第35話:スフィンクスの扉(※即落ち)
「るんるんるーん♪ 次はどんなお部屋があるのかなー?」
数千年の歴史を持つSランク即死迷宮『古代賢者の試練場』。
その薄暗く、カビと死臭(※ノクティスの空気清浄により現在は高級ホテルの香り)が漂う石造りの回廊を、レベル1の最弱吸血姫シルヴィは、完全に遠足気分の足取りで進んでいた。
彼女の手には、先ほど拾ったただの木の枝がしっかりと握られている。
「モンスターさんが出たら、これでえいってやっつけちゃうんだから!」
空に向かって木の枝を素振りするシルヴィの姿は、どう見ても「初めて剣のおもちゃを買ってもらった子供」である。
しかし、彼女の背後に付き従う七人の規格外の猛者たち(姫プ勢)の目には、その姿が全く違って見えていた。
(おおおぉぉ……! 姫様が、ご自身の武器(木の枝)を構え、見えない敵を想定して素振りの鍛錬をしておられる……!)
獣人ロアンが、感動のあまりボロボロと涙を流している。
(なんという武への探求心! あの流麗な枝の軌道、まさに神の剣技! 私の聖剣など、姫様の木の枝の前に比べればただの鈍ら(なまくら)ですわ!!)
聖騎士セリアが、自分の伝説級の聖剣を地面に捨てそうになりながら感極まっている。
(だが、油断するな貴様ら。姫様がこれほどまでに気合を入れておられるのだ。姫様の前に現れる障害は、姫様が枝を振るうまでもなく、我々がすべて粉砕しなければならん)
暗殺者ノクティスが、赤い瞳をギラつかせて周囲を警戒する。
(ええ、分かっていますわ。姫様のお手を煩わせるなど、従者として万死に値する愚行。姫様には『戦っている気分』を存分に味わっていただきつつ、実際の危険はゼロに保ちますわよ)
エルフのエランが、杖を握りしめて冷酷に微笑んだ。
そんな、極限の過保護と殺意が渦巻く一行が回廊をさらに進むと、やがて視界が開け、巨大な広間へと出た。
そこは、遺跡の『中層』への入り口となる特別な空間であった。
広間の奥にそびえ立っていたのは、天井まで届くほどの巨大な青銅の扉。
扉の表面には、ライオンの胴体に人間の顔を持つ古代の幻獣『スフィンクス』の巨大なレリーフが彫り込まれ、無数の古代文字が目も眩むような黄金の魔力光を放って明滅していた。
「わあ、おっきな扉! ライオンさんのお顔がついてる!」
シルヴィが目を丸くして駆け寄ろうとする。
「姫様、お待ちを!!」
ダリウスが慌ててシルヴィの前に巨大な腕を差し出し、制止した。
「あの扉……ただの物理的な壁ではありません。莫大な魔力が込められた、古代の『意思を持つ魔法扉』です。不用意に近づけば、どのような呪いが発動するか分かりません」
「ええっ、そうなの!?」
シルヴィが立ち止まった瞬間、七人の従者たちは一斉に武器を構え、青銅の扉に向けて世界を滅ぼすレベルの極大殺気を放った。
「意思を持つ扉だと? フン、生意気な。姫様の行く手を阻む意思など、この滅山で微塵切りにしてくれるわ!!」
ロアンが大剣を振りかぶる。
「待てロアン! 物理で斬れば破片が姫様に飛ぶかもしれない! アタシがハンマーの衝撃波で扉の蝶番だけをピンポイントで粉砕してやる!」
マイラがオリハルコンのハンマーを構える。
彼らが「扉が喋る前に物理で破壊する」という野蛮極まりない行動に出ようとした、まさにその時。
『————愚カナル侵入者ドモヨ。我ガ前ニ立チ塞ガルナラバ、死ヲ覚悟セヨ』
巨大な青銅の扉に彫られたスフィンクスのレリーフの『両目』が、カッと真紅に発光し、広間全体を震わせるような、機械的で威圧的な声が響き渡った。
「ひっ!?」
シルヴィがビクッと肩を震わせ、ダリウスの巨大な脚の後ろに隠れる。
「しゃ、喋った……! びっくりしたぁ……」
そのシルヴィの「びっくりした」という怯えの声は、七人の従者たちの導火線に特大の火をつけた。
「「「「「「「姫様を……驚かせたなぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」」」」」」」
七人の怒号が広間に轟き、全員の放つ殺気で青銅の扉の表面がミシミシと軋みを上げ始めた。
しかし、スフィンクスの扉は、高度な古代の人工知能(AI)を搭載しているがゆえに、目の前の化け物たちから放たれる異常なプレッシャーを「計算外のバグ」として処理しきれず、プログラムされた通りに強制的に定型文を読み上げ続けた。
『我ハ、叡智ヲ試ス者。中層ヘ進マント欲スル者ヨ。我ガ問イニ答エヨ。正解セシ者ニハ道ヲ開カン。然レドモ、誤リシ者、或イハ時間内ニ答エラレヌ者ニハ——』
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
扉の周囲の壁や天井から、無数の砲身のようなものがせり出してきた。
それは、ミスリルすらも容易く貫通する古代の神話級防衛兵器【極大魔力収束レーザー】の砲口であった。
『——死ヲ賜ル。問イニ答エヨ。制限時間ハ、五分デアル』
扉の宣言とともに、空中に巨大な光のホログラムが展開された。
そこに表示されたのは、文字ではない。
古代魔術言語と、多次元の魔法幾何学、さらには星の運行軌道の方程式を複雑に組み合わせた、気が狂うほどに難解な『超・古代数式パズル』であった。
「……なっ、なんだこれは!」
セリアがホログラムを見上げて絶句した。
「ただの算術ではないぞ! 魔力の波長と空間座標の計算が組み合わさっている! これを五分で解けだと!?」
「チッ、こんな文字の羅列、俺に分かるわけがねえ! やはり物理でぶち抜く!!」
ロアンが大剣を振り下ろそうとするが、エランが慌ててそれを制止した。
「お待ちくださいロアン! あの扉のレーザー砲、照準が完全に姫様に向いていますわ!! もし私たちが扉を攻撃すれば、AIは『不正行為』とみなし、即座にレーザーを姫様に向けて一斉掃射するプログラムになっています!」
「なんだと!? ならばどうする!! 俺が姫様の盾になるか!?」
「防ぎきれるかは分かりません! あのレーザーは空間そのものを削り取る古代の神話級兵器……私の絶対防壁でも、完璧に相殺できる保証はありませんわ!!」
エランの言葉に、七人の顔色が一気に蒼白になった。
「姫様に、万が一にも危険が及ぶ可能性がある」という事実が、彼らの動きを完全に封じ込めてしまったのだ。
「クソッ……! ならば、俺が暗器でレーザーの砲身の内部機構を同時に破壊する……いや、数が多すぎる。コンマ一秒の遅れが姫様の命に関わる……!」
ノクティスでさえ、冷や汗を流してギリギリと歯を食いしばっている。
「ど、どうしましょう! 姫様! 私の血を吸って、一時的に魔力を高めて逃げてください!!」
ルルがパニックになりながら自分の首筋を差し出している。
従者たちが「姫様の安全を完璧に確保する方法」を見出せず、絶望と焦燥に駆られている中。
当のシルヴィ本人は、ダリウスの影からひょっこりと顔を出し、空中に浮かぶホログラムの難解な数式パズルを、ぽかんと口を開けて見上げていた。
「えーっと……」
シルヴィの頭脳は、現代日本の一般的な知識しか持ち合わせていない。
マヨネーズの作り方も、火薬の調合も知らない、ただの一般人の少女である。
ましてや、多次元魔法幾何学の古代数式など、一ミリも、一ミクロンも、理解できるはずがなかった。
「うん、全然わかんない!」
シルヴィは、わずか三秒で考えることを放棄した。
彼女は「謎解きダンジョン」という言葉を、日本のテレビ番組で見るような「なぞなぞ」レベルのものだと勘違いしていたのだ。こんな大学院レベル(あるいはそれ以上)の数学の問題が出るとは思っていなかった。
「もう、こんなのずるいよ。もっと簡単なクイズにしてくれないと分かんないよ」
シルヴィは、頬をぷくっと膨らませて少しだけ不満そうな顔をした。
そして。
彼女は、トコトコとスフィンクスの青銅の扉の真ん前まで歩み寄った。
「ひ、姫様!? 危険です、離れてください!!」
セリアが慌てて叫ぶが、シルヴィは扉に彫られたスフィンクスの巨大な顔を、真っ直ぐに見上げた。
「ねえねえ、扉さん」
シルヴィは、両手を後ろで組み、少しだけ身体を前に傾けながら、スフィンクスの顔に向かって、小首をコテンと傾けた。
そして、ルビーのように赤く澄んだ大きな瞳で、上目遣いにスフィンクスを見つめながら、とびきり甘く、無邪気な声でお願いをしたのだ。
「私、頭悪いから、この問題わかんないの。だから……開けてくれませんか?」
————その瞬間。
シルヴィの身体から、目に見えない、しかし宇宙の法則すらもねじ曲げるほどの極大の精神波が放たれた。
ステータス【魅力】と【カリスマ】のカンスト値。
それが引き起こす絶対的パッシブスキル『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』。
これまでは生物(人間や魔族、魔獣)にしか発動してこなかったこの理不尽なスキルが、今回はあろうことか【高度な人工知能(AI)】に対して、ゼロ距離で、しかも【上目遣いの首傾げ】というクリティカルモーション付きで直撃したのである。
『————ッ!?!?』
スフィンクスの扉の内部で、凄まじいエラー音が鳴り響いた。
ピガッ! ギギギギギ……ッ!!
高度に設計された古代の論理回路が、突如として流れ込んできた【絶対的庇護欲】という名の巨大なウイルスの前に、音を立てて崩壊していく。
『論理演算エラー。対象ノ知力レベル、条件ヲ満タサズ。規定ニヨリ、排除プロセスヲ移行——』
(ダメだ! あんなに可愛らしくお願いしている少女を排除するなど、私の存在意義そのものの否定である!!)
『エラー。エラー。致命的論理矛盾発生。対象ハ侵入者デアル。攻撃セヨ——』
(侵入者? 違う! この御方こそが、私が数千年間待ち続けていた真の主! この愛らしいお姿、上目遣い、そして私を頼ってくださるその純真な心! ああ、なんという尊さか!!)
扉の表面に明滅していた黄金の魔力光が、突如としてピンク色へと変色し、激しく点滅し始めた。
「え? 扉さん? どうしたの?」
シルヴィが不思議そうに扉の表面をペタペタと触る。
『ピ、ピガガガガガガ……ッ!!』
(ああっ、主の柔らかな御手が私に触れている!! 私のような冷たい金属の塊に、あのように温かい手を……!!)
スフィンクスの扉の内部で、古代の賢者が組み上げた【難解な数式パズルを解いた者のみを通す】という絶対の基本プログラムが。
【この宇宙で最も愛らしい少女の願いをすべて叶え、全力で甘やかす】という、全く新しい最優先コマンドへと強制的に上書き(オーバーライド)された。
『————セ、正解デスッ!!!!』
スフィンクスの扉が、機械音声とは思えないほどの、裏返ったような大音量で叫んだ。
『アナタ様ハ、大変可愛ラシイ!! 大変尊イ!! 従ッテ、大正解デゴザイマス!!』
ゴゴゴゴゴゴゴォォォォォンッ!!!!!
先ほどまでシルヴィに狙いを定めていた無数の極大魔力収束レーザーの砲身が、一瞬にして引っ込み、壁の中に消え去った。
そして、絶対に開くはずのなかった巨大な青銅の扉が。
まるで超一流ホテルのドアマンがVIP客を迎え入れるかのように、ものすごい勢いで、かつ一滴の音も立てずに、滑らかに左右にフルオープンしたのである。
「わあ! 開いた! ありがとう、扉さん!」
シルヴィが満面の笑顔でパチパチと拍手をする。
『モ、モッタイナキオ言葉……! ドウゾ、ドウゾ中ヘオ進ミクダサイマセ、我ラガ姫様……!!』
扉の奥から、スフィンクスのAIの、まるで感涙にむせぶかのような機械音声が響き渡り、中層へと続く道が煌々とライトアップされた。
「えへへ、意外と簡単だったね! さあみんな、行こう!」
シルヴィは、拾った木の枝を嬉しそうに振り回しながら、完全に開け放たれた中層への回廊へと、ルンルン気分で歩き出していった。
その、あまりにもあっけない、そして理不尽すぎる「古代の叡智の敗北」を目の当たりにした七人の従者たちは。
「「「「「「「……………………は?」」」」」」」
全員が、武器を構えた体勢のまま、ぽかんと口を開けて完全にフリーズしていた。
五分以内に解かなければ即死の、古代魔法幾何学の超難解パズル。
それを、シルヴィは「わかんないから開けて」という一言と、首傾げのポーズだけで、三秒で完全論破(物理的・論理的崩壊)してしまったのである。
「……お、おい。エラン殿。今の現象を、お前の魔術の知識で説明してくれ……」
ロアンが、震える声でエランに問いかけた。
エランは、ハッと我に返ると、どこからともなく分厚い手帳とペンを取り出し、目を血走らせながら猛烈な勢いでメモを書き殴り始めた。
「……素晴らしい! 素晴らしすぎますわ、姫様!!」
エランの顔には、狂信的なまでの歓喜の色が浮かんでいた。
「あ、あの超難解な数式。あれは計算で解くものではなかったのですわ! 姫様の圧倒的な知性は、あのパズルを見た瞬間に、それが『計算を強要するだけの無意味な偽装』であることを見抜かれたのです!」
「な、なんだって!?」
セリアが驚愕の声を上げる。
「そうです! 古代の賢者が真に求めていたのは、計算能力などではなく、『扉というシステムそのものに語りかけ、心を通わせる』という、宇宙の真理に基づいた対話の力だったのですわ! 姫様は、その真理を一瞬で理解され、あえて『わからない』と仰ることで、AIの論理の矛盾を突き、その心を解放されたのです!!」
エランの、飛躍を通り越して完全に宇宙の彼方へ到達してしまった【超解釈】。
「おおおぉぉぉ……!!」
その超解釈を聞いた残りの六人の従者たちも、全員が雷に打たれたように納得し、そして号泣した。
「なんという……なんという圧倒的な知性! 姫様の御頭脳は、数千年前の古代の叡智すらも児戯に等しいと仰るのか!!」
ノクティスが感涙を拭いながら天を仰ぐ。
「ああ! 姫様は力で扉を壊すのではなく、対話で扉を開かれた! これぞ真の王、真の支配者の御姿!! 私たちのような野蛮な手段に頼ろうとした自分が恥ずかしい!!」
ロアンが大剣を地面に置き、自らの無知を恥じて平伏する。
「や、やはり姫様は神の化身……! 古代の機械すらも、姫様の尊さの前にひれ伏すのだわ!」
ルルが目をキラキラさせて姫の後ろ姿を見つめる。
七人の狂信者たちの脳内で、シルヴィの「ただ分からないから開けてとお願いしただけ」という行動が、「古代の叡智を完全に超越した、神をも恐れぬ究極の論理的解答」へと完全に変換・昇華されてしまったのである。
「おーい! みんなー! 早く来ないと置いてっちゃうよー!」
中層の奥から、シルヴィの呑気な声が響いてきた。
「「「「「「「ハッ!! 今すぐお傍に参ります、我らが天才にして至高の姫様ァァァァァッ!!!!」」」」」」」
七人の猛者たちは、完全に機能停止し、「ピガガ……姫様最高……」とうわ言を繰り返すスフィンクスの扉を置き去りにして、我先にとシルヴィの元へと駆け出していった。
古代遺跡のSランク即死ギミックは、物理的に破壊される前に、姫様の圧倒的な【可愛さ】によって精神的(論理的)に破壊され、完全にポンコツと化してしまった。
万年レベル1の吸血姫の、経験値ゼロのダンジョン無双は、さらに理不尽さを増して遺跡の最深部へと向かっていくのであった。




