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第31話:万年レベル1の吸血姫

ルクスヴェル大陸の国境地帯、『裁きの平原』で結ばれた歴史的な『永久平和不可侵条約』。

サンドイッチの包み紙の裏に、油まみれの文字で書かれたその条約は、人間軍十万と魔王軍十万という圧倒的な証人たちによって、世界で最も強固な絶対の誓約として両国にもたらされた。

長きにわたる人間と魔族の血みどろの戦争は、一人の金髪の少女の「一緒にお弁当を食べよう」という無邪気な一言と、彼女を取り囲む七人の化け物たちの常軌を逸した武力(圧力)によって、あっけなく終結を迎えたのである。


それから数日後。

世界中が平和の訪れに沸き返り、各国の首脳陣が事後処理と国交正常化に向けて不眠不休で駆け回っている中。

平和の立役者であり、今や「神の化身」「世界を救った光の聖女」として大陸中の崇拝を集めている吸血姫シルヴィは——聖都アイギスの聖王迎賓館ロイヤルスイートルームで、最高に堕落した生活を送っていた。


「ん〜……平和だなぁ……」


ぽかぽかと暖かな昼下がり。

マイラが仕立てた『重量軽減ルーン百個乗せ・フリフリ絶対防御ドレス』を身に纏ったシルヴィは、ふかふかの高級ソファーに深く沈み込み、クッションを抱きしめながらとろけるような声を漏らした。


彼女の周囲では、今日も世界最強の過保護な従者たちが、シルヴィを甘やかすために血道を上げている。

「姫様、本日の三時のおやつは、魔界の深淵でしか採れない幻の氷菓を用いたパフェでございます」

漆黒の燕尾服をビシッと着こなした魔界最強の暗殺者・ノクティスが、芸術的な手際で冷たいデザートを差し出す。

「姫様! パフェを召し上がる前に、私がこの最高級のシルクのハンカチで御手をお拭きいたしますわ!」

吸血鬼のメイド・ルルが、嬉々としてシルヴィの手を清める。

「チッ、新参どもばかり出しゃばりおって……姫様、足元が冷えませんか? このロアンの尻尾をカーペット代わりにどうぞ!」

獣人最強の戦士ロアンが、巨大なモフモフの尻尾をシルヴィの足元に敷き詰める。


至れり尽くせり。まさに「姫プ(姫プレイ)」の極致である。

シルヴィが指一本動かさずとも、美味しい食事が出てきて、適温が保たれ、移動したければ二メートル半の竜騎士ダリウスが肩車をしてくれる。


「美味しい〜。ノクティスさんのパフェ、最高!」

シルヴィがパフェを一口食べて満面の笑みを浮かべると、部屋にいる七人の猛者たちは「おおおぉぉ……尊い……!」と一斉に胸を押さえて悶絶し、感涙にむせぶ。

これが、ここ最近のロイヤルスイートルームにおける日常風景であった。


だが。

パフェを食べ終え、ふとソファーの上でゴロゴロしていたシルヴィの頭に、ある素朴な疑問が浮かんだ。


(そういえば私、この世界に来てから結構経つけど……ステータスってどうなってるんだろう?)


この世界『ルクスヴェル』には、レベルやステータスという概念が存在する。

冒険者ギルドで登録した際に見せてもらったきり、シルヴィは自分のステータス画面をまともに確認していなかった。

スライムに遭遇したり、オーガキングの討伐(※ロアンたちが0.1秒で瞬殺)に居合わせたり、十万のスタンピード(※ロアンたちが荒野で殲滅)を経験したり、世界大戦(※ピクニックで解決)を止めたり。

普通に考えれば、世界を救うレベルの大事件を次々と解決(?)してきたのだ。経験値が莫大に入り、レベルも相当上がっているはずである。


「えーっと、『ステータス・オープン』、だっけ」


シルヴィが小さく呟くと、彼女の目の前に半透明の青いウィンドウがフワリと浮かび上がった。

そこに表示された自分の能力値を見て。

シルヴィは、パチクリと二度、赤い瞳を瞬かせた。


【名前】シルヴィ

【種族】夜魔の真祖

【レベル】 1

【HP】 1/1

【MP】 1/1

【筋力】 1

【体力】 1

【敏捷】 1

【魅力】 測定不能(限界突破)

【カリスマ】 測定不能(限界突破)

【パッシブスキル】『真祖の威光』『絶対的庇護欲』

【獲得経験値】 0 / 10


「…………あれ?」


シルヴィは、青い画面に顔を近づけて、もう一度じっくりと数字を見た。

【レベル】1。

【獲得経験値】0。


「えっ……ウソ!? 経験値、ゼロ!? 全然レベル上がってないの!?」


シルヴィの驚きの声に、周囲で控えていた七人の従者たちがビクッと肩を震わせた。

「ひ、姫様!? いかがなさいましたか!? もしやパフェの中に毒が!?」

ノクティスが血相を変えて暗器を構え、自らの毒見の甘さを呪おうとする。

「違いますわノクティス! 姫様が驚かれているのは、空間の僅かな歪みですわ! すぐに私が防壁を……!」

エランが杖を構えて過剰反応を示す。


「ち、違うの! パフェは美味しいし、誰も来てないよ!」

シルヴィは慌てて彼らを止め、目の前のステータス画面を指差した。

「あのね、私のレベル、ずっと1のままなの。経験値も0だし……。私、あんなに色んな冒険(?)をしたのに、どうしてだろうって思って……」


シルヴィの言葉を聞いて、七人の従者たちは顔を見合わせた。

そして、彼らの中では「どうして経験値が入らないのか」という理由は、火を見るよりも明らかであった。


この世界のシステムにおいて、経験値を獲得するための条件は『戦闘において、対象に1以上のダメージを与えること』、あるいは『パーティーメンバーとして、敵の攻撃を一度でも受ける・回避するなどの戦闘行為に参加すること』である。


しかし、シルヴィの場合はどうだろうか。


例えば数日前、シルヴィが中庭を散歩していた時のことだ。

一匹の羽虫(ただの蚊)が、シルヴィの半径五メートル以内に侵入した。

その瞬間。

ノクティスが放った十五本の暗器が蚊の逃げ場を完全に塞ぎ、エランの真空魔法が空気を奪い、セリアの聖なるオーラが空間ごと浄化し、ロアンの剣圧が蚊を原子レベルにまで分解した。

かかった時間は、わずか0.01秒。

シルヴィが「あ、虫さんだ」と気づくよりも早く、敵対的かもしれない存在は宇宙から完全消去されていた。


これが、彼らの日常である。

敵がシルヴィを認識する前に、あるいはシルヴィが戦闘態勢に入る前に、七人の化け物たちが光の速さで対象を消し炭にしてしまうのだ。

シルヴィは戦闘行為に参加するどころか、「戦闘が起きたことすら気づかない」状態が続いている。システム上、彼女は『ただの通行人』と同じ扱いになっており、経験値など一ミリも分配されるはずがなかった。


「あ……そっか。私、自分で一回も攻撃したことないもんね……。スライムさんにすら、触ったこともないし……」


シルヴィは、しょんぼりと肩を落とした。

透き通るように白く、華奢な自分の両手を見つめる。

マイラが作ってくれたドレスのおかげで防御力だけは無敵だが、それ以外の能力値はスライム以下の「1」。このままでは、文字通り自分一人では何もできない、ただのお飾りになってしまう。


「私、このままじゃダメになっちゃうよ……」


シルヴィの大きな赤い瞳に、じわりと涙が浮かんだ。

「みんなが私を守ってくれて、こうして安全で豪華な生活をさせてもらってるのは、すごく嬉しいよ。でも……私、自分では何もできないままでしょ? 転んだら自力で起き上がるのもやっとだし……」

シルヴィは両手を胸の前でギュッと握りしめ、ポロポロと涙をこぼした。


「私、もっと強くなりたいの! 自分の足で歩いて、自分の身は自分で守れるようになりたい! 誰かに頼りきりの、ただの『お姫様』じゃなくて……私だって、戦えるようになりたい!!」


シルヴィの、純粋で、健気で、心からの訴え。

万年レベル1の最弱である自分の不甲斐なさを嘆き、自立を望む少女の涙。


————その光景は、七人の狂信者たちにとって、心臓を直接素手で鷲掴みにされて握り潰されるほどの、限界突破のクリティカルヒットであった。


「姫、姫様ァァァァァァッ……!!!!」


最初に崩れ落ちたのは、ロアンだった。

彼は床に両膝をつき、滝のように涙を流しながら床をガンガンと叩いた。

「おおお……なんという、なんという気高いお心意気!! すべてを我々に委ねて、ただ玉座で微笑んでおられれば誰も文句など言わぬというのに! ご自身の非力を嘆き、自らの力で立とうとされるとは!! やはり姫様は、真の王者の器であらせられる!!」


「ええ……! ええ……!!」

エランも両手で顔を覆い、感涙に咽び泣いた。

「その向上心、その自立心! 自らが神のごとき存在であることに甘んじず、さらなる高みを目指されるお姿! 私、姫様への愛しさが限界を突破して、今すぐ爆発して星になりそうですわ!!」


「聖女様……! ああっ、神よ! なぜこれほどまでに気高い魂に、レベル1などという不条理な試練をお与えになったのですか!!」

セリアが聖剣を抱きしめて号泣する。


「お任せください、姫様!!」

ノクティスが血走った瞳から涙を流しながら、ビシッと立ち上がった。

「姫様がご成長を望まれるのであれば、我々臣下一同、この命を懸けて全力でサポートいたします! 姫様が安全に、かつ確実にレベルを上げられるよう、完璧な環境をご用意いたしましょう!!」


「うん! 私、頑張る! だからみんな、私に戦い方を教えてね!」

シルヴィが涙を拭い、パッと明るい笑顔を見せた。

その笑顔に七人は再び「うおおぉぉぉ……尊い……!」と悶絶し、部屋の中は謎の感動と熱気に包まれた。


「じゃあ私、ちょっと疲れたからお昼寝するね。起きたら特訓よろしくね!」

泣いて疲れたシルヴィは、すっかり安心した様子でベッドに潜り込み、数分後にはスヤスヤと平和な寝息を立て始めた。


***


——そして、シルヴィが完全に眠りに落ちたことを確認した直後。


迎賓館の地下に特別に作られた、防音・魔力遮断の隠し部屋。

そこに、シルヴィを除く七人の従者たちが集結していた。

部屋の空気は、先ほどの感動的な雰囲気から一変し、世界の命運を左右する軍事会議よりも重く、深刻で、ドス黒い緊迫感に満ちていた。


「……さて。どうする」

円卓の中心で、ロアンが重々しい口調で切り出した。


「どうするも何も、姫様のご意志は絶対ですわ。姫様は『戦ってレベルを上げたい』と仰った。我々はその願いを叶える義務があります」

エランが腕を組んで冷たく言う。

「だがな、エラン殿」

セリアが苦悩の表情で頭を抱えた。

「姫様に『戦わせる』ということは、姫様の玉肌を敵の前に晒すということだぞ!? 万が一、いや億が一、魔物の放った泥が姫様のドレスに跳ねたらどうする!? 魔物の醜い姿が姫様の視界に入り、精神的ストレスを与えてしまったらどうするのだ!!」


「そんなこと、絶対に許されるわけがねえ!!」

マイラが机をバンッと叩いて立ち上がった。

「アタシが作った絶対防御ドレスがあるから物理ダメージはゼロだが、姫様に『怖い思い』や『痛い思い』をさせるなんて、アタシの鍛冶魂が、いや魂そのものが許さねえ! かすり傷一つ、精神的ダメージ1ポイントすら負わせるわけにはいかないんだよ!!」


「その通りですわ!」

ルルがメイド服の裾を握りしめて叫ぶ。

「姫様に剣を握らせる? 魔法を撃たせる? そんなの危険すぎます! もし転んでまたお膝を打ったらどうするんですか! 私はもう、二度と姫様の涙は見たくありません!」


七人の意見は、完全に一致していた。

【姫様の「戦ってレベルを上げたい」という願いは絶対に叶えなければならない】

しかし。

【姫様には、かすり傷一つ、ストレス一つ、泥一滴すら絶対に負わせてはならない】


この、完全に矛盾した二つの命題を同時にクリアしなければならないのだ。


「……例えば、私が魔界からスライムの半死半生のものを用意し、姫様の前に固定して、姫様に棒で叩いていただくというのはどうだ?」

ノクティスが暗殺者らしい冷徹な提案をする。

「却下ですわノクティス。スライムの粘液が弾けて、姫様のお顔に飛ぶリスクが0.001パーセント存在します。それに、動かない的を叩かせたところで、姫様の向上心が満たされるとは思えません」

エランが即座に論破した。


「弱いゴブリンの牙と爪をすべて抜き、目隠しをして放つのはどうだ?」

「ロアン、そんな醜悪な生き物を姫様の視界に入れる気ですか!? 姫様の清らかな瞳が穢れます!」


「……ならば、どうすればいいのだ!!」

ロアンが吠え、全員が頭を抱えて沈黙した。

姫様に自力で経験値を稼がせつつ、一切の危険を排除する方法。そんな都合の良い場所が、この世界に存在するのだろうか。


「……一つだけ、心当たりがあります」

その時、沈黙を破ったのは、ずっと壁際で腕を組んでいた竜騎士ダリウスだった。


全員の視線が、ダリウスに集まる。

「俺の竜の知識に刻まれている、古い伝承だ。この大陸の東の果て、人跡未踏のジャングルの奥地に……『古代賢者の試練場』と呼ばれる、数千年前に作られた遺跡ダンジョンが存在する」


「古代賢者の試練場……?」

セリアが眉をひそめた。「教会の古文書で読んだことがある。古代の魔術師が自らの叡智を後世に残すために作った迷宮だとか」


「そうだ」

ダリウスが頷く。

「あの遺跡の最大の特徴は、『魔物がほとんど出現しない』ことだ。遺跡の防衛システムは、主に知恵と運を試す『謎解きギミック』や『パズル』、あるいは『幻覚』によって構成されている。つまり、血生臭い戦闘を避けて、ダンジョン攻略の経験値を得ることができる」


「なるほど……!」

ノクティスの瞳が光った。

「魔物が出ないのなら、姫様のお姿が穢れる心配はない。謎解きメインの迷宮なら、姫様がご自身の知恵で道を切り拓いたという『達成感』も得られる。経験値を稼ぐには最高のロケーションだ」


「だが、ダリウス」

エランが鋭い視線を向けた。

「その遺跡は、Sランク級の迷宮と聞いたことがありますわ。謎解きを間違えれば、即死級のトラップが発動する凶悪な死地だと。そんな場所に、レベル1の姫様をお連れするおつもり?」


「ふっ……。エラン、お前ともあろう者が、何を勘違いしている」

ダリウスが、ニヤリと、凶悪な竜の笑みを浮かべた。

「即死トラップ? 凶悪なギミック? それがどうした」


ダリウスの言葉に、残りの六人もハッと気づき、次々と凶悪な笑みを浮かべ始めた。


「ああ、そうか……。我々が、何を悩む必要がある」

ロアンが大剣の柄を叩いて低く笑う。

「そうだねぇ。姫様がトラップの存在に気づく前に……」

マイラがハンマーを担ぎ直す。


「——我々七人がかりで、ダンジョンのギミックを、遺跡ごとすべて【物理的に解体・粉砕】してしまえばいいだけのことですわ!!」

エランが、古代魔法陣を煌めかせながら宣言した。


「その通りだ!」

セリアが聖剣を天に掲げる。

「落とし穴があれば、我々が橋になればいい! 迫り来る岩があれば、我々が粉々に砕けばいい! 姫様には、『ただの安全な散歩道』を進んでいただき、謎解きを楽しんでいただくだけだ!」

「一切の危険を排除しつつ、姫様にダンジョン攻略の興奮と経験値をご提供する……! これぞ、究極の執事の腕の見せ所!!」

ノクティスが血走った目で暗器を磨く。


【作戦名:古代遺跡ハリボテ化計画】


シルヴィに「自分が戦って攻略している」と思い込ませたまま、裏で七人の化け物たちが遺跡の機能を物理的・精神的に完全崩壊させるという、ダンジョンマスターが泣いて逃げ出すような最悪にして狂気に満ちた作戦が、ここに立案された。


「よし! 総員、作戦開始だ!! 姫様のお目覚めと同時に、古代賢者の試練場へ向けて出発する!! 姫様の冒険の邪魔になる古代の叡智どもを、一つ残らず鉄屑に変えてやるぞ!!」


「「「「「「オオォォォォォォォォォォッ!!!!」」」」」」


万年レベル1の吸血姫の涙によって引き起こされた、古代遺跡の完全破壊計画。

数千年の時を越え、挑戦者を待ち受け続けてきた『古代賢者の試練場』に、人類史上最悪の厄災(過保護な姫プ勢)が迫ろうとしていた。

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