第六章 5
カラッと明るい由布子を見ているうちに朱里はブッと吹き出していた。
「おまえ、前から思ってたんだけど、おもしれー女だな」
なぜか、スッと立ち上がると服を脱ぎ始めた。由布子は慌てる。
「ちょっと、いきなり、何なのよ」
「オレ、おまえのゲロを浴びて気持ちわりぃから、シャワー、浴びてくるわ。おまえの黒いゲロは、ひでぇ臭いだぞ。正露丸みたいな臭いがする」
「確かに、これは酷いよね。シーツも汚しちゃってる」
「別にいいさ。ていうか、ここは乙姫の曽祖父が創業したホテルだよ」
以前、何度か、朱里は綾小路グループのホテルを利用した事がある。
窓から見える夜景から察するに、ここは港区だ。
「お金持ちが泊まるホテルなんだね」
由布子は顔をしかめた。目の前でパンツ一枚になられては困る。
「ちょっと、あたしの前で裸にならないでよ」
「今更、何を言ってる。おまえ、初対面でオレの全裸を見てるだろう。猫のトイレのところで、おしっこした姿を見たことを忘れたのか」
「はは。そんなこともあったね」
朱里は簡単にシャワーを浴びると、ガウンを羽織った姿で戻ってきた。
「それで、夏目さん、これから、どうするの? そろそろ、百合さんのパーティーが終わる頃だよ」
「オレとおまえの体調が悪いってことにして、ここにいればいいんじゃねぇの? このパーティーに行きたかった訳でもないしな」
「夏目さん、方子さんに気を使って婚約の話を断れないでいるんだよね」
由布子は言わずにはいられなかった。
「あたし、エリカさんから聞いたよ。方子さんが流産したのは夏目さんのせいじゃないよ」
「黙れ」
そのことには触れられたくないらしい。
それでも、おせっかいな由布子は踏み込まずにはいられない。
「幼い夏目さんのこと逆恨みするなんて、方子さんも大人げないよね」
もちろん、由布子も方子さんが極悪人だとは思わない。
「あたしも女だから、旦那さんに隠し子がいるのが、どんなにショックか分かるよ。だけど、夏目さんを恨むのは筋違いだよ」
「煩い。黙れ。おばちゃんのことを悪く言うな」
朱里の瞳には涙の膜が膨れ上がっている。今にも、決壊してしまいそうになっている。
「オレと出会わなければ、今頃、自分の子供と幸せに暮らしてたんだ! オレが生まれてきたのが悪かったんだ」
「何を言ってんの! 夏目さんは悪くないよ。お父さんは、どうしても愛する人との子供を作りたくて代理出産に踏み切ったんだと思うよ」
「親父は勝手なんだよ。息子のことを愛していると言いながら、子育ては他の奴に任せっきりで、ほとんど家にいないじゃねぇか。オレは、一体、何の為に生まれてきたんだよ!」
いきなり深い問いをぶつけられ怯みそうになる。
「オレは親から愛されずに育ってきた。こんなオレは、この先、どうやって人を愛せばいいのかも分からないんだよ」
ドンッ。
悔しさと惨めさを滲ませたまま壁を叩いている。由布子はハラハラしながら伝えようとする。
「そんなことないよ」
由布子は熱心に朱里を見つめながら言う。
「夏目家に引き取られる前、夏目さんは、めちゃくちゃ愛されてたんだよ! なんで、そのことに気付かないの!」
「誰が、オレを愛したっていうんだよ」
「代理母のフーさんは、ずっと夏目さんと暮らしたいって願っていたの。だけど、執事の坂元が指示したの。わざと、育児放棄するようにってね」
もう、真実を隠す必要はない。どうか知って欲しい。
「あの頃、どんなことが起きていたのか、あなたは知るべきなのよ。あなたの代理母のフーって人は、あなたとずっと一緒にいたいと願っていたの。だけど、許されなかったから、心が壊れたんだよ」
由布子は、自分が調べたことをぶちまけていく。
すると、雷に打たれた様に朱里は椅子の背にもたれた。
天を仰ぐようにして呻いている。
「まさか、そんな裏があったなんて」
けれど、今、思い返すと、あの頃の代理母の行動は妙だった。ママと呼んでも無視をする。それなのに、朱里が転んで泣いているとハラハラしたような顔を見せる。
「そうだったのか」
何で、今まで、彼女との日々を忘れていたのだろう。
無残に捨てられたと思い込んでいた。
楽しかった記憶さえも心から消していた。
海の底から深海魚が浮上するように思い出がめきめきと蘇っていく。
『朱里ちゃんは可愛いね。アタシの宝物だよ』
ひどく蒸し暑い夜、フーの腕に抱かれて安心して眠った。
愛しげに頬に何度もキスをしてくれる。確かに自分を慈しんでくれた。スープを飲ませる時も熱くないか温度計で測っていた。
朱里が、おねしょをした時も、うっかり、陶器を壊してしまった時も優しく笑っていた。
眠たげな顔で朱里のマフラーをせっせと編んでいたこともある。
(あの人は、親父から養育費としてたくさんもらっていたっていうのに贅沢をしようとはしなかった。多分、あの人の実家がお金に困っていたのだろう。もちろん、オレを産んだのも金目当てだ。だけど、オレの世話をするママは生き生きしていた)
子供の頃、一心に注がれていた愛情を思い出しながら朱里は泣いている。
なんて無防備な顔をしているのだろう。由布子は胸を打たれた。
「夏目さん……」
幼い子供のような瞳が物悲しくて胸が痛くなる。その涙を由布子はハンカチで拭いてあげる。




