第18話:過保護たちの防衛戦(という名の虐殺)
「ウオオォォォォォォォォォォッ!!」
「ギャアァァァァァァァァァッ!!」
聖都アイギスの北に広がる『嘆きの荒野』は、今まさにこの世の地獄と化していた。
地平線を埋め尽くすほどの、十万を超える魔物の大軍勢。ゴブリン、オーク、オーガ、トロール、そして空を覆い尽くすワイバーンの群れ。
それらが、一つの巨大な濁流となって聖都の純白の城壁へと殺到しようとしていた……はずだった。
しかし、その魔物の濁流は、聖都の城壁から遥か数キロ手前で、完全に『せき止められて』いたのである。
「遅い遅い遅い遅ォォォイッ!! 貴様ら程度の鈍亀どもが、我らが姫様の安眠を妨げようなどと、一万年早いわァァァッ!!」
ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!
荒野のど真ん中で、黄金の闘気をまとったロアンの大剣『滅山』が薙ぎ払われる。
それだけで、前衛にいた数百匹のオークとオーガの群れが、悲鳴を上げる間もなく上半身と下半身にお別れし、血の霧となって空中に吹き飛んだ。
ロアンの動きは、もはや目で追うことすら不可能な次元に達していた。彼は魔物の群れに単騎で突っ込み、ただ剣を振り回しているだけではない。
(姫様のお耳に、この下等生物どもの醜い断末魔を届かせるわけにはいかん……! そして、血の臭いが風に乗って聖都へ流れるのも防がねば!)
ロアンの剣撃は、魔物を斬り裂くと同時に、その剣圧によって発生する真空の刃で『音』と『風』の向きを強制的にねじ曲げていた。
「オラァッ! 死ぬ時は無音で死ね! 姫様のご迷惑になるだろうが!!」
「ロアン、少し雑ですわよ。血の一滴すら残すなと申し上げたはずです」
ロアンの暴れ回る戦場の上空に、ふわりとエランが舞い降りた。
彼女の杖の先から、幾千、幾万もの『極小の光弾』が、雨あられのように魔物たちに降り注ぐ。
「【古代精霊・星屑の殲滅雨】」
パパパパパパパンッ!!
光弾に触れた魔物たちは、爆発するのではなく、一瞬にして『チリチリ』と音を立てて原子レベルで消滅(灰化)していった。
エランは、魔物の血の臭いや死体が聖都の景観を汚すことを極端に嫌い、すべてを綺麗に燃やし尽くす戦法をとっていたのだ。
「ああ……姫様が今、あのように怯えておられる。なんという罪深い光景か。あの涙一滴につき、お前たち魔物一万匹の命で贖いなさい」
さらに、地上では別の狂気が爆発していた。
「聖女様を泣かせた罪ィィ!! 貴様らの薄汚い魂ごと浄化してくれるわァァァッ!!」
純白のオーラを纏った特級聖騎士セリアが、まさに光の矢となって魔物の密集地帯を駆け抜けていく。
「【聖絶十文字斬り(ホーリー・クロス・ディバイド)】!!」
彼女が通り過ぎた後には、巨大な十字架の形に空間が切り裂かれ、その軌道上にいた数千のアンデッドや魔族が、悲鳴すら上げられずに浄化の光に飲み込まれて消滅した。
普段のセリアであれば、冷静に戦局を見極め、味方の騎士たちを指揮して戦うのだが、今の彼女の脳内には「聖女様の笑顔を取り戻す」という至上命題しか存在しない。完全なバーサーカー状態であった。
「ヒャッハァァァァァッ!! アタシの徹夜の最高傑作を、重いって言わせた鬱憤を晴らさせてもらうぜェェッ!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!
天才鍛冶師マイラが、自らの身長よりも巨大なオリハルコン製のハンマーを地面に叩きつけた。
その衝撃で大地が文字通り『めくれ上がり』、巨大な土砂の津波となって魔物の群れを飲み込んでいく。彼女は魔工鍛冶の技術を応用し、ハンマーに爆発のルーンを刻み込んでおり、一撃ごとに小型隕石が落下したような破壊力を生み出していた。
そして、空を覆うワイバーンの群れに対しては、最強の竜騎士ダリウスが単騎で蹂躙していた。
「我が主の頭上を、貴様らのような下等竜が飛ぶなァァァッ!!」
ダリウスは自身の竜鱗を硬化させ、空を飛ぶワイバーンの群れに文字通り『体当たり』をぶちかましていた。
ドゴォッ! バキィッ! と、空中で巨大なワイバーンたちが次々とダリウスの素手によって羽を引きちぎられ、首をねじ切られ、雨のように地上へと墜落していく。
「我が主の玉座となるこの肩! 貴様らの薄汚い血で穢すわけにはいかん!!」
たった五人。
たった五人の規格外の猛者たちが、十万の魔物の大群を、聖都の城壁に指一本触れさせることなく、荒野のど真ん中で完全な『虐殺』を繰り広げていたのである。
しかも、彼らの戦う動機は「人類を守るため」でも「聖都を防衛するため」でもない。
ただひたすらに、「姫様(聖女様)が怯えておられるから」「姫様の安眠を邪魔したから」「姫様のお茶の時間を台無しにしたから」という、極めて個人的で過保護すぎる理由だけで、世界を滅ぼしかねない厄災を完膚なきまでに叩き潰しているのだ。
一方、聖都アイギスの城壁の上では。
「…………な、なんだあれは」
防衛のために駆けつけた教皇をはじめとする聖都の騎士団長や、高ランクの冒険者たちは、城壁の上からその信じられない光景を、ぽかんと口を開けて見下ろしていた。
十万の魔物が迫ってきていると聞いて、彼らは文字通り「死」を覚悟して城壁に立ったのだ。
しかし、彼らの目の前に広がっていたのは、魔物の大群が『たった五人のバケモノ』によって、まるで草刈りでもされるかのように次々と消滅していく光景だった。
「せ、セリア特級聖騎士殿の姿が見えます! あれは……普段の十倍以上の聖なるオーラを放っておられます!」
「あの大剣を振り回している獣人はなんだ!? 剣圧で山が二つに割れたぞ!?」
「上空のワイバーンの群れが、たった一人の竜人に素手で全滅させられようとしている……! 嘘だろ、あんな出鱈目な強さを持つ奴らが、いつの間にこの街に……!」
騎士たちは震え上がり、戦うどころか、その圧倒的な蹂躙劇をただ見守るしかできなかった。
「教皇猊下! あ、あれをご覧ください!!」
一人の司祭が、震える指で『聖王迎賓館』の最上階、ロイヤルスイートルームのバルコニーを指差した。
そこには。
マイラが作り上げた『オリハルコンとミスリルのフリフリ絶対防御ドレス』を身に纏ったシルヴィが、胸の前で両手をギュッと組み、目を閉じて祈りを捧げている姿があった。
シルヴィの純粋な「みんな死なないで」という祈りの心(恐怖の震え)と、パッシブスキル『真祖の威光』が、ミスリルのフリルによって極限まで増幅され、彼女の身体から、まるで第二の太陽のような神々しい純白の光の柱が天に向かって放たれていた。
カァァァァァァァァァァァッ……!!!!
その光は、聖都の城壁の上にいる騎士たちの心に、圧倒的なまでの『安心感』と『神聖な畏敬の念』を植え付けた。
「おおおぉぉ……! な、なんという神々しさだ……!」
教皇が、涙を流しながらその場に両膝をついた。
「見なさい、皆の者! あのバルコニーで祈りを捧げておられる少女こそが、神がこの聖都を救うために遣わされた『真の聖女』なのだ! あの五人の英雄たちは、聖女様の祈りの光に導かれ、我々の代わりに魔物を討ち滅ぼしてくださっているのだ!!」
「おおおぉぉっ!! 聖女様!! 偉大なる光の御子よ!!」
「聖女様の祈りが、英雄たちに無限の力を与えているのだ!!」
城壁の上にいる数千の騎士たちが、次々と武器を置き、シルヴィに向かってひれ伏して祈りを捧げ始めた。
彼らの目には、シルヴィの震える姿が『自らの命を削って奇跡の光を放ち、英雄たちを鼓舞する究極の自己犠牲』にしか見えていなかった。
完全な、そして取り返しのつかない壮大な勘違いが、聖都全体を包み込んでいく。
そして、荒野の最前線で戦う五人の狂信者たちもまた、その光に気づいていた。
「……おおおっ!! 姫様!! 我らが姫様が、あのように眩い光を放って我々を見守ってくださっている!!」
ロアンが大剣を天に掲げ、歓喜の咆哮を上げた。
「見ろ! 姫様のあの祈りのお姿を! 我々が少しでも気を抜いて怪我でもすれば、姫様はご自身を責めてしまうに違いない! 姫様の心に一ミリの傷も負わせてはならん! 総員、リミッターを外せェェェッ!!」
「言われるまでもありませんわロアン! 姫様のあの光に報いるため、この荒野の魔物どもを、細胞一つ残さず【消去】します!!」
エランの杖から、さらに絶望的な規模の古代魔法陣が複数展開される。
五人の猛者たちの戦闘力は、シルヴィの(意図しない)光のバフによって、さらに限界を突破した。
十万いたはずの魔物の大群は、わずか三十分足らずで、その数を一万以下にまで減らしていた。
荒野には、魔物の死骸すら残っていない。エランの魔法とマイラの爆発、セリアの浄化によって、すべてが綺麗に更地にされていたからだ。
「グガァァァァァァァァァァッ!!!!」
その時。
激減した魔物の群れの奥底から、大地を揺るがすような、これまでとは次元の違う圧倒的な咆哮が轟いた。
ズシンッ、ズシンッ!! と、荒野を震わせながら、巨大な影が姿を現す。
それは、スタンピードの元凶であり、この魔物の大群を後ろから統率していた超巨大ボス『災厄のベヒーモス』であった。
体長は三十メートルを超え、全身が黒曜石のような硬質な鱗に覆われ、四本の巨大な角と、山を砕くほどの太い尾を持っている。
その口から吐き出される瘴気だけで、周囲の草木が瞬時に枯れ果てるほどの、まさに生きた災害。
「チッ、大将のお出ましか。だが、デカいだけの的だ。俺が真っ向から首を切り落としてやる」
ロアンが鼻で笑い、滅山を構え直す。
しかし。
災厄のベヒーモスは、ロアンたち五人の圧倒的な強さを本能で察知したのか。
それとも、聖都のバルコニーから放たれているシルヴィの『神々しい光』に、魔物としての強烈な敵対心を抱いたのか。
「グォォォォォォォォォォォォッッ!!!!」
ベヒーモスは、ロアンたち五人を完全に無視し、彼らの頭上を跳躍(あるいは凄まじい突進力で突破)して、真っ直ぐに聖都の城壁、そしてシルヴィのいる『聖王迎賓館』へと向かって突撃を開始したのである。
「なっ……!? 貴様、どこへ行く気だ!!」
ロアンが慌ててベヒーモスの足を斬りつけようとするが、三十メートルの巨体が放つ突進のスピードと質量は尋常ではなく、数秒の遅れが生じてしまった。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
ベヒーモスの巨大な角が、聖都の純白の城壁に激突した。
魔法で強化されたはずの城壁が、まるで飴細工のようにあっさりと崩れ落ちる。
「ひぃぃぃぃっ!! 城壁が破られた!!」
「逃げろォォォ!! ベヒーモスだ!!」
城壁の上にいた騎士たちはパニックになり、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
そして。
城壁を突き破ったベヒーモスの巨大な頭部が、真っ直ぐに『聖王迎賓館』の最上階——シルヴィが祈っているバルコニーの目の前へと迫り上がってきた。
「えっ……?」
バルコニーで目をギュッと瞑って祈っていたシルヴィは、地響きと轟音に驚き、恐る恐る目を開けた。
そこには、自分が入っている部屋の窓よりも遥かに巨大な、ベヒーモスの血走った巨大な眼球と、瘴気を吐き出す恐ろしい牙が、わずか数メートルの距離に迫っていた。
「…………ぁ、」
シルヴィの時間が、完全に停止した。
三十メートル級の超巨大魔獣との、ゼロ距離での対面。
ステータス【体力:1】の彼女にとって、ベヒーモスが息を吹きかけるだけで、ドレスごと吹き飛ばされてミンチになる距離である。
「ヒッ……!! いや……いやぁぁぁぁぁぁっ!!」
シルヴィは完全に腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。
声も出ない。逃げることもできない。ドレスが重くて立ち上がることすら不可能。
彼女はただ、恐怖のあまり両手で顔を覆い、ガクガクと震えながら、再びギュッと目を瞑って体を丸めることしかできなかった。
しかし。
そのシルヴィの姿こそが、ベヒーモスにとって、そして世界にとっての『決定的な瞬間』となるのである。




