第12話:吸血鬼狩りの聖騎士・セリア
どこまでも続く青空の下、大平原の中央にそびえ立つ純白の巨大な城壁。
人間族の最大拠点の一つであり、大陸全土に数千万人の信徒を抱える光の宗教の総本山——『聖都アイギス』。
街の中心には天を突くような壮麗な大聖堂が鎮座し、一定時間ごとに鳴り響く荘厳な鐘の音が、城壁の外にまで清らかな波となって広がっている。
ここは神聖なる神の御膝元。魔に属する者、邪悪なる気配を持つ者は、この街の門をくぐるどころか、近づくことすら許されない絶対の不可侵領域であった。
その聖都の正門前で、数十名の重武装した騎士たちが、異様なほどの緊張感に包まれていた。
彼らはただの兵士ではない。厳しい修行と洗礼を受け、神聖魔法と剣術を極めた教会のエリート部隊——『聖騎士団』である。
その先頭に立ち、抜けるような銀髪を風に靡かせている一人の女性がいた。
白銀の聖鎧に身を包み、腰には教皇から直々に下賜された国宝級の聖剣『断罪の光』を帯びている。透き通るような青い瞳には、一切の迷いも慈悲も存在しない。
彼女の名はセリア。
教会において最強の武力を誇り、「吸血鬼狩り」の異名で恐れられる異端審問官にして、特級聖騎士である。
彼女の魔に対する憎悪は教団内でも群を抜いており、特にアンデッドや吸血鬼といった「生命の理に反する邪悪」に対しては、文字通り塵一つ残さず浄化(という名の物理的殲滅)を行うことで知られていた。
「……皆様、陣形を整えなさい。聖なる結界を最大出力で展開し、神への祈りを絶やさぬように」
セリアの凛とした、しかし氷のように冷たい声が響く。
「はっ! しかしセリア様。本日は事前の索敵でも、魔物の群れが接近しているという報告は……」
副官の聖騎士が尋ねると、セリアは青い瞳を細め、前方の街道を鋭く睨みつけた。
「索敵網など、真の邪悪の前では無力です。……私の『聖なる直感』が、かつてないほどの警鐘を鳴らしています。信じられないほど濃密で、強大で、そして……純粋な『闇』の気配。これは低級の魔物などではない。上位の魔族、いや……もしかすると、伝承にのみ語られる『吸血鬼の真祖』クラスの化け物が、この聖都に迫っているのかもしれません」
「し、真祖!? そんな馬鹿な、あれはおとぎ話の……!」
「油断すれば一瞬で喉笛を食いちぎられますよ。総員、抜刀! いかなる姿で現れようとも、邪悪は邪悪。神の御名において、私がこの聖剣で一刀両断にします!」
チャキッ、とセリアが聖剣を抜くと、刃から眩いほどの神聖な光が放たれ、周囲の聖騎士たちの士気を極限まで高めた。
彼らは緊張で唾を飲み込み、街道の奥、土煙が上がる方角を凝視した。
やがて、その「強大な邪悪」の正体が、地平線の向こうからゆっくりと姿を現した。
「……あれは?」
聖騎士の一人が、拍子抜けしたような声を上げた。
現れたのは、巨大なコウモリの群れでも、血に飢えたアンデッドの軍勢でもなかった。
それは、四頭の見事な白馬に引かれた、黒檀と純金で装飾された『超絶豪華な馬車』であった。車体は地面の凹凸を完全に無視して滑るように進み(エランの風魔法のサスペンション)、御者席には身の丈二メートルを超える巨漢の獣人が、腕を組んで堂々と座っている。
「なんだ、あの悪趣味な馬車は……貴族の旅行か?」
「いや、待て! あの御者席の獣人から、途方もないプレッシャーを感じるぞ!」
「ですが、吸血鬼の真祖の気配など……」
聖騎士たちがざわめく中、セリアだけは額に冷や汗を浮かべ、歯を食いしばっていた。
(間違いない。あの馬車の『中』だ。あの馬車の中に、私の全身の細胞が粟立つほどの、圧倒的で絶対的な『闇』が座している……!)
セリアは聖剣を強く握り直した。
邪悪な吸血鬼が、あのように煌びやかな馬車で堂々と聖都に乗り込んでくるとは、神への明らかなる冒涜であり、宣戦布告に他ならない。
「止まれェェッ!!」
馬車が関所の数十メートル手前まで迫った時、セリアは聖なるオーラを全開にして前に飛び出し、剣を突きつけて怒鳴った。
「そこを動くな、邪悪なる魔の眷属よ! 貴様らがどのような姿に偽装しようとも、私の目は誤魔化せない! この聖都アイギスの門をくぐりたくば、神の浄化の炎に焼かれてからにするのだな!」
セリアの気迫に呼応し、数十名の聖騎士たちも一斉に槍と剣を構え、馬車を半包囲する陣形をとった。
一方、その頃。
馬車の車内では、シルヴィがエランの淹れた極上のハーブティーを飲みながら、ふかふかのクッションに抱きついていた。
「あむっ……うん、このクッキー美味しい! エランさん、これグランヴェールで買ったの?」
「はい、姫様。街で一番の菓子職人を徹夜させて作らせた、特製のバタークッキーですわ。姫様のお口に合って何よりでございます」
車内は完全に防音・防振結界が張られているため、外でセリアがどれだけ声を張り上げていようと、シルヴィの耳には「ぽわ〜ん」とした平和なクラシック音楽(エランが魔力で流しているBGM)しか聞こえていない。
しかし、御者席に座るロアンと、車内のエランには、外の状況が克明に把握できていた。
「……チッ。聖都の番犬どもが、狂犬のように吠え面をかいて立ち塞がっておりますな」
御者席から、ロアンが舌打ちをする音が聞こえた。
「姫様がご乗車されている馬車に向かって武器を向けるとは。エラン殿、ここは私が剣の腹で、あの銀髪の小娘もろとも城壁をなぎ払ってきましょうか?」
「ええ、許可しますわロアン。ただし、姫様の美しい瞳に血の雨を見せるわけにはいきません。五秒で終わらせなさい。……もっとも、あの小娘の口から出た『邪悪』などという不敬な言葉、私の魔法で魂ごと消し炭にしてやりたいところですが」
ロアンが背中の大剣『滅山』に手をかけ、エランが杖の先に致死量の魔力を圧縮し始めた、まさにその時。
「ん? あれ、馬車止まっちゃった?」
シルヴィがクッキーをくわえたまま、不思議そうに窓の外を見た。
そこには、自分たちの馬車に向かって、キラキラ光る剣を向け、物凄い形相で何かを叫んでいる銀髪の美人騎士の姿があった。
「あれ、もしかして検問かな? 聖都だから入るの厳しいのかなぁ」
「姫様、ご心配には及びません。あのような薄汚い障害物、すぐに私が『お掃除』いたしますので……」
エランが立ち上がりかけた瞬間、シルヴィは「だめだよ!」と慌ててその服の裾を引っ張った。
「お掃除って絶対物騒なやつでしょ!? だめ、せっかく平和に来たんだから、ちゃんと話せばわかってもらえるよ!」
シルヴィはエランを押し留めると、自ら馬車の重厚なドアノブに手をかけた。
外では、セリアが究極の聖魔法の詠唱に入っていた。
「大いなる光よ、我が剣に宿りて邪悪を討ち滅ぼす刃となれ! 喰らえ、夜の住人よ! 【聖絶十字剣】——ッ!!」
セリアの聖剣が太陽のように眩く発光し、今まさに馬車ごとロアンを真っ二つにしようと振り下ろされようとした、その瞬間。
ガチャリ、と。
馬車の豪奢な扉が開いた。
「あ、あのー! すみませーん! 何か通行証とか必要でしたかー?」
ひょっこり。
馬車の中から、金髪に透き通るような白い肌を持つ、深窓の令嬢のような絶世の美少女が、少し困ったような表情で顔を出した。
眩しい陽光が彼女の金糸の髪をキラキラと照らし、ルビーのような赤い瞳がパチパチと瞬きをする。その口元には、クッキーの食べかすが少しだけついていた。
その瞬間。
セリアの視界と、彼女の強靭な精神世界において、未曾有の大事故が発生した。
『通知:対象【特級聖騎士・セリア】に対し、パッシブスキル【真祖の威光】および【絶対的庇護欲】が極大出力で激突発動しました』
「——ッ!!?」
セリアは、振り下ろそうとしていた聖剣を空中でピタリと止めた。
いや、止めざるを得なかったのだ。
彼女の脳内で、これまで数十年かけて培ってきた教会の厳格な教義と、シルヴィから放たれるカンストした魅力の強制力が、正面衝突を起こして火花を散らしていた。
(な、なんだこの少女は!? この少女から、間違いなく吸血鬼の真祖の気配がする! 討たねば! 討たねばならない! 神の教えにおいて、魔は滅ぼすべき絶対悪!!)
(……しかし。しかし、見ろ。あの透き通るような肌を。あの無垢な瞳を。クッキーをくわえたまま首を傾げるあの愛らしい仕草を!!)
セリアの瞳孔が激しく収縮と拡大を繰り返す。
(あんなに儚く、美しい存在が、邪悪なはずがあるだろうか? いや、ない! 万が一にもあり得ない! もしあの少女が邪悪だと言うのなら、この世界を創った神の美的センスの方が間違っている!!)
(待て、私は今、神を否定したのか!? いや、違う! 違うぞセリア、よく考えろ!)
セリアの優秀な(そして残念な方向に回転の早い)頭脳は、わずか一秒の間に、教義を根底から覆す『独自の超解釈』を導き出した。
(そうだ! あの少女は吸血鬼ではない! あの神々しいオーラ、そして見ているだけで私の荒んだ心が浄化されていくようなこの感覚! これこそが、神の奇跡! あの少女は、神がこの地上に遣わした『大いなる光の御子』、いや『生きた女神』そのものなのだ!! 濃密な闇の気配に感じたのは、光が強すぎるゆえに落ちる影を私が誤認したに過ぎない!)
完全に、致命的な解釈違いであった。
しかし、ステータス【魅力】【カリスマ】のカンストによる強制力は、彼女のその狂った論理を「絶対の真理」として脳に刻み込んでしまった。
「あ、あのー? どうしました?」
シルヴィが心配そうにもう一歩、馬車の階段を降りて近づいてくる。
「あ…………ぁぁぁ……っ!!」
カランッ。
セリアの手から、教皇から下賜された国宝級の聖剣が、まるでガラクタのように石畳に投げ捨てられた。
「セ、セリア様!?」
後ろで構えていた聖騎士たちが驚愕の声を上げる中。
セリアは、ガクンッと両膝を地面につき、そのまま猛烈な勢いで前方へスライディングした。
ズザァァァァッ!! と甲冑が石畳を削る音を立てながら、シルヴィの足元のギリギリ数十センチ手前で急停止し、そのまま地面に額をめり込ませるほどの勢いで土下座の姿勢をとった。
「お、おおお、お待ちしておりましたぁぁぁ!! 我らが尊き聖女様ぁぁぁっ!!」
「……えっ?」
シルヴィはポカンと口を開け、手から食べかけのクッキーを落としそうになった。
「な、なんてことだ……! 私はあろうことか、神の遣いである貴女様に向かって、あのようなナマクラ(聖剣)を向けてしまうなど! この愚かなる目! この罪深き腕! 今すぐ自ら切り落として神への詫びといたします!!」
「いやいやいや! 切らないで! 腕は大事にして!!」
シルヴィが慌ててしゃがみ込み、セリアの肩を掴んで制止しようとする。
シルヴィの細く柔らかい手が肩に触れた瞬間、セリアは「ひぃんっ!」と謎の悲鳴を上げ、顔を真っ赤にして全身をガクガクと震わせ始めた。
「あぁっ……! 聖女様の御手が、私のこのような穢れた鎧に触れてくださるなんて……! 浄化される! 私の魂が、今、圧倒的な光によって洗濯されていきますわぁぁっ!!」
「あの、大丈夫ですか!? どこか痛いんですか!?」
「痛くありません! むしろ幸福で頭が破裂しそうです!! ああ、なんという慈愛! 私のような罪深き末端の騎士にまで、そのように温かいお言葉をかけてくださるなんて!」
セリアは涙と鼻水で美しい顔をぐしゃぐしゃにしながら、シルヴィの足元にすり寄るようにして懇願した。
「どうか! どうかこのセリアに、貴女様の御靴の裏を舐めさせてください! それが私にできる最大の贖罪です!!」
「絶対にダメだから!! 舐めないで!! 汚いから!」
「なんという思いやり! 自分の靴の裏よりも、私の舌の衛生を気遣ってくださるとは!! どこまでも尊い!!」
完全に会話が成立していなかった。
背後で見ていた数十人の聖騎士たちは、教団最強で最も冷酷と言われたセリアが、見知らぬ少女の足元で犬のようにすり寄り、歓喜の涙を流している光景に、完全に脳の処理が追いつかず石像のように固まっていた。
「チッ。どこの馬の骨かと思えば、ただの狂人でしたか」
御者席からロアンが冷たい視線を下ろし、馬車から降りてきたエランが呆れたようにため息をついた。
「姫様、あのような狂信者に関わっては姫様の玉肌が穢れます。私が燃やしておきましょうか?」
「だから燃やさないで! この人、たぶんすごく偉い騎士さんだよ!」
シルヴィが必死にセリアを庇うと、セリアはパッと顔を上げ、ロアンとエランを鋭く睨みつけた。先ほどまでのデレデレの顔から一転、修羅のような形相である。
「貴様ら! 聖女様に向かって気安く口を利くとは何事だ! 獣人とエルフ風情が、聖女様の御前を歩くなど万死に値するぞ!」
「なんだと小娘? 姫様の第一の盾であるこのロアンに向かって、吠えたな?」
「第一の盾? 笑わせないでくださいなロアン。姫様の専属魔術師であり、最高の理解者はこのエランですわ。そこの甲冑女、貴方こそ姫様の視界から消えなさい」
ロアンが大剣を抜き放ち、エランが杖を構え、セリアが聖剣を拾い上げて聖なるオーラを全開にする。
城塞都市の入り口で、大陸最高峰の戦士(獣人)、精霊使い(エルフ)、聖騎士(人間)による、世界を巻き込みかねない三つ巴の戦闘が勃発しようとしていた。
「えっと……なんでこうなるの!?」
原因が自分のパッシブスキルにあるとは夢にも思っていないシルヴィは、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「もうやだ……みんな仲良くしてよぉ……。私、普通に街に入って、美味しいもの食べたいだけなのにぃ……」
シルヴィの赤い瞳に、ほんの少しだけ涙が浮かんだ。
その瞬間。
「「「————ッ!!!」」」
殺気を放ち合っていた三人の猛者たちが、見えない巨大なハンマーで殴られたかのように一斉に動きを止めた。
「ひ、姫様が……姫様が困っておられる……! 俺たちの醜い争いのせいで!」
「ああっ、なんという失態! 私としたことが、姫様の平穏を自ら乱してしまうなんて!」
「せ、聖女様の悲しむお顔……! これはいけない、神への最大の反逆だ!!」
三人は瞬時に武器を放り投げ、シルヴィを囲むようにして綺麗に三角形の陣形で土下座した。
「申し訳ありません姫様!」
「お許しください私の女神様!」
「この命に代えても聖女様を笑顔にいたします!」
三人の息の合った謝罪に、シルヴィはポカンとしながらも、ホッと胸を撫で下ろした。
「う、うん。わかってくれたならいいの。みんな仲良くね?」
「ははっ!!」
ロアン、エラン、セリアの三人は、互いにバチバチと火花を散らす視線を交わしながらも、シルヴィの言葉には絶対服従を誓い、ガッチリと(骨が砕けそうなほどの力で)握手を交わした。
「ふん、新入りの小娘。姫様のお世話の仕方は、私が一から叩き込んでやりますわ」
「誰が新入りだエルフ。私は聖女様によって選ばれた『真の護衛』だ。貴様らのような野蛮な連中とは格が違う」
「二人とも、俺の背中についてきな。姫様の歩く道の露払いは俺の仕事だ」
「みんなで仲良くねって言ったのに……」
シルヴィの虚しいツッコミをよそに、教会の最強聖騎士セリアは教義を完全に投げ捨て、あっさりとシルヴィの狂信的な従者(三人目)としてパーティーに加わってしまった。
吸血鬼の姫が、聖騎士を従えて聖都に凱旋するという、歴史上類を見ない異常事態。
聖都アイギスの城門は、聖騎士たちの先導により、当然のように「顔パス」で開け放たれた。
シルヴィの壮大な勘違いと絶対的姫プの旅は、ついに宗教の総本山すらも飲み込み、さらなるカオスへと加速していくのだった。




