第十章 1
乙姫が転校してから、今日で四日目。
「乙姫ちゃん、うちらのダンス部に入りなよ」
同級生のギャルからの誘いに対して乙姫は申し訳なさげに断った。
「わたし、ボランティア部に入りますわ」
「そうなんだぁ。それじゃ仕方ないね。入りたくなったら、いつでも言ってよ」
ヒラヒラと立ち去るギャルは、志望校は国立大の医学部。ちなみに、ギャルの父親は東大医学部を卒業している秀才だ。
由布子は言った。
「なんで、ダンス部に入らないの?」
「興味はありますけど、色々と忙しいのでダンスの部活は諦めますわ。わたし、尊敬するお母様を見習って色々な施設を訪問したいと思っておりますの」
入部届けを出したところ間髪入れずにレオナルドも入部したのだ。
「一年生のハンサムなレオ君が入部したおかげで、レオ君目当てに部員が増えましたわ。おかげで色々と部活の幅が広がりそうですわ。早速、来週の土曜に、老人ホームを慰問することになりましたの。わたし、皆様の前でオペラを披露しようかと思っております」
「オペラ?」
「ちなみに、ソプラノでございますわ」
試しに歌ってもらったところ、べらぼうに上手かった。
「乙姫、すごいね」
「前の学校の音楽教師に音大に行けばいいのにと言われましたの。でも、わたしは、音楽の道には進みませんわ」
「どうして」
「わたし、国連で働くつもりですのよ。紛争と貧困を無くしますわ」
素晴らしい志だ。
綾小路家の娘というのは、これほどまでにポテンシャルが高いのかと由布子は感心せずにはいられない。最初は、濃い顔の変な人という認識だったのだが、乙姫は実にユニークで面白い。
(初めて会った頃、いじめられている真っ最中で気持ちが荒れていたのかもしれないね)
しかし、今は、生き生きと過ごしている。美術の授業の際には、とんでもなく綺麗な絵を描いて教師を驚かせていた。超人的な乙姫に対して、皆、リスペクトの眼差しを向けている。
放課後、帰りの仕度をしながら乙姫が言った。
「ところで、由布子、行方不明のニャンコちゃんは見付かりましたの?」
「うーん。それがさぁ、まだなんだ」
「うちの西川を貸しましょうか? 探し物が得意なんですのよ。昔、わたしの祖母がキューバの海岸で落とした差し歯も見つけましたわ」
「ありがとう。でも、夏目家のお抱えのペツト探偵さんがいるから大丈夫だよ」
「あら、そうですか。それでは、今日は、この後、バレエ教室に参りますので、お先に帰らせていただきますわね。ごきげんよう」
そう言って、乙姫はお迎えの車に乗って帰宅している。
(さてと、あたしも帰りますか)
校門を出る頃、由布子のスマホが鳴った。
『もしもし、由布子様。わたくし、西川でございます』
『どうしたんですか』
会ってから話すというので、由布子は指定された小さなレトロ喫茶に向かうと、パンツスーツ姿の西川が待っていた。この店は流行ってないのか客はいない。
「実は、とんでもない情報を耳にしております。あなたの猫のジュリちゃんに関する恐ろしい真実が発覚しました」
そう言うと、エリカと朱里の会話を聞かせてくれたのだが、ボイスレコーダーの内容に身震いした。
「うっそー。ジュリを殺すって言ってるわ」
西川は、乙姫の婚約者の夏目朱里の素行を調べる為に前々から密偵を差し向けており、それによって知り得たというのだ。
「最初、部下から録音されたものを聞かされた時、まさかと思いましたわ。猫と人間が入れ替わるなど有り得ません。しかし、エリカ様は本気で怯えておられます。エリカ様と陰陽師とやらの会話をどう思われますか。そもそも、猫と人間は入れ替われるものなのですか」
「うちの猫と入れ替わっているのは事実ですよ」
隠す必要もないので正直に話すことにした。奇想天外、摩訶不思議。
「こんな話、西川さんには信じられないかもしれませんね」
「いえ、由布子様は嘘をつくような方ではないと思います」
こんな時なのだが、由布子は不思議に思って尋ねていた。
「でも、どうして、わざわざ知らせてくれるんですか?」
それは、悲惨な陰毛事件において由布子に借りがあるからなのだが、あれは見なかった事にしたい。
「お嬢様の親友だからでございます」
「この事を乙姫に言ったんですか?」
「言っておりません。そんな事をしたら、何かと面倒な事になりますからね。秘密を知る者は少ない方がいいのです」
猫憑きの事実を知っているのは、朱里本人とエリカだけ。
それにしても西川の情報網は凄いと由布子は感心せずにはいられない。
良かった。西川の口が堅くて。
「陰陽師の言っている事には一理ありますよね。夏目さんが、うちの猫の中にいる状態で猫が死んだりしたら、きっと大変な事になっちゃいます」
「ええ、一大事ですよ」
西川は眉間にシワを刻みながら言う。
「エリカ様は坂元に報告するような人ではありませんが、わたしの勘が正しければ、今頃は、バーのマスターが告げ口しているでしょうね。マスターは坂元に惚れています。ゲイの間では坂元はプレイボーイとして有名です」
えっ。坂元はゲイだったのか。いや、そんな事など、どうでもいい。
由布子は追い詰められていた。
「きっと、坂元さんはジュリを亡き者にしますよね。あのおっさん、陰険なんだもん」
代理母に対する坂元の仕打ちは酷いものだった。あの男よりも先にジュリを見付けなければならない。
「ジュリがどこにいるのか分からないんです。もしかして、西川さんは把握しているのですか?」
「生憎、分かりません。何かヒントはありませんか」
「うーん。ジュリが言うには、お金持ちのマダムの屋敷にいるみたいなんですよね」
「ずいぶんと漠然としていますね」
「マダムは青い目の猫を飼ってるみたいなんですけどね」
「マダム。そう言えば、百合様のお抱えの占い師にマダムと呼ばれている美しい方がいますよ。この方に占ってもらえば失せ物もすぐに見付かります」
西川は紹介状まで持たせてくれたのである。
「人生に迷った時は、マダムのお告げを聞くと、たいていのことは解決しますよ」
何を隠そう、西川の運命はマダムのお告げによって激変している。
仕事を辞めたいと思ってブラリと入った占いの館でマダムと出会ったのだ。
『転職の星が出ていますね。今の仕事はやめなさい。あなたは子供相手の仕事をするべきなのです。例えば、家庭教師などがいいわね。勇気を出して新たな世界に踏み出しなさい』
乙姫の家庭教師となってから、西川の運がパッカーンと開いた。
『運命の輪。正位置』
あのカードを一生忘れない。
今では、百合の片腕として芸能事務所の経営にも関わっている。
西川は想うのだ。あの時、転職して良かったと。
あのまま、魔窟のような商社の総務にいたならば、ボロボロになって心を病んでいたかもしれない。
「由布子様。マダムの力を借りて何としてもジュリちゃんを見つけて下さい」
由布子が礼を言って立ち去ろうとすると、箱入りの真新しい携帯を渡してきた。
「この携帯に乗り換えた方がいいと思いますよ。おそらく、あなたの今の携帯の内容は坂元に筒抜けだと思います」
「それなら、今の会話も聞かれているのでは!」
「このカフェは問題ありませんよ。このビルは百合様の叔父様の不動産です。各国のスパイでさえも盗聴はできないようになっております。由布子様、坂元には注意して下さいな。決して、気を許してはいけませんよ」
由布子は頷いた。
「ところで、由布子様、乙姫様の動画がバズっているのを御存知ですか?」
高校の渡り廊下で踊る乙姫の動画だ。
「えっ、すごーい」
どうやら、誰かが、勝手にネットにアップしたらしい。コメント欄には賞賛する声が溢れている。ダンスのスキルが凄いのか、世界的なダンサーもいいねを押している。それに、乙姫を真似て踊る外国人のキッズ達も増えている。特に、南米のキッズのハートを射抜いたようだ。
しかし、中には、『陰毛豚の盆踊り』と書いて揶揄している奴がいる。
「このコメントを書いたのは、お嬢様の元親友のカラコン女ですよ」
西川の目の底が憎悪に燃えていた。
「誰が書いたかバレないと思っているようですが、もはや特定済みです。フン、徹底的にこの馬鹿娘の父親を追い詰めてやりますわ」
そのカラコン女とは、『陰毛』と囃し立てていた地味な方の女子に違いない。あいつは、まだ懲りずに乙姫を攻撃していたらしい。
西川は、ダンス動画の話を終えた後、こう言った。
「あなたの猫が見付かりましたなら、乙姫様の屋敷へお連れ下さい。屋敷の地下の核シェルターで保護します。あそこなら坂元も手出しは出来ませんわ」




