第五章 1
『いいから、今夜は寝ろ』
朱里は由布子を夏目家に連れ戻した。
しかし、涙が止まらない。
『ペット探偵を河原に大量に派遣するから心配するな。おまえの猫をきっと見つけ出してみせる』
何だろう。思い返すとドキッとなる。これまで見てきた中で、一番、凛々しい顔をしていたからだ。
そう言えば、高校生の頃の夏目朱里はみんなの憧れの的だった。
(女子生徒達が、みーんな、夏目様と呼んでいたのよね。実際、出会ったら、猫憑きだったからドン引きしたけど)
成績優秀。品行方正。完全無欠の王子様。それが元々のイメージだ。有名な夏目グループの御曹司だという事は知っていたが、まさか、愛人の息子だったとは知らなかった。
(夏目さんの実の母親って、どんな人なのかな)
そんな事を思いながら眠りについた。
エリザベスの朝ごはんをあげようと思ったのだが、なぜか、エリザベスが見当たらない。
「三井さん、エリザベスはどこですか?」
「あの猫でしたら、執事の坂元が獣医のところに連れて行きましたよ」
「体調が悪いのですか?」
「いえいえ、奥様の指示で健康診断をしてもらっていのですよ。妙な病気を持っていないか調べて正常であれば、坊ちゃまの寝室に入れてもいいとの事でございます。何しろ、後継ぎでございますから、猫由来の奇病にかかると大変だと奥様は心配しておられるのです。徹底的に調べますので、三日ほど入院するそうでございます」
「えっ、三日も?」
驚く由布子に対して三井は言い難そうにしている。
「あの、実は、お話があると奥様が申されています、本館に出向いていただけますでしょうか」
何の話だろう。
さっそく冷たい口調で言い渡された。
「あなた、乙姫様のお宅からクレームがあったのよ。朱里のヘルパーをやめて下さいな」
ドンッ。机の上に札束を置かれた。新札のようだ。
「五百万、差し上げます。いますぐ、体調不良だと言って、この屋敷から出て欲しいのです」
「それは出来ません」
夏目朱里の側から離れる訳にはいかない。なせなら、可愛い猫のジュリの魂が入っているんだもの。
「なぜ、朱里は、あなたに執着しているの? あなた達、まさか付き合ってないでしょうね?」
「夏目さんのことは異性として見てません。好みではありません」
それなのに、険しい顔で方子は由布子を睨みつけている。
「それじゃ、なぜ、ここに残るのよ?」
「ほ、保護者みたいな感覚です。夏目さん、あたしがいなくなったら、また発作を起こします。あたしがいないと駄目なんです」
猫のジュリに関してはマジで保護者だ。
方子はドンッと机に拳を叩きつけた。
「あなたみたいな小娘が保護者ですって? あなた、もしかしたら、朱里の母親に似ているのかもしれないわね。朱里を産むだけ産んで育児放棄した女の事をまだ想うなんて、あの子もどうかしているわ」
「夏目さんのお母さんは、どこにおられるんですか?」
「そんな事、あたしが知る訳ないでしょう。あたしは、あの女の顔なんて見た事がないわ。興味はありません」
「はぁ、そうですか」
普通に考えると、愛人と本妻は会わない方がいいだろう。
ピリピリした空気の中、方子は、とんでもない事を言い出した。
「あなたが勝手に連れてきたエリザベスという猫は、出産するまでは病院に預けます。この家に置くことは許しません」
「勝手な事をされても困ります」
「ここは、わたしの家よ。あなたの家ではないわ」
確かにそうである。
「いいこと? もうじき、わたしの親友の誕生日なの。乙姫さんのお母様の百合さんよ。彼女のパーティーに朱里も招待されています。もしも、乙姫さんのお誕生会のような振舞いを朱里がしたなら、わたしは、あなたを許しませんよ」
「でも、あれは、あたしのせいじゃなくて夏目さんが」
乙姫と縁を切りたくて朱里が暴走したのだと言いたいけれど言えない。方子は由布子のことが気に入らないのか剣のある顔つきをしている。
「あなたは本妻にはなれないのよ。夏目グループの総裁の妻になるべきなのは乙姫さんなの。その事をようく肝に銘じておきなさい。欲張った振舞いをするようなら、あなたの兄は中国から帰国できないようにしてやるわ」
「ふ、ふざけないで下さい」
「あら、ふざけてないわ。本気よ。いいわね。百合さんのパーティーで騒動を起こしたら、エリザベスの命もないと思いなさい」
それだけ言うと、方子は由布子を追い出したのである。
(何なのよ。横暴な人だなぁ。きーっ、ムカつく)
☆
由布子は腹が立っていたので、三井に尋ねずにはいられなかった。
「夏目さんのお母さんについて詳しく教えてもらえませんか? 今は、どこにいらっしゃるんですか?」
「亡くなりましたよ。二人とも」
二人という言葉におやっと首をかしげる。
三井は言い難そうに顔を逸らしている。それでも、由布子は食い下がる。
「教えて下さい。あたし、知りたいんです」
「夏目家の秘密でございますよ。他人に明かす訳にはまいりません」




