第四章 2
「うっ」
ハイと即答すべきなのか。いや、このミッションはあまりにもハードだ。躊躇していると朱里が脅してきた。
「エリザベスの餌代とジュリの捜索費用、いくらかかると思ってんだ?」
「そんなもの、あたしの自宅への侵入の罪を訴えたらどうなると思いますか。慰謝料とれますよ。未成年の女子の家で全裸になったんですからね! 指紋とか体毛とか落ちてるに決まってるし、証拠はバッチリだわ」
「おまえ、夏目家の怖さが分かってないな。消毒済みだよ。おまえが留守の間にオレの痕跡なんて消し去ってるさ」
何だと!
清掃業者が勝手に寝室に入ったのか。
「ほんと、夏目家ってムカつくーー」
マリアンヌが、由布子の肩についた髪を落としながら鷹揚に微笑んでいる。
「あらあら、協力してあげてよ。イケメンのお尻をペンペン出来るなんて贅沢だわぁ。あたしなら、考えただけでヨダレが垂れちゃうわ。悶えちゃうわ」
「夏目さん、そんなに嫌われたいなら、全裸になって高価なソファに向けてオシッコすればいいのに。あれを見たら、さすがの乙姫さんも結婚したくなくなるよ」
「猥褻罪や器物損壊で捕まる訳にはいかないんだよ。夏目家の男としてギリギリ許されるスキャンダルが、お尻ペンペン萌えなんだよ」
「でも、みんなスマホを持ってるから、やめといた方がいいと思うけどな~」
「いいんだよ。思いっきりやってくれ」
朱里は婚約破棄の大芝居を打とうとしているようだ。
☆
由布子が美容院で髪を切り終えた頃、事件が起きようとしていた。
午後六時。岸辺老人の廃屋へと忍び寄る人物がいた。後ろめたいのか、その人は薄い眉をハの字に下げていた。町内会長の笹倉は一大決心をしてここまで来ている。
「おまえ達、すまないが、街から出て行ってもらうよ」
笹倉はタマとホームズを捕まえると、よっこらしょと周囲を見回した。
「それにしても、ゴミだけらけじゃないか。困ったもんだね」
薄暗くて物で溢れた部屋を電灯でゆったりと照らす。
「おやおや、ここにもいるのかね」
ゲージの中にいるのはジュリ。
笹倉はジュリの鼻先にまたたびを嗅がせる。それから、そっと抱き上げてからダンボールに詰め込むと情けない顔のまま単車を飛ばす。
(わたしの妻の米子は花壇を荒らされるとヒステリーを起こすんだよ。どうか、どこか遠くで暮らしておくれ)
半時間ほど走った後、笹倉はダンホールを河原に置いて逃げた。哀れなジュリは海からも近い河川敷で放り出された。
他の猫はダンボールから脱出してどこかに逃亡している。
だが、ジュリは車酔いをしておりグッタリしていた。
(ここはどこニャ? 風の音と水の音がするニャ。遠くで、子供達が笑う声が聞こえるニャ)
河川敷の野球場からの声が細切れに届く。
(この箱から出たいニャ、困ったニャ。脚が痛くて乗り越えられないニャ。どうしたらいいのかニャ。由布子、おいら、とんでもないところに来たみたいだぞ)
ニャーニャーと声の限り叫ぶ。
必死にアピールしたが、草むらに置かれたダンボールに気付く者などいない。
ここを通るのはホームレスぐらいなものだ。
どんどん日が暮れていき、心細くて震えていると、サッカー帰りの少年が気まぐれにダンボールを蹴っ飛ばした。
チャップン。ダンボールに詰められたままジュリは川に落とされている。
☆
ジュリが川に落ちた頃。近隣の物から竜宮城と呼ばれている乙姫の自宅ではパーティーの準備に追われていた。
乙姫の父方の祖先は明治維新に深く関わっている。
電気会社、鉄鋼、および商社。
いわゆる財閥の家系だ。
綾小路家の資産は莫大だ。
今でこそ、夏目グループに差をつけられているものの、戦前までは綾小路家が日本のトップを走っていた。
乙姫の曽祖父が文学青年だったので中堅どころの出版社も保有している。某テレビ局の筆頭株主だ。それもあってか、綾小路家はマスコミにも顔が利く。
元々、乙姫の祖母は京都の公家の血を引いているので京都市内からは出たくない。ということで、引退した祖父母は京都の一等地に住んでいる。
乙姫の大学生の兄はワシントン。
乙姫の社会人の兄はドイツ。
乙姫の父は欧州を点々としている。
綾小路家にいるのは、乙姫と、その母と、メイド達のみ。
ちなみに、乙姫の母の百合は、本日、政治家のパーティーに出席している。
乙姫の侍女であり教育係の女は西川美音子。四十九歳。独身。西川が乙姫のパーティーをセッティングしたのだ。
さぁ、いよいよパーティーが始まった。
「皆様、本日は、乙姫様のお誕生日に集まっていただき、誠にありがとうございます」
綾小路家の広いリビングには男七人女七人の美男美女たちがいる。
全員が金で雇われている架空のフレンド。つまりサクラだ。
艶やかなワンピース姿の声優事務所に所属している女Aが、甘ったるいアニメ声で呟いている。
「はぁーー。相変わらず、竜宮城は豪華だね。また今年も、この季節が来たわね~」
「オレは楽しみだぜ。レンタル彼氏のバイトよりラクでいいよ。うまいもん食って、面白い手品や寸劇を見て楽しく二時間ほど過ごすだけでニ万円だ」
そう言ったのは、大学のサークルで劇をしながら、執事喫茶で働いている男Bである。
「それは分かるけどさ、あのブスの婚約者が超イケメンってのが腑に落ちないのよね」
女Bが唇を尖らせている。
「金持ちってのは、案外、不自由なんだな。結婚相手を自由に選べないのなら、オレは庶民でいいや」
すると、ヒラヒラとお洋服の裾をなびかせながら乙姫が現れた。
タレント養成所に通いながら女優を夢見ている女Bが言う。
「うわーー。今日もイタイ服装してるわぁ」
しかし、副業としてレンタル彼氏をしているサラリーマンの男Cが言う。
「あの子、普通にしてたら、ぽっちゃりして可愛いのにな」
「好みは人それぞれだな。問題があるのは性格だよ。なんだよ、これ」
皆に手渡されているのは台本である。
台詞の内容がイタイ。
『乙姫様って本当に可愛らしくて羨ましいです。あたしも乙姫様のような女子になりたかっです』
みんな苦笑せずにはいられない。
『乙姫さんみたいな清楚なお嬢様が婚約者だなんて、おまえは幸せ者だな』と言って、夏目朱里の肩を肘で小突くというのも、シナリオには細かく記されている。
キャスト達は乙姫を盛り上げる為に存在している。
もはや、お誕生日会という名の茶番劇。
「オレなんて役者の卵だから、こういうのは逆に嬉しいけどね」
「あたしも声優の端くれだから頑張るわよ。だけど、こんなことやってて、あの娘、虚しくないのかな。新しく雇われた子達は台本を覚えようと必死だわ。あたし達は余裕ね。台詞を忘れたら乙姫を褒めておけばいいんだもん。美辞麗句を並べときゃ安泰よ」
そんな会話をする男女のキャスト達だったが……。
「お嬢様、夏目様がおいでになられました」
すると、乙姫は声を荒らげた。
「ちょっと、何なの。こんな女、呼んでいませんわよ」
完璧に着飾った朱里の隣には由布子がいた。
朱里が由布子の腕にしがみついている。
「お誕生日、おめでとうだニャン」
「な、夏目様。その女は何ですの」
それには化粧っ気のない西川が淡々と答える。
「三井様からの伝言です。この娘は夏目様のヘルパーだそうです。容態が悪化した時には助けになるそうです。例えるなら、生きた杖のようなものです。道具と同じですので、お気になさらないで下さい」
気にするなと言われても朱里の態度は尋常ではない。
「うーれしいなっ。由布子といつも一緒だニャン。僕の由布子は世界で一番綺麗で可愛い人間だニャン☆ 広瀬すずよりも可愛いニャン☆」
スリスリ。スリスリ。
朱里は由布子にべったりへばりついているが、由布子としては複雑である。
(あたしが広瀬すずより可愛い訳がないだろう! マジでムカつくわ。夏目さんの悪ふざけに付き合いきれないわ~)




