第二章 4
わざわざ親切に通報してくれた谷野が申し訳無さそうに言った。
「すみません。あたし、間違えたみたいですね。こんな夜中に若い女の子を呼び出してしまってごめんなさいね」
「いいんです。だって、本当に、うちの子と似ているもの。あたしも、パッと見た時、ジュリかと思っちゃいました」
きっと飼い主でないと見分けが付かないだろう。
「そういえば、夕方、これに似た猫がバイクに轢き逃げされて道端で死にかけていたな。立て続けに似たような猫が危害を加えられてるみたいなんだ。犯人を牢屋にぶち込んでやりたいよ」
獣医が凛々しい顔で憤っている。由布子も猫への虐待に対して拳を握り締めて考え込んでいた。
相変わらずジュリの消息は不明なままである。
猫を苛める奴等もいるから心配だ。早く、ジュリを見つけたい。
駐車場やゴミ捨て場。
懐中電灯で照らしながら歩き回っていく。
不安な気持ちが心由布子を揺らす。泣き出したくなる気持ちを抱えたまま、あてもなく歩き回っていく。
「ジュリ、どこにいるの? 返事をして。ねぇ、どこなの?」
街灯が少ない裏路地。小さな工場の空き地。狭くて細い道に沿った区域は空き家が多くなってきた。開発予定地なので、住人の大多数が立ち退きをしている。
築五十年の空き家の庭の生け垣を覗き込む由布子に対して二人の若者が忍び寄っていたのだ。それには気付けないまま、由布子は猫がいないか目を凝らす。
「よう、何をしてんだ?」
急に後ろから低い声で呼ばれてビクッとなる。
「あの、怪しい者ではありません。迷子の猫を探してます」
振り返ると、首にお洒落なタトゥーを入れた若い男と、眉毛のないスキンヘッドの若い男が立っていた。彼らの目つきは澱んでおり、吐く息からは酒の臭いが漂ってくる。
「あの、実は、キジトラの雄猫を探してます。見かけませんでしたか?」
タトゥー男がヘラッと笑みを浮かべた。
「ああ、それなら見たかもな」
由布子の肩に触れようとしたので身を引いた。
悪寒が走り、咄嗟に振り払う。
「やめて下さい」
「いいじゃないか。カラオケに行こうぜ~ 君、可愛いね。お兄さん達と遊ぼうよ」
タトゥー男が由布子を逃がすまいと顔を覗き込むと、眉なし男か由布子の腕を掴んだ。
「いやいや、そんなところより、ホテルに行こうぜ。三人で楽しもうぜ」
「ちょっと、放して下さい」
由布子よりも少し年上の不良達は酒に酔っている。タトゥー男が、由布子を肩に担いで無理やり連れ去ろうとする。
「やだーーーー」
このままだと、何をされるか分からない。暗闇の中、由布子はゾッとした。すると、そこに救世主が現れた。
「おい、おまえ等、何をしてる!」
夏目朱里だった。電光石火の勢いで朱里が走ってきたかと思うと、タトゥー男の背中に回し蹴りを入れた。
「きゃっ」
その弾みで由布子は地面に投げ出される。
眉なし男が怒り狂って襲いかかるが、朱里の鋭い蹴りが彼の顔面に炸裂した。タトゥー男は完全に失神。眉なし男はビビッて逃げている。
「おまえ、なんで一人で出歩くんだよ!」
「だって、ジュリが行方不明なんだもの。あの子を見つけてあげたいの」
「だからって、こんな暗い場所に来るなよ。馬鹿野朗!オレがここに来なかったら、どうなっていたと思うんだよ」
「あなたのおかげで助かったわ」
「そう思うなら、この後、僕のお尻を叩いて欲しいニャン☆」
「はぁ?」
朱里は可笑しそうにブハッと吹き出した。
「冗談だ。オレは、もう、ああいう馬鹿っぽい状態にはならないような気がする。いやぁ、治って良かったわ」
「そ、そうなんだ」
その時、二人は、今にも崩れそうな廃屋の前を歩いていたのだが、遠くでニャーというか細い声が聞こえたような気がして立ち止まる。
この近くにジュリがいるのだろうか。おや、ゴミ捨て場で何が動いている。
「あっ」
目が光っていたので由布子が近寄ろうとすると黒い塊が動いた。猫だ。朱里と由布子の目の前を黒猫の親子が走り去っていく。朱里が呆けたような顔で言う。
「……キキ?」
黒猫は、子猫を咥えたままサーッと廃屋の門柱の奥へと駆け込んでいる。
「馬鹿だな、キキが生きてる訳がないよな。生きていたとしたら、キキは十六歳だな」
そう言いながらも、後ろ髪を引かれるようにして、黒猫が消えた廃屋の奥を見つめている。
「もしかして、昔、飼ってた黒猫に似てたの?」
「ああ、でも、黒猫ってどれも同じ顔をしているからな」
朱里は苦笑しているけれども、その顔は悲しげだ。
(よっぽど、キキのことが好きだったんだね)
由布子と朱里は細い道を並んで歩く。すると、その脇の家からは妙な臭いがした。生ゴミのような嫌な臭いにうんざりしたので、二人とも早歩きをしていく。
「うわ、今にも崩れそうな古い家だな」
朱里の言葉に由布子も頷く。
「ほんとだね。お化け屋敷みたい」
空き地にベンツが待っている。早く帰ろうぜと朱里に促されて足早に進む。
☆
ニャニャ。
偶然にも、荒れ果てたゴミ屋敷の奥深い場所で、猫のジュリはうずくまっていた。
家の外から由布子の声が微かに聞こえたような気がして目をパチッと開いた。
「ジュリ、どこにいるの?」
やはり、そうだ。由布子の声が風に乗って聞こえてきたのでジュりは目を輝かせる。猫は耳がいい。
なんと、ゴキブリやカメムシの足音さえも聞き分けることができる。愛しい由布子の声が聞こえる。
ジュリの胸は高鳴るというのに由布子の足音は次第に遠ざかっていく。
この家にはエアコンもなく、隙間風が吹き込む底冷えがして居心地が悪い。
『由布子、愛してるニャーーー』
ジュリの叫びは声にならない。体力の限界で、ゲージの中で弱々しく声を上げるしかない。
廊下では、一人暮らしの痩せ細った老人が倒れている。彼は行き倒れていたジュリを拾ってくれた恩人だ。そんな老人を心配そうに見つめる先住猫たち。
『猫じぃ、息が苦しそうだニャ』
オスの三毛猫が言う。それに対して、彼の母親である白猫が心細げに鳴いた。
『目覚めておくれよ。猫じぃ、おなかがすいたよ。ごはん、ちょうだいニャ』
カリカリの残りを食べ尽くしてしまった先住猫たちも、不安を隠せない。
(みんな不安そうにしてるニャ……。どうすればいいかかニャ?)
ジュリは焦る。この四日間、ずっとここにいる。時折吹く強い風の音がやけに響く。
『由布子ーーー。おいら、ここにいるニャーーー。猫じぃが死にそうだニャ。何とかしておくれよーーー』
しかし、由布子は車に乗って行ってしまった。
ジュりは、犬の遠吠えのようにアオーンと哀し気に訴えたのだった。




