第十二章 6
『おまえがいないと寂しい』
朱里は寒さに震えながら静かに泣いていた。
『オレ、おまえの顔を見たい』
そう言うと、いきなり倒れたものだから慌てて救急車を呼んだところ肺炎だと言われた。それから、数日、由布子は朱里の看病に明け暮れた。
朱里は入院中、由布子に甘えた。由布子は、そんな朱里に容赦なくお説教した。
『もう、大人なんだから、体調管理はちゃんとしなさいよ』
『おまえが管理してくれ』
『嫌よ。なんで、あたしが、そんなことしなくちゃいけなのよ』
それからも、朱里は事ある事に由布子に会いに行くようになり、由布子は少しずつ笑顔を取り戻していったのだ。
ちなみに、黒猫のチビ助は火事の翌日に乙姫の家に引き取られている。
『あらあら、何て愛らしいの。前々から猫を飼いたかったのですわぁ』
名前はチビ太。確かに、最初は小さかったというのに、乙姫家で暮らし始めてから、ブクブクと肥えてしまい大関のような風格を手に入れている。
『チビ太は近江牛が大好物ですのよ』
綾小路家に相応しいグルメな猫に育ったのである。
(うちのジュリが必死で守った子猫だもん)
とにかく、チビ太たけでも助かって良かった。
由布子は、そう言い聞かせようとしたけれども、やはり哀しみは止まらない。
それでも、夏になる頃には由布子も朗らかに微笑むようになった。朱里と花火大会に行った帰り、二人で手を繋いだ。見上げた星座は綺麗だった。
夜風に紛れるようにして野良猫が由布子の前を通り過ぎた。ジュリに似たキジトラの猫を見ると胸が疼く。
時々、由布子は猫カフェへと一人で向かう。やっぱり、猫は可愛い。しかし、由布子は、あの日から猫を飼っていない。
どんなに季節が巡ろうとも、由布子はジュリだけを想っている。
☆
えっへん。久しぶりだな。
おいらは、あの日、うっかり焼け死んでしまったジュリだぞ。
おいらは、ちょいとヘマをやっちまったのさ。チビがいるはずの天井裏に登ったけど、チビは地べたにいたんだよ。
由布子達が出た後、チビはやっと声を発してくれた。
『怖いよう。熱いよう』
おいら、慌てて天井に開いた小さな穴から飛び降りた。その時、激痛が走った。
前に骨折した足がポキンと折れちまったみたいだ。チビは煙を吸い込んだままミャーミャーと心細そうに鳴いていた。
『母ちゃーーん。どこにいるんだよ』
チビが叫ぶもんだから、おいらは嘘をついた。
『おまえの母ちゃん、外にいるぞ。だから、隠れてないで、こっちに出て来い』
骨折してたもんだから、おいら、いつものように歩けるような状態じゃなかった。どんどん、いろんなものが燃え始めた。こっちに火が迫っていた。
おいら、チビを咥えて廊下まで行こうとしたけど無理だった。
それで、チビを腹の下に隠して火から守ろうとした。
本当に苦しくて熱くて大変だった。見知らぬ男が、おいらとチビを運んでくれたおかげで外に出られた。でも、やけどのせいで、おいら、由布子の腕の中で死んじまった。
そしたら、天国で神様に褒められた。おいらみたいに賢い猫は滅多にいない。
『賢い猫には褒美をあげよう』
おいらは、もう一度、生まれ変われる権利を得たのさ。
『おいら、由布子と暮らしたい』
『それなら、由布子の子供にしてやろう』
由布子は、大学を卒業した後、イケメンと結婚したんだ。すぐに女の赤ちゃんを授かった。
おいら、人間の子に生まれ変わってもいいと思ったけど、生まれてくる子には金玉がないようだから、生まれ変わるのは止めた。
おいらは、やっぱり、雄猫になりたい。
そしたら、神様が聞き入れてくれたのさ。そして、やっと、おいらにチャンスが訪れた。由布子の娘の愛里が生後八か月になる日に、おいらの娘のエリザベスが妊娠した。
ニャニャ。おいら、元気な子猫として、またこの世に帰ってきたんだ。
おいらが生後三週間になった頃、竜馬という高校生が由布子の家においらを連れて、こう言ったんだよ。
「あの、この子だけ、どうしても里親が見つからなかったんです。無理を言ってすみません。この子を引き取ってもらえて助かります」
「ううん。こっちこそ、ありがとう。写真を見た瞬間、あたし、飼いたいって思ったの」
由布子は、ものすごく嬉しそうに笑って、おいらを抱っこしてくれた。
「死んだジュリに瓜二つなの。この子を見てるとジュリを思い出すなぁ」
竜馬が、由布子の手の中にいるおいらを指差しながら言った。
「へーえ。由布子さんには懐いてますね。他の里親候補にはシャーシゃー言ってたんですよ」
竜馬は、毛玉みたいにモコモコしている子猫のおいらを由布子に渡すとさっさと帰っていった。
その後の由布子の顔ったら。まるで幼い女の子みたいにキラキラしていたんだ。
「ああーん。可愛い。ほんと、肉球の色も生意気そうな顔もソックリだわ。まるで、あの頃のジュリが戻ってきたみたい。ああーーー。どうしよう。ほんと、可愛い」
ミャミャッ。おいらは尻尾をピンと立ててスリスリを繰り返す。
おいら、また、由布子と暮らせることになった。前みたいに由布子を独占できる。そう思っていたけれど、由布子の近くにはイケメンがいる。あいつの顔は前に見ている。前は寂しい人間のニオイがしていたのに、今のあいつは楽しそうだ。
イケメンは由布子にスリスリしたり、暗い場所で甘噛みすることがある。
おいらは、そういう時、わざと邪魔するようにイケメンの脚を引っ掻くようにしている。
いててと言いながら、イケメンは困ったように笑っている。生意気にもおいらを抱っこしようとする。でも、そうはいかないぜ。そう簡単に抱っこはさせてやるもんか。
ピンポーン。おやおや、朝から誰かがやってきた。
『あっ、お義母様』
毎日、ここに来るみたいだ。その人のことを、由布子は、『お義母さん』と呼んでいる。
何だか分からないけれど、お義母さんという人は、しょっ中、ここでアイリをあやしている。
『いつも、すみません』
『あら、いいのよ。お仕事、頑張りなさい』
由布子とイケメンが仕事に出ている間、お義母さんは孫のアイリを抱っこしている。そして、変な子守唄を延々と歌い続けている。
うるさいニャ。おいらは、ちょっぴり不機嫌になっちまう。
土曜の午後。部屋のすみっこで昼寝をしていると、這い這いしながら、アイリがおいらとにもとにやってきた。
おい、アイリ。おいらの尻尾を引っ張るな。
おいらの御自慢の尻尾を握るもんだから、シャーッと引っ掻いてやろうかと思ったけれど、そんな事はしてはいけない。
だって、由布子が言ったんだよ。
『ジュリアーノ。あんたは、アイリのお友達なんだからね。仲良くするのよ』
ジュリアーノ。それが、おいらの正式な名前なのさ。
ニャニャッ。おいらは由布子とアイリに撫で撫でされると嬉しい。
イケメンも、どさくさに紛れておいらを撫でようとする。あーあ、しょうがないな。猫用のチーズをくれるのなら、特別に触らせてやってもいいさ。
おいらは賢い猫だ。おいら、お掃除が得意だ。ルンバという丸い生き物に乗るとワクワクする。
前にいたアパートに比べると、ずいぶんと賑やかだ。
ホームパーティーとやらに、乙姫という人間と彼氏のレオナルドがやってくる。
乙姫は変な声を出す。オペラというらしい。おいらの鼓膜がどうにかなっちまいそうだ。
ニャニャッ。また、アイリがおいらの尻尾を引っ張ったぞ。というか、おいらの耳を舐めるな。
由布子を独り占めできなくて残念だけど、おいら、アイリのことも大好きなんだ。
おいらの由布子はいつも忙しい。でも、決まった時間に仕事から帰ってくる。
『たただいま、ジュリアーノ』
よしよし。お留守番ご苦労さん。そう言って、由布子はおいらの頭を撫でてだっこをしてくれる。
多分、おいらは、世界で一番、幸せな猫なんだ。だって、おいらは、みんなから愛されているんだもの。
スリスリ。スリスリ。
毎晩、おいらは由布子の布団に潜り込む。一緒に寝ているイケメンが、おいらを撫でようとするけど触らせるもんか。断固、拒否してやるぜ。
だけど、いつの間にか、由布子とイケメンの二人に抱っこされている。寒い冬の朝でも暖かくて気持ちいい。おいら、この家の子供になれて嬉しい。
毎朝、光のレースが舞い降りたような気持ちになる。
おいら、こんなにも幸せだ。




