第二章 2
「この子、僕の知り合いのおばぁちゃんの飼い猫なんだけど……、おばぁちゃん、三日前に死んだの。僕、すぐにこの猫を飼いたいんだけど、マンションだから無理で……。半年後に田舎に引っ越す予定なんだ。そしたら飼えるけど、それまで預かってくれる人を探してるんだ」
「どれどれ……?」
覗き込んだ瞬間、ジュリかと思った。
「ジュリー!」
抱き上げて涙ぐむ。でも、何か違う。
残念ながらジュリではなかった。オスではない。
「そっか、この子、女の子なんだね」
男の子は小学生。竜馬だと名乗った。
「この子、エリザベスだよ。二歳になったばかりなんだ。僕、学校帰りに毎日おばぁちゃんの家で遊んでた。誰かに預けたいんだけど、なかなかいい人が見つからないんだ。学校の友達も、みんな駄目って……」
期間限定というのが逆にネックらしい。竜馬は小さくボソッと漏らした。
「ママは飼いたくないみたいなんだ」
「ママ、猫嫌いなの?」
「ううん、好きだよ。でも、エリザベスを引き取った人はおばぁちゃんの遺産、四百万円もらえるみたいなんだ。でもそれを聞いたおばぁちゃんの親戚が、ママを脅したの」
遺産を横取りするつもりなら猫を殺す、と喚いたらしい。竜馬は怖気づいたという。
「だから、僕がエリザベスを守るんだ。でも今は飼えないし、どうしたらいいか分からない……」
この三日間はペットホテルに預けていたが、もう限界だという。
由布子は考えるより先に口にした。
「それなら、あたしが預かろうか?」
「ほんとにいいの?」
「うん。あたしが守る。電話番号も教えるね」
竜馬は白い歯を見せて笑った。
☆
エリザベスは二歳の成猫。キジトラでジュリと同じ柄だ。
ダンボールを抱えて帰宅しながら、由布子は思う。
(竜馬君、しっかりしているように見えて、まだ子供だ……もし私が悪い人だったら? 横取りしたり、遺産目当ての人に渡したりとか考えないんだ……)
竜馬の無垢な瞳を思い返すと、胸がキュンとした。
(エリザベスのことは、あたしが守る)
夏目家の別館に戻ると、早速、朱里が眉を寄せて問い詰める。
「おい、これがジュリなのか?」
「違うよ、この子はエリザベス。一時預かりを申し出たの」
簡単に説明すると、朱里は呆れ顔で言った。
「言っとくが、うちは猫厳禁なんでぞ」
「なら、あたしはアパートに戻るわ。本当は、ここにいたくないんだから。よしよし、エリザベス、あんたも嫌よね? うちのジュリに似てる……」
膝の上で背中を撫でると、ジュリへの想いが込み上げてくる。
朱里はどこか遠い目をしていた。
「三日前、オレは雑巾みたいな色の猫を助けた。それは覚えてる」
朱里が抱えていなければ、ジュリはワゴン車に轢かれて死んでいた。目撃者によると、ジュリは脚を引きずって逃げたらしい。
「まさか、おまえの猫はもう死んでたりしないよな?」
「ジュリは生きてる」
ムキになって言い返す。
「きっと、どこかに隠れて、迎えに来てくれるのを待ってるの」
思うだけで泣きそうになる。
「あの頃のジュリは小さかった。モコモコで毛玉みたい。薄幸の美少女みたいに見えたの。金玉なんて想像もしてなかったわ」
「あの子、生後二週間ぐらいの時、母猫とはぐれて道端でカラスに狙われてた。ミルクも手であげたの」
「外に出さないと、ジュリは夜中に泣き喚くのよ。八つ当たりで兄のクローゼットに入って服をビリビリに……仕方なく外に出してたの」
兄が初任給で買ったスーツはズタボロだ。
『オーダーメイドなんだぞ!どうしてくれる!』
ジュリは極度の男嫌い。若い男に虐められたトラウマかもしれない。
「天ぷらやトンカツを揚げるとき、危ないから来たら駄目って言うと聞くの。人間の言葉が分かってるみたい。賢い子なの。ジュリの好きなように外に出してたの」
朱里が気づく。
「ところで、エリザベスはどこにいる?」
「ダンボールの中にいるはずだけど……」
どこにもいない。廊下にもベッド下にも……。
(庭に出たの? 危ない!)
「いや、外には出られない。この屋敷は高い塀で囲まれている。センサーもあるし」
しかし、姿が見えない。焦りが募る。
車庫前で立ち竦むその時——。
「きゃーーーー!こんなところに猫が!坂本、早く殺して!」
由布子の耳に叫び声が届き、凍りつく。
朱里も慌てる。
「やべぇな、エリザベスが本館に迷い込んだのか?」
リビングに飛び込むと、方子とエリザベスがいた。
「坊ちゃま、この猫は?」
捕獲した坂元が告げる。
「坂元、この子に無礼は許さない。放せ」
渋い顔の執事の坂元が動き出す。
「奥様は猫アレルギーです。今すぐ始末せねば」
「生き物を殺すのはダメ」
「いいえ、この汚い猫、私が成敗します」
わなわなと震えながら方子はゴルフクラブを握っている。
(うっそー。猫を叩く気!? こわ……)
エリザベスは背中を丸め、ウグッウグッとえずく。
「執事さん、その子、放して!」
坂元も異変に気づき、床に下ろした。
(お願い、こんな豪華な部屋で吐かないで……)
案の定、盛大に吐き散らす。ソファとペルシャ絨毯が悲惨なことになっている。オーマイガッ。
「ゆ、許しませんーーー!」
「やめてください。この子に罪はない。あたしの責任です」
朱里は方子のクラブを強引に奪い、微笑みながら継母の暴力を封じ込める。
しかし次の瞬間、ヘナッと馬鹿面になったのだ。
(何なの、この変化は……?)




