第二章 3
「お母様、乱暴な真似はやめて欲しいニャン。この子は僕の妻だニャン。もうすぐ、子供も生まれるニャン」
「な、なんですって……」
由布子は青ざめる。方子は別の意味で狼狽している。
「ま、まさか……、学生で結婚もせず妊娠させたのかしら! ああ、汚らわしい!やはり、あの女の穢れた血が入っているのね。だから、母親と同じようにふしだらな娘に惹かれるのですか!」
「由布子はお友達だニャーン」
甘えるように肩に頬を寄せてスリスリする。由布子、眩暈。
(ああ、このタイミングでスリスリするなよ。うざいな)
方子は顔を引き攣らせ、詰問する。
「瀬戸由布子さん。あなたの妊娠を家族はどう思っておられるのかしら」
朱里は陽気に答える。
「違うニャン。由布子は妊娠してないニャン」
「あら、あなた、先刻この娘を妻だと言ったじゃないの?」
「僕の妻はこにいるニャン。尻尾が長い優雅な美女だニャン☆」
朱里は座り込み、猫のエリザベスの耳を撫でる。
「よしよし。おまえは妊婦さんだ。もうすぐママになるニャン。僕の子を生むニャン」
由布子はまさかの思いでエリザベスの腹をさする。
「うっそー。エリザベス、妊娠してるの?」
妊娠初期かも。さすが猫王子。方子は怒り心頭、震える。
「な、なんですって!孕んでいたなんて、いやだ。猫を処分するのよ。坂元、早くなさい!」
坂元は冷静そのもの。鉄壁のポーカーフェイス。
「奥様、こちらの猫は朱里様の私物です。勝手に処分はできません。坊ちゃまは御乱心中ですので刺激は厳禁」
「フンッ。坊ちゃま……? こんな子、夏目家の次期当主にふさわしくないわ。見なさい、この馬鹿面を」
坂元が方子を一瞥するが方子は気にしない。
「構うもんですか!汚らしい女が産み捨てた子……人前でお継母さんと呼ぶのもやめて!ほんと苛々するわ!」
赤裸々に毒を吐きつつ涙を浮かべる方子。
「その猫も、私への嫌味ね。猫は簡単に赤ん坊を産めるのに、私は産めない……」
朱里は無邪気にエリザベスを抱き、高い高いしてはしゃぐ。猫憑き男子そのもの。
「坂元!もういいわ。この馬鹿息子と猫を早く追い出すのよ」
三井がいつの間にか猫のゲロを拭いていた。坂元は方子の肩をさすり宥める。執事と奥様にしては距離感が近すぎるが、三井も朱里も気にしない。
「三井!そのカーペット高かったのよ!」
「奥様、申し訳ございません……」
土下座する三井を、坂元がスマートにフォローしている。
「明日、カーペットは交換します。坊ちゃま、そろそろお帰り下さい」
☆
由布子と連れ立って本館を出た後、朱里が呟く。
「ふう、やれやれ、疲れた」
「えっ、また元に戻ったの?途中、馬鹿になってたじゃん」
「いや、あれは馬鹿のフリだ。方子さんに妊娠話は御法度だから」
「なんで?」
「あの人、流産して二度と産めない身体だからだ」
「夏目さん、継母と仲悪そうだね」
「別に嫌ってないよ」
「えーー、あんなに憎たらしい顔で嫌味言ってるのに?」
「少なくとも、オレを産んだ女よりはマシだよ」
奇妙な哀しみが滲む。
「どういう意味?」
「オレを産んだ女は幼い子を置き去りにして遊び回る女で……幼いオレはいつも腹ペコだった。惨めだった。みんなには優しい母さんがいるのに、なんでオレは愛されないんだろうって思った」
こめかみを押さえ、疲れたように呟く。
「眠いな……。もう寝るわ。エリザベスは心配ないさ。ここに置いとけば、遺産目当てから守れる」
「でも、方子さんがこっそり……」
「あの人はそこまで悪くない」
朱里は寂しそうに尋ねる。
「おまえ、七歳年上の兄と二人暮らしだって?親は?」
「母さんは一年前に亡くなった。父は子供の頃に」
幼少期の思い出を語る由布子。
「あたし、冬に母さんに抱きついて寝てた。猫を抱く感覚と似てるかも……母が死んだ時も、ずっとジュリを抱きしめてた」
「猫ってあったかくて柔らかいよな」
そう言うと、彼は自室へ向かった。ふと、気づいた。由布子のスマホにメッセージが入っている。
『迷い猫のジュリによく似た猫が公園のベンチに倒れています』
夜も遅いが、由布子はそっと夏目家を抜け出す。ジュリに会いたい。
赤信号。横断歩道の向こうは大きな公園。逸る気持ちを揺らしながら夜道を歩き続ける。
☆
午後十時。公園のベンチに数名の大人。地域猫に餌を与える人々だ。獣医の女性が猫を検診している。
「この猫、かなり衰弱しているね。何があった?」
「繁みの奥で血を吐いて倒れてました」
若い女性が泣きそうな顔でキジトラ猫を見下ろす。
「迷い猫のジュリちゃんです。先刻飼い主に連絡したので、すぐ来るはずです」
メールをくれたのは会社帰りの谷野。猫好きでインスタにも写真多数。
獣医と谷野が話す中、由布子が現れた。
「ジュリが見つかったの?」
猫はぐったりしていた。どうも、これは朱里ではないようだ。去勢した印が耳に刻まれている。
「似てるけど、うちの子じゃない。赤い首輪してるし、身体も大きいですね」
「毒団子みたいなものを食べて、死にかけてる。他の猫もフラフラなんだ」
「ひどい……」
獣医は残念そうに抱き上げている。
「この子、もうじき死ぬだろう。クリニックに連れて帰って看取るよ」




