第四章 3
スリスリ。猫になりきっている朱里の馬鹿面を見た古参のキャスト達は青褪める。
「どうなってんの。夏目様、ぶっこわれてるわよ」
もちろん、新入りのキャストもコソコソと囁き合っている。
『乙姫様の彼氏、おつむ、やばくない?』
ザワザワ。文字通り波紋が広がっていくのは無理もなかろう。由布子は、周囲のざわめきを敏感に感じ取りドキドキしてしまう。
マイクを握る西川が言う。
「み、皆様、婚約者の夏目様は事故に遭われまして、すこーし、記憶が曖昧になっておられますが、気にしないで下さいませ」
「うおっ、夏目の坊ちゃんの連れの女、すげぇ美人。オレの好みだわ」
「アイドルとか女優さんの卵なのかな」
「いいなぁ。僕も、ああいうヘルパーさんが欲しいな」
売れない声優の女Aは乙姫を観察していたのである。そして、意地悪く笑っている。
(乙姫のあの顔、おおっ、こわっ)
夏目朱里が御乱心のハプニングがあろうとも、台本通りに進む。
誕生日のプレゼントが手渡されていく。
ちなみに、これらのブレゼントは、乙姫の侍女の西川が事前に買ったものである。それを、キャスト達が乙姫を囲んで美辞麗句と共に渡していくというのが、お約束なのだ。
『乙姫ちゃんみたいな子とお友達になれて、あたしは三国一の果報者です』
『乙姫様の美しさには、ダイヤモンドも薔薇の花束も負けてしまいます』
最後に朱里の番になったので、豪華なラッピングを施された箱を手に乙姫の元へと進む。
「お誕生日、おめでとう。僕からのプレゼントだニャン」
「あら、何かしら」
「僕の好きなものだニャン」
去年はダイヤモンドのペンダントで、その前の年は真珠の髪飾り。そして、今年は何なのかと乙姫は期待も込めて箱を開いたのだが……。
チュウキュウ。
小さな生き物が動いた。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
乙姫の悲鳴が隅々まで轟いた。彼女が驚くのも当然だ。
プレゼントの箱の中には生きた鼠がいる。しかも三匹が飛び出してきた。
由布子は腰が抜けそうになった。
ラットではなくて正真正銘のドブ鼠。
新宿二丁目の路地裏にいた大きな野良鼠をペット探偵が捕まえてくれたのだ。
鼠が、綾小路家の豪華なリビング内を縦横無尽に走り回ってる。
西川が叫んだ。
「は、早く捕まえて下さい。捕まえたら賞金を出しますよ」
幸い、金ならばいくらでもある。
『賞金』
その言葉に、みんな、顔色を変えて動き出した。
ドタバタッ。御屋敷は大騒ぎ。
トムとジェリーの実写版のように騒がしい。チャップリンの映画のようなドタバタが続いている
「あはは。みんな、鼠を捕まえろーー。僕も頑張るぞーーー。あはは」
無邪気に飛び跳ねるようにして朱里が走り回る。
鼠を追うフリをしながら、テーブルの上に置かれてる白い豪華なケーキに突進していく。バコンと顔からケーキに突っ込み、朱里の顔が馬鹿殿状態になっている。
(夏目さん、やり過ぎだわ)
ジャグリングや手品を披露する為に控えていた人達も、何が起きたのかと言いたげに目をパチクリさせている。
「ちょっと、何するのよ」
鼠に飛び掛ろうとした男Bに押し倒された女Aがムッとなる。
女Aが力任せに男Bを突き飛ばすと、彼は、よろけて、ビュッフェ形式の料理が置かれたテーブルに背中から倒れ込む。
グァッシャン。料理も皿も床に落下している。
「あーーーっ、そこに鼠がいるぞーー。ニャニャニャーーー。突撃ーーーっ」
朱里は、落下している骨付きチキンを振り回して鼠を叩こうとする。
「いやいや、そんなんじゃ駄目っスよ。オレ、ゲーセンで鍛えているから、こういうの慣れてます」
男Cは、ガッと鼠に飛び掛ると自分の胸の下で押さえ込んだ。
朱里が子供のように叫び、称えている。
「おまえは狩りが上手いニャーーン。猫の鑑だニャーーーン」
「いやぁ、それほどでもないっス。賞金はオレのものっスね。えへへ」
男Cは、まんざらでもない様子で笑っている。
しかし、女性陣は鼠を見る度に逃げようとする。てんやわんやの大騒ぎ。
床に落ちたチキンの油に滑って転ぶ者や、ケーキの生クリームを踏んで転ぶ者が続出している。
(お誕生会が無茶苦茶だわ)
由布子は唖然としていた。
悲惨な結果になっている。
乙姫はこの惨劇に言葉を失くしていた。由布子は、どこか虚しさのようなものを覚えていた。
(こういうやり方って卑怯な気がする。結婚したくないのなら、自分の言葉で口にするべきだと思うんたけど)
朱里の悪ふざけがヒートアップしていき、会場は熱を帯びている。
「ほうら、水鉄砲だニャーーーーン。マシンガンだぞーー。ドドドッ」
はしゃぐようにして、未成年の乙姫用のノンアルコールの甘いシャンパンを部屋にぶちまけている。おかげで、そこにいる人達は濡れてしまっている。
カオスがカオスを招く。
乙姫は、この悪夢を睨みつけるようにして眺めている。その目には涙が浮かんでいる。由布子の胸がズキッと痛んだ。
(何か、こういうのってよくないよな)
馬鹿騒ぎを満喫している朱里に近寄るとパシッと頬を打っていた。
「もう、やめなさい! 食べ物を粗末にしたら罰が当たるよ! お母さんから教わらなかったの!」
「んぐっ」
朱里はぶたれた頬を押さえると下唇を噛み締めた。
「ママは、そんなこと教えてくれなかったニャン。しょーがないだろう。僕にはママなんて最初からいないんだよ!」
まるで泣いているような切羽詰まった顔つきだ。
「それなら、あたしが教えてあげる。言いたいことがあるなら、相手の目を見て話すの。もう、こんな馬鹿な事はやめな。ちゃんとしようよ」
「やだやだ、もっと遊びたいニャーン」
崩れ落ちているケーキの残骸を由布子の顔にぶつけてきた。これには由布子はカチンとなる。
「やめなって言ってるよね!」
バコッ。由布子のグーパンチが朱里の腹部に炸裂している。
「ぐっ」
「な、なんて暴力的な女ですの……」
どんぐり眼を最大限に開いて乙姫が絶句している。
腹を押さえ込むようにして腰を落としている朱里が、にまっと笑った。
「気持ちいいニャーン。由布子のパンチは最高だニャン。もっと、激しくペンペンして欲しいニャーン」
デレデレしながら由布子にスリスリしている。
スリスリ。ゴロニャン。誰もがドン引きしている。まさしく悪夢。
「だから、もうそういうのはやめなさいって言ってるでしょう」
こうなったら、朱里が猿芝居をしている事を暴露するしかない。
忌々し気に由布子が朱里の頭をスコーンと平手打ちした時、背後からエリカのハスキーな声が聞えてきた。
「あら、今夜のパーティーはいつもと趣向が違うのね。遅れてごめんさいね」
プレゼントの入った袋を乙姫に差し出そうとした時、目の前を灰色の巨大な鼠が横切った。
「いやーーーん。何なのよ」
キャスト達の顔や身体は、いつのまにかケーキやシャンペンにまみれている。
この状態でのバーティーは無理と判断した西川が、皆に向かって険しい顔で告げた。
「さて、皆様、今夜は、これでお開きといたします」
パンッ。西川の指令によってメイド達が片付け始めた。
「はい、皆様、お疲れ様でした」
有能な西川は報酬を手渡している。問答無用の強制終了だ。お誕生会は打ち切りとなった。
『早く終わったわね。拘束時間、二時間は覚悟してたのに』
『西川さん、口止め料として余分に一万円、くれたわよ』
『いやいや、何にしても、今日は色んな意味で楽しかったぜ』
『それにしても、夏目さん、どうなってんの?』
『おい、それ、Xとかインスタとかで呟くと殺されるぞ』
『言う訳ないじゃん。事故って怖いわね。あんなにカッコいい夏目様が、あんなことになるなんて』
『今年も、クリスマスパーティーをやるのかな。その日、空けとこうっと。久しぶりに笑ったわ』
そこにいた全員が、また来たいと思うほどにエキサイティングな夜だった。
☆
帰宅途中の車内で朱里は自分の腹のあたりを摩っていた。不機嫌そうに由布子をガン見している。
「てめぇ、先刻は、よくも思いっきり腹と頭を殴ってくれたな」
「教育的指導だよ」
「嘘つけ。あれは鉄拳だぞ」
「逆の立場ならどう思うの? 夏目さんは、自分が抱えている問題と向き合うのが怖いんだね」




