第十二章 1
西川からの連絡でジュリの居場所を聞いた時、由布子の胸が躍った。しかも、坂元に関して心配しなくていいと言われてホッとした。
西川は、あさって三人の陰陽師を夏目邸に連れてくるという。
『朱里様と猫ちゃんを同じ場所に置いて、魔方陣とやらを描いて祈祷するそうでございます』
その為にもジュリの本体を連れ帰らねばならない。
最初は、由布子一人で迎えに行くつもりだったのだが、どうしても、朱里も一緒に行きたいと言い出した。
「なんで、夏目さんが来るんですか」
「だって、おまえの猫はオレにとっては運命の相手だぜ。どんな顔なのか見たいじゃん」
「確かに、ジュリは、あなたの運命を左右するかもしれませんけどね」
それにしても、岸辺家は古い。
今にも崩れそうだ。
玄関から呼びかけたのだが返事は無かった。何度も呼び鈴を鳴らす。留守かと思い諦めていると朱里が言った。
「中からテレビの音が聞こえる。誰かいるぜ」
裏口から呼びかけると、ようやく、猫じいと呼ばれている岸辺老人が出てきた。
この家は微妙に歪んでおり、玄関の木戸は開かなくなっている。
人間は裏口から、猫はトイレの高窓から。それぞれ、専用の出入り口を利用しているという。
岸辺老人は中に入ってお茶でもどうかと言うけれど脚の踏み場もありゃしない。それに、猫の糞尿のニオイが染み付いている。そんな台所で出されるお茶など怖くて飲めない。
由布子は裏口の前でジュリについて説明した。最初、ジュリは由布子の顔を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。それなのに、いざ、連れて帰ろうとすると踏ん張るようにして拒絶する。
「ジュリ、心配ないんだよ。さぁ、一緒に帰ろうよ」
だが、猫のジュリは何かを訴えるようにして家の中に視線を向けている。
それを見た岸辺老人が呆れたように言った。
「あんた、この子に嫌われているようだね」
「そんなことありません。どうしたの、ジュリ。もう、悪い奴はいないんだよ」
そう言った後、由布子はハッとしたように振り返る。
「夏目さんのせいだよ! だから言ったでしょう。ついて来ないでって。あなたがいるから、うちの子は警戒するんだよ。ジュリの視界から消えてくんないかな」
そうやって朱里を岸辺家の敷地の外に出したというのに、ジュリは由布子の抱っこを拒絶する。
なぜか、岸辺老人の背後にまわっている。
岸辺老人は、まんざらでもないような顔をしてジュリの額を撫でた。
「いいかね。この子が、あんたを拒否している限りは、無理に連れ帰ることは許さんよ。あんたは、この猫を無理強いする資格はないぞ」
「分かりました。また、明日、来ます」
すんなりと引き下がる。そんな由布子の後ろでジュリがキュンと小さく鳴いていた。耳の遠い岸辺老人には聞こえていないようだが、由布子には分かる。
『おいら、由布子のことが好きだ。でも、今はここにいるニャ』
ジュリはそう言っているみたいだ。前にも何度かこういう顔を見たことがある。ジュリにはきっと考えがあるのだ。この子は賢い。
「分かってる。あんた、優しいから、しばらく、猫じぃの側にいてあげるんだね」
猫じぃこと岸辺老人には、ずいぶんと世話になっている。ジュリとしても、この老人が病み上がりだと感じて同情しているに違いない。
「えっ、あんた、何か言ったかねーー」
岸辺老人が怒鳴るように話しかけてきたので由布子は何でもありませんと呟き、会釈してから立ち去った。
岸辺家の裏手は生垣で囲まれている。
門扉の外に出ると、なぜか、朱里がシリアスな顔をして立っていた。
「どうしたの?」
「見ろよ。道に黒猫の遺体が転がってる。何台もの車が轢いたんだろうな。ひどい有様だ。ちゃんと供養しないといけないな」
見るも無残な状態なので由布子の胸が軋んだ。もはや、生前、どのような顔をしていたのかも分からない。
「道端で事故に遭ったのかな」
由布子が手を合わせていると、朱里が手配したペット探偵の仁科が現れたのだ。
朱里が言った。
「仁科、この子を頼んだぞ」
「はい、海が見える霊園に連れて行きます」
手袋を装着した仁科は、テキパキと遺体をビニール袋に入れると、遺体の痕を清めるようにして塩を撒いた。
仕事柄、名もなき猫の供養もお手の物なのだ。
☆
それは、今朝、工藤が旅行に出かける前に道端に投げ捨てたものである。
黒猫の加奈子の末路は哀れなものだった。先刻、ジュリは由布子に言いたかった。
『おいら、由布子と一緒にいたいニャ。でも、今は駄目だニャ。だって、おいら、黒猫のチビ助を守るって約束したんだもん』
ジュリが案じているのは、じぃさんではなくて子猫だ。
ジュリは、このまま、この汚い家で猫じぃと暮らすつもりはない。
今朝、ジュリは子猫に向けて話したのである。
『よく聞いてくれ。おまえの母ちゃんは死んだ。だから、これからは、おまえは一人で生きなくちゃいけないニャ。おいらが、いい里親を見つけてやるニャ』
『オジちゃん、うるちゃいニャーーーッ』
小さい身体で威嚇するように言い返してきた。
『嘘つくニャーーー。僕の母ちゃんは死んでないニャーーーー』
悲痛な声にジュリの目は潤む。
『嘘だーーーー。僕は、そんなの信じないぞーーー』
『いくら待っても、ここには帰って来ないニャ。いいから、カリカリを食べるニャ。美味しいニャ』
しかし、子猫はカリカリを勧めても食べようとはしない。
ジュリは、強引に子猫を咥えて母猫の遺体を見せようかとも思ったけれど、道端に捨てられた無残な姿を見せるに忍びない。余りにも残酷だ。多分、子猫も頭の中では理解している。母猫が、時々、血を吐いていたのを見ていたはずだ。
『おまえの母ちゃんは、おまえのことをおいらに託したニャ。おいらのこと、信じて欲しいニャ』
『うえーーーーん。意地悪なこと言わニャいでよ』
死んでない。母ゃんは生きてる。母ちゃーーん。子猫はミーミーと呼び続けている。
ジュリは泣きじゃくる子猫を見守るしかなかった。
とにかく、ジュリとしては子猫が自分の母猫の死を受け入れてくれるまでは寄り添うつもりなのだ。
(由布子、明日までに子猫を説得してみるニャ。そしたら、由布子は、子猫の里親を探してくれるニャ。何もかも終わったら、また前みたいに一緒に暮らそうニャ)
ジュリは、そういう幸せな未来予想図を描いていたのだ。しかし、過酷な運命は、すぐそこまで迫っている。
カチカチカチ。ゴミの奥で時限発火装置が時を刻んでいる。
☆
黒猫の遺体を任せた後、朱里が何気ない口調で言った。
「なぁ、いい天気だな。デートしないか?」
「えっ、な、なんで、あたしが」
「ほんじゃ、言い方を変えるぞ。一緒に散歩をしないいか。すぐそこに公園がある。その途中に、オレとおまえの猫が事故に遭った横断歩道があるんだよ。そこに案内したい」
「あっ、そうなんだ」
それならば、ぜひとも見ておかねばなるまい。
由布子は事件現場に戻る探偵のような感覚で舗道を進む。
朱里が神妙な顔で言った。
「西川さんのお抱えの陰陽師の人達が言うには、動物と人間の魂が入れ替わるには、何か、深い因縁のようなものが関係しているらしいな」
西川の選んだ三人の陰陽師の見解は一致している。
もしかしたら、事故の夜交差点にいる呪縛霊が悪さしたんじゃないかと言うのだ。
場合によっては、陰陽師達は、その霊を先に見つけて昇天させることになるかもしれない。
「実は、オレ、思い当たる事がるんだよ」




