第八章 1
この三日間、ずっと朱里のままだった。朱里は、今日は午後から出かけるらしくて、まだ自室にこもっている。
「三井さん、おはようございます」
台所のテーブル席に着いた由布子は三井に告げた。
「最近、夏目さんの調子はいいみたいだから、そろそろ三人で寝るのはやめにしませんか」
「そうでございますわね。このまま、坊ちゃんの容態か安定してくれるといいのですが」
この時、由布子の胸に不思議な感情がよぎった。
なぜだろう。
何かが胸を軽く締め付ける。
(ジュリと夏目さんが入れ替わらなくなったら、ここにはいる必要はないんだよね)
由布子は、最初の衝撃を思い返して吹き出す。
(第一印象は最悪だったなぁ~)
当たり前だが普段の朱里はシュッとしている。立派な御曹司だ。
(だけど、最近の夏目さんってセクハラ行為が目立つわ。今朝も、目覚めたら、あたしに抱き着いて寝てたのよ。迷惑だわ)
本人はぬいぐるみの代わりだと言っていたけれど、そんなの嘘だと思っていた。しかし、三井は巨大なパディントンのぬいぐるみを抱えてこちらにやってきた。
「三井さん、それは?」
「坊ちゃまと添い寝している熊ちゃんですよ。今日は、月に一度のクリーニングに出す日でございます。ダニやカビは厳禁でございますからね」
「一緒に寝ているんですか」
「はい。この家に来たその日から、パディントンと共に寝ております。ちなみに、これは四代目のパディントンでございます。坊ちゃまは、熊ちゃんを噛んだまま寝る癖がございまして、布地がほつれてしまいます」
由布子は遠い眼差しになる。
(あたしは熊の身代わりなのか。てうか、あいつに噛まれた首、シャワーで洗い流しておかないと)
今日も、三井はランチボックスを用意していた。昨日、もう豪華なお弁当はいらないと言ったのでサイズは小さい。
「わたしが、息子に作っていたものと同じものでございます」
という事でお昼休み、お弁当を開けると、確かに中味は地味にものらなっている。
卵焼きとタコさんウインナーとほうれん草のおひたし。
(結局、こういうのが一番落ち着くわ)
☆
今日は金曜日。
学校を終えた頃、由布子のスマホに見知らぬ人からのメールが届いていた。ジュリに似た猫を公園で見かけたというのである。
河川敷からは遠い場所だ。由布子の自宅や夏目家からも離れている。それでも、由布子の高校からは電車で30分くらいのところなので行ってみたところ、確かに、ジュリに似た猫がいたが、金玉はなかった。
「この子じゃないです」
「あら、ごめんなさいね」
「いえいえ、とんでもないです。気にかけて連絡していただいて感謝しています」
憑依しているジュリとは話せているので寂しさは薄らいでいる。
しかし、ジュリの本体は見付かっていない。
(ジュリ、どこにいるのかな)
由布子のインスタを見た人達はみんな優しい。心配するコメントを書き込んでくれている。
夏目朱里に憑依してますとは書けないので、当たり障りのない事を書いて更新した。
『まだ、うちの子はみつかりません。根気強く探していきます』
河川敷を歩き回ってみようかと思いながら公園沿いの舗道を歩いていると、懐かしい声が響いた。
「お姉ちゃん!」
振り返ると、嬉しそうな顔の竜馬がいた。ランドセルを背負っている。
「学校の帰り?」
「うん。」
「これ、昨日のエリザベスだよ。獣医さんのところにいるから安心だよ」
由布子が動画を見せると竜馬は大きな目をキラキラと輝かせた。
「へーえ。エリザベス、太ったね」
「来月、赤ちゃんが生まれる予定なんだ。エコーをしてもらったら、三匹の赤ちゃんがいたよ」
「お母さん、こんなに長く預かってもらって申し訳ないって言ってる」
「遠慮しなくていいよ。夏目家はお金持ちだから余裕だよ。ところで、遺産を狙うおっさん、どうなったの?」
「分からない。僕と母さんは、今のところ何の被害もないよ。もう諦めたのかな」
竜馬はハッとしたように言った。
「あっ、それじゃ、バスが来たから、もう行くね」
立ち去る竜馬。それを見送る由布子。
バス乗り場の前で立ち話をしていたのだが、その時、携帯を見るフリをしながら、二人の話を盗み聞きしていた男がいた。
遺産を欲しがる工藤に頼まれてエリザベスを探しているチンケな男である。
エリザベスを殺したら二万円の報酬がもらえる。
その男は由布子の後ろについた。由布子を追跡すれば夏目家とやらに辿り着くと思ったからだ。
そうとは知らない由布子はテクテクと徒歩で最寄の駅へと向かう。
まさか、この後、学生服姿の乙姫に遭遇するなど予想もしていない。
☆
由布子はファミレスに入ると三井に連絡を入れた。
「今日は外で食べるので夕飯は結構です」
三井の手料理は美味しいけれど、たまには、こういうものを食べて舌を庶民のレベルにリセットしておきたい。
午後五時。さすがに、まだ夕飯には早い。
隣の席にいた子供連れがチョコレートケーキを美味しそうに食べていたので、由布子もそれを注文する。
すぐにチョコレートケーキが運ばれたのだが、その時、斜め前のテーブル席に二人連れの女子高校生がやってきた。席に着くなり二人は忌々しげに呟いた。
「あーー、うぜぇ。夏目朱里様と婚約するなんて図々しいよね」
「ほんと、何様のつもりよ!」
「名前と顔が合ってないつーの」
「あいつの誕生会に一回だけ行ったけど、あれはおぞましかったよね」
「何が乙姫よ。濃い顔のクソデブじゃん」
思わず、由布子は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
斜め前のテーブルにいるのは私立の名門学校のお嬢様。
その白い制服は清楚だ。
あの学校の生徒は上品なイメージがあるのだが、彼女達は、相当、口が悪いようである。
「あいつの父親、あたしのパパの会社の親会社の社長なんだよね。だから、いつもヘコヘコしてる。そういうの、マジで嫌だった」
「あたしのパパも、あいつの父親の会社と取り引きしてるよ。といっても、立場はあっちの方が上だけどね。ああ、うざっ、あいつのことチヤホヤして損したわ」
「ほんと、ほんと、あいつ、あたし達のこと、みんなの前では親友ですわとか言っちゃって、イタイよね」
「誰が、あんなブスと友達になるっていうのよ」
「そうそう。あたし達の便利なペイペイだっつーの」
由布子は苦笑する。
(やっぱり、女の子同士ってドロドロしてんだなぁ)
とはいうものの、乙姫のうざい性格に関しては由布子も知っている。もしかしたら、乙姫に振り回されて、彼女達も苦労しているのかもしれない。
しかし、その数分後、意外なことが分かった。
『いらっしゃいませ~』
店員の声と共に五番テーブルに来たのは制服姿の乙姫である。
並んで座っている女子高校生A(地下アイドルふうの顔立ち)が乙姫を手招きしている。
「遅いじゃん」
「質屋が混んでましたのよ」
乙姫が言うと、女子高校生B(強面で一重瞼)がドンッとテーブルを叩いた。
「あたし達、あんたが来るまで五分も待ってたんだよ。ほんと、使えないわ。のろまなんだから。つーか、そこは質屋じゃなくてリサイクルショップだっつーの」
由布子は眉を寄せて聞き耳を立てる。
(むむっ。なぜ、乙姫がそんな店に行くのよ?)
大金持ちの令嬢が行くようなところではないと思うのだが……。とても気になる。
女子高校生Aが身を乗り出している。
「それで幾らになったの?」
「おばぁ様のクロコダイルのバッグは二十万でした。何しろ、半世紀前に上海でオーダーメイドしたものですから、値段があってないようなものだと言われましたの」
「二十万かぁ~ それで、おばぁ様の形見の指輪とやらはどうなったのよ」
主に聞き出しているのは女子高校生Aである。
「あれは換金できませんわ」
「だったら、こないだ、嬉しそうに学校に持ってきたエルメスのトートバッグを売れよ。あれ、人気あるじゃん」
「先月、お父様がシンガポールのお土産に買ってきたものですわ。無理ですわ。なぜ、使わないのかと西川が不思議に思いますわよ。西川は目敏い女なのですよ」
「それなら、その西川って女はクビにしちゃいなよ」
「無理な事ばかりおっしゃらないで下さいませ。あなた達、そんなにお金に困ってらっしゃるのなら、働けばよろしいではありませんか」
すると、今まで黙っていた女子高校生Bが乙姫の顔に水をぶっかけたのだ。
「うるせー。てめぇ、そんなこと言える立場なのかよ」
顔面から水を垂らしたまま乙姫は言い返す事無く俯いている。
(えっ。どういうこと?)
由布子は目を疑う。まさか、乙姫は同級生にカツアゲされてるのだろうか。
しかし、乙姫一家の方が格上。
苛められていますと乙姫がそう言えば、すぐに綾小路家が処理してくれるような気がするのだが、どういう訳か、乙姫は途方に暮れている。
「わたし、今月のおこずかいの殆どを、あなた達に渡してしまいましたわ。もう、払えないと申し上げたでしょう」
「あんたの母親の指輪とか借りたらいいじゃん。落としちゃったって言えばいいじゃん。あんたの父親のロレックスとか、色々、お宝はあるよね」
「お父様やお母様の私物は盗めません」
「それなら、あんたの私物をメルカリで売りなよ」
「そんな、みっともない事は出来ませんわ」
「あんた、馬鹿にしてんの? いらないものを売って稼ぐなんて庶民の常識だよ。ていうか、マジで苛々する」
「そうだよ。もっと金を持って来いよ」
「無理ですわ。もう耐えられません。警察に言いますわ」
乙姫が今にも泣き出しそうな顔で首を振ると、女子高校生Bが立ち上がり。乙姫の頭に手を添えてニヤッと笑った。
「ふうん、そんな事、言っていいのかなぁ」
ガリッと鷲掴みしたまま、乙姫の髪の毛を剥がし取っていく。
「や、やめてーーー」
由布子は面食らった。なんと、乙姫はヅラを被っていたようだ。
ハゲている訳ではない。むしろ、毛量は溢れている。
Bは、地毛をまとめている網を引き離してしまうと、むき出しになった髪を指さしてケラケラと笑い出した。
これは凄いぞ。爆発現場から出てきたマッドサイエンティストのような酷い髪だ。
「何だよ。その髪、きったねぇ。陰毛かよ」
「い、いやっーー」
乙姫はカツラを取り返そうと腕を伸ばすが、Bは涙目の乙姫の顔を動画で撮影しまくっている。
「陰毛女、陰毛女」
二人で囃し立て禍々しい声で乙姫を貶めている。確かに、乙姫の髪質は陰毛そのもの。サラサラのお姫様ヘアからは一番遠い。
地毛の醜さを隠すためにカツラを愛用していたようである。
「こんな秘密があったなんてねぇ~ あんたの大好きな夏目様に知られてもいいのかなぁ」
「夏目さんとは婚約解消する予定ですわ。もっと他に素敵な方がおりますもの」
その言葉が彼女達を更にイラつかせていく。
なぜ、乙姫が国宝級イケメンをものに出来るのか。それは、乙姫の親が桁外れの金持ちだから。
憎らし気にBが言う。
「あんたみたいなブスの陰毛女、まじでうざい。死ね。陰毛女」
「いやいや、駄目だよ。死ぬのは、あたし達にお金を貢ぎ尽くしてからにしてよね。高校に入ってから、先月まで、ずーーーと、あんたの友達を演じてやってたんだからね」
打ちひしがれたように乙姫は唇を震わせている。
「ひどいですわ。なぜ、そんな急に態度を変えるのですか。カツラが、そんなに悪い事なのですか」
「はぁーー。ちげぇよ。あたし達、あんたのこと最初から嫌いだったんだよ」
「そうだよ、いつも自慢ばっかりしてさ」
「ほんと、こんな陰毛女の御機嫌とりをしていた過去を消したいわ」
そして、二人はまた楽しげに囃し立てていく。
「陰毛女のくっそデブ。おまえの母ゃんもデブ~♪」
乙姫は頭が真っ白になっている。何とも哀れだ。力なく顔を覆って泣いている。




