第四章 4
「おまえにオレの何が分かる?」
その声は低く掠れている。由布子は臆する事なく言った。
「でも、自分の将来のことは自分で決断するしかないんだよ。乙姫さんと結婚したくないなら、それを相手に言うしかないよ」
「できねぇから困ってんだろう!」
「夏目さんって臆病だね。年齢の割に子供っぽいよね」
「そういう問題じゃねぇんだよ。もうこれ以上、方子さんに迷惑をかける訳にはいかねぇんだよ!」
「どいうこと?」
由布子が尋ねようとした時、朱里のスマホが鳴った。それは、朱里が雇っているペット探偵の仁科からの電話だ。
「大変です。夕刻、入院中の猫じぃの許可を得て廃屋を捜索しましたが、どこにもジュリはいません。ゲージは空でした。付近に設置されていたカメラを見たところ、町内会長が屋内からミカン箱を持って出てくる映像が残っていました」
朱里が少し苛立ったように言う。
「いいから結論を先に言え」
「町内会長がジュリと思われる猫を河川敷の草むらに遺棄したのです。今、その河原に到着しましたが、ミカン箱がみつかりません」
隣で聞いていた由布子は一気に青褪めた。
(そんなの嘘よ。それじゃ、ジュリはどこにいるのよ?)
まだまだ仁科の報告は続いている。
「その時、ちょうど、土手をジョギングしていた人に話を聞いたところ、ミカン箱を河に投げ込んだ中学生がいたそうなんです。おそらく、猫は箱に詰められたまま水の中で溺れたものかと……」
たまらなくなって由布子は叫んだ。
「嘘よ。そんなの信じない! ジュリは生きてる。あたし、ジュリを探しに行くわ」
☆
乙姫の邸宅。
乙姫は、天涯つきのベッドの枕に顔を伏せて号泣している。
「何なのよ。あの女、でしゃばって!」
あんな楽しそうにはしゃぐ夏目を見たのは初めてだ。
「あの女に叩かれて幸せそうにしてたけど、わたしだって、その気になれば叩けますわ。それなのに、どうして、あの女だけに叩かせるのかしら。ほんと、ムカつきますわ」
当り散らしていた。ピンク色の向けて壁にお気に入りのアニメのフィギアを投げつけていく。そこに乙姫の母の百合が入ってきた。
「乙姫ちゃん、どうかしましたか?」
「ママ、聞いてよ。パーティーは散々だったの。夏目様、わたしの許可なく変な女を連れてきたのよ」
今夜の惨劇について話すと、ふくよかな顔で微笑んだ。
「御病気なんだもの。仕方ないでしよう? 夏目家では妻以外の女を囲うのが伝統なのよ。あなたも、それを理解しなくてはいけませんわよ」
「でも、あの女、すっごく偉そうなの。脚が綺麗なのを自慢するようなミニスカートのドレスで現れたのよ。わたしへの対抗意識をむき出しにするの。ほんと、すごーく嫌な女なの」
「それは困りましたね。リベンジすればいいのよ。ママに任せなさい」
一週間後。百合の四十三歳の誕生日のパーティーが五つ星ホテルで行なわれる。
「今年は夏目君も呼ぶことにするわ。スイートルームを用意してあげる。二人で泊まるといいわ」
百合は我が子の為なら何でもするつもりである。
乙姫の兄達は先妻の息子。乙姫だけが後妻の百合の実の娘なのだ。和服の時の百合のルックスは女優の山村紅葉さんに酷似している。
「あらあら、泣かないのよ」
百合はイタリア製のレースのハンカチを娘の頬に添えている。
(こうなったら、方子さんにも協力してもらうしかないわね。あそこの息子は継母の言いなりだものね)
よしよしと乙姫をなだめながら囁いている。
「それじゃママと作戦を練りましょうね。あなたが快適に過ごせるように、邪魔な者を取り除いてあげますよ」
乙姫の父親はポッチャリ愛好家だ。ふくよかで濃い顔立ちの女の人が何よりも好きだ。乃木坂やAKBなど、乙姫の家庭では不憫な干物女である。
そんな乙姫は、私立の名門の女子高に入るまで、自分は世界で一番の美人なのだと思っていた。母も父も、乙姫のことを誰よりも綺麗と褒め続けていたからだ。
本気で娘を世界で最も可愛いと思っている百合は心の中で呟く。
(魚の骨と取り除くのと何も変わらないわ。母の愛は海よりも深いのよ)
だが、百合が去った後も乙姫の涙は止まらない。最近の乙姫は自分が可愛くないことを自覚していた。可愛いと思いたくても、クラスの女の子達か乙姫に現実を突きつけてくる。
でも、お誕生日の日だけは自分が主役になれる。それなのに……。
何なのよ。
壁に投げつけたミッキーマウスが不自然な体勢で床に落ちている。
乙姫はタラコのように分厚い唇をきつく噛み締めた。
(あの女、サラサラの髪なのに、わざわざパーマをかけるなんてどうかしてるわ。あの女、きっと頭がおかしいのよ! 正気とは思えないわ)
色んな意味で由布子は乙姫のコンプレックスを刺激する。
☆
深夜の河べりには簡易のテントのようなホームレスの家が建っている。
四月の夜は寒い。水に濡れたとなると、ヒューッと風が吹くだけで身体が縮みあがりそうになる。
『寒いニャ。ここはどこなんだよう。うえーーーん。お腹、空いたニャーー』
ジュリは満身創痍。鼻水と目脂を出してブルブルと震えている。
この時、ジュリは汚い布に包まれていた。側にいるのは赤木という優しい雰囲気の初老のホームレスだ。焚き火の前で服を乾かしながら言う。
「河に捨てられて漂流して泣いてるこいつを拾ったのはいいが、その日暮らしの俺に猫の餌を買う甲斐性はない。脚が折れてやがる。飼い主は、医者に連れて行くのが面倒で河に投げたようだな。ひでぇことしやがるぜ」
赤木の友人のホームレスが焚き木をくべながら言う。




