第14話:偏屈ドワーフと防具選び
聖都アイギスの朝は、大聖堂から鳴り響く清らかな鐘の音と共に始まる。
教皇専用の特別室のふかふかな天蓋付きベッドで目覚めたシルヴィは、エランが用意した極上の朝食——焼きたての白パン、新鮮な野菜のポタージュ、そして色鮮やかなフルーツの盛り合わせ——を堪能していた。
「う〜ん、美味しい! エランさん、このスープすごく優しい味がするね」
「姫様のお口に合って何よりでございます。聖都の市場で最も魔素を豊富に含んだ野菜を厳選し、私の精霊魔法で旨味だけを極限まで抽出いたしましたわ」
「そ、そこまでしなくても普通に美味しいと思うんだけど……でもありがとう!」
シルヴィがニコニコと笑いながらパンを齧っているそのすぐ傍らで。
彼女を護衛する三人の猛者たち——獣人のロアン、エルフのエラン、そして新たに加わった特級聖騎士のセリアは、部屋の隅で円陣を組み、深刻な顔つきで「緊急軍議」を開いていた。
「……お二方、昨日の姫様の様子を見て、重大な懸念事項があることに気づかなかっただろうか」
ロアンが腕を組み、かつてないほど険しい表情で口火を切った。
「重大な懸念事項だと? 姫様の美しさが昨日よりもさらに増し、私の心臓が破裂しそうになったこと以外に何かあると言うのか、獣人よ」
セリアが聖剣の柄に手を当てながら、真面目腐った顔で答える。
「違う、そうではない! いや、それも由々しき事態だが……私が言いたいのは姫様の『御召し物』についてだ!」
ロアンは声を潜め、チラリとシルヴィの方へ視線を送った。
シルヴィが現在身につけているのは、この世界に降り立った時から着ている『麻布の服』である。いわゆる初期装備であり、防御力は文字通りゼロに等しい。
「よく考えてみろ。我らが姫様は、ステータス画面上では防御力が【1】であらせられる。もちろん、それは姫様が自らの神々しすぎるオーラを隠すための仮の数値だとは理解しているが……万が一、億が一、我々の目を盗んで不敬な虫ケラが姫様に触れようとした時、あの薄い布一枚では心許なすぎる!」
「確かに……」
エランが顎に手を当てて深く頷いた。
「私の絶対防御結界があるとはいえ、魔法にも物理的な限界や死角が生じる瞬間がゼロとは言い切れません。姫様の玉肌を、あのような安物の麻布で包み続けること自体、もはや宇宙の法則に対する冒涜と言えますわね」
「おお、なんという事だ……!」
セリアはハッと息を呑み、ガクガクと震え出した。
「教会の聖女様たる御方に、あのような質素な平民の服を着せたままで平然としていたとは! 私としたことが、なんたる失態! すぐに教会の宝物庫から、最高級の聖銀で編まれた重装甲の法衣を取り寄せて……」
「待て、聖騎士。あんな重苦しい金属の塊を姫様に着せる気か? 姫様の華奢なお身体に負担をかけるような真似は許さんぞ」
「なんだと? ならばどうするつもりだ、獣人」
「決まっている。軽量かつ最高強度の魔獣の皮革を使った、動きやすい軽鎧一択だ!」
「お黙りなさい、野蛮人共。姫様に血生臭い魔獣の皮や金属など似合いませんわ。ミスリル糸で編んだ、軽くて美しい魔術師のローブこそが至高です」
「法衣だ!」「軽鎧だ!」「ローブですわ!」
再び三人の間で凄まじい殺気が膨れ上がり、部屋の空気がビリビリと震え始めた。
「あ、あのー……三人とも、また喧嘩してるの?」
シルヴィがパンを両手で持ったまま、不安そうに首を傾げる。
その瞬間、三人の殺気は春のそよ風のように霧散し、「いいえ姫様! 今後の旅の安全についての前向きな議論です!」と満面の作り笑いを浮かべた。
「姫様」
エランが代表してシルヴィの前に進み出た。
「これより、聖都の街へとお出かけいたしましょう。目的は、姫様にふさわしい『世界最強にして最も美しい防具』を仕立てることですわ」
「防具? うーん、確かにこの服、ちょっとボロボロになってきたかも。でも、私お金持ってないよ?」
「ご安心を! 資金のことはこのヴァン……いえ、ギルドと教会の予算が無限にございますので!」
ロアンがドンッと胸を叩く。(ヴァンが泣いているかもしれないが、ロアンの知ったことではない)
こうして、シルヴィ一行は防具を求めて聖都の街へと繰り出すことになった。
彼らが向かったのは、大通りにあるような華やかな高級武具店ではなかった。セリアの案内で、聖都の入り組んだ裏路地、スラム街にほど近い薄暗い職人街へと足を踏み入れたのである。
「セリアさん、こんな暗いところに良いお店があるの?」
シルヴィが周囲の治安の悪そうな雰囲気に少し身を縮めると、すかさずロアンとエランが壁のようにシルヴィの周囲を固めた。裏路地にたむろしていたチンピラたちは、三人の猛者から放たれる『一歩でも動いたら肉塊にする』という無言のプレッシャーに泡を吹いて気絶していく。
「はい、姫様」
セリアが恭しく頷いた。
「この聖都には、大陸中から最高の素材と最高の職人が集まります。しかし、その中でも『真の天才』と呼ばれる者は、表舞台には出てこないもの。これから向かう工房の主は、ドワーフ族のマイラ。性格は最悪で教会の依頼すら平気で蹴り飛ばす偏屈者ですが……腕だけは、間違いなく大陸一です」
やがて一行は、路地裏の最奥にある、煤で真っ黒に汚れた無骨な石造りの建物の前に到着した。
中からは、カンッ! カンッ! と、鉄を打つリズミカルで重厚な音が響いてくる。同時に、むせ返るような熱気と、溶けた金属の匂いが漂ってきた。
「頼もぉぉぉぉっ!!」
ロアンが扉を蹴り破らんばかりの勢いで開け放つ。
「おい! この工房の主はいるか! 我らが姫様が、貴様の腕を見込んでわざわざ足を運んでくださったぞ!」
「うるっせえな!! 誰だ、人の仕事場に土足で踏み込んでくる馬鹿野郎は!!」
工房の奥の炉の前から、一人の小柄な女性が凄まじい怒声と共に振り返った。
身長はシルヴィと同じくらいだが、その肉体は鍛え上げられた鋼のようだった。日に焼けた褐色の肌、短く刈り込んだ赤い髪。首には分厚いゴーグルを下げ、手には彼女の身長の半分ほどもある巨大なハンマーを軽々と握っている。
ドワーフ族の天才魔工鍛冶師、マイラである。
マイラは侵入者たちを鋭い眼光で睨みつけた。
「……チッ。教会の犬(聖騎士)に、エルフに獣人か。何の用だ。アタシは今、機嫌が悪いんだ。金ならいらねえ、とっとと失せな!」
「貴様、我らが聖女様に向かってその口の利き方は何事だ。舌を切り落とされたいのか」
セリアがチャキッと聖剣を抜きかける。
「やれるもんならやってみな、甲冑女! 逆にそのナマクラ剣ごと、テメェを鉄屑に打ち直してやろうか!」
「やめなさいセリア。このような煤まみれの土竜に、姫様の気高さなど理解できるはずがありませんわ。さあ姫様、こんな汚い場所はすぐに出ましょう」
エランがシルヴィの肩を抱いて踵を返そうとする。
「待って待って、みんな喧嘩しないでってば!」
シルヴィはエランの手をすり抜け、ずんずんと工房の中へと足を踏み入れた。
熱気が充満し、あちこちに鋭い金属の破片が転がっている危険な空間。ロアンたちが「ひ、姫様! 危のうございます!」と悲鳴を上げるが、シルヴィはお構いなしにマイラの目の前までやってきた。
「……あァ? なんだアンタ。見ない顔だが、このおっかない連中の主か何かか?」
マイラは巨大なハンマーを肩に担ぎ、シルヴィを見下ろす……いや、身長が同じくらいなので、真正面から凄んだ。
ドワーフ特有の、相手を威圧する鋭い視線。並の人間ならそれだけで震え上がって逃げ出すだろう。マイラは「金積まれても気に入らない奴の武具は打たねえ!」という信念を持つ、典型的な偏屈職人だ。相手が王侯貴族であろうと、教皇であろうと、気に入らなければハンマーで追い返す。
だが。
マイラのその凄みに対し、シルヴィは怯えるどころか、目をキラキラと輝かせていた。
彼女の視線は、マイラの顔ではなく、マイラが肩に担いでいる巨大なハンマーと、奥の炉で赤く熱せられている金属に向けられていたのだ。
「すごい……! ねぇ、このハンマー、すごく重そうなのに、一人で振ってるの!?」
シルヴィは純粋な感嘆の声を上げた。
「私、武器とか防具とか全然詳しくないけど……でも、こんなに熱くて大変な場所で、一生懸命何かを作ってる姿って、すごくかっこいいと思う! 職人さんってすごいね!」
シルヴィは一切の計算もなく、ただ心からの称賛を口にした。
彼女の大きな赤い瞳は、マイラの仕事に対する純粋なリスペクトで満ちていた。小首を傾げ、まるでヒーローを見るような無邪気な笑顔を向ける。
その瞬間であった。
シルヴィのステータス【魅力】【カリスマ】のカンスト値によるパッシブスキル『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』が、至近距離でマイラの脳髄を直撃した。
『通知:対象【魔工鍛冶師・マイラ】に対し、精神干渉を極大レベルで実行します。』
「————ぁ、」
マイラの肩から、巨大なハンマーがゴトンッと重い音を立てて床に落ちた。
彼女の鋭い三白眼が、極限まで見開かれる。
ドクン、ドクン、ドクン。
マイラの心臓が、今まで経験したことのない異常なリズムで跳ね回り始めた。
(な、なんだ、この子は……!?)
マイラの脳内で、理性が悲鳴を上げていた。
(なんだこの、圧倒的な『尊さ』は!? アタシの鍛冶屋人生で、こんなにも混じり気のない、純粋で美しい瞳に見つめられたことなんて一度もねえ!)
(見ろ、あの透き通るような白い肌! アタシの煤だらけの工房には絶対に入れちゃいけねえような、奇跡のガラス細工みてえな儚さ! なのに、アタシの仕事を『かっこいい』だって……!?)
ドワーフという種族は、本質的に『何かを創り出し、守る』ことに特化した種族である。
そしてマイラは、ドワーフの中でも特に強い情熱を持っていた。
その彼女に、『絶対的庇護欲(守ってあげなきゃ!という本能を強制的にMAXにする)』というスキルがクリーンヒットした場合、どのような化学反応が起きるか。
「……あ、あ、あああああぁぁぁっ……!!」
マイラは突然、顔を真っ赤にして頭を抱え、その場に蹲った。
「えっ!? 大丈夫!? どこか痛いの!?」
シルヴィが心配して手を伸ばそうとすると、マイラは弾かれたように顔を上げ、そのまま猛烈な勢いでシルヴィの足元にスライディング土下座を決めた。
「お、おおおおおお嬢ちゃぁぁぁぁんっ!!」
「ええっ!?」
「アタシが馬鹿だった! アタシの目が腐ってた!! こんな世界一、いや宇宙一可愛くて尊いお嬢ちゃんが目の前にいたのに、あまつさえ凄んで見せるなんて! アタシは職人失格、いや生命体として失格だ!!」
マイラは床に額を何度も打ち付けながら、滝のような涙を流して叫んだ。
「お、おいドワーフ。貴様、姫様になんという無様な姿を……」
ロアンがドン引きして声をかけるが、マイラはそれを完全に無視し、すがりつくようにシルヴィを見上げた。
「お嬢ちゃん! いや、姫様!! アンタ、防具が欲しいんだろ!? 見ればそんなペラペラの布っきれ一枚じゃねえか! もしアンタのその玉のような肌に、かすり傷一つでもついたら、アタシゃ一生後悔して首を吊るしかねえ!!」
「く、首は吊らなくていいよ!?」
「アタシの全存在をかけて、アンタを世界一可愛く、そして絶対に傷つかないように守り抜いてみせる! 待ってな! 今すぐ工房の奥から『アレ』を出してくる!!」
マイラは鼻水を拭いながら立ち上がると、弾丸のようなスピードで工房の奥、何重にも鍵がかけられた地下金庫へと飛び込んでいった。
ガシャン! バタン! と物凄い音が響き、数分後、彼女は厳重に封印された黒い木箱を抱えて戻ってきた。
「見な、姫様。そしてそこの過保護な連中もよく見やがれ!」
マイラが箱を開けると、中から神秘的な青白い光が溢れ出した。
「なっ……! それは、まさか……!」
セリアが息を呑んだ。
「伝説の神造金属……! しかも、これほどの純度と質量……国が三つ買えるほどの代物だぞ!」
「へへっ、アタシの師匠の代から、一生に一度の『最高の主』に出会った時だけ打つと決めて封印してた秘蔵の金属さ」
マイラはオリハルコンのインゴットを愛おしそうに撫で、そして熱を帯びた瞳でシルヴィを見つめた。
「姫様。アタシの持てるすべての技術と、このオリハルコン、そして古代竜の鱗の裏地を使って、アンタのための『絶対に傷つかない防具』を作ってやる! デザインはもちろん、アンタの可愛さを一千倍に引き立てる、フリフリで最高にキュートなドレスだ!!」
「えっ? ドレス? オリハルコンって金属だよね? 重くない……?」
シルヴィが根本的な疑問(筋力1であること)を口にしたが、もはやマイラの耳には届いていなかった。
「うおおおおぉぉぉっ!! 創作意欲が、母性が爆発しそうだ!! アタシの鍛冶魂が燃えたぎってやがる! 待ってな姫様、明日の朝までに徹夜で完成させてやるからなァァァッ!!」
カンッ!! カァァァァァァァンッ!!!
マイラは巨大なハンマーを握り直し、オリハルコンを炉に放り込むと、鬼神のような勢いで鉄を打ち始めた。
そのすさまじい熱気と音に、ロアンたちも「おお……なんという気迫だ」と後ずさりするほどだった。
「……なんか、すごいことになっちゃったね」
シルヴィは呆然としながら、火花を散らして防具作りに没頭するマイラを見つめた。
ただ「防具を買いたい」と言っただけなのに、なぜか伝説の金属を使った徹夜の特注品作りが始まってしまった。
しかし、マイラの顔は、先ほどの不機嫌な偏屈職人から一変し、この世のすべての幸せを手に入れたような満面の笑み(ヨダレを垂らしながらだが)を浮かべていた。
「姫様の可愛さに当てられて、あの偏屈ドワーフもついに正気(狂信)を取り戻したようですわね」
エランが満足げに頷く。
「ええ。これで姫様の防御も完璧になる。やはり我らが姫様の魅力は、種族や職業の壁すらも容易く越えるのだ!」
セリアも誇らしげに胸を張った。
こうして、シルヴィを狂信的に崇拝する『姫プ勢』のパーティーに、四人目となる豪快な姐御肌の天才鍛冶師・マイラが、実質的な専属スタイリストとして加わることが決定したのである。
翌朝、完成したその「最強にして最重のフリフリ絶対防御ドレス」が、シルヴィの体力1の身体にどのような悲劇(物理的な重さ)をもたらすのか。
そしてそれが原因で、さらなる規格外の従者を仲間に引き入れることになるとは、この時のシルヴィはまだ知る由もなかった。
聖都アイギスの裏路地には、夜通しドワーフの歓喜のハンマーの音が鳴り響き続けていた。




