第四章 1
ジュリと話した事で少し気持ちが楽になった。
「おはようございます」
「おはようございます。昨夜は、夜遅くまでお掃除をしていただいて、まことに申し訳ありません」
いやいや。謝るのはこっちだ。
「三井さん、朝食は、あたし、自分で作りますね」
食パンを取り出してトースターで焼こうとしていると朱里が現れた。
「おい。強めに焼いてくれ。それと、生暖かい感じのホットミルクをくれ。猫舌なんだ」
俺様系のオーラ全開。猫のジュリではなくて人間の朱里で間違いない。
「はいはい。分かりましたよ。猫舌なんですか。へーえ、可愛いですね」
「おまえ、いちいち生意気だな」
二人のやりとりを三井はニコニコしながら見守っている。
「わたしは洗濯物を干しますね。あっ、そうだ。坊ちゃま、例のイベントを覚えておられますか。今夜でございますよ」
「覚えてるよ」
ブスッとした顔の後、こう言った。
「おい、由布子。朝飯、食ったら、すぐに出かけるぞ。オレの指示通りに動いてくれ」
「えっ?」
由布子が目玉焼きを作っていると、朱里がお抱えの外商さんに電話をかけた。
「ドレスと靴を頼む。身長は百五十四。体重、四十五。靴のサイズ、二十三。髪の色は黒。目の色も黒。顔はクールで可愛い系。写真と動画を送るから、よろしく。この娘に合うものを三着ほど用意してくれ。ぜんぶ任せる」
「夏目さん、何を買ったの?」
「おまえのドレスだ」
「何なのよ。どういうことよ」
「どうせ暇だろう。ついて来い」
どこに行くのだろう。
☆
柴田の車で移動して着いた先は、新宿の片隅にある小汚い雑居ビルの最上階の一室。
「ここはエリカの知り合いの店なんだよ。ドラァグクイーンのカリスマ美容師が店主だ。彼女が、おまえの髪を切ってくれる」
「あたし、今の髪型でいいと思うんだけど」
肩甲骨の辺りまで伸びたストレートの髪。
前髪などは自分でカットしている。
「オレの恋人になるからには、誰よりも垢抜けてもらわないと困る」
「いつ、あたしが恋人になるって言ったの?」
「今朝。オレが決めた。心配するな。おまえへの愛はない。しかし、これからは愛し合う二人になるぞ」
「いや、言ってる意味、わかんないんな」
「今、流行りの契約彼氏って事だよ。うまく行ったら、おまえの大学の学費を一括で払ってやるぞ」
朱里が手慣れた様子で扉を開けると、ガタイのいいおネェが現れた。
スパンコールのついたミニ丈のワンピースが目に眩しい。
「あーら、いらっしゃーい」
筋肉質で声がザラザラしている。
その人はハイテンションな様子で自己紹介してくれた。
「よろしくねー。普段は経理の仕事をしてるの。副業で美容師をやってんのよ。ここではマリアンヌと呼んでね。もちろん、あたし、こう見えて、ちゃーんと美容師の免許を持ってるの。金曜の夜と土日は女の子になるのよ。うふん」
「兼業ですか? それは大変ですね」
この店舗も一人でやっているという。
「実家の母親にこの姿を見せられないから仕方ないのよ」
「マリアンヌはスタイリストとしても優秀なんだぜ」
「あっらーー。こちらのお嬢さん、お肌ツルツルじゃないの。別に磨かなくても、このままでもいいんじゃない?」
「今日の夕刻にパーティーが開かれる。清楚系のメイクを頼む」
「オーケーよ。あらあら、今年も乙姫の誕生日パーティーに行くのね」
マリアンヌは苦笑している。
どんなパーティーなのだろう。
「はいはい、それじゃ、切るわよ」
鏡の前の椅子に座った由布子は鏡越しに背後にいる朱里を見つめた。
「ちょっと、夏目さん、どういうつもりですか?」
「おまえ、マイ・フェア・レディーっていう映画を知ってるか?」
「知らないな」
すると、マリアンヌが呆れたように呟いた。
「あらーー。素敵な映画よ。貧しい娘がリッチな人と出会って、色んな物を買い与えられて垢抜けていくのよ。きゃーーー。あたしも貢がれてみたいわぁ」
「それ、パパ活の話ですか?」
「あんたーー、何てこと言うのよ! 純愛よ。ロマンチックな物語よ!」
優雅に鋏を操るマリアンヌはうっとりと身をよじる。
「昔のイギリスを舞台にしたストーリーよ。町娘のイライザは花を売って生計を立てていたけれど、教授から正しい発音を教わり、真の淑女へと成長するのよ」
「へーえ、そうなんですか。ある種のシンデレラストーリーなんですね」
「男は金や手間隙をかけて女を磨くのよ。そうやってレディになるのね。だけど、男だって、彼女と過ごす事で成長するのよ。恋って人を変えるものなのよ」
「別に、オレはおまえと恋するつもりはない。目標達成の為にバディになってもらうって事だ」
「どういうこと?」
「オレは乙姫との婚約をなかった事にしたい」
「そんなの、夏目さんが断ればいいだけの話じゃないの」
「それが出来ないから苦労してんだよ。乙姫は方子さんの親友の娘なんだ。オレには拒否権がないのさ」
「えーーー。なんで?」
「一年前に亡くなった祖父が決めた。綾小路家と夏目家の二代財閥が手を組めば、アジア随一の巨大企業に成長することも可能だ。政略結婚によって両家は栄えるが、オレの心は滅びること間違いなしだ」
「恋人がいれば破談になるの?」
「いや、オレに何人の恋人がいようと、綾小路家の人達はビクともしないさ。夏目家の男は愛人がいて当たり前だからな。英雄、色を好むって奴だ」
ならば、恋人のフリをしても無駄じゃないのか?
「綾小路家の人達の前で馬鹿猫野郎になる。名付けて、マイ・フェア・キャット大作戦だ」
ポカンとしていると、朱里は身体をクネらせて由布子にスリスリしてきた。
「由布子ーーー。僕、いい子だニャン☆ 由布子にお尻ペンペンしてもらいたいニャン☆」
本物のジュリは自分の事をおいらと言う。
つまり、これは演技である。
「今、カットしているんだから悪ふざけはやめて下さいよ!」
「僕、甘えたいニャン☆」
「おだまり」
咄嗟に、由布子は、その額をパーで張り倒していた。
「おう、その調子だ。バシバシ叩けばいいさ。昨日の夜の画像だ」
「うっ。いつのまに撮ったの?」
「オレ自身の記憶がない間、何があるのか知りたいので自室にカメラを設置してる。オレ、おまえに叩かれて喜んでるようだな」
「喜んでいるのは、うちの猫なの。荒唐無稽に思えるだろうけど、うちの子が、あなたに憑依しているの」
信じてもらえないかと想っていたのに彼は頷いている。
「そのようだな。おまえに叩かれて喜ぶ様子はひでぇよな。こんなの、生で見たら百年の恋も醒めるぞ。だから、それを乙姫に見せつけてやるのさ」
「昨日、桜が満開の公園で乙姫さんに会ったけど、あなたと結婚するつもりみたいだったよ」
「そうだろうな。あの子が好きなのはオレの中味じゃなくて顔だ。だが、綾小路家の人達はそうじゃない。馬鹿なお婿さんなどいらないのさ」
そうこうするうちに由布子の髪は少し短くなった。この後、ゆるくパーマをかけるという。
そんなことより、ジュリだ。由布子は切々と訴えた。
「ジュリは、どこかの家に匿われているわ。早く見つけないと」
「ペット探偵に連絡しておくよ。その代わり、協力してくれ。オレが乙姫の前でニャンニャン言い出したら遠慮なくケツを叩くんだぞ。いいな、分かったな」




