第六章 4
「なんで、そんなに、あの女を求めるのですか」
「好きだからに決まってるニャ。いつも一緒に寝る仲だぞ」
寝る。つまり、肉体関係にあるのですね。そう解釈した乙姫の中で嫉妬の炎が燃え上がる。
「夏目様の家系が不倫を肯定しているという事は前々から聞いておりますわよ。でも、今夜は、わたしと寝てもらいます」
「何を言うニャ。おまえは他人だニャ」
「いいえ。わたしは未来の妻なのです。あなたの子供を産むのは由布子さんではありません。そのことをハッキリさせたいのです」
「子供?」
ジュリは首を傾げながら言う。
「……由布子は、おいらの子供なんて産まないぞ」
それを聞いた乙姫は頬を緩めていく。
「良かったですわ。子を産むのは、わたしだけだと思っていらっしゃるのね」
愛人は火遊びの相手と割り切ってくれているようである。だが、ジュリは真顔で言い切っている。
「馬鹿なことを言うニャ。おいらの子供を産むのは盛りのついたメス猫だけニャ!」
「はぁ?」
乙姫は不意を突かれたように目を開いている。
「由布子は、おいらの家族だニャ。交尾なんてする訳がないニャ」
交尾? 夏目家では愛の営みをそう呼ぶらしい。乙姫は直接的なワードに度肝を抜かれた。
一方、ジュリは非常識な乙姫の言葉に憤慨していた。猫と人間の性行為などジュリには想像を絶するものである。
「では、わたしのことはどう思っているのですか」
「よく知らないけど、身体の大きな女だニャ。おまえ、由布子に比べると頭がでっかいから、ちょっと怖いニャ」
ジュリにはこれっぽっちも悪気はないが、乙姫はプライドを砕かれて絶句する。頭が人より大きい事は知っている。街を歩いている時、見知らぬ奴等に、そのことでからかわれて傷付いている。
「ひどいわ。あなたまで馬鹿にするんですの」
みんな意地悪だわ。
えいやー。怒りが頂点に達した乙姫は、ジュリの顔をめがけて皮のハンドバッグを投げつける。
「むぐっ」
至近距離からの攻撃はかわせない。こめかみのところにグッチの鞄の角がヒットしていた。その弾みでジュリは気を失う。
「えっ、やだ。死にましたの?」
乙姫はジュリの脈を測る。大丈夫。まだ生きている。
でも、この数時間後、打ち所が悪くて死ぬかもしれない。どうしよう。殺人犯になるのは嫌なのだ。
「西川、緊急事態発生よ。あの女を今すぐにここに連れて来なさい」
乙姫が命令すると、西川は、すぐに失神している由布子を連れてきた。運んできたのは、綾小路家の若い男達だ。彼等は、用事を済ますとここから立ち去った。
うつ伏せで眠る由布子を見下ろしたまま西川が言う。
「お嬢様、このスイートルームは、お嬢様と朱里様の為に用意したものですよ。よろしいのですか。こんなところに、この二人を寝かせたりして」
「今更、どうってことないわよ。この二人は、毎晩、一緒に寝ているんだもの」
「んまぁーーー。破廉恥な!」
目を引ん剥くようにして叫んだ後、西川が心配そうに朱里の額を覗き込む。
「あら、嫌だ。たんこぶが出来ていますよ」
「そうなのよ。わたしのせいなの。万が一のことがあったら、綾小路家が訴えられてしまうわ。だから、この娘をここに残すのよ」
「なるほど、そういう事でございますのね。未成年なのに飲酒して倒れた小娘に罪を押し付けるのですね。自分はやってないと言ったところで世間は信じませんものね」
都合の悪いことは由布子に押し付けてやろうと考えたのだ。
☆
そんな訳で、気絶している由布子とジュリは一つのベッドに寝かされた。
乙姫達がスイートルームを出た五分後。
人間の朱里が覚醒する。
「何だ?」
今日が何日でここがどこなのか。目覚めたばかりの朱里にはサッパリ分からない。
隣には着飾った由布子が眠っている。
「おい、由布子。おまえ、こんなところで何をしてやがる?」
朱里は由布子のハンドバックの中にある携帯を勝手に取り出すと、日付を確認した。
「今日は、百合さんの誕生日だよな? やっべぇ!」
ガバッと起き上がろうとすると、頭に痛みが走った。なぜだ。額がズキズキする。
それにしても、妙だ。由布子は死んだように眠っている。クンクンと顔を寄せて匂いを嗅いだところ。アルコールの匂いが鼻についた。
「どういうことなんだ?」
よく分からないが、こんな場所に由布子一人を残して立ち去る訳にもいかない。
そう思い、しばらく添い寝をするような恰好で朱里は由布子を見つめ続ける。
(肌が綺麗だな。改めて見ると、こいつ、かなり可愛いな)
子供の頃、朱里は飼っていた黒猫の頭を撫でるのが好きだった。スリスリ。スリスリ。猫は撫でられると、ありがとうと言うように額をこすりつけてくる。
朱里は、その頃の事を思い出しながら由布子の頬のまわりを撫で回していく。すると、急に、由布子が目覚めた。
一瞬、朱里はバツが悪くなって言い訳しようとしたが、なぜか、由布子は、ものすごく切羽詰った顔をしている。
「おまえ、どうした?」
「そこ、どいて!」
由布子は必死になって朱里を突き飛ばそうとするけれど、朱里は由布子を抱きとめる。
「おい、おまえ、何があったんだよ」
「うぐっ。うっ」
「おい、やめろ」
由布子は朱里の顔面や胸に向けて派手に嘔吐した。
アルコールのせいである。いや、それにしても、嘔吐物の色がグロテスクだ。
「な、何だ。おまえ、悪いものでも食ったのか。ゲロが黒いぞ」
「うぐ」
またしても嘔吐の波が込み上げてきた。さすがに何度もゲロを浴びたくないので朱里は、由布子を支えるようにしてトイレへと誘導していく。
うげーーーーー。由布子は何度も吐く。朱里が背中をさする。
「ご、ごめん。あたし、乙姫に変なものを飲まされたわ」
「乙姫の仕業なのか?」
でも、それなら、なぜ、自分と由布子がホテルのベッドに横たわっていたのだろう。まったくもって謎である。
よく分からないまま朱里は由布子の介抱を続ける。
「医者でも呼ぼうか」
「いいよ。吐いたらスッキリしたよ。多分、これ、アルコールのせいだと思うよ。倒れる前に聞いたわ。あたし、テキーラを飲まされたみたいなんだ」
「テキーラ?」
「おかしいな。あたし、西川さんの腕の中で失神したところまては覚えてるんだけど、なんで、ここにいるのかな」
キングサイズのベッドの周囲には薔薇の花ビラが撒かれている。由布子は首をかしげる。何これ? 新婚夫婦の初夜みたいな部屋だな。
由布子は尋ねる。
「もしかして、ジュリ、あたしのことか心配で添い寝してたの?」
由布子が高熱を出して寝ていると心配して額をペロペロしてくれていた事を思い出す。しかし、今、目の前にいるのは……。
雰囲気が猫のジュリとは違う。
「あーーーーー。人間の夏目さんだよね! 良かった。久しぶりに魂が戻ってきたんだね。あのね、ジュリは生きてるよ。マダムっていう人の御宅で保護されてるらしいの。ペツト探偵さんに知らせて」
「マダム? 本名は?」
「うーん、それは分からないな。でも、お金持ちの家みたい。そこには美人の青い目の猫がいるらしいよ」
「おい、おまえ、もっと詳しく聞いておけよ!」
「ごめん、ごめん。今度、ジュリと入れ替わったら聞いとくわ」
「また、猫と入れ替えるつもりか! オレは、まっぴら御免だぞ」
「そうだよね」
「それで、オレが魂を乗っ取られている間、何があったんだ?」
「あのさ、最近、居間で川の字になって三井さんと一緒に寝てるんだよ。三井さん、入れ歯を外してるのを見て、うちのジュリが悲鳴をあげてたわ。ふふっ。笑っちゃったわ。目覚まし時計の横に入れ歯を置いてんだよ」




