第32話:安全(?)な古代遺跡へ
「おはよー! みんな、今日はよろしくね! 私、特訓がんばるから!」
翌朝、聖都アイギスの聖王迎賓館ロイヤルスイートルーム。
いつもより少しだけ早く目を覚ましたシルヴィは、気合十分といった様子で両手をグッと握りしめ、満面の笑顔で七人の従者たちに挨拶をした。
彼女が身に纏っているのは、マイラが徹夜で百個の『重量軽減ルーン』を編み直した特製のフリフリ絶対防御ドレスである。総重量二十キロあった伝説素材の塊は、今やふんわりとした羽毛のような軽さとなり、筋力1のシルヴィでも自力でトコトコと歩けるようになっていた。
「おおおぉぉ……! 姫様が、ご自身の足で力強く大地を踏みしめておられる……!!」
獣人ロアンが、そのよちよち歩き(シルヴィにとっては全力の早歩き)を見て、感動のあまり滝のように涙を流した。
「ああっ、なんという神々しさ! 姫様のその向上心、私の魔力が歓喜に震えておりますわ!!」
エルフのエランも、両手で顔を覆って咽び泣いている。
他の五人も同様に、シルヴィの「がんばる」という一言だけで、すでに世界を救ったかのような拍手喝采と号泣の嵐を巻き起こしていた。
「みんな、大げさだよぉ。まだ出発もしてないのに」
シルヴィは苦笑しながら、ピクニックの時と同じように、竜騎士ダリウスの巨大な肩(動く玉座)に「よいしょ」と跨った。
自分で歩けるようにはなったものの、長距離の移動は体力が1しかないシルヴィにはやはり不可能なのだ。
「さあ、ダリウスさん! 目的地の『古代賢者の試練場』に向けて、出発進行ー!」
「ハハッ!! このダリウス、姫様の御身を揺らさず、最速で遺跡へとご案内いたします!!」
かくして、万年レベル1の最弱吸血姫と、彼女を狂信的に崇拝する七人の化け物たちによる、初めての「ダンジョン攻略(という名の遺跡破壊ツアー)」が幕を開けた。
彼らが目指すのは、大陸の東の果て、人跡未踏のジャングルの奥深くにあるとされる数千年前の遺跡『古代賢者の試練場』である。
ダリウスの事前の説明によれば、「魔物がほとんど出現せず、知恵と運を試す謎解きがメインの、比較的安全な迷宮」とのことだった。シルヴィはすっかりその言葉を信じ込み、「RPGの謎解きダンジョンみたいで楽しそう!」と無邪気に胸を躍らせていた。
しかし、現実は全く異なる。
この『古代賢者の試練場』は、冒険者ギルドの記録において、過去に何百人もの高ランク冒険者が挑み、その99パーセントが命を落としたという、正真正銘の【Sランク・超絶即死迷宮】なのである。
確かに、血に飢えた狂暴な魔物は少ないかもしれない。だがその代わりに、古代の狂気的な魔術師が「自らの叡智に届かぬ愚か者を間引くため」に仕掛けた、悪辣極まりないトラップが数万単位で敷き詰められているのだ。
一歩足を踏み外せば、魂ごと刈り取る不可視の魔法刃が飛び交い、呼吸をすれば肺を溶かす古代の猛毒ガスが噴出し、天井からは数十トンのトゲ付き鉄球が音もなく落下してくる。知恵を試すパズルも、一度でも間違えればその場で部屋ごと圧縮されて肉塊に変わるという、悪魔の遊園地のような場所だった。
当然、七人の従者たちはその事実を完全に把握している。
彼らがシルヴィの寝ている間に立てた作戦。それは、【姫様にトラップだと気づかせる前に、すべて物理で解体する(古代遺跡ハリボテ化計画)】という、ダンジョンの存在意義を根本から否定する狂気の沙汰であった。
「姫様、ジャングルの入り口が見えてまいりました」
ダリウスが肩の上のシルヴィに優しく声をかける。
「わぁ……! すごい木がいっぱい! ジャングルって言うからもっと道が険しいのかと思ってたけど、すごく綺麗に舗装されてるんだね!」
シルヴィが目を輝かせてジャングルを見下ろす。
彼女の視界に広がるのは、鬱蒼とした木々の間に、まるで王都のメインストリートのように一直線に切り拓かれた、美しく平坦な石畳の道であった。
「ええ、姫様。古代の賢者も、姫様が歩かれることを予見して、このように歩きやすい道を整備していたのでしょう」
ノクティスが、一滴の汗も流さずに涼しい顔で嘘をついた。
真実はこうだ。
昨夜、シルヴィが眠りについた後、ロアンとセリアがジャングルに先行し、一晩中大剣と聖剣を振り回して「姫様のための安全な直線の道」を物理的に切り拓き、マイラがジャングルの石を砕いて舗装し、エランが毒虫や魔物を半径十キロ圏内から完全に消去したのである。
人跡未踏の魔のジャングルは、彼らの異常な過保護によって、一晩で「ちょっと自然が豊かなハイキングコース」へと強制改造されていた。
そして、そのなだらかな道を数十分ほど進むと、鬱蒼とした木々が開け、巨大な岩山の中腹に穿たれた巨大な石の扉が姿を現した。
「おおお……! これが古代の遺跡……!」
シルヴィはダリウスの肩から下ろしてもらい、目を丸くしてその威容を見上げた。
『古代賢者の試練場』の入り口。
高さ十メートルはあろうかという分厚い黒曜石の扉には、不気味な髑髏のレリーフが彫り込まれ、古代文字で『叡智なき者、此処に死を賜る。血肉を以て己の愚かさを知れ』という、おどろおどろしい警告文が赤黒い塗料で刻まれている。
扉の隙間からは、数千年間溜まりに溜まった死者の怨念と、カビ臭い冷気がヒュウヒュウと吹き出しており、ただ立っているだけで並の冒険者なら発狂して逃げ出すほどの、強烈な【Sランクの死のオーラ】が漂っていた。
「……なんか、すっごく怖そうな場所なんだけど……」
シルヴィが、少しだけ不安そうに身を縮め、パジャマの代わりに着ているドレスの裾をギュッと握りしめた。
髑髏のレリーフが、彼女を威嚇するように不気味な影を落としている。
その、シルヴィが「怖い」と呟いた瞬間。
『——総員、作戦開始!! 姫様を威嚇する不敬な扉を【ファンシー】に偽装しろ!!』
ロアンの『念話』による凄まじい号令が、七人の脳内に響き渡った。
「あ、姫様! ご覧ください! あの扉の模様、よく見るとすごく可愛いお花が咲いていますわ!」
エランがシルヴィの視界をほんの少しだけ自らの身体で遮りつつ、背後に向けて杖を振るった。
「え?」
シルヴィが再び扉を見たときには、恐ろしい髑髏のレリーフの目のくぼみには、鮮やかなピンク色をした大輪のバラ(エランが瞬時に生成した魔法植物)が咲き乱れ、赤黒い警告文の上には、マイラが光の速さで打ち付けた『可愛いウサギさんの看板(純金製)』が被せられていた。
不気味な冷気は、ルルが放ったアロマの香る温風魔法によって、高級ホテルのエントランスのような優雅な空気にすり替えられている。
「あ、ホントだ! お花とウサギさんだ! なんだか遊園地の入り口みたいになってる!」
シルヴィはパッと表情を明るくし、不安を完全に拭い去った。
「(……よし、第一関門突破。姫様の精神的ストレス値、ゼロをキープ)」
ノクティスが冷や汗を拭いながら、念話で報告する。
「(油断するな貴様ら。ここからが本番だ。遺跡の中に入れば、一歩ごとに即死トラップが待ち受けている。姫様に『トラップが発動した』と気づかれる前に、我々の手ですべてのギミックを粉砕・無力化するぞ)」
セリアが聖剣の柄を握りしめ、目を血走らせて気合を入れる。
「じゃあ、開けるよー!」
シルヴィが、ウサギさんの看板が飾られた巨大な黒曜石の扉に、小さな両手を添えた。
ズゴゴゴゴゴォォォォォン……ッ!!
シルヴィが「えいっ」と少し力を入れただけで、数千年の間、並の怪力ではビクともしなかったはずの分厚い扉が、まるで発泡スチロールのように軽々と開いた。
(※実際には、シルヴィが扉に触れる0.1秒前に、マイラが扉の蝶番のロックをオリハルコンのハンマーで完全に破壊し、ダリウスが不可視の風圧で扉を内側から全力で押し開けていたためである)
「わあ、すっごく滑らかに開いた! 古代の人って建築技術すごかったんだね!」
「……え、ええ。姫様の仰る通り、古代の叡智は素晴らしいですな」
ロアンが顔を引きつらせながら同調する。
扉の奥に広がっていたのは、緑色の不気味な燐光を放つ苔に覆われた、果てしなく続く石造りの大回廊であった。
空気は湿っており、どこからともなく『カチャ……コト……』という、古代の機械仕掛けが動く不気味な音が響いている。
Sランク迷宮、その真の恐怖が口を開ける。
「よし! 私、自分の足で歩いてみるね! 今日こそ経験値ゲットするぞー!」
シルヴィは気合を入れて、回廊の石畳へと、記念すべき第一歩を踏み出した。
カチッ。
シルヴィの小さなブーツが、回廊の入り口から三歩目の石畳を踏んだ瞬間。
極めて小さな、しかし致命的な【トリガーの起動音】が鳴った。
それは、古代の賢者が仕掛けた『侵入者粉砕トラップ』のスイッチであった。
石畳の下に張り巡らされた魔力回路が瞬時に繋がり、回廊の天井に偽装されていた【重さ百トンの巨大なスパイク付きの岩盤】が、音もなく落下を開始する。
回避不能。防御不能。侵入者を文字通り紙切れのように押し潰す、初見殺しの即死ギミック。
「あ、なんか今、足元で音が——」
シルヴィが不思議そうに足元を見下ろし、そして、頭上から迫り来る巨大な影に気づいて首を上に向けようとした。
『——させちまうかよォォォォォォォォッ!!!!』
シルヴィが上を向くよりも、瞬きをするよりも遥かに速い【コンマ0.001秒】の世界。
「姫様の頭上に、塵一つ落とすな!!」
ロアンが地を這うようなスピードでシルヴィの真横をすり抜け、大剣『滅山』を真上に向けて一閃した。
黄金の闘気を纏った剣圧が、落下してくる百トンの岩盤を下から猛烈な勢いでカチ上げる。
「粉々にしちまえ!!」
続いてマイラが跳躍し、空中に浮いた岩盤に向けてオリハルコンのハンマーをフルスイング。
ドゴォォォォォォンッ!!
百トンの岩盤は、空中でまるでビスケットのように粉々に粉砕され、無数の石の破片となって回廊に降り注ごうとする。
「姫様に小石一つ、砂埃一粒すら当てることは許しませんわ!!」
エランが杖を掲げ、シルヴィの頭上に『真空の防御球』を展開する。
同時に、セリアが純白のオーラを放ちながら空中に飛び上がり、「【聖絶十文字斬り】!!」と叫びながら、降り注ぐ岩盤の破片をさらに細かく、原子レベルの砂粒になるまで徹底的に切り刻んだ。
しかし、砂粒になったとはいえ、それが落ちてくればシルヴィの服が汚れてしまう。
そこで動いたのが、魔界最強のメイドと執事である。
「姫様のドレスを汚すなど万死に値する!!」
ルルがコウモリの群れに変化し、空中に漂う砂埃を自らの羽ばたきで強引に回廊の奥へと吹き飛ばす。
さらにノクティスが影から無数の『静寂の暗器』を放ち、岩盤が砕けた際の『爆音』と『衝撃波』を、暗器に仕込んだ相殺魔法で完全に打ち消したのである。
カチッ。
シルヴィがスイッチを踏んでから。
百トンの岩盤が落下し、粉砕され、砂埃ごと吹き飛ばされ、爆音がかき消されるまで。
その間、わずか【0.1秒】。
「……音が、したような?」
シルヴィがようやく頭上を見上げたときには。
そこには、何事もなかったかのように静まり返った回廊の天井(ただし不自然に巨大な空洞が開いている)があるだけだった。
「気のせいですよ、姫様」
ノクティスが、一滴の汗も流さずに、完璧な執事の微笑みで答えた。
「古代の遺跡は風の通り道が多く、石が擦れるような音が鳴ることがあるのです。決して、姫様の頭上から百トンのトゲ付き岩盤が落ちてきたわけではございません」
「そ、そうですわ! 姫様の歩かれる道は、どこまでも安全で平坦な一本道ですわ!」
エランが必死に取り繕いながら、杖を背後に隠す。
「ふーん、そうなんだ! びっくりしちゃった。やっぱり古い建物だと音が鳴るんだね」
シルヴィは全く疑うことなく、ニコッと笑って再び歩き始めた。
(……はぁぁぁぁぁっ……)
背後で、七人の従者たちが全員同時に、心臓が口から飛び出そうになるほどの安堵の(そして極度の疲労の)ため息を吐き出した。
(おい、見たか今のトラップ。起動から落下までの速度が尋常じゃなかったぞ。魔界の拷問部屋よりも悪辣だ)
ノクティスが念話で冷や汗を流しながら通信する。
(た、たった第一歩目でこれですか……!? この遺跡、間違いなく姫様を殺しにかかっていますわ! 私、もしあと0.01秒結界を張るのが遅れていたらと思うと、寿命が百年縮みましたわ!!)
エランがガクガクと膝を震わせる。
(気を抜くな貴様ら! 姫様はやる気に満ちて、さらに奥へと進もうとしておられるぞ!)
ロアンが大剣を握り直し、目を血走らせる。
(姫様が『ダンジョン攻略を楽しんでいる』というこの神聖なる時間を、絶対に邪魔させてはならん! 次のトラップの起動の気配があれば、俺が全力で壁ごとぶち抜く!!)
「あ、ねえねえみんな! こっちの通路、なんだかキラキラ光ってるよ! 行ってみよう!」
シルヴィが、無邪気な声で、遺跡の中で最も危険な【魔力感知式の即死レーザー回廊】の方へとトコトコと歩いていく。
「ひ、姫様ァァァァッ!! お待ちを!!」
「今すぐその回廊の動力源を物理で破壊してまいりますからァァァッ!!」
古代の叡智と狂気が詰まったSランク迷宮。
しかし、その凶悪なトラップ群は、最弱の吸血姫を溺愛する七人の化け物たちの『圧倒的な過保護(物理的破壊力)』の前に、発動する機会すら与えられず、次々と理不尽なまでの完全解体を余儀なくされていくのであった。
経験値ゼロのまま、シルヴィの「初めてのダンジョン攻略(安全なお散歩)」は、遺跡の悲鳴と共にズンズンと奥へ進んでいく。




