲』
「ここも変わらずだね。さあ、肝心のレベルとステータスは……!!」
シルヴィの視線が、ウィンドウの中央部分へと移動する。
そこには、残酷なまでの、システムという名の絶対的な『現実(真理)』が、無機質な数字となって刻まれていた。
【レベル】 1
【HP】 1/1
【MP】 1/1
【筋力】 1
【体力】 1
【敏捷】 1
【獲得経験値】 0 / 10
「………………………………へ?」
シルヴィの時間が、完全に停止した。
パチクリ。パチクリ。
彼女は、二度、三度と赤い瞳を瞬かせ、顔を画面にくっつくほど近づけて、もう一度数字を見た。
【レベル】 1。
【獲得経験値】 0。
「…………えっ?」
シルヴィの頭の中で、ガラガラと音を立てて期待が崩れ去っていく。
レベル1。経験値ゼロ。
ダンジョンに入る前と、何一つ、一ミリも、一ミクロンも変わっていない。ステータスは完全なる初期状態のままであった。
なぜか。
理由は火を見るよりも明らかである。ルクスヴェル世界のシステムは極めて厳格であり、「戦闘において自力で対象に1以上のダメージを与える」か「敵の攻撃を回避・防御するなどの戦闘行為に参加する」ことでしか経験値は得られない。
今回のダンジョン攻略。
・見えない落とし穴 → ダリウスが橋になったので、シルヴィはただ背中の上を歩いただけ。
・百トンの岩石トラップ → ロアンとセリアが0.1秒で粉砕したので、シルヴィは気づきすらしなかった。
・スフィンクスの扉 → シルヴィが「開けて」とお願いしたら、パッシブスキルでAIがバグって勝手に開いた。(戦闘行為ではないため経験値ゼロ)。
・中ボス(アイアンゴーレム) → シルヴィが木の枝でペシッと叩いたダメージは「0」。その0.0001秒後に七人が放った一斉奥義によるオーバーキルで消滅。(ダメージ0なので経験値ゼロ)。
・ダンジョンコア → レーザーを撃たれる前に、パッシブスキルでAIがメイドに転職して完全降伏。(戦闘行為が発生していないため経験値ゼロ)。
結論。
シルヴィは、このSランク迷宮において、ただの一度も「有効な戦闘行為」を行っておらず、システム上は【ただお散歩をして、お願い事をしただけ】と判定されていたのである。
「う、うそ……」
シルヴィの大きな赤い瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち始めた。
「なんで……なんでぇぇぇぇっ!?」
シルヴィは、その場にペタンと座り込み、両手で顔を覆って号泣し始めた。
「私、がんばってダンジョン歩いたのに! ロボットさんも木の枝で(※勘違い)倒したのに! 称号までもらったのに! なんで経験値が『ゼロ』なのぉぉぉっ!?」
これだけ苦労(?)して、やる気を出して挑んだダンジョン攻略。
結果として莫大な財宝と称号は手に入れたが、彼女が一番欲しかった「自立するための力」は、一切手に入らなかったのである。
「これじゃあ、私、スライムさんにも勝てないままだよぉ……! うわぁぁぁん!!」
シルヴィの、悲痛な叫びと号泣。
その涙を見た瞬間、背後で控えていた七人の狂信者(過保護な従者)たちの脳内に、これ以上ないほどの『究極の超解釈』が閃いた。
(お、おおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!)
ロアンが、震える両手で自らの顔を覆い、シルヴィ以上に激しく号泣し始めた。
「皆様! 見ましたか、お聞きになりましたか!!」
ロアンは、他の六人に向かって、興奮で顔を真っ赤にしながら絶叫した。
「姫様は、このSランク迷宮のすべてを屈服させ、莫大な財宝と称号を手に入れられたというのに! ご自身のレベルが上がらなかったこと、ご自身が『力』を得られなかったことを嘆いておられるのです!!」
「ええ……! ええ、分かりますわロアン!!」
エランが、杖を握りしめて狂信的な歓喜の涙を流す。
「普通であれば、これほどの財宝と権力を手にすれば、人は溺れ、満足するものです。しかし、我らが姫様は違った! 姫様は、どれほどの偉業を成し遂げようとも、決して驕らず、常に『ご自身が未熟である(レベル1のままである)』と戒めておられるのです!!」
「なんという……なんという気高さ!!」
セリアが天を仰ぎ、聖剣を両手で掲げる。
「これほどまでに巨大なダンジョンコアを、一戦も交えることなく、指一本動かさずに降伏させたというのに! 姫様は『私はまだ弱い』と涙を流しておられる!! これこそが真の強者の孤独! 神の如き御心!!」
「ヒャハハハハ!! 姫様、最高だぜ!! 財宝なんか目もくれないで、自分の強さだけを追い求めてるんだな!!」
マイラが鼻血を噴き出して絶賛する。
「ああ……姫様。貴女様のその謙虚な涙、このノクティスの魂に深く、深く刻み込まれました。貴女様こそ、我々が永遠に仕えるべき絶対の主!!」
ノクティスが執事服を翻し、最も深い礼をとる。
「姫様が泣いておられる……! 尊い! 尊すぎて私の血が沸騰しそうですわ!!」
ルルが身悶えして床を転がる。
七人の従者たちの脳内では。
シルヴィの「レベルが上がらなくて悔しい」というただのゲーマー的な悲しい涙が。
【莫大な富と権力を手にしても決して驕らず、無血開城という神の如き偉業を成し遂げながらも、常に己の未熟さを戒める、究極の求道者にして絶対強者の涙】へと、完全なるハリボテの伝説として昇華されてしまっていたのである。
「うぅ……みんな、何言ってるの……? 私、本当にレベル1のままなんだけど……」
シルヴィが涙目で七人を見上げるが、彼らの狂信的な崇拝の眼差しは、もはやとどまる所を知らなかった。
『マスター!! 泣かないでくださいませ!! マスターがレベル1であるならば、このアオイが遺跡のシステムを書き換え、マスターをレベル100にするプログラムを構築してみせます!!(※不可能です)』
ホログラムのAIメイドまでが、シルヴィの涙にパニックを起こして周囲を飛び回り始めた。
「うわぁぁぁん! もういいもん! 私、ずっとスライムさんより弱いままでいいもん!」
シルヴィは自暴自棄になり、ドームの床(銀色の金属)に寝転がってジタバタと手足をバタつかせた。
その駄々をこねる姿すらも、七人にとっては「神話の女神の舞」のように神々しく見えているのだから、始末に負えない。
かくして。
ルクスヴェル大陸の東の果てに眠る、最凶のSランク即死迷宮『古代賢者の試練場』は、完全に攻略された。
手に入れたものは、国を三つ買えるほどの莫大な財宝と、古代の超絶AIメイド『アオイ』。
そして、『古代迷宮の制覇者』という、誰もがひれ伏すような仰々しい称号。
しかし、肝心の主人公であるシルヴィの戦闘能力は、一切合切、一ミリも上がることなく。
ステータス【レベル:1】のまま、彼女の『ハリボテの伝説』だけが、また一つ、途方もなく強固で巨大なものになってしまったのである。
「私、結局なにも自力で倒してないし、レベルも上がらないままだけど……まあ、いっか! 財宝で美味しいものいっぱい食べようっと!」
涙を拭いたシルヴィは、莫大な財宝の山を見てすぐに機嫌を直し、満面の笑顔で立ち上がった。
そのコロコロと変わる表情に、七人の従者と一人のAIメイドは、再び「うおおぉぉ……尊い……!」と悶絶し、巨大なドーム空間に狂信的な歓声が響き渡った。
圧倒的なまでの『姫プ』によるダンジョン制覇(物理的・精神的破壊)。
最弱にして至高の吸血姫の伝説は、経験値ゼロのまま、いよいよ世界規模へとスケールアップしていくのであった。




