第五章 5
「そうだね。よく頑張ったね。いい子だね」
「ギュッとしておくれよ。おいら、由布子に抱っこしてもらいたいニャ」
スリスリ。スリスリ。ジュリは由布子の肩に頬をこすりつけている。スリスリ。スリスリ。由布子は撫で撫で。
二人にとっては普通の会話とスキンシップだが、運転手の柴田は二人を見つめたまま戦慄していた。
(まじで夏目家はやっべぇぞ)
そんな柴田の杞憂などお構いなしの由布子達。
リビングのソファに腰掛けると質問していった。
早く、ジュリの本体を見つけ出したい。
「河に落とされたって聞いたけど、どうやって助かったの?」
「ホームレスという人に助けられて、今は、マダムっていう人の家に居候しているニャ。大きい部屋には綺麗な毛並みの美人猫がいるニャ。青い目が神秘的だニャ。おいらの好みだニャ。だけど、その娘はツンツンしているニャ。おいら、あの子と交尾したいニャ☆」
「あんた、そんな元気あるの? 脚は痛くないの?」
「脚は痛いニャ、それに頭も痛いニャ。お医者様が言ってたニャ。熱が出ているらしいニャ。鼻水と目脂がすごいニャ。おいら、御飯も、あんまり食べてないみたいだニャ。ずっと眠たいニャ」
もしかしたら、猫のジュリの本体は病気なのかもしれないが、朱里に憑依したジュリは無邪気に笑っている。
「おいら、ずっと人間のままで暮らしたいニャ。人間の食べ物は美味しいニャ。また、牛を食べたいニャ。今夜の夕飯は何かニャ~」
ソファに座る由布子の膝に頭を乗せてきた。ゴロン。腹を見せた状態で寝ている。ジュリは由布子に甘えたい。額を少し乱暴に撫でてやる。すると、目をトロンとさせて満足そうに呻いている。
「もっと激しく撫でてほしいニャ。顎も頼むニャ」
へいへい。やりますとも。
猫への奉仕は飼い主の務めでござる。ザザザッ。ザザザッ。
由布子の高速の撫で撫でが炸裂すると、ジュリが感極まったようにのたうちまわった。
「気持ちいいニャ。お礼にキスしてやるニャ」
ムクッと顔を上げると、その口を由布子の頬に寄せてきた。
えっ? キスは勘弁してと言おうとすると、何と、右の頬を甘噛みされた。カプッ。猫にとっては単なる甘噛みかもしれないか、やられた側にとっては迷惑だ。
「やめてよぉーー。ほっぺたを噛まないでよ。ジュリ、いいね、人間の時は噛むのは禁止だよ」
「人間は好きな人間の顔を甘噛みするニャ」
ドラマでキスシーンを見て学習していたらしい。この子が猫に戻った時、口にキスしてきても困るので言い聞かせることにしよう。
「あたしはそういうのは嫌なの。ていうか、この際だから言うけど、ジュリ、時々、あたしの手を噛んでたよね。あれ、痛いから困るんだよ。あんたの歯って尖ってんだもん」
「おまえのこと好きだからキスするんだぞ」
「今は言葉を話せるでしょう。言葉で好きって言ってくれるだけでいいんだよ」
「うん。好きだ。好きだ。好きだ。おいらは世界で一番、由布子が好きだーー」
「ありがとう。あたしも好きだよ。ずっと一緒にいようね」
そんな話をした後、ジュリと由布子は神戸牛のステーキを食べたのだが、おかわりしている。何枚、食べる気なんだ?
三井も、さすがに慣れたのか、猫言葉を話す坊ちゃんを見つめながらニコニコしている。
たーんと召し上がって下さいとばかりに、三枚目の神戸牛を冷蔵庫から取り出している。
由布子は呆れた。
「ジュリ、食べ過ぎだよ」
「おいら、お肉、大好き」
「あらあら、よろしいじゃありませんか。坊ちゃま、さぁ、焼けましたよ」
「ジュリ! ちゃんとナイフとフォークを使いなさい。良い子はマナーを守って食べるんだよ! いい子にしてたら、アイスクリームをあげるからね」
「由布子、おいら、お肉を手で掴みたいニャ。なんで駄目なんだ」
「そんなことしたら手が汚れるでしょう。だから駄目なの」
「手もペロペロしたらいいニャ」
「人間は手をペロペロしないの。いいわね。人前で、自分の手をペロペロして毛づくろいなんてしないでね。背中が痒い時は、あたしが掻いてあげるからね。ここでは、いい子にしているのよ」
「分かったニャ。おいら、アイスクリームの為に頑張るニャ」
基本的にジュリは由布子の言う事なら何でも従う素直な猫だ。食後、由布子は告げた。
「お風呂に入りなさい」
「い、嫌だニャ」
ジュリは猫なので水を嫌う。それでも、由布子は鬼の形相で命令していく。
「良い子は水浴びするのよ」
さすがに全裸という訳にはいかないので、ジュリに海水パンツを履かせると強引に浴槽に連れ込んでいく。
「はい。そこに座って」
由布子は水着姿でシャワーへッドを握り締めた。
訪問介護のヘルパーさん状態だ。飼い主の務めとは言うものの、大学生の図体を洗うのは重労働である。
「ジュリ、目を瞑りなさい。シャンプーが目に入ると痛いんだからね。ていうか、お風呂の水は飲まないで!」
油断も隙もありやしない。
「ついでに言っておくけど、トイレの水も飲んじゃ駄目なんだからね。冷蔵庫に綺麗な水があるから、それを飲むのよ」
「うん。分かったニャ」
とまぁ、こんな感じでお風呂を終えた後、ドライヤーで髪を乾かしたのだが、三井は、それらの光景を微笑ましく見守っている。
「あらあら、由布子様に甘えておいでなのですね。んふふ」
確かに、そうとも言えるだろう。というか、ジュリは猫なので人間の毛づくろいの作法が分からない。由布子は、一緒に寝ると言い張るジュリを説き伏せるのに必死だった。
「駄目だよ。ジュリは自分の寝床で寝るの!」
「やだ、やだーー、おいら、由布子と一緒がいいニャ。離れたら寂しいニャ」
「あたしの部屋で寝るのは禁止なの」
何しろ、見た目は人間の男なんだもの。この家では共寝は許されない。
「おいら、由布子にくっついて寝るニャーーーー」
揉めていると三井が布団を抱えてやってきた。
「由布子様、それならばこうしましょう。リビングの床に布団を敷いてさしあげます。わたしもここで眠ります。それならば問題はございませんわよ」
「そ、そうですか」
なぜか、三井と由布子とジュリの三人で川の字になって寝ることになった。
ちなみに、真ん中は由布子。ジュリは由布子の側にいるだけで安心するらしくて、すぐに寝入ってしまった。深夜、由布子は考え込んでいた。
(明日の朝、目覚めた時、人間の夏目さんが、この光景を見たら驚くだろうな。まっ、いいか)
いや、それにしても三井さんのイビキが煩い。
そして、ジュリの寝言が酷い。
「母ちゃーーーん。どこにいるんだよう。おいら、寂しいよう。由布子、早く帰ってこいよ。おいら、おまえがいないと哀しいニャ」
猫だった時は何を言ってるのか分からなかったけれど、ジュリは自分を捨てた母猫と由布子の事を夢の中で探しているようだ。早く、ジュリの本体を見つけ出さなければならない。
そして、翌朝。三井がセットしていた目覚まし時計の音で目覚めた。薄目を開けると、元気な声が降ってきた。
「由布子、朝だぞ。おいら、腹ペコだニャ」
「えっ、ジュリ?」
最近、声のトーンだけで分かる。どうやら、またしても、そこにいるのは猫のジュリのようだ。おかしい。なぜ、翌朝になっても朱里の魂は戻らないのだろう。
今回は、猫のジュリの期間が長い。
背筋がざわめくような悪寒にみまわれた。もしも、ジュリの魂が朱里の身体を乗っ取ってしまったら、どうしよう。
そもそも、この入れ替わりの現象はなぜ起きたのだろうか。
☆
それから三日が経過した。困ったことに、ずっと中身が猫のジュリのままである。
さすがに由布子は恐怖を覚えていた。このままではいけない。しかし、こんなことを相談する相手はいない。いや、一人だけいる。麗しき女装家のエリカである。
金曜の夜、エリカがやってきた。三井にジュリの世話を頼むと二人は庭に設置している椅子に腰掛けた。そこで相談するとエリカが言った。
「あらあら、大変。やっぱり、知り合いの陰陽師を連れてくるしかないみたいね。昔は、狐憑きって言って、悪霊に乗っ取られた人間がいたみたいよ。祈祷してもらいましょうよ」
「うん。駄目で元々だもんね。やってもらいます」
「その人、今、インドにいるのよ。ゴールデンウィークの前には帰国するって聞いたわよ」
「ええーーーっ、まだ先じゃないですか」
ガッカリしているとエリカがとんでもない事を言い出した。




