第11話:聖都への長旅と過剰な護衛
城塞都市グランヴェールの正門前は、朝から異様な熱気と、むせ返るような男たちの号泣に包まれていた。
「うおおぉぉんっ! 姫君ぃぃ! 本当に行っちまうんですかい!!」
「俺たちの命に代えても、このグランヴェールに一生お引き止めしたかった……! しかし、姫君の気高き旅路を邪魔することなど、俺たちにはできねえ!」
「姫君の無事の旅を祈って……ギルド一同、万歳!! 女神様万歳!!」
「万歳! 万歳! 万歳!!」
数百人のいかつい冒険者たちが、石畳の地面に額を擦りつけ、あるいは天を仰いで滝のような涙を流している。
その中心で、ギルドマスターのヴァンは顔の恐ろしい刀傷をくしゃくしゃに歪ませ、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、一枚の巨大な羊皮紙を掲げていた。
「姫君……! このヴァン、姫君の御出立に合わせて、ギルドの精鋭百名からなる『姫君絶対守護・先行露払い部隊』を編成いたしやした! 彼らに街道の魔物と盗賊を根こそぎ殲滅させ、姫君の歩む道を無菌状態に……!」
「いらないから! 絶対にいらないからねヴァンさん!」
シルヴィは慌てて両手を振り回し、ヴァンの恐ろしい提案を全力で却下した。
「私、ただ聖都アイギスっていう大きな街を見てみたいだけだから! 大げさな軍隊みたいなのを引き連れて歩いたら、それこそ目立っちゃうでしょ!?」
「お、おおお……」
ヴァンは雷に打たれたように硬直したかと思うと、さらに激しく涙を噴き出した。
「なんという奥ゆかしさ! 権力や武力に頼ることなく、あくまで一人の旅人として世界を見聞しようとされるその姿勢! ああ、やはり姫君は真の王者の器であらせられる……!」
「マスターの言う通りだ! 俺たちの汚い血で、姫君の旅路を穢すところだった!」
(全然話が通じてないけど、ついてこないならそれでいっか……)
シルヴィは引きつった笑いを浮かべながら、ペコリとお辞儀をした。
「それじゃあ、皆さんお世話になりました! いってきます!」
シルヴィの背後には、ロアンとエランが直立不動で控えている。
二人はギルドの冒険者たちに向けて、「我らが姫様の護衛は、我々二人だけで十二分である。貴様らのような下賎な輩がぞろぞろとついてくれば、姫様の御前が泥臭くなるだけだ」という強烈な殺気と優越感に満ちた視線を放っていた。
さて、グランヴェールを出発し、人間族の最大拠点の一つである『聖都アイギス』へ向かうことになったシルヴィ一行だが、ここで一つの大きな問題があった。
それは言うまでもなく、シルヴィの体力と敏捷が「1」であるという、絶望的なステータス問題である。
徒歩で向かえば、最初の数キロでシルヴィが過労で倒れることは明白。
そこでロアンとエランが用意したのが、現在シルヴィの目の前に鎮座している『乗り物』であった。
「さあ、姫様。どうぞご乗車ください」
エランが優雅に手で示した先にあるものを見て、シルヴィはポカンと口を開けた。
「……エランさん。これ、馬車……なの?」
「はい。姫様の長旅の御負担を少しでも減らすため、私とロアンが昨夜のうちに金に糸目をつけず(ギルドの金庫も少し借りましたが)、街の最高級の職人たちを叩き起こして作らせた特注品の馬車ですわ」
それは、馬車というより『車輪のついた動く王族の寝室』だった。
外装は最高級の黒檀で組まれ、随所に純金の装飾が施されている。窓には不純物の一切ないクリアなクリスタルガラスが嵌め込まれ、内装には赤を基調とした極上のベルベットのソファーベッドが広がっていた。
さらに、馬車を引くのは、王室御用達の牧場から無理やり買い上げてきたという、見事な白馬(しかも魔力を持った神馬の血を引くらしい)が四頭立てである。
「す、すごすぎる……。でも、馬車ってすごく揺れるって聞いたことがあるよ? 私、体力ないから車酔いしちゃうかも……」
シルヴィが不安そうに言うと、ロアンが豪快に笑い声を上げた。
「ハッハッハ! ご心配には及びません、姫様! この馬車には、エラン殿の至高の魔法が組み込まれておりますゆえ!」
「魔法?」
「ええ」
エランが杖を軽く振ると、馬車の車体と車輪の繋ぎ目あたりが、淡いエメラルドグリーンの光に包まれた。
「『風精霊の絶対クッション』ですわ。車輪が地面の石や段差を拾っても、その衝撃が車体に伝わる前に、無数の極小の風精霊たちが衝撃を完全に殺し、相殺します。つまり、姫様がお座りになる車内は、常に空中に浮遊しているのと同じ『揺れゼロ』の空間が維持されるのです」
「ゆ、揺れゼロのサスペンション……! ファンタジー世界なのに最新の高級車以上の乗り心地だ……!」
「さらに、車内の温度と湿度は常に私が最適に保ちます。姫様はただ、ふかふかのソファーで紅茶を楽しみながら、窓の外の景色をご堪能いただければよろしいのですわ」
至れり尽くせり、という言葉すら生ぬるい。
もはやシルヴィを人間としてダメにするための最終兵器であった。
「あ、ありがとう……。なんか、二人には苦労かけっぱなしだね」
「とんでもない!」
ロアンとエランは同時に膝をついた。
「姫様の健やかなる旅をお支えすることこそ、我々の無上の喜び! さあ、出発いたしましょう!」
こうして、シルヴィを乗せた超高級・完全防振・恒温恒湿のオーバーテクノロジー馬車は、グランヴェールの街を出発した。
御者席にはロアンが座り、手綱を握っている。もっとも、白馬たちは背後から放たれるロアンの凄まじいプレッシャー(姫様を少しでも揺らしたらミンチにするぞという無言の圧)により、自ら完璧な足並みとルート計算で走っているため、手綱を引く必要すらなかった。
エランは車内でシルヴィの向かいに座り、お湯を沸かして最高級の紅茶を淹れている。
街道の旅は、驚くほど平和だった。
窓の外には、のどかな平原や、遠くの山々が流れていく。
「わぁ、いい景色……。本当に揺れないんだね。紅茶の水面が全く波立ってないよ」
シルヴィは、エランの淹れてくれたティーカップを両手で持ちながら、感嘆の息を漏らした。
「姫様にお褒めいただき、精霊たちも喜んでおりますわ」
エランが嬉しそうに微笑む。
だが、この平和な旅路は、ある意味で異常だった。
グランヴェールから聖都アイギスへと続く街道は、長く険しい。道中には魔物が多数生息するエリアや、山賊・盗賊が根城にする危険な峠越えがいくつも存在する。
本来であれば、冒険者の護衛を何人も雇い、常に武器を握りしめて緊張を強いられる命がけの旅である。
なぜこんなにも平和なのか。
理由は二つあった。一つは、ギルドマスター・ヴァンの裏クエストを受けたギルドの精鋭たちが、夜を徹して街道の『前半部分』の魔物を文字通り根絶やしにしていたからだ。
そしてもう一つ。街道の『後半部分』、つまり盗賊たちの縄張りにおいて、今まさに悲劇(盗賊側にとっての)が起ころうとしていたからである。
馬車が、切り立った崖と鬱蒼とした森に挟まれた、薄暗い峠道に差し掛かった頃だった。
「お頭! 来やしたぜ! 報告通りの、目ん玉が飛び出るほど豪華な馬車です!」
崖の上に隠れていた、柄の悪い男が、身を乗り出して下の街道を指差した。
「ヒャハハハッ! マジだぜ。あんな成金丸出しの馬車で、この『ブラッディ・ベア盗賊団』の縄張りを護衛もつけずに通ろうってのか? 舐められたもんだ」
盗賊団の首領である大男が、下卑た笑いを浮かべながら巨大な戦斧を肩に担いだ。
「御者席にデカい獣人が一人いるが、たかが一人だ。車内には間違いなく、金と宝石をたっぷり抱えた間抜けな貴族の令嬢でも乗ってやがるんだろうぜ。野郎ども、身ぐるみ全部剥がしてやれ!!」
「「「オオォォォォッ!!!」」」
数十人の武装した盗賊たちが、一斉に崖からロープで降り、あるいは森の茂みから飛び出し、街道を完全に塞ぐ形で馬車の前に立ち塞がった。
「止まれェッ!! 命が惜しくば、馬車の中の金目のものを全部……」
盗賊の首領が、テンプレ通りの脅し文句を叫ぼうとした、その瞬間だった。
馬車の中で、窓の外の景色をのんびり眺めていたシルヴィの瞳に、武器を構えたむさ苦しい男たちの姿が映った。
「あ、危な……!」
シルヴィが「危ない人がいるよ」と警告を発しようと、口を開きかけた、まさにその【0.1秒の隙間】。
シルヴィのその小さな焦りの声と、表情の微かな変化を、御者席のロアンと車内のエランの超感覚が同時に、かつ克明に捉えた。
パッシブスキル『絶対的庇護欲』が、二人の脳内で限界突破の警報を鳴らす。
——姫様が、外のゴミどものせいで、不安を感じられた。
「……万死」
御者席に座っていたロアンの姿が、ふっと掻き消えた。
いや、消えたのではない。馬車の進行速度を一切落とさず、かつ馬車に微塵の反動も与えない神業的な身のこなしで、空高く跳躍したのだ。
「え?」
盗賊の首領が、突然視界から消えた御者の獣人を探そうと上を向いた。
そこには、太陽を背にして、赤黒い闘気を全身から噴出させるロアンが、愛用の大剣『滅山』を大上段に振りかぶっている姿があった。
「我が姫君の視界を汚す、薄汚い害虫どもがァァッ!!」
ズバァァァァァァァァァァァンッ!!!!
ロアンが空中で放った極大の剣圧が、暴風の刃となって街道に叩きつけられた。
それはもはや剣の軌道というより、局地的な災害だった。
街道の石畳が爆散し、数十人の盗賊たちは悲鳴を上げる間もなく、その凄まじい衝撃波によって木の葉のように空高く吹き飛ばされていく。
「な、なんだこりゃあぁぁぁぁっ!?」
首領の男は、自分の体が宙を舞い、全身の骨がミシミシと悲鳴を上げているのを理解できないまま絶叫した。
だが、彼らの地獄はそれだけでは終わらなかった。
「姫様の美しい瞳に、野蛮な男たちの姿を映すなど……私が許しませんわ」
車内で紅茶のカップを片手に持ったまま、エランが空いたもう片方の指先で『パチンッ』と軽快な指鳴らし(スナップ)をした。
瞬間。
空中に吹き飛ばされていた数十人の盗賊たちと、彼らが潜んでいた崖、そして周囲の森の一部が、エランの放った『極大連鎖爆炎魔法』によって、一斉に真っ白な業火に包まれたのだ。
ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
鼓膜が破れんばかりの轟音。
空気を震わせる凄まじい爆発。
ロアンの剣圧とエランの魔法の完璧なコンビネーションにより、盗賊団はおろか、彼らが立っていた山の一部が文字通り『更地』へと変貌してしまった。
「…………へ?」
馬車の中で、シルヴィは目を丸くして窓の外を見つめていた。
彼女が「あ、危な」と言いかけてから、わずか数秒の出来事である。
突如として窓の外がピカッと真っ白に光り、鼓膜を揺るがす轟音が鳴り響いたかと思うと、先ほどまで見えていた山の一部が消し飛び、猛烈な煙と土埃が空高く舞い上がっていたのだ。
「えっ……なに? 今のすごい音と光……」
シルヴィが驚いて首を傾げる。
当然、馬車の『風精霊の絶対クッション』と『防音結界』のおかげで、車内には爆風も振動も一切届いていない。紅茶の水面すら揺れていない。
御者席にふわりと着地し、何事もなかったかのように手綱を握り直したロアンが、窓越しにシルヴィに向かって優しく(そして少し困ったように)微笑みかけた。
「申し訳ありません、姫様。少しばかり外の風が強かったようで、土煙が舞ってしまいました」
「いや、土煙ってレベルじゃなかったよ!? なんか山が爆発したみたいだったけど!」
すると、向かいに座るエランが、優雅に紅茶を啜りながら静かに口を開いた。
「ご安心くださいませ、姫様。あちらの山は、自然発火による山火事、あるいは地脈の乱れによる小さな水蒸気爆発でございますわ。このルクスヴェル世界では、よくある自然現象です」
「よ、よくあるの!? 山が一つ吹き飛ぶのが!?」
「ええ。大自然は時として牙を剥く、恐ろしいものです。しかし、姫様のいらっしゃるこの馬車の中だけは、私が命に代えても平和をお守りいたします。ですから、外の薄汚い景色など気にせず、どうぞ美味しいお茶菓子をお召し上がりくださいませ」
エランが完璧な作り笑いで、ワゴンから色鮮やかなマカロンを取り出して勧める。
シルヴィは窓の外でくすぶる黒煙と、すっかり地形が変わってしまった街道(ロアンが即座に平坦に踏み固めた)を見ながら、引きつった笑いを浮かべた。
「そ、そっかぁ。異世界の自然って、すごくダイナミックなんだね。山火事、多いんだなぁ……」
シルヴィのその呑気な勘違いの言葉を聞いて、ロアンとエランは密かに胸を撫で下ろした。
(危なかった。あのような下等な盗賊どもの姿を姫様に認識させてしまえば、姫様のお心を波立たせてしまうところだった)
(ええ、姫様はあまりにも純真で心お優しい。あのようなゴミ屑でも、怪我をすれば心を痛められてしまう。姫様には、この世界の汚い部分は一切見せる必要はありませんわ)
彼らの脳内では「シルヴィ=守るべき絶対の聖域」という図式が完全に出来上がっており、そのためなら地形の改変すら厭わないのである。
「うん、美味しい! このマカロン、すごく甘くてサクサクしてる!」
シルヴィがマカロンを頬張り、幸せそうに目を細めた。
その天使のような笑顔を見た瞬間、ロアンとエランの心臓が「ドクンッ!」と跳ね上がり、先ほどの殺戮の余韻など一瞬で消え去って、強烈な多幸感と絶対的庇護欲の波に飲み込まれていく。
「あぁ……姫様のその笑顔を拝見できるなら、私は山を百個消し飛ばしても構いません……!」
「エランさん、今なんか物騒なこと言わなかった?」
「いえ、姫様の笑顔は百の宝石にも勝る、と申し上げたのですわ」
こうして、シルヴィの知らないところで数十人の盗賊団が完全消滅するという些細な(?)事件を乗り越え、超高級馬車はただひたすらに平和で快適な旅を続けていく。
ステータス「1」の最弱吸血姫を乗せた馬車が、いよいよ人間族の最大拠点、教会の総本山である『聖都アイギス』の巨大な城壁をその視界に捉えるまで、あとわずかの距離に迫っていた。
そこには、吸血鬼を絶対に許さない狂信的な聖騎士たちが待ち受けているはずなのだが——シルヴィの圧倒的な『姫プ』の威光の前に、彼らの教義がどれほど無力であるか、世界はまだ知る由もなかった。




