第27話:姫様の退屈と、過保護なピクニック計画
聖都アイギスの中心、聖王迎賓館の最上階。
ロイヤルスイートルームのバルコニーから、透き通るような青空を見上げて、シルヴィはぽつりと呟いた。
「最近ずっとお部屋にいて退屈だなあ。お外でお弁当でも食べたいな」
その、何の気なしにこぼれた純度百パーセントの無邪気な一言。
ステータスオール1の最弱吸血姫が、ただ『ピクニックがしたい』と願っただけのささやかな希望。
しかし、彼女を狂信的に崇拝する七人の過保護すぎる従者たち(姫プ勢)にとって、それは神の啓示にも等しい、宇宙の存亡を懸けた絶対命令であった。
「姫様の……ピクニック……!!」
獣人戦士ロアンが、感動のあまり両手で顔を覆い、ボロボロと大粒の涙を流した。
「ああっ、なんという尊き願い! 災厄から世界を救い、この数日間ずっと部屋で安静にしておられた姫様が、ついに外の空気を吸いたいと望まれた!! これ以上の喜びがこの世にあろうか!!」
「ええ、ロアン! 姫様のその愛らしいご要望、私たち臣下が全力で、世界最高の形で叶えなければなりませんわ!!」
エルフのエランが、杖を高く掲げて歓喜の声を上げる。
部屋の中は、一瞬にして前代未聞のパニックと熱狂の渦に包まれた。
「おいエラン殿! 早急にピクニックのロケーションを特定しろ! 姫様のお御足を運ばせるのだ、石ころ一つ落ちていない、見晴らしの最高の場所でなければならん!」
特級聖騎士セリアが血走った目で指示を飛ばす。
「言われるまでもありませんわ! すでに古代精霊を大陸全土に放ちました!」
エランは目を閉じ、凄まじい演算能力で大陸の気象データを解析し始めた。
「条件は……姫様の白雪のようなお肌にダメージを与えないよう、紫外線量は最小。気温は常に二十二度をキープでき、湿度は四十五パーセント。さらに、姫様の金糸の御髪を優しく揺らす、風速二メートル以下の心地よい南風が吹いている場所……!」
「景色と地質なら、俺の竜の感覚に任せろ」
竜騎士ダリウスが、目を閉じて巨大な鼻をヒクつかせた。
「魔素の淀みがなく、見晴らしが良く、かつ広大で平坦な土地。……む、ここから東へ数百キロの地点。あそこなら条件を満たしている。地形もなだらかで、ピクニックには最適の『ただの広い野原』だ」
「東の、広大な平原?」
セリアがハッと息を呑んだ。
「そこはまさか……『裁きの平原』か? 現在、魔王軍十万と人間軍十万が対峙し、今まさに世界大戦の火蓋が切られようとしているあの国境地帯……!」
一瞬、部屋に緊張が走ったかに見えた。
しかし、次の瞬間。
「フン、それがどうした」
暗殺者ノクティスが、紅茶のカップを拭きながら冷たく鼻で笑った。
「姫様が『お弁当を食べたい』と仰っている最高のロケーションに、たまたま下等な虫ケラどもが二十万匹ほど群がっているというだけの話だろう? 姫様のお食事が始まる前に、すべて『お掃除』して更地にすれば済むことだ」
「その通りですわ」
エランも冷酷に微笑む。
「姫様のピクニックの邪魔をするなら、人間だろうが魔族だろうが、私が空間ごと消滅させますわ」
「うむ。姫様の玉座となる俺の肩を、戦争ごときで揺らすつもりはない」
ダリウスも深く頷いた。
彼らにとって、二十万の軍勢が激突する世界大戦など、シルヴィのピクニックの「少しばかり騒がしい背景」程度の認識でしかなかった。完全に優先順位が狂っているのである。
「よし! ロケーションは決まりだ! アタシは姫様が座るための最高のピクニックシートを作るよ!」
ドワーフの天才鍛冶師マイラが、オリハルコンのハンマーを担ぎ上げた。
「ただの布のシートじゃ、地面の冷えが伝わっちまうし、虫が寄ってくるかもしれない! アタシが『極薄のミスリルとオリハルコンを編み込んだ、完全断熱・防虫・防刃の最強ピクニックシート』を打ってやる! ついでに折りたたみ式の純金テーブルもな!」
マイラは「徹夜だァァッ!」と叫びながら、迎賓館の一室(すでに工房に改造済み)へと消えていった。
「お弁当の準備は我々にお任せを!」
吸血鬼のルルが、メイド服の裾を翻して意気込む。
「姫様の舌を満足させる、究極のお弁当箱を作りますわ! 幻の海竜の肉、世界樹の果実、百年熟成させた深紅のトマト! あらゆる極上食材をかき集めてみせます!」
「ああ。毒味は私が千回行う。一切の不純物、一切の毒素を排除した、完璧なサンドイッチとタルトを完成させよう。姫様の『美味しい』という笑顔を、再び拝見するために……!!」
ノクティスが、暗殺用ダガーを包丁代わりに構え、狂気的なまでの情熱を料理に向け始めた。
「えっ、あの……みんな? そんなに気合入れなくても、普通のおにぎりとかサンドイッチでいいんだけど……」
シルヴィが慌てて口を挟むが、完全に暴走モードに入った彼らの耳には届いていない。
「我々は姫様の露払いだ! ロアン、平原までの道中に存在する目障りな山や森は、すべて私の聖剣と貴様の大剣で切り拓き、姫様のための真っ直ぐな『一本道』を造るぞ!」
「応!! 姫様を揺らすような段差は、すべてこの滅山で粉砕して平地に変えてくれる!!」
セリアとロアンが、恐ろしい土木工事(という名の地形破壊)の計画を立ててハイタッチを交わしている。
「あわわ……山は壊さないで! 道があるところを歩けばいいから!!」
シルヴィの必死のストップにより、地形の改変だけはなんとか免れたものの、ピクニックの準備は国家予算を使い果たすレベルの過剰さで進められていった。
翌朝。
聖都アイギスの門の前に、史上最高にして最も異様なピクニックの一行が集結していた。
「さあ姫様、本日の『動く玉座』の準備は万端にございます!」
二メートル半を超える竜騎士ダリウスが、片膝をついてシルヴィの前に背中を向けた。
シルヴィは、マイラが新たに『重量軽減ルーン』を百個追加してくれたフリフリの絶対防御ドレスを身に纏っていた。ルーンのおかげで、二十キロあったドレスは体感重量二キロ程度にまで軽くなっており、シルヴィでもなんとか自力で歩けるようになっていた。
しかし、長距離の移動となれば体力が「1」の彼女には不可能である。
「ありがとう、ダリウスさん。よいしょっと」
シルヴィがダリウスの巨大な肩に跨ると、ダリウスは「おおお……!」と歓喜の震えを漏らし、尻尾をバタバタと振った。
「姫様が俺の肩に! 今日も俺の鱗は、姫様のお御足を傷つけぬよう極限まで柔らかく調整してあります! さあ、出発いたしましょう!!」
ダリウスの肩からの景色は、いつもながら最高だった。
シルヴィの頭上には、エランが『古代精霊』を使役して作り出した、目に見えない日傘(完全UVカット&適温維持の結界)が展開されており、どれだけ日差しが強くても、シルヴィの肌には心地よい春のそよ風しか届かない。
先頭を歩くのは、ロアンとセリアだ。
彼らは数キロ先まで神経を尖らせ、街道に落ちている小石や、飛び出してきた野ウサギ(魔物ですらない)までをも、凄まじい殺気で遠ざけている。
シルヴィの真横には、エランが浮遊魔法で優雅に並走し、背後には、ノクティスとルルが重箱のような超巨大な魔法の弁当箱(鮮度と温度を永久に保つ時間停止魔法つき)を恭しく掲げながら、一糸乱れぬ執事とメイドのステップで歩調を合わせている。
最後尾では、マイラが自作のオリハルコン製ピクニックセットを担ぎ、「姫様の笑顔のためなら重さなんて感じねえ!」と豪快に笑っていた。
「わあ……風が気持ちいいね! お天気も最高だし、まさにピクニック日和だ!」
ダリウスの肩の上で、シルヴィが満面の笑顔で背伸びをした。
その瞬間、下を歩いている七人の従者たちの鼻から、同時に「ブフォッ!」と血が噴き出した。
「ひ、姫様の笑顔……! 眩しすぎる……!」
「ああっ、生きててよかった! このピクニックを企画して本当によかった!!」
一行は、聖都を出発し、一路東の『裁きの平原』へと向かっていた。
道中の景色は、とてものどかであった。
(というより、ロアンたちから放たれる『姫様に近づく者は神でも殺す』という常軌を逸したプレッシャーにより、半径十キロ圏内の野生動物も魔物も盗賊も、すべてが泡を吹いて逃げ出していたため、のどかにならざるを得なかったのだ)
「見て見てエランさん、あのお花綺麗!」
「姫様がお望みなら、あの花畑ごと空間転移で姫様のお部屋にお持ち帰りしますわ!」
「ダメダメ! お花はあそこに咲いてるから綺麗なんだよ」
「おお……なんという慈悲深きお言葉! 自然の理すらも愛する女神の御心!!」
シルヴィの何気ない発言のすべてが、彼らの脳内で【聖典の一節】のように変換され、その都度感動の涙が流される。
シルヴィは相変わらず「みんな大げさだなぁ」と苦笑しつつも、この過保護で愉快な仲間たちとの旅を心から楽しんでいた。
しかし、目的地である『裁きの平原』に近づくにつれ、周囲の空気が徐々に不穏なものへと変わっていくのを感じた。
「……なんだか、空が少し暗くなってきたような?」
シルヴィが首を傾げた。
実際、東の空には、魔王軍の進軍によって生じた禍々しい紫色の魔力雲と、人間軍の集結による無数の軍旗が巻き起こす土煙が、分厚い壁のように立ち込めていたのだ。
「お気になさらず、姫様」
ダリウスが肩の上のシルヴィに優しく声をかける。
「少々、羽虫が群がって羽音を立てているだけのようです。姫様のピクニックの邪魔になるようなら、俺が一息で吹き飛ばしてまいります」
「羽虫?」
「ええ。人間という名の羽虫と、魔族という名の羽虫が、合計二十万匹ほど」
ノクティスが冷酷な執事の顔で言い放つ。
「に、二十万匹!? それって絶対虫じゃないよね!?」
シルヴィがぎょっとして前方を見下ろす。
小高い丘を越え、視界が開けたその先に広がっていたのは、まさに世界の終わりを思わせるような、絶望的な光景であった。
広大な平原を二分するように、西側には銀色の鎧に身を包んだ人間軍十万が、太陽の光を反射して剣の海を作り出している。
東側には、赤黒いオーラを放つ魔王軍十万が、地獄から這い出てきたような異形の姿で咆哮を上げている。
両軍の距離はすでに数キロにまで迫っており、今まさに突撃のラッパが鳴らされようとしていた。
「わ、わわわっ! なんかすごい数の兵隊さんが睨み合ってるよ!? あれって、もしかして戦争!?」
シルヴィがダリウスの角を掴んでパニックになる。
「姫様、ご安心を」
ロアンが大剣の柄に手をかけ、猛獣の笑みを浮かべた。
「あのような下等な争い、姫様のピクニックの背景にもなりはしません。姫様がお弁当を広げる場所は、あの平原の『ど真ん中』が最も見晴らしが良く、風通しが良いと計算されております」
「えっ? ど真ん中って……あの大軍と大軍の間!?」
「はい!」
セリアが爽やかに答えた。
「姫様がサンドイッチを召し上がるのに、邪魔な雑音が聞こえないよう、我々七人がかりで両軍を五分以内に【完全制圧(物理)】いたします。姫様はただ、マイラ殿が敷いたシートの上で、美味しい紅茶を楽しんでおられればよろしいのです!」
「絶対ダメーーー!! 誰も制圧しちゃダメだからね!!」
シルヴィの悲鳴が響き渡った。
「私、血を見るのも痛いのも絶対イヤ! なんでピクニックに来て戦争のど真ん中に突っ込もうとしてるの!?」
「姫様が、血を見るのは嫌だと仰っている……!」
七人の猛者たちがハッと息を呑む。
「ならば、一切の出血を伴わず、気絶だけさせて両軍を無力化するしかありませんわね」
エランが高度な空間魔法の計算を始める。
「そうじゃないの! もう、なんでみんな極端なの!」
シルヴィは涙目になりながら、眼下に広がる二十万の軍勢を見つめた。
今にも激突し、無数の命が散ろうとしている。虫も殺せない善人であるシルヴィにとって、そんな悲劇を目の前で見過ごすことなどできなかった。
「……ねえ、みんな」
シルヴィが、小さな声で、しかしはっきりと告げた。
「あそこの真ん中で、ピクニックしよう。……でも、誰も攻撃しちゃダメ。ただ、お弁当を広げるだけ。わかった?」
「「「「「「「……御意!!」」」」」」」
姫様の絶対命令が下った。
いかなる理由があろうとも、姫様の言葉は神の法である。
かくして。
世界が固唾を飲んで見守る、人類と魔王軍の最終決戦。
今まさに開戦のラッパが鳴り響こうとしたその絶対的な緊張感の中心(無人地帯)に向けて。
ステータスオール1の最弱吸血姫を乗せた巨大な竜騎士と、六人の常軌を逸した狂信者たちが、のんびりとした足取りでピクニックに向かって歩みを進めていくのであった。
世界の歴史が、最高に間の抜けた理由でひっくり返る瞬間が、すぐそこまで迫っていた。




