第13話:教義の書き換えと新たな従者
聖都アイギスの大通りは、かつてないほどの異様な静寂と、爆発しそうなほどの熱狂が入り交じる、ひどく奇妙な空間と化していた。
天を突くような白亜の尖塔、通り沿いに立ち並ぶ神々や聖女たちの美しい大理石の彫刻、そしてどこからともなく聞こえてくる荘厳な賛美歌のコーラス。
この街のすべてが『神聖』を体現しており、本来であれば、少しでも魔に属する者が足を踏み入れれば、その清浄な空気に当てられて灰になってしまうほどの強力な浄化結界が張り巡らされている。
だが今、その聖都のど真ん中を、純金と黒檀で装飾された一台の超絶豪華な馬車が、悠然と、そして滑るように進んでいた。
中に乗っているのは、魔の頂点たる『夜魔の真祖(吸血鬼)』であるシルヴィだ。
しかし、彼女の身体が結界によって浄化の炎に包まれるようなことは一切起きていなかった。なぜなら、彼女自身のステータス【魅力】【カリスマ】のカンスト値から放たれるパッシブスキル『真祖の威光』が、聖都の結界システムすらも「この御方は浄化してはならない絶対の聖域である」と強制的に誤認させ、完全に無効化してしまっていたからだ。
そして何より異常なのは、その馬車の先頭を歩く先導者の姿である。
「道を! 道を開けなさい、迷える子羊たちよ!! 我らが崇拝すべき光の化身、偉大なる聖女様のお通りです!! 跪き、祈りを捧げなさい!!」
教団最強にして最も冷酷な異端審問官として恐れられていた銀髪の特級聖騎士・セリアが、顔を真っ赤に紅潮させ、歓喜の涙をボロボロと流しながら、自ら群衆を押し退けてレッドカーペットの代わりとなるように道を切り開いていたのだ。
彼女の背後には、完全に状況が飲み込めず、魂が抜けたような顔をした数十名の聖騎士たちが、ゾンビのような足取りでゾロゾロと付き従っている。
「セ、セリア様……」
副官の屈強な騎士が、震える声でセリアの背中に声をかけた。
「正気でいらっしゃいますか……? あの馬車の中から感じるのは、間違いなく上位の魔族、いや吸血鬼の……」
「黙りなさい、愚か者!!」
セリアは振り返りざまに、副官の胸ぐらを恐ろしい力で締め上げた。
「貴方のその濁った目は節穴ですか!? あの馬車の窓からこちらをご覧になっている、あの神々しい御姿が見えないとでも言うのですか!」
「い、いえ、見えます。とてつもなく美しい、深窓の令嬢のような少女が、クッキーを齧っておられる姿が……」
「そうでしょう!? ならばなぜ分からないのです! あのように純真無垢で、儚く、愛らしい存在が、邪悪な吸血鬼であるはずがないという宇宙の真理が!!」
セリアの瞳には、一切の迷いも、教義に対する疑念もなかった。
パッシブスキル『絶対的庇護欲』を至近距離で最大出力で浴びた彼女の脳内では、すでに教会の歴史を根底から覆すレベルの『超解釈(神学的なバグ)』が完了していたのである。
「よく聞きなさい、信仰の浅き者たちよ」
セリアは副官を突き飛ばし、背後の聖騎士たち全員に向かって、朗々と、まるで神の啓示を受けた預言者のように語り始めた。
「確かに、あの聖女様からは吸血鬼に似た気配を感じます。しかし、それは『神が我々に与えたもうた高尚な試練』なのです!」
「し、試練、ですか……?」
「そうです! 神は、我々の信仰の真贋を試すため、あえてあの無垢なる女神に『夜の眷属』という偽りの衣を被せてこの地上に遣わされたのです! 表面的な気配だけで剣を抜く愚か者か、それともその奥底にある究極の『尊さ』を見抜ける真の信徒か! 私は見抜きました! あの御方こそが、暗闇を照らす真の光、我々が身命を賭して守り抜くべき『夜の聖母様』なのです!!」
「よ、夜の聖母様……!!」
完全に論理が破綻している。
『吸血鬼の気配がするが、尊いから吸血鬼ではない。むしろ神の化身である』という、異端審問官が最も言ってはならない暴論だ。
しかし、セリアの気迫があまりにも凄まじかったことと、馬車の窓から時折外を眺めるシルヴィの『真祖の威光』が聖騎士たちにもじわじわと伝播し始めていたことで、彼らの脳内フィルターも徐々に書き換えられていった。
「な、なるほど……! 確かに、あの御方を見ていると、私の荒んだ心が洗われていくような気がします……!」
「ああ、私もです! 吸血鬼の真祖だなんてとんでもない! あれは間違いなく、神の奇跡だ!」
「セリア様の仰る通りだ! 我々は試されていたのだ! 聖女様万歳!! 夜の聖母様万歳!!」
「「「万歳!! 万歳!! 聖女様万歳!!!」」」
かくして、教会のエリート部隊である数十名の特級聖騎士たちは、揃いも揃って吸血鬼の真祖であるシルヴィの狂信者(ファンクラブ会員)へとあっさりクラスチェンジを果たしてしまったのである。
彼らは鎧を打ち鳴らし、先ほどのヴァンたち冒険者ギルドにも負けないほどの熱狂的な合唱を響かせながら、聖都の中心部へと進んでいった。
その様子を馬車の窓から眺めていたシルヴィは、不思議そうに首を傾げていた。
「なんか、お巡りさん(聖騎士)たち、すごく盛り上がってるね。聖都って毎日お祭りでもやってるのかな?」
「姫様がご滞在される今日という日が、この街の連中にとって歴史上最大の祝祭になっただけのことですわ。ゴミ共にはもったいないほどの栄誉ですが」
エランが向かいの席で、相変わらず優雅に紅茶のカップを傾けながら冷たく言い放つ。
やがて馬車は、大聖堂のすぐ隣にある、教皇や各国の王族が滞在するための『聖王迎賓館』の前に到着した。
セリアの職権乱用(「聖女様がお泊りになるのだから、現在滞在中の貴族どもは馬小屋にでも追い出せ!」という理不尽な命令)により、迎賓館の最上階、最も豪華な教皇専用の特別室がシルヴィのために用意されていた。
馬車が静かに停車する。
その瞬間、馬車の外と内で、凄まじい火花が散り始めた。
「さあ姫様、ご到着でございます。私の手をお取りください」
御者席から一瞬で飛び降りたロアンが、最も早く馬車の扉の前に立ち、恭しく巨大な手を差し出した。
しかし、その手を横からバシッ! と弾き飛ばした者がいた。セリアである。
「獣人風情が気安く聖女様に触れるな。聖女様のエスコートは、神に選ばれし第一の剣であるこのセリアの役目だ。さあ、夜の聖母様、私の背中をマント代わりにお踏みになってお降りください」
セリアが地面に四つん這いになり、自らの純白のマントを泥の上に広げて『人間階段』になろうとする。
「ちょっと待ちなさい、甲冑女」
馬車の中から、エランが氷のような声で告げた。彼女の杖の先には、すでに圧縮された炎魔法がチカチカと危険な明滅を繰り返している。
「姫様が貴方のような硬くて冷たい鎧を踏めば、御御足を痛めてしまうでしょう? 私が風の精霊でふかふかの絨毯を作り出しますから、貴方たちは引っ込んでいなさい。というか、消し炭になりなさい」
「ほう、エルフの魔術師よ。この聖都の中心で、私に魔法を向けるか。異端として即座に浄化してやってもいいのだぞ?」
セリアがチャキッと聖剣を構え直す。
「エラン殿もセリアとやらも、少し出しゃばりすぎだ。姫様が最も安心されるのは、このロアンの強靭な肉体の盾があってこそ。邪魔をするなら、二人まとめてこの『滅山』の錆にしてくれる」
ロアンの全身から、再び赤黒い獣のオーラが噴出し始めた。
迎賓館の入り口で、人間族最高峰の聖騎士、獣人最強の戦士、エルフの古代魔法使いという、大陸の勢力図を単独で塗り替えられるレベルの三人の猛者が、文字通り『血みどろの口論』を始めたのである。
彼らから放たれる凄まじい殺気と魔力と闘気のプレッシャーにより、迎賓館の窓ガラスがピキピキと音を立ててヒビ割れ、周囲にいた聖騎士や迎賓館のスタッフたちは白目を剥いて次々と気絶していく。
「姫様の世話をするのは私だ!」
「いいえ、私ですわ!」
「黙れ! 私に決まっているだろうが!!」
ズバァァァッ!!
ドゴォォォンッ!!
ロアンの大剣とセリアの聖剣が激突し、火花が散る。エランの放った牽制の魔法弾が地面を抉り、石畳がクレーターのように吹き飛ぶ。
「聖女様には、私が毎朝最高の聖水で淹れたお茶を差し上げるのだ!」
「笑わせないでくださいな、教会の生臭い水など姫様のお口に合うはずがありません! 姫様のお食事はすべて私が管理します!」
「お前ら、姫様のお寝所に近づくつもりか!? 姫様の御前半径十メートル以内に近づく者は、このロアンがすべて微塵切りにしてやる!」
三人の争いは、完全に「誰が一番シルヴィを甘やかし、世話を焼くか(姫プするか)」という、傍から見れば極めてどうでもいい、しかし当人たちにとっては宇宙の存亡を懸けた聖戦であった。
殺意の波動が渦を巻き、いよいよ迎賓館そのものが彼らの余波で崩壊しようとした、その時だった。
「わぁ……!」
馬車の扉からひょっこりと顔を出したシルヴィが、満面の笑みを浮かべて両手でパチンッ! と拍手をした。
その澄んだ拍手の音は、三人の轟音をかき消して、なぜか彼らの耳の奥にダイレクトに響き渡った。
「みんな、もうそんなに仲良くなったんだね! 私、すごく嬉しいな!」
「「「……………………へ?」」」
殺し合いの真っ最中だった三人は、武器を交え、魔法を展開した体勢のまま、完全にフリーズした。
シルヴィの大きな赤い瞳は、彼らの殺気など全く意に介していない様子で、ただ純粋な喜びでキラキラと輝いていた。
「だって、さっき出会ったばかりなのに、もう三人で手合わせ(模擬戦)をして、お互いの強さを確かめ合ってるんでしょ? 冒険者さんや騎士さんって、そうやって仲間の絆を深めるんだって、ギルドの本で読んだことあるよ!」
シルヴィは馬車の階段をぴょんっと自力で降りると、固まっている三人の間にトコトコと歩み寄った。
「私ね、この世界に来てから不安なこともいっぱいあったけど……こうやって、強いみんなが仲良く協力してくれているのを見ると、すごく安心するの。だから、これからも三人で仲良く、私のこと助けてくれる?」
小首を傾げ、少しだけ上目遣いで、天使のように無邪気に微笑むシルヴィ。
それは、純度百パーセントの『勘違い』であった。彼らは仲間意識など微塵もなく、本気で互いを殺して独占権を得ようとしていたのだから。
しかし。
シルヴィのこの『勘違いの笑顔』こそが、彼らにとっては絶対の法であり、最も強烈なパッシブスキル『真祖の威光』と『絶対的庇護欲』の直撃弾であった。
カラン……ッ。
ロアンの手から大剣が滑り落ちた。
エランの杖の先の魔力が、霧散するように消え去った。
セリアの聖剣が、再び石畳の上に投げ捨てられた。
(ひ、姫様が……私たちのこの醜い殺し合いを、「仲良しの手合わせ」だと、前向きに解釈してくださっている……!?)
ロアンの全身がワナワナと震え出した。
(ああ、なんという慈悲……! なんという心の清らかさ! 本当は私たちが争っていることに心を痛めておられるはずなのに、あえて笑顔で『仲間』と呼んでくださったのだ!)
(聖女様の、この尊き笑顔……! これを曇らせるような真似は、悪魔に魂を売るよりも愚かな行為……! 私としたことが、嫉妬に狂って聖女様を悲しませるところでした!)
エランとセリアの瞳からも、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「うおおぉぉぉんっ!! 姫様ぁぁぁっ!!」
三人は、弾かれたようにシルヴィの周囲にひざまずき、同時にその足元に額を擦り付けた。
「申し訳ありません姫様! この愚かなロアン、嫉妬のあまり姫様の御前を血で汚すところでした!」
「お許しください私の女神様! 姫様が『仲良く』と仰るのなら、私はこのいけ好かない聖騎士とも、獣の臭いがする戦士とも、手を取り合って見せますわ!」
「聖女様の御心の広さに、私はただひれ伏すしかありません! ええ、そうです! 私たちは今日から、聖女様の笑顔を守るための『真の同志』です!!」
三人は、シルヴィの足元で互いの手を取り合い、骨が軋むほどの力でガッチリと(半ば威嚇し合いながらも)握手を交わした。
「おお、みんな泣かないで! 仲直りできたなら良かった!」
シルヴィはホッと胸を撫で下ろし、三人の頭を順番にいいこいいこと撫でてあげた。体力1の優しい撫で方は、三人の心をさらに極限まで昇天させ、彼らの口から「あふぅん……」という限界突破したような変な吐息を漏れさせた。
「ここに誓いましょう、ロアン、エラン殿」
セリアが、涙と鼻水にまみれた顔を上げ、キリッとした表情(本人はそのつもりだが端から見れば完全にギャグである)で宣言した。
「我々の教義はただ一つ。この夜の聖母様……いいや、姫様の平穏と笑顔を、いかなる脅威からも守り抜くこと。神が許さずとも、私たちが許す。これが『姫様の笑顔を守る同盟』の結成です!」
「異論はない。姫様の露払いは俺の剣が担おう」
「姫様の身の回りのお世話と絶対防御は私が担いますわ」
こうして、教会の最高戦力である特級聖騎士セリアは、本来の討伐対象である吸血鬼の姫の前に完全に屈服し、狂信的な『姫プ勢』の三人目のメンバーとして正式に加わったのである。
「よし! それじゃあお腹も空いたし、お部屋に行ってご飯にしよう!」
シルヴィが明るく宣言すると、三人の護衛は弾かれたように立ち上がり、「「「ははっ!! 姫様の御成である!! 道を開けろォォッ!!」」」と凄まじい怒号を上げながら、気絶している迎賓館のスタッフたちを踏み越えて道を作り始めた。
(……なんか、人数が増えるごとに騒がしくなってる気がするけど、気のせいだよね?)
シルヴィは呑気に首を傾げながら、超豪華な迎賓館へと足を踏み入れるのだった。
最強の獣人、エルフ、そして聖騎士。世界を滅ぼせるレベルの過保護な従者たちに囲まれたシルヴィの異世界ライフは、ますます常識からかけ離れた方向へと爆走を続けていく。
そして翌日、彼らは「姫様の現在の装備(初期装備の麻布の服)があまりにも貧弱すぎる」という重大な問題に直面し、聖都の裏路地に住むとある偏屈なドワーフの元を訪れることになるのだが——それはまた、新たなる勘違いと姫プの幕開けとなるのであった。




