第4話:森の脱出と過保護の始まり
深い緑に包まれた森の中を、奇妙な一団が進んでいた。
先頭を行くのは、筋骨隆々の獣人戦士ロアン。彼の肩には、先ほど巨木から削り出された立派な「輿」が乗せられており、その上で金髪の美少女・シルヴィがちょこんと座っている。
そして輿の隣には、杖を構えたエルフの魔術師エランが付き従い、周囲に絶えず風の結界を張り巡らせていた。
「姫様、揺れはございませんか? もしご不快であれば、私がもっと安定した歩行技術(武術の極意)を駆使いたしますが」
「う、うん、全然大丈夫だよ。ロアンさん、本当に重くない? 私、自分で歩けるから……」
「滅相もございません! 姫様のように羽毛よりも軽く、朝露よりも清らかな御方を運ばせていただけるなんて、私の獣人としての誉れです! むしろ、もっと重くなっていただきたいくらいで!」
ロアンは満面の笑み(鋭い牙が見えているが、本人は極上のスマイルのつもりらしい)を浮かべながら、輿を微塵も揺らさずに歩みを進める。その足取りは、熟練の暗殺者よりも静かで、かつ大型の魔獣のように力強い。
シルヴィの体重など、彼にとってはお茶の入ったティーカップを運ぶ程度の負荷でしかないのだ。
しかし、シルヴィ本人は落ち着かなかった。
前世ではごく普通の一般人だったため、こんな風にお姫様抱っこならぬ「お姫様輿担ぎ」をされるなんて経験は皆無だ。しかも、運んでいるのは見上げるような巨漢の獣人で、隣には絶世の美女エルフが控えている。
傍から見れば、どこぞの王族のお忍び旅行か、あるいは神聖な儀式の真っ最中にしか見えないだろう。
「……あ、あの、エランさんも、そんなにずっと魔法を使い続けて疲れない? 風のヴェール、すごく気持ちいいんだけど……」
「ご心配には及びませんわ、姫様」
エランは優雅に微笑み、杖の先を軽く振った。
「この程度の微風の精霊を使役するのは、私にとっては息をするのと同じこと。それに、姫様の透き通るような白磁のお肌に、森の汚れた空気や土埃が触れるなど、絶対に許されないことですから」
エランの言葉通り、シルヴィの周囲には常に清浄な空気が循環しており、森特有のむっとした湿気や虫などは一切近寄ってこなかった。
さらに驚くべきことに、エランは杖を前方に向けたまま、何か呪文のようなものを呟き続けている。
『……岩石よ、砕け。根よ、退け。道よ、平らかになれ……』
シュパッ! パキンッ!
エランの杖から放たれる目に見えない魔力の刃が、輿の進む先にある少し大きめの石や、地面から突き出た木の根を、次々と粉砕していく。
ロアンが躓かないように、あるいは輿が少しでも傾かないように、エランは『道そのものを平坦に作り変えながら』進んでいるのだ。
「え、エランさん!? 石が、石が木端微塵になってるけど!?」
「はい。姫様の行く手を阻む障害物は、すべて物理的・魔力的に排除いたします。この程度の小石、万が一にも輿の車輪に引っかかりでもしたら、姫様を驚かせてしまうかもしれませんので」
過保護すぎる。
シルヴィは頭を抱えそうになった。
ちょっとした段差や小石のために、エルフの高度な魔法が湯水のように使われている。ロアンに至っては、シルヴィが「ちょっと喉が渇いたかも」と呟いた瞬間、近くを流れていた清流(毒見済み)まで音速で走って行き、木の葉で作った即席のコップに水を汲んで戻ってくるという異常なまでの機動力を発揮した。
(私、これじゃあ完全にダメ人間になっちゃう……!)
体力「1」のシルヴィにとって、この過剰な待遇はありがたい反面、人としての尊厳をゴリゴリと削り取っていくような恐怖があった。
しかし、彼女が「やっぱり自分で歩く!」と輿から降りようとすると、ロアンとエランの二人が揃って涙を流し、「私どもの奉仕がお気に召さなかったのですね……! 万死に値します!」と自害しようとするため、大人しく座っているしかないのだった。
「……はぁ。でも、不思議だなぁ」
シルヴィはぽつりと呟いた。
「私、本当に何もしてないのに。どうして二人は、そんなに私に良くしてくれるの?」
それは、シルヴィにとって純粋な疑問だった。
確かに、自分は『真祖の威光』や『絶対的庇護欲』というパッシブスキルを持っているらしいが、それがどう作用しているのか、本人には自覚がない。ただ怯えているだけなのに、二人が勝手に崇拝し、命を懸けて守ってくれている状況が、どうにも申し訳なく感じられたのだ。
その質問を聞いたロアンとエランは、ピタリと足を止めた。
二人は顔を見合わせ、まるで神の啓示を受けたような、厳粛な表情でシルヴィを見上げた。
「……姫様。貴女様は、ご自身がどれほど尊く、気高い存在であるか、本当にご自覚がないのですね」
ロアンが深く頭を下げながら言った。
「初めて貴女様のお姿を拝見した瞬間、私の魂は震えました。この薄汚れた世界に、これほどまでに純粋で、無垢で、美しい光が存在したのかと」
「えっ? 光?」
「そうですわ、姫様」
エランもまた、熱を帯びた瞳でシルヴィを見つめる。
「私たちは、長く血なまぐさい冒険者の生業を続けてまいりました。魔物を殺し、金貨を数え、時には同業者の裏切りにも遭いました。私たちの心は、すでに荒みきっていたのです。……しかし」
エランは自らの胸に手を当てた。
「姫様、貴女様のその瞳……そして、あのスライムさえも慈しもうとしたそのお心。それらに触れた瞬間、私の心の奥底にあった『冷たい氷』が、春の陽だまりのように溶けていくのを感じたのです」
(いや、ただ私が死にたくなかったから「やめて」って言っただけなんだけど……)
シルヴィは心の中で猛烈にツッコミを入れたが、二人の真剣すぎる表情を前にしては口に出せなかった。
「私どもは、確信しております」
ロアンが大剣の柄を握りしめ、力強く宣言した。
「姫様は、この混沌としたルクスヴェル世界に降り立った、奇跡の体現者であられると。貴女様の笑顔を守ること、それこそが我ら二人に与えられた『神の使命』なのです!」
「はい、ロアンの言う通りですわ。姫様、どうかご安心ください。貴女様の歩む道には、私たちがどんな障害をも打ち砕き、光あふれる絨毯を敷き詰めてご覧に入れます!」
二人の眼光には、一切の迷いも疑いもなかった。
彼らの脳内では、シルヴィの持つ【魅力:カンスト】【カリスマ:カンスト】というステータスが、パッシブスキルを通して強烈な自己暗示として作用しているのだ。
シルヴィのちょっとした仕草、ため息、あるいはただ瞬きをするだけでも、彼らには「神々しい奇跡の瞬間」として脳内補正されてしまう。
「あ、ありがとう……。なんか、すごく重い使命を背負わせちゃってるみたいで、ごめんね……?」
シルヴィがおずおずとお礼を言うと、そのささやかな感謝の言葉すらも二人の心にクリティカルヒットした。
「おおおぉ……! 『ありがとう』だなんて、もったいなきお言葉! このロアン、感激のあまり今すぐ巨大魔猪を100匹狩ってきとうございます!」
「私もですわ、ロアン! 姫様のその控えめなお言葉に、胸が締め付けられそうです! ああ、もっと、もっと姫様に尽くしたい……!」
完全にスイッチが入ってしまった二人を見て、シルヴィはそっと視線を逸らした。
(うん、もう考えるのはやめよう。二人が幸せそうなら、それでいっか)
持ち前の「お人好し」かつ「深く考えない」性格が功を奏し、シルヴィはこの異常な過保護状態を「そういうもの」として受け入れることにした。
それからしばらくして。
森の木々がまばらになり、視界が開けてきた。
エランの粉砕魔法とロアンの馬車馬のような健脚のおかげで、予定よりも遥かに早く森を抜けることができたのだ。
「姫様、見えてまいりました」
ロアンが指差した先には、巨大な石造りの城壁がそびえ立っていた。
城壁の高さは20メートル近くあり、その奥には無数の家々の屋根や、天を突くような尖塔が見える。あれが、彼らの目的地である城塞都市『グランヴェール』だ。
「わぁ……すごい! 本物のファンタジーの街だ!」
シルヴィは思わず輿の上から身を乗り出し、目を輝かせた。
彼女のその純真な反応を見て、ロアンとエランはまたしても「あぁ、尊い……」と顔を赤らめている。
「あれが城塞都市グランヴェールです。人間族の国『アルカディア王国』の辺境を預かる、最も堅牢な都市の一つ。ここなら、姫様を満足させるだけの宿や物資が揃っております」
「そうなんだ! 早く行ってみたいなぁ。美味しいものとか、あるかな?」
「もちろんでございます! 姫様のお口に合う最高級の料理を、このロアンが何としても手配してご覧に入れます!」
ロアンは気合を入れ直し、再び力強く歩き始めた。
しかし、城門が近づくにつれて、シルヴィは少し不安になってきた。
城門の前には、重武装の兵士たちが数人立ち、行き交う商人や旅人の荷物を厳しく検閲している。どうやら、この街に入るには厳しい審査があるらしい。
「あのさ、ロアン。私、身分証明書とかそういうの、何も持ってないんだけど……大丈夫かな?」
シルヴィは自分の質素な麻布の服をつまみながら尋ねた。
「私、一応『吸血鬼』だし……。人間のお巡りさん(兵士)に見つかったら、討伐とかされちゃわない?」
そう、シルヴィは『夜魔の真祖』である。
いくら見た目が深窓の美少女でも、種族的には人間と敵対する魔物のトップクラスだ。もし正体がバレれば、こんな大きな街の軍隊を敵に回すことになる。ステータス「1」の彼女など、一般兵士の槍で一突きだ。
しかし、ロアンは豪快に笑い飛ばした。
「ハッハッハ! ご心配には及びません、姫様!」
「えっ、何かいい方法があるの?」
「もしあの門番どもが、姫様の崇高なる身分を疑い、あまつさえそのお体に触れようとするならば……」
ロアンは笑みを消し、大剣の柄に手をかけた。その瞳に、凶悪な猛獣の光が宿る。
「私がこの剣で、あの城門ごと兵士どもを微塵切りにし、街の長を首魁にして姫様の御前に引きずり出します。すべては武力による強行突破! これぞ獣人の流儀です!」
「野蛮なことはおやめなさい、ロアン」
エランが冷ややかな声で窘めた。
「姫様が血を見ることになるでしょう。もし門番が愚かな真似をするなら、私が『精神操作』と『記憶改竄』の古代魔法で彼らの脳髄を焼き切り、姫様を『この国の第一王女』だと思い込ませて街を丸ごと乗っ取りますわ。こちらの方がスマートです」
「どっちもダメだから!!!」
シルヴィは輿の上でバタバタと手足を振り回して叫んだ。
「なんで二人とも、すぐに街を滅ぼそうとするの!? 普通に入りたいの! 平和に、こっそりと!」
「な、なんと……!」
ロアンとエランは衝撃を受けた顔をした。
「己の力を誇示することなく、あくまで一般の旅人として街に溶け込もうと……。その謙虚さ、やはり姫様は王の器を持たれておられる!」
「ええ、無益な争いを避ける平和主義。どこまでも深い慈愛のお心ですわ……!」
(違う、ただ穏便に済ませたいだけ!)
心の中で泣きそうになりながら、シルヴィは強く念を押した。
「とにかく、絶対に武器を抜いたり、物騒な魔法を使ったりしないでね? 私が上手く話すから!」
「はっ! 姫様がそう仰るなら、このロアン、たとえ唾を吐きかけられようとも剣は抜きません!」
「私も、姫様の御心のままに」
二人は渋々といった様子で武器から手を離した。
しかし、その体から発せられる尋常ではないプレッシャーと殺気は、隠しきれていなかった。
『もし姫様に指一本でも触れたら、お前たちを塵にする』という無言の圧が、目に見えるようなオーラとなって二人の周囲を取り巻いている。
「……なんか、すっごく目立ってる気がするんだけど……」
シルヴィの不安は的中した。
彼らが城門に近づくと、その異様な風体(巨漢の獣人が謎の美少女を輿に乗せ、エルフが殺気を放ちながら歩いてくる)に気づいた門番たちが、弾かれたように槍を構えたのだ。
「と、止まれぇッ!! 貴様ら、何者だ!」
門番の隊長らしき男が、声を震わせながら怒鳴った。
周囲にいた商人や旅人たちも、ロアンたちの放つ尋常ではないプレッシャーに怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
あっという間に、城門の前にはシルヴィ一行と、数人の門番だけが残された。
「……チッ。やはり下等な人間どもは、姫様の気高さが理解できぬか」
ロアンが低く唸り、エランの杖の先がチカチカと危険な光を放ち始める。
「待って待って! 私が話すから!」
シルヴィは慌てて輿から身を乗り出し、門番たちに向けて精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「あ、あの! 怪しい者じゃありません! 私たち、ただ街に入りたいだけで……その、通ってもいいですか……?」
小首を傾げ、上目遣いで、少しだけ困ったような表情で懇願する。
シルヴィの意図としては、ただの「お願いします」だった。
しかし、カンストした【魅力】と【カリスマ】、そしてパッシブスキル『真祖の威光』『絶対的庇護欲』が、この瞬間、門番たちに向けてフル稼働した。
「————ッ!!!」
門番たちは、まるで雷に打たれたように硬直した。
構えていた槍が、カラン、カランと虚しい音を立てて石畳の上に落ちる。
「あ、あの……?」
シルヴィが首を傾げると、門番の隊長はワナワナと唇を震わせ、次の瞬間、滝のような涙を流しながらその場に両膝をついた。
「おおぉぉぉ……!! な、なんという、なんという可憐なお姿……!」
隊長は地面に額を擦りつけんばかりの勢いで平伏した。
「どうぞ! どうぞお通りくださいませ! むしろ、このむさ苦しい城塞都市を、貴女様の領地としてお納めください!! この命に代えても、貴女様を街の奥までご案内いたします!!」
「ええっ!?」
「隊長だけずるいぞ! 俺がご案内する! いや、俺が姫様の靴舐め係になる!」
「俺は姫様の歩く道の小石を拾う係だ!!」
他の門番たちも次々と泣き崩れ、我先にとシルヴィの前にひれ伏し始めた。
彼らの頭の中では、シルヴィの言葉が『神からの大いなる慈悲と祝福』として変換され、彼女を守ることが人生の最大の目的となってしまったのだ。
「……ほら、姫様のおっしゃった通りでしょう?」
エランが得意げに微笑んだ。
「姫様のお言葉一つで、愚かな人間どもの心など容易く掌握できるのです。武力など必要ありませんでしたわ」
「さすがは姫様! その圧倒的なカリスマ、このロアン、再び惚れ直しましたぞ!」
「いや、どうしてこうなったの!?」
一切の身分証明もなく、パスポートチェックも荷物検査もなく。
それどころか、泣き喚く門番たちの先導により、シルヴィ一行は『最上級の国賓待遇』で、誰もが道を譲る中を城塞都市グランヴェールへと堂々と入城していくのだった。




