表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/50

第30話:歴史的平和条約(※ピクニックシートの上で)

ルクスヴェル大陸の歴史において、この日、この瞬間の『裁きの平原』ほど、後世の歴史家たちを混乱させ、頭を抱えさせた出来事は存在しない。


西に人間軍十万。東に魔王軍十万。

合わせ二十万の軍勢が、世界を分かつハルマゲドンの開戦のラッパを吹き鳴らそうとしていたその戦場のど真ん中。

あろうことか、純度百パーセントのミスリル製ピクニックシートとオリハルコン製テーブルが広げられ、最弱の吸血姫シルヴィと、彼女を崇拝する七人の過保護すぎる従者(姫プ勢)がティータイムを楽しんでいた。


そして、シルヴィの放った「あ、地元の人たちかなー? お腹空いてるのー? 一緒にごご飯食べますかー?」という、無邪気で無抵抗、しかしステータス【魅力】【カリスマ】カンストの極大パッシブスキルが乗った一言。


それを受けた二十万の兵士たちは、人間も魔族も関係なく、次々と武器を地面に投げ捨て、地響きのような音を立ててその場に平伏していた。


「あ、みんなホントにお腹空いてたんだ! 良かった、サンドイッチいっぱいあるから入って入ってー!」


シルヴィがミスリルのシートの上から、ニコニコと手を振って招く。

その笑顔を見て、平原の端で震えていた両軍の最高指揮官——人間軍の総司令官である白髪の老将軍と、魔王軍の前線指揮官である四腕の魔将は、まるで何かに取り憑かれたかのような足取りで、ふらふらと平原の中央へと歩み出た。


二人とも、全身から冷や汗を滝のように流していた。

老将軍の手は震え、魔将の四つの腕はガチガチと鳴っていた。

彼らの瞳に映っているのは、目の前の敵軍ではなく、シルヴィを取り囲む七人の『絶望の化け物たち』である。


「ひ、姫様のお招きだ……。遅れるな、虫ケラども」

獣人ロアンが、地面に突きたてた大剣『滅山』に腕を組み、地獄の底から響くような声で呟く。

「姫様のシートに土足で踏み込んだら、靴ごと足を切り落としますわよ」

エルフのエランが、アイスピックのように冷たい視線を向け、杖の先で小さな漆黒の魔力球を転がしている。


老将軍と魔将は、「ヒッ……!」と息を呑み、慌てて自分たちの甲冑やブーツを脱ぎ捨てた。

そして、恐る恐る、まるで生きた爆弾の敷き詰められた床を踏むかのような腰の引けた足取りで、ミスリルのシートの端へと足を踏み入れたのである。


「い、いらっしゃい! 狭いけど、座ってね!」

シルヴィが、ふかふかのベルベットクッションを二人の前に差し出した。


「お、おおお……! か、感謝……感謝の極みにございます……『光の聖女様』……っ!」

老将軍は涙を流しながら膝をつき、クッションに正座した。

「我が……我が命に代えても、このクッションを汚すような真似はいたしません……『真祖様』……っ!」

四腕の魔将も、四つの腕を綺麗に折りたたんで、小さくなってクッションの上に平伏した。


本来なら、国家の尊厳と種族の存亡を懸けて、出会い頭に殺し合うはずの二人。

それが今、一枚の広大なピクニックシートの上で、肘が触れ合いそうなほどの至近距離で肩を並べて座っている。

あまりのシュールさに、周囲で見守る二十万の兵士たちは、息を殺してその光景を見つめていた。


「ノクティスさん、二人に温かいお茶あげて!」

「ははっ。かしこまりました、姫様」


漆黒の燕尾服を着こなしたノクティスが、一滴の無駄もない流麗な所作で、二人の前に純白の磁器のカップを差し出した。

注がれたのは、魔界の希少茶葉『夜想花ノクターン』の淹れたての紅茶。甘く芳醇な香りが、鼻腔をくすぐる。


老将軍は、目の前の男が「魔王軍最強の暗殺者ノクティス」であることを当然知っていた。かつて王国の何人もの高官を暗殺してきた、生きた絶望。

そのノクティスが、まるで一流ホテルの給仕のように恭しく紅茶を差し出しているのだ。

老将軍は、手が激しく震えてカップを持ち上げることすらできなかった。


「ほら、お茶冷めちゃうよ? 飲んで飲んで!」

シルヴィが、自分のカップを手に持ちながら、上目遣いでニコッと笑いかけた。


「〜〜〜〜っっ!!」

老将軍と魔将の心臓が、同時にドクンッ!! と跳ね上がった。


(尊い……! なんという愛らしさ……! なぜ私は、このような天使(神)が存在する世界で、下等な醜い争いなどをしていたのだ!?)

(ああっ、この御方の笑顔を守るためなら、魔王軍の悲願などドブに捨てても惜しくはない!!)


パッシブスキル『絶対的庇護欲』が、紅茶の温かさとともに二人の身体に染み渡っていく。

二人は、示し合わせたかのように同時にカップを両手で持ち上げ、おそるおそる一口飲んだ。


「お、美味しい……! なんという素晴らしいお茶……!」

老将軍の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「味覚だけではない……身体の奥から、数十年溜め込んできた疲労と、争いへの狂気が消え去っていくようだ……!」

「うむ……美味い……。魔界にも、このような温かい茶があったとは……」

魔将も四つの目で涙を拭い、感極まっていた。


「でしょー! ノクティスさんの淹れるお茶、世界一美味しいんだよ!」

シルヴィが得意げに胸を張る。その無邪気な姿に、ノクティスは「あぁ……姫様……!」と胸を押さえて悶絶し、ルルは「姫様、私のアドバイスも入っておりますのよ!」とアピールしている。


「あのね、二人とも」

シルヴィは、サンドイッチを一口齧り、二人の顔を交互に見つめた。

「私ね、詳しいことはよくわからないんだけど……。みんなで仲良くご飯食べた方が、絶対に美味しいと思うの」


シルヴィの大きな赤い瞳には、一切の打算も、政治的な駆け引きもなかった。

ただ純粋に、目の前にいるおじさん(老将軍)と、手がたくさんある珍しい人(魔将)が、仲良くお茶を飲んでくれたら嬉しいという、素朴な善意。


「ケンカなんてしても、痛いし、誰かが悲しむだけでしょ? だから……ケンカ、やめない?」


首を少しだけ小傾げ、不安そうに眉をひそめて訴えかけるシルヴィ。

その姿は、両軍の指揮官の魂を根底から打ち砕くのに十分すぎた。


「……あ」

老将軍の喉から、声にならない声が漏れた。

彼は、自らが背負ってきた「王国の威信」や「人類の正義」というものが、この小さな少女の無垢な言葉の前で、いかにちっぽけで、醜く、下劣なものであったかを痛感していた。


「聖女様……。我々は……我々大人は、なんという愚かな過ちを犯そうとしていたのでしょうか……」

老将軍は、床に額を擦りつけ、号泣した。

「貴女様のような尊き御方が、この地上で傷つき、悲しまれること……それこそが、我ら人類にとって最大の敗北!! 争いなど、争いなど……金模輪際、いたしません!!」


「うむ……」

四腕の魔将も、四つの拳を握り締め、胸を激しく上下させていた。

「我が魔王軍も……真祖様の悲しまれるお顔など、見たくはない……。何が全面戦争だ、何が完全支配だ……。あのような愛らしいお方の前で血を流すなど、魔神への冒涜以外の何物でもない!!」


二人の指揮官の言葉に、ミスリルのシートの周囲に控えていた七人の従者たちも、満足そうに頷いた。


「ふん。ようやく分かったか、愚か者ども」

ロアンが大剣を肩に担ぎ、鼻で笑う。

「姫様の平和な日常を脅かす者は、我々がすべて塵にする。だが、姫様の言葉に従い、武器を収めるというのなら……生かしておいてやらんでもない」

「ええ。もし二度と剣を抜くと仰るなら、その時は人間も魔族も関係なく、私の古代魔法で両国ごと消去しますわ」

エランがニッコリと、この世で最も恐ろしい笑顔で付け加えた。


「は、はいぃぃぃっ!! 二度と! 二度と剣は抜きません!!」

老将軍と魔将は、生きた心地がしない顔で何度も頷いた。


「あ、ホント!? ケンカやめてくれるの!? 良かったぁ!」

シルヴィがパッと花が咲いたような笑顔を見せた。

「じゃあ、仲直りのしるしに……何か紙とかある? ここに『もうケンカしません』って書いて、二人で名前書こうよ!」


シルヴィが思いついたのは、日本の小学校などでよくある「仲直りの約束」のようなものだった。


「紙……紙でございますか! 今すぐに!!」

老将軍は慌てて懐を探ったが、戦場に羊皮紙など持ってきているはずもない。

「あ、あの! これでよろしければ!!」

老将軍が差し出したのは、ノクティスが用意していたサンドイッチの包み紙(最高級の耐油紙)であった。


「あ、これでいいよ! ペンはある?」

「私が用意いたしますわ、姫様」

ルルが、自らの魔力で光る羽ペンをサッと差し出す。


シルヴィは、サンドイッチの包み紙の上に、綺麗な文字でこう書き殴った。


『もうケンカしません。みんな仲良くします。』


そして、その下に、シルヴィは自分の名前を可愛らしく『シルヴィ』とサインした。


「はい! 二人もここに名前書いて!」

シルヴィが包み紙とペンを差し出す。


老将軍と魔将は、震える手でその包み紙を受け取った。

一見すると、ただの少女の落書きのような紙切れ。

しかし、これこそが……七人の怪物たちの圧倒的な武力と、神の奇跡と称される『光の聖女(真祖)』の威光によって裏付けられた、不可侵の絶対契約書であった。


老将軍は、神に祈りを捧げるような手つきで『王国全軍代表・総司令官』とサインし。

魔将は、四つの手で恭しくペンを握り『魔王軍全軍代表・第一魔将』とサインした。


サンドイッチの包み紙の裏に、油の染みた文字で刻まれたその落書き。

それこそが、後世において『裁きの平原の永久不可侵平和条約』と呼ばれる、歴史上最も強力で、最も理不尽な平和協定が成立した瞬間であった。


「できたー! はい、これで二人も仲良しだね!」

シルヴィが、二人のサインが入った包み紙を嬉しそうに掲げた。


「「「「「「「おおおぉぉぉぉっ!!!!」」」」」」」


その瞬間、両軍の二十万の兵士たちから、地響きのような歓声と万歳三唱が巻き起こった。


「戦争が終わったぞォォォッ!!」

「助かった……! 俺たちは生きて帰れるんだ!!」

「聖女様万歳!! 真祖様万歳!!」

「平和万歳ァァァッ!!」


人間軍の兵士も、魔王軍のオーガも、お互いに抱き合い、涙を流して踊り始めた。

一歩間違えればお互いの肉を削ぎ合っていたはずの兵士たちが、シルヴィの笑顔と一枚の包み紙によって、一瞬にしてただの「命拾いした生還者たち」へと変わったのだ。


「……ふむ。なかなか賑やかで良いではないか」

ロアンが満足そうに頷く。

「ええ。姫様の『お外でお弁当が食べたい』というご要望も叶い、ついでに雑音も消えましたわね」

エランも優雅に紅茶を口に含んだ。


「さあ姫様、デザートのタルトでございます。こちらはルルが腕を振るった逸品」

ノクティスが、色鮮やかな果物が乗ったタルトを差し出す。

「わぁ、美味しそう! いただきまーす!」


シルヴィがタルトを一口頬張り、「ん〜っ! 甘くて美味しい!」と目を輝かせる。

その天使の笑顔を中心に、ミスリルのシートの上では、相変わらず平和すぎるピクニックが続いていた。


周りでは、二十万の兵士たちが武器を放り出してダンスを踊り、人間と魔族が肩を組んで歌を歌っている。

空を覆っていた禍々しい紫色の雲は完全に晴れ渡り、平原全体に、温かな太陽の光が降り注いでいた。


世界を滅ぼすはずだったハルマゲドンは。

最弱の吸血姫シルヴィの「ただお外でお弁当が食べたい」という思いつきと、それを叶えるために世界を物理的にねじ伏せた七人の過保護な従者たちによって、過去最も平和で、最も間の抜けた『大ピクニック大会』へと塗り替えられて終結したのである。


「(……なんか、よく分かんないけど、みんな楽しそうだし、ご飯も美味しいし……まあ、いっか!)」


シルヴィは、紅茶を一口飲み、幸せそうに微笑んだ。


ステータスオール1のまま、自分では一撃も攻撃を出さず、ただ『姫プ』されているだけで世界平和を達成してしまった吸血姫の伝説は、こうしてまた一つ、圧倒的なハリボテとともに刻まれていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ