第15話:最強にして最重? フリフリの絶対防御ドレス
聖都アイギスの朝。
昨晩から一睡もせず、カンッ、カァァンッと裏路地に響き渡っていたハンマーの音が、不意にピタリと止んだ。
「……できた」
煤にまみれた石造りの工房の奥から、ドワーフの天才魔工鍛冶師マイラの、ひどく掠れているが、達成感に満ち溢れた声が漏れた。
扉の前で待機していたシルヴィたち一行は、顔を見合わせた。ロアンがそっと重厚な木製の扉を押し開けると、そこには、真っ黒な顔に輝くような笑顔を浮かべたマイラが立っていた。彼女の足元には、数本のへし折れた巨大ハンマーが転がっている。伝説の金属を打つために、彼女の相棒たる鉄槌すらも何本も犠牲になったのだ。
「おはよう、マイラさん! すごく頑張ってたね、お疲れ様!」
シルヴィが工房に足を踏み入れ、労いの言葉をかける。
その瞬間、徹夜明けで血走っていたマイラの三白眼が、パッと乙女のように潤んだ。
「お、おおおお嬢ちゃん……いや、姫様ぁぁぁっ!!」
マイラは両手を広げ、ボロボロと涙を流しながらシルヴィの足元にスライディング土下座を決めた。昨日から二度目の光景である。
「姫様のその優しすぎるお言葉で、アタシの徹夜の疲労なんて一瞬で吹き飛んじまったよ! ああ、なんという慈愛! なんという尊さ! アタシは今、鍛冶師として、いや生命体として最高の絶頂にいる!!」
「ちょ、ちょっとマイラさん、顔が煤だらけだよ!? 泣いたら泥んこになっちゃう!」
「姫様がアタシの顔の汚れを気にしてくださった! うおおおぉぉ! 生きててよかった!!」
床に額を擦りつけて歓喜の雄叫びを上げるマイラ。その後ろで、ロアン、エラン、セリアの三人は「ふん、新入りの分際で姫様に気安く声をかけられるとは生意気な」「だが、姫様の慈悲深さを引き出した点だけは評価してやろう」と、謎の上から目線で頷き合っている。
「それで、マイラ。我が姫君にふさわしい至高の防具とやらは、無事に完成したのだろうな?」
セリアが腕を組み、聖騎士としての威厳を保ちながら尋ねた。
「ふん、教会の犬風情がアタシの腕を疑うのかい? 見るがいいさ。アタシの鍛冶師人生のすべてを注ぎ込み、魂を削って創り上げた、世界でたった一つの『奇跡』をな!!」
マイラが立ち上がり、工房の奥の台座にかけられていた厚手の布をバサァッ! と勢いよく取り払った。
「わぁ…………!!」
布の下から現れたそれを見て、シルヴィは両手を口元に当て、目をキラキラと輝かせた。
それは、一見すると武骨な「防具」には到底見えなかった。
深みのある漆黒を基調とし、純白のレースと深紅のリボンがあしらわれた、最高級のゴスロリ風ドレス。スカート部分は幾重にもフリルが重なってふんわりと広がり、胸元には美しい宝石が控えめに、しかし確かな存在感を放って輝いている。背中には、可愛らしい悪魔の羽を模したような小さな意匠が施されていた。
「す、すっごく可愛い……! これが防具なの!? お姫様のドレスみたい!」
シルヴィは夢遊病者のようにフラフラと近づき、ドレスの美しさにうっとりと見入った。
前世でも、こんなに可愛くて精巧な服は見たことがない。一流のデザイナーが数年かけて作り上げたオートクチュールと言われても、誰もが信じるだろう。
「へへっ……姫様の可愛さを一千倍に引き立てるデザイン。それでいて、戦闘の邪魔にならないよう緻密に計算されたシルエットさ。どうだい、気に入ってくれたかい?」
マイラは鼻の下を指でこすりながら、照れくさそうに笑った。
「うん! すっごくお気に入り! マイラさん、本当に天才だね!」
シルヴィが満面の笑みで振り返った瞬間。
マイラの鼻から「ブッシュゥゥゥッ!!」と凄まじい勢いで鼻血が噴き出した。
「あはぁっ……! 姫様の笑顔……! 天才って言われた……! もうアタシ、いつ死んでもいい……!」
マイラはそのまま白目を剥いて後ろに倒れそうになったが、ドワーフの強靭なガッツでギリギリ踏みとどまった。
「ふむ、見た目は確かに可愛らしいですが。ただの布切れでは意味がありませんわよ、マイラ」
エランが杖の先でドレスをツンツンと突きながら、プロの魔術師としての厳しい視線を向けた。
「姫様を守る防具である以上、最低でも私の極大魔法の直撃に耐えうるスペックでなければ、着せる価値などありません」
「そうだ。俺の大剣の全力の一撃を弾き返す強度がなければ、姫様の盾とは呼べん」
ロアンも同調し、ギラリと目を光らせる。
「ヒャハハハ! 舐めるんじゃないよ、過保護共」
マイラは鼻血を拭いながら、不敵な笑みを浮かべた。
「そのドレスの正体が、ただの布だと思ったかい? エルフの魔術師、お前ならそのドレスから放たれる『異常な魔力』に気づいてるはずだろ?」
「……ええ。正直、先ほどから私の魔力探知が振り切れそうになっていますわ。一体、どんな素材を使ったのですか?」
マイラは腕を組み、得意満面で解説を始めた。
「まずは外側の漆黒の生地。あれは、アタシが秘蔵していた伝説の神造金属『オリハルコン』を、超高熱で溶かし、さらに特殊な魔法で『極細の糸』にまで加工して編み上げたものだ」
「なっ……オリハルコンを糸にだと!?」
セリアが驚愕の声を上げた。
「オリハルコンは絶対に折れず、曲がらず、魔力を通さない最強の金属。それを布のように編み込むなど、神の御業だぞ!」
「それだけじゃねえ。純白のフリルとレースの部分は、すべて純度100パーセントの『ミスリル』の糸だ。魔法攻撃を完全に反射・無効化する性質を持たせてある。つまり、このドレスを着ている限り、炎だろうが氷だろうが、古代の即死魔法だろうが、すべてそよ風と同じになる」
マイラはさらにドレスの裾をペラリとめくった。
「そして極めつけは、このドレスの裏地さ」
ロアンがその裏地を見た瞬間、獣人の本能が警鐘を鳴らし、思わず一歩後ずさった。
「そ、それは……まさか……」
「そうさ。千年前の神話の時代に死んだとされる、『古代神竜』の逆鱗。それを薄く削り出し、ドレスの裏地すべてに敷き詰めてある。物理攻撃に対する絶対の耐性だ。たとえ城を砕く大砲の直撃を食らおうが、姫様の玉肌にはアザ一つ、衝撃一つ伝わらねえ」
「「「……………………」」」
ロアン、エラン、セリアの三人は、完全に絶句した。
オリハルコンの繊維、ミスリルのフリル、古代神竜の逆鱗の裏地。
それはもはや、「防具」という概念を通り越して、「歩く絶対無敵要塞」であった。世界を滅ぼす魔王が着ていたとしても、過剰すぎるほどのチートスペックである。
それを、マイラはたった一晩で、極限まで可愛いゴスロリドレスの形に仕上げてしまったのだ。
「す、素晴らしい……!」
ロアンがワナワナと震えながら、涙を流した。
「マイラ殿! いや、マイラ先生! このロアン、貴殿の腕を疑ったことを深く謝罪する! これならば、姫様が火山の火口に落ちようが、深海の底に沈もうが、傷一つ負うことはない! まさに姫様のための至高の防具だ!」
「ええ、認めますわ。貴方は最高の鍛冶師です」
エランも感服したように深く頭を下げた。
「へへっ、アタシの最高傑作さ。さあ姫様、早速着替えてみておくれよ! アタシが着付けを手伝うからさ!」
マイラに促され、シルヴィは工房の奥の仕切りの中へと入っていった。
「えっと、こうやって着るのかな……うわっ、布なのに冷たい。それに、なんか……」
数分後。
「着れたよー!」
仕切りの布が開かれ、シルヴィが姿を現した。
その瞬間。工房内の時間が完全に停止した。
金髪の美少女と、漆黒のゴスロリドレス。その親和性は、まさに『破壊的』であった。
透き通るような白い肌が漆黒の生地によってさらに際立ち、純白のミスリルのフリルが彼女の可憐さを何倍にも増幅させている。深紅のリボンが、彼女のルビーのような赤い瞳と完璧にマッチしていた。
もともとカンストしていた【魅力】と【カリスマ】のステータスが、この究極のドレスを装備したことによって、限界をさらに突破し、宇宙の真理へと到達しようとしていた。
「「「「ブフォァァァァァァッッ!!!」」」」
ロアン、エラン、セリア、そしてマイラの四人が、同時に鼻から血の噴水を打ち上げ、後方に吹き飛んだ。
「あわわ!? みんな!? どうしたの!? 大丈夫!?」
シルヴィが慌てて駆け寄ろうとする。
しかし、彼女がドレスを着た状態で「一歩」を踏み出そうとした、その瞬間だった。
「……あれ?」
シルヴィの身体が、ピタッと止まった。
右足を前に出そうとするのだが、足が鉛のように……いや、本物の鉄の塊のように重く、床から数センチしか持ち上がらないのだ。
「え、うそ、なにこれ。体が……動かない……っ!」
ぐらり、とシルヴィの身体が傾く。
「きゃっ!」
そのままバランスを崩し、シルヴィは「ドスンッ!」という、美少女が転んだとは思えないような重低音を響かせて床に倒れ込んでしまった。
「ひ、姫様ぁぁぁっ!!」
四人の従者たちが、鼻血を垂らしたまま慌てて飛び起き、シルヴィの元へ殺到する。
「大丈夫ですか姫様! お怪我は!?」
「怪我はないけど……う、動けないの……っ。この服、すっごく、重い……っ!!」
シルヴィは床に這いつくばったまま、涙目で訴えた。
そう、マイラが作り上げた『オリハルコンの糸』『ミスリルのフリル』『古代神竜の鱗の裏地』。
これらは確かに、どれだけ薄く、細く加工しようとも、元が超重量級の伝説素材であることには変わりない。
ドレス全体の総重量は、少なく見積もっても【約20キログラム】に達していた。
一般的な成人男性の兵士であれば、20キロの鎧を着て動くことは可能だろう。高ランク冒険者であるロアンやセリアなら、羽毛のように軽く感じるかもしれない。
しかし、シルヴィのステータスは【筋力:1】である。
スライム以下の、ひ弱な一般人以下の腕力と脚力しかない彼女にとって、20キロのフルメタルジャケット(可愛いドレスの形をしているが)を全身に纏うことは、すなわち『自力歩行の完全な封印』を意味していた。
「ああっ……! なんという事だ!!」
事態を正確に把握したマイラが、自らの頭を抱えて絶叫した。
「アタシの馬鹿野郎! 姫様の防御力を完璧にすることばかりに気を取られて、姫様があまりにも華奢で、羽のように軽いお方だということを失念していた!! これでは、姫様が自力で歩くことすらできないじゃないか!!」
マイラは床に額を打ち付け、再び号泣し始めた。
「アタシは……アタシは姫様を、重いドレスという名の牢獄に閉じ込めてしまった! アタシの命をもって償うしかねえ!!」
「だ、だから命とかいらないから! 泣かないでマイラさん!」
シルヴィは床に倒れたまま、必死に首だけを上げてマイラを慰めようとする。腕を動かそうとするが、プルプルと震えるだけで数センチしか持ち上がらない。
「しかし姫様、これでは旅を続けることなど不可能です」
セリアが深刻な顔で言う。
「防御力は確かに神の領域ですが、これでは姫様が自らお茶を飲むことも、立ち上がることもできません」
「うう……確かに、これじゃあスライムから逃げることもできないよぉ……」
シルヴィが涙目になりながら「脱ごうかな……」と呟いた瞬間、マイラが弾かれたように顔を上げた。
「ダメだ! 脱いじゃダメだ姫様!」
マイラは這うようにしてシルヴィのそばに寄り、その手をとった。
「この危険な世界で、姫様のような尊いお方を無防備な布一枚で歩かせるなんて、アタシの鍛冶魂が絶対に許さねえ! 重さは……重さの問題は、アタシがなんとかする!」
「なんとかするって、どうやって?」
シルヴィが首を傾げると、マイラは立ち上がり、決意に満ちた瞳で工房を見渡した。
「アタシが決めた。今日からアタシは、この工房を畳む!!」
「「「なっ!?」」」
ロアンたちが驚きの声を上げる中、マイラは自らの商売道具である鍛冶道具を次々と大きな魔法袋に放り込み始めた。
「姫様のその至高のドレスは、まだ未完成だ。これからは、アタシが姫様の傍に四六時中ついて回って、姫様の筋力に合わせたミリ単位の軽量化調整、魔法付与による重量軽減のアップデートを毎日、毎秒やり続ける! それが、このドレスを作ったアタシの責任であり……」
マイラはそこで言葉を区切り、顔を真っ赤にしてモジモジと身をよじった。
「そ、それに……アタシも、姫様のその可愛い姿を、ずっと一番近くで見ていたいんだよぉっ! 姫様の専属スタイリスト兼、武具メンテナーとして、アタシも姫様のお供をさせておくれ!!」
マイラからの、突然のパーティー加入宣言であった。
伝説の天才鍛冶師が、自らの工房と地位をすべて投げ打ち、一人の少女の「お着替え係」になるために人生を捧げると言うのだ。
「えっ? マイラさんも一緒に来てくれるの? 嬉しいけど……お店、本当になくしちゃっていいの?」
シルヴィが心配そうに尋ねるが、マイラは豪快に笑い飛ばした。
「ヒャハハ! 姫様という宇宙一の傑作に出会っちまったんだ。もう他の連中の武具を打つ気なんて、これっぽっちも起きやしねえよ!」
「ふむ……ドワーフの腕前は確かだ。それに、姫様のドレスのメンテナンスができるのは、この世でこいつだけだろう。同行を許可してやろう」
ロアンが腕を組んで偉そうに頷く。
「姫様の身だしなみを整える係が一人増えるのは、悪くありませんわね。ただし、姫様の髪を梳かす権利は絶対に譲りませんからね」
エランも牽制しつつ了承した。
「よし! これで決まりだ! アタシも今日から『姫様の笑顔を守る同盟』の四人目だ!!」
マイラがガッツポーズを決め、ロアンたちと固い握手を交わす。
工房の中は、新たな狂信者の加入に沸き立ち、謎の感動的な空気に包まれていた。
「あ、あのー……みんな?」
床に転がったままのシルヴィが、か細い声で呼びかけた。
「マイラさんが仲間になってくれるのはすごく嬉しいんだけど……とりあえず、私を立たせてくれないかな? 自力じゃ起き上がれないんだけど……」
「「「「ハッ!! 申し訳ありません姫様ァァァッ!!」」」」
四人の猛者たちが慌ててシルヴィに群がり、よいしょと神輿を担ぐようにして彼女を立ち上がらせた。
しかし、立たせてもらったところで、シルヴィが自力で歩けないことには変わりない。
右足を出そうとすればバランスを崩して倒れそうになり、その度にロアンが慌てて支えるという、まるで生まれたての小鹿のような状態になってしまったのである。
「うぅ……このドレス、本当に可愛いんだけど……歩くのが修行みたいだよぉ……」
シルヴィは涙目で、わずか数歩を歩くのにぜぇぜぇと息を切らしていた。
「姫様、ご無理をなさらず! このロアンがお背負いいたしましょう!」
「いいえ、私の風魔法で姫様を宙に浮かせたまま移動させますわ!」
「私が聖なる力で姫様の筋力を一時的に増強させます!」
四人がドタバタと解決策を提案する中、シルヴィは「誰かにずっと運んでもらうのも申し訳ないし……」と悩んでいた。
防御力は完全無敵のチートクラスになったが、機動力が完全にゼロになった最弱吸血姫。
この『重すぎるフリフリ絶対防御ドレス』問題が、のちに聖都の傭兵ギルドで最強と恐れられる「あの男」を、シルヴィの『動く玉座』として狂信者の列に引きずり込むことになろうとは、この時の彼女はまだ想像もしていなかった。
「とりあえず……お腹すいたから、ご飯食べに連れてって……」
シルヴィのへろへろの命令により、四人の猛者たちが「ははァッ!」と一斉にひざまずく。
聖都の職人街に、重いドレスを引きずるようにして歩く少女と、それを過保護すぎるほどに取り囲む四人のヤバい連中の、奇妙なパレードが再び幕を開けるのであった。




