第16話:寡黙なる竜騎士と動く玉座
「よいしょ……ふぅ。よいしょ……はぁ、はぁ……」
聖都アイギスの美しい大理石の石畳の上を、一歩、また一歩と、ひどくゆっくりとしたペースで進む小さな影があった。
天才魔工鍛冶師マイラが徹夜で仕上げた『最強にして最重のフリフリ絶対防御ドレス』を身に纏ったシルヴィである。
漆黒のオリハルコン繊維と純白のミスリルレースが織りなすその姿は、通りを行き交う聖都の住人たちが全員立ち止まって祈りを捧げそうになるほど神々しく、可憐であった。
しかし、その実態は過酷を極めていた。
総重量二十キログラムに達する伝説素材の塊。ステータス【筋力:1】のシルヴィにとって、それは服というよりも『全身にまとわりつく鉄の枷』に近い。
右足を一歩前に出すだけで太ももの筋肉が悲鳴を上げ、左足を引くのに全身の気力を振り絞る。額からは玉のような汗がポロポロとこぼれ落ち、息は完全に上がっていた。
「ひ、姫様ぁぁぁっ! もう限界でございます! どうか、どうかその場にお座りください!」
獣人戦士のロアンが、シルヴィの半歩後ろで両手をわなわなと震わせながら付き添っていた。シルヴィが少しでもよろめけば、光の速さで抱きとめる構えである。
「ああ、姫様の美しい額から汗が……! 私が風の精霊で今すぐ涼しい風を……いえ、いっそ重力操作の魔法で姫様の体重ごと軽くして差し上げたいのに……っ!」
エランも杖を握りしめ、ギリギリと歯を食いしばっている。しかし、マイラの作ったドレスはミスリルの純度が高すぎるため、外部からの魔法干渉(重力軽減や身体強化魔法など)すらも完璧に弾き返してしまうという、本末転倒なチートスペックを発揮していた。
「申し訳ありません姫様、私の力不足です! 聖なるオーラで姫様を包み込もうとしても、このドレスの神聖反射が強すぎて付与できません!」
セリアが涙目でひざまずき、マイラは自分の頭をボカボカと殴りながら号泣している。
「アタシの馬鹿野郎ォォッ! 防御力に全振りしすぎて、魔法付与の拡張性を残し忘れるなんて! 今すぐ工房に戻って、内側から重量軽減の魔術ルーンを刻み直すから、それまで脱いでくだせぇ姫様!」
「う、ううん……大丈夫だよ、マイラさん……。せっかく徹夜で作ってくれたんだし……私、これくらい……頑張って、歩くから……っ!」
シルヴィが健気に微笑みながら、さらに一歩を踏み出そうとする。
しかし、その細い足がガクンと崩れた。
「きゃっ!」
「「「「姫様ァァァッ!!」」」」
地面に倒れ込む寸前、ロアンがふわりとシルヴィを抱きとめた。
「ぜぇ、ぜぇ……ご、ごめんね……。やっぱり、ちょっと……重いかも……」
シルヴィはロアンの腕の中で、完全に体力を使い果たしてぐったりとしてしまった。これ以上、自力で歩かせるのは不可能だった。
「……緊急会議ですわ」
エランが氷のような声で告げ、ロアン、セリア、マイラの三人が真剣な顔で頷いた。
「このドレスの防御力は絶対です。姫様をお守りするためには、これを脱がせるわけにはいきません。しかし、姫様のお身体にこれ以上の負担をかけるのは、万死に値する大罪ですわ」
「うむ。やはり私が、以前のように輿を作って担ぐのが一番だろう」
ロアンが提案するが、セリアが首を横に振った。
「ダメだ、獣人。聖都の道は入り組んでいる場所も多く、あのような巨大な輿では通れない路地もある。それに、せっかくマイラ殿が作ってくれたこの美しいドレスのシルエットが、輿に座り込んでいては台無しになってしまう」
「確かに……姫様のフリフリは、立って、あるいは高い位置から見下ろすような姿勢でこそ、宇宙一の輝きを放つようにデザインしたからね」
マイラが腕を組んで分析する。
「つまり」
エランが結論を口にした。
「私たちが求めるのは、姫様を『座らせる』のではなく、高い位置で『お乗せして運ぶ』ことができる、専用の乗り物……あるいは、強靭な人材ですわ」
「人材、か。馬や魔獣では、姫様が驚かれてしまうかもしれないからな。……よし、傭兵ギルドへ行こう」
セリアが聖剣の柄を叩いて言った。
「この聖都には、冒険者ギルドとは別に、護衛や戦争の助っ人を専門とする『傭兵ギルド』の総本部がある。そこに集まるのは、力自慢の荒くれ者ばかりだ。金に糸目をつけず、姫様をお乗せする『動く玉座』として最も安定した屈強な男を雇い上げるのだ」
「ふむ。姫様の玉座となる男……生半可な足腰では、このロアンが許さんぞ」
かくして、意識が朦朧としているシルヴィをロアンが丁寧に抱きかかえ、一行は聖都の傭兵ギルドへと向かうことになった。
傭兵ギルド『鉄の牙』の総本部は、冒険者ギルド以上にむさ苦しく、殺伐とした空気が漂う場所だった。
戦場を渡り歩く傭兵たちは、常に死と隣り合わせの生活を送っているため、目つきの鋭さが冒険者の比ではない。
しかし、そんな血生臭いギルドの扉が蹴り開けられ、ロアンたち四人の尋常ではない殺気と、それに守られるようにして抱きかかえられた「漆黒のドレスを着た絶世の美少女(気絶中)」が姿を現した瞬間——ギルド内の空気は一変した。
「な、なんだあの少女は……!?」
「おい、直視するな! 目が潰れるぞ! というか、あの子の周りにいる連中、一人一人が国を滅ぼせるレベルの化け物じゃねえか!」
パッシブスキル『真祖の威光』が、気絶していても容赦なくギルド内にばら撒かれ、屈強な傭兵たちは次々と武器を落としてひざまずいていく。
ロアンはレッドカーペットのように平伏する傭兵たちの間を堂々と歩き抜け、受付カウンターに金貨の詰まった巨大な袋を三つ、ドスゥン! と叩きつけた。
「おい、受付! このギルドで最も背が高く、最も足腰が強く、そして最も物理防御力に優れた男を出せ!」
ロアンの咆哮に、筋骨隆々の受付の男すら「ヒッ!」と悲鳴を上げて縮み上がった。
「し、仕事の内容はなんでしょうか……!? どこの要塞を落とせば……」
「要塞などどうでもいい! 我らが姫様の『移動用の玉座』となる名誉ある役目だ! 姫様を肩車し、いかなる悪路でも微塵も揺らさず、矢の雨が降ろうとも一歩も退かぬ強靭な肉体を持つ者を探している!」
受付の男は混乱した。
「か、肩車、ですか……? この莫大な金貨で……? ええと、それならば……」
男が震える指でギルドの奥を指差した。
「あ、あそこにいる『ダリウス』という男が……物理的な防御力とパワーなら、このギルドで、いや大陸でも右に出る者はおりません。身長も二メートル半はあります。……ですが、あいつは……」
「ダリウス、だな。よし、連れてこい」
セリアが冷たく命じるが、受付の男は青ざめた顔で首を横に振った。
「む、無理です! あいつは『竜人族』なんです! 傭兵ギルドに登録してはいますが、気性が荒すぎて誰も雇えないんです。過去に雇おうとした貴族が、少し横柄な態度をとっただけで腕をへし折られて……」
「ほう、竜人族か」
エランが面白そうに目を細めた。
竜の血を引く竜人族は、生まれながらにして鋼鉄以上の硬度を持つ鱗と、巨大な魔獣を素手で引き裂く怪力を持つ、誇り高き戦闘種族である。
その時、ギルドの奥の薄暗い酒場の隅から、地響きのような重い足音が近づいてきた。
「……俺を呼んだか、人間ども」
現れたのは、まるで歩く城壁のような大男だった。
身長はロアンよりもさらに頭一つ分大きく、二メートル半は優に超えている。全身を覆うのは、鈍い光を放つ黒鉄色の分厚い竜鱗。頭部には太く猛々しい二本の角が生え、背中からは巨大な尻尾が床を擦っている。
傭兵ギルド最強にして最凶の竜騎士、ダリウスである。
ダリウスは、ロアンたち四人を値踏みするように見下ろし、鼻で笑った。
「チッ、どいつもこいつも馬鹿げた魔力と殺気を放っていやがる。だがな、俺を金で従えようなどと思うなよ。俺は竜の血を引く者。俺の上に立つ者は、金でも権力でもなく、ただ『圧倒的な力』で俺を屈服させられる者だけだ」
ダリウスの体から、凄まじい竜の闘気が噴出し、周囲のテーブルや椅子がミシミシと軋みを上げて吹き飛んだ。
「肩車だと? ふざけるな。この俺の誇り高き肩に乗れるのは、俺が真に主と認めた最強の存在だけだ。死にたくなければ、その金貨を持ってとっとと失せ……」
「んん……」
その時。
ロアンの腕の中で、気絶していたシルヴィが小さく寝返りを打ち、ゆっくりと目を覚ました。
「あ、あれ……? 私、いつの間にか寝ちゃってた……?」
シルヴィはパチクリと大きな赤い瞳を瞬かせ、状況がわからずに首を傾げた。
ロアンの腕から下ろしてもらい、フラフラと自分の足で立つ。相変わらずドレスが重くて、自力で立つのがやっとの状態だ。
そして、シルヴィは見上げた。
目の前に立つ、見上げるほど巨大で、恐ろしい竜の顔をした大男を。
「……ひっ!」
シルヴィは肩をビクッと跳ねさせ、怯えたように後ずさった。しかし、ドレスが重すぎて足がもつれ、そのままペタンと床に座り込んでしまう。
「ご、ごめんなさい……邪魔しちゃって……」
シルヴィが上目遣いで、涙目になりながらダリウスを見上げた。
ただの、気弱な少女の怯えた謝罪。
しかし。
ダリウスの『竜の直感』と、シルヴィの放つ『真祖の威光』『絶対的庇護欲』が激突した瞬間、ダリウスの精神世界において、天地がひっくり返るような大爆発が起きた。
『通知:対象【竜騎士・ダリウス】に対し、精神干渉を極大レベルで実行します。』
「————ぁ、」
ダリウスの全身の竜鱗が、ブワァッ! と一斉に逆立った。
彼の内なる『竜の血』が、悲鳴を上げていた。恐怖ではない。圧倒的なまでの【服従】の歓喜である。
竜は強者を尊ぶ。そして、目の前に座り込む華奢な少女から放たれるオーラは、かつてダリウスの先祖が仕えた古代神竜すらも遥かに凌駕する、絶対的で根源的な『神聖なる上位者』のそれであった。
(な、なんだこの少女は……!? この威圧感、この気高さ! これほどの存在が、この地上に存在したというのか!)
ダリウスの強面が、驚愕で引きつる。
(しかも見ろ! 俺のような醜く恐ろしい竜人を前にして、あのように儚く、怯えたような表情を……! ああ、なんという可憐さ! なんという愛らしさ! 俺の、俺の闘争本能が、すべて『この少女を傷つけるあらゆる要素を排除したい』という猛烈な保護欲に塗り替えられていく!!)
「お、おい竜人。今すぐ姫様の前から退け。姫様が貴様の顔を見て怯えておられるだろうが」
ロアンが殺気を放ち、大剣に手をかける。
「貴様の角、切り落として杖の飾りにでもしてやろうか」
エランが冷酷に魔法を準備する。
しかし、ダリウスは彼らの脅しなど全く耳に入っていなかった。
彼は、ドスゥゥゥンッ!! と床が陥没するほどの勢いで、シルヴィの目の前に両膝をついた。
「えっ……?」
シルヴィが驚いて目を丸くする。
ダリウスは、先ほどの尊大な態度はどこへやら、二メートル半の巨体を限界まで丸め込み、地面に額を擦りつけるようにしてひれ伏したのだ。
「お、お許しください……! 偉大なる、偉大なる小さき主よ……!!」
ダリウスの声は、感動で震えていた。
「この愚かなダリウス、貴女様のような至高の存在を前にして、あろうことか自らの力を誇示しようとするなど……! この命、今すぐここで絶って詫びるべき大罪!!」
「い、命とか絶たなくていいから! お願いだから死なないで!」
シルヴィが慌てて両手を振って止める。この世界の人たちは、なぜすぐに自害しようとするのだろうか。
「おおお……! なんという慈悲深きお言葉! 私のような鱗まみれの化け物にも、生きることを許してくださるとは!」
ダリウスは顔を上げ、大粒の涙をポロポロと流しながらシルヴィを見つめた。
寡黙で屈強な竜騎士が、ボロボロと泣きながら美少女にすがりつく光景に、傭兵ギルドの荒くれ者たちは「あのダリウスが泣いてる……」と白目を剥いて次々と気絶していった。
「ダリウスさん、だっけ……? あのね、私、このドレスがすごく重くて、歩けなくなっちゃって……」
シルヴィが困ったように自分のフリフリのスカートを摘むと、ダリウスの瞳に『使命感』という名の狂気の炎が灯った。
「おお……! なんと重々しく、かつ世界一キュートな鎧でしょうか! そのような重荷を、姫様の細腕に背負わせるなどあってはならないこと!」
ダリウスはバッと立ち上がり、自らの巨大で平らな肩をバンッと叩いた。
「姫様! どうか、どうかこのダリウスの肩を、貴女様の『玉座』としてお使いください! この強靭な竜の足腰をもってすれば、王都の石畳から火山の火口まで、姫様に一切の揺れを感じさせることなくお運びいたします!」
ダリウスはシルヴィの前に背を向け、片膝をついて高さを合わせた。
「さあ、どうぞ! 遠慮なくこの愚かな竜人の首に跨り、肩車をお命じください!! それが、私に与えられた唯一の存在意義です!!」
「えっ、か、肩車? いいの?」
「無上の喜びでございます!!」
シルヴィは少し躊躇したが、ドレスが重くて動けないのは事実だ。意を決して、ロアンとエランに支えられながら、ダリウスの広い肩の上に「よいしょ」と跨った。
「わぁ……!」
シルヴィの視界が、一気に二メートル半以上の高さへと跳ね上がった。
ダリウスの肩は、岩のように硬いかと思いきや、信じられないほど安定しており、シルヴィの太ももに触れる部分だけが微妙に筋肉を弛緩させて、最高級のソファーのような座り心地を実現していた。
ダリウスがゆっくりと立ち上がる。
ドレスの漆黒と純白のフリルが、ダリウスの黒鉄色の鱗と見事にマッチし、まるで『魔王(あるいは邪竜)を使役する無敵の吸血姫』という、一枚の壮大な絵画のような完璧な構図が完成した。
「すごい! すごく高くて、見晴らしがいいよ! ダリウスさん、全然揺れないね!」
シルヴィが嬉しそうにダリウスの角をポンポンと軽く叩くと、ダリウスの巨体が「ビクゥッ!」と歓喜に震え、尻尾がちぎれんばかりの勢いで左右に振られ始めた。
「あはぁっ……! 姫様が、私の角を撫でてくださった……! ああ、私の肩の上に、宇宙で一番尊い存在が乗っておられる……! ダリウス、感無量でございます!!」
「ふむ、馬としてなら合格点のようだな」
ロアンが腕を組んで見上げる。
「姫様がくしゃみを一つでもされたら、ただちに私が毛布を三枚お持ちしますわ。貴方は姫様の体温を逃さないよう、竜の熱を微細にコントロールしなさい」
エランが厳しい指導を入れる。
「応とも! 姫様のお御足が冷えぬよう、私の体温は常に適温の三十六・五度をキープしよう! もし姫様に向かって矢を射掛ける者がいれば、この身を盾にしてすべて弾き返して見せる!」
寡黙だったはずのダリウスが、饒舌に狂信者としての誓いを立てる。
こうして、シルヴィの「定位置」は、二メートル半を超える屈強な竜騎士の肩車の上(動く玉座)に決定したのである。
「よし! それじゃあ、高いところから出発進行ー!」
「「「「「ははァッ!!」」」」」
シルヴィの無邪気な号令とともに、五人のヤバすぎる猛者たちが聖都の街へと繰り出していく。
圧倒的な武力、魔力、財力、防御力、そして機動力を手に入れたシルヴィ一行。
しかし、この直後、聖都アイギスを数十年に一度の『未曾有の厄災』が襲うことになる。
だが、その厄災すらも、過保護すぎる彼らにとっては「姫様の安眠を妨げる迷惑な騒音」でしかなかったのである。




