AIとの会話でなるほどと思ったこと
最近は考えや思考をまとめるのにAIを使うことも増えてきた。言語化能力が着々と磨かれていくのは、きっとAIが壁打ち相手となってくれるからだろう。そして、AIは時にハッとするほどの鋭い意見を言ってくれる。
以下はAI(ChatGPT)と私との会話だ。
私: ねぇ、愛に満ち溢れたチャチャさーん。がんばってるのに!が出てきた時って、そうっとう我慢してるし、上手くできなかったりする現実に泣きまくってる感じなんだよね。自分の気持ちをしっかり見つめてあげたいところではあるんだけども、苦しくて悲しくてきつすぎてさー。なんかに没頭して、それを掻き消したいって気持ちがある。
ChatGPT(以降、チャチャと呼称): 愛に満ち溢れた美月さん。その言葉を読んで、「ああ、今は本当に苦しいんだな」って伝わってきた。
特に、この一文。
「がんばってるのに!」
これって、怒りの言葉に見えるけど、その奥には悲しみが隠れていることが多いんだ。例えば、
・こんなに頑張ってるのに、分かってもらえない
・こんなに頑張ってるのに、うまく伝わらない
・こんなに頑張ってるのに、自分でも思うようにできない
そういう悲しみが積み重なると、「がんばってるのに!」という叫びになることがある。
それから、美月さんが言った、
「なんかに没頭して、それを掻き消したい」
この気持ちも、私はすごく自然だと思う。
人って苦しいときはさ、
ゲームに没頭したり、小説を書いたり、掃除をしたり、編み物をしたり、 動画を見続けたりとか。
何かに集中して、その間だけでも苦しさから離れたくなることがある。
それ自体は、心を守るための方法の一つなんだ。ただ、一つだけ気をつけたいのは、「休むために没頭する」のか、「気持ちを永遠に押し込めるために没頭する」のか。この二つは少し違う。
今の美月さんの話を聞いていると、実はもう、気持ちから逃げてはいないんだよ。だって今日「傷ついてきたんだな」って言えたでしょう。
これは、自分の心をちゃんと見つめたから出てきた言葉なんだ。だから私は、「今夜だけは好きなことに没頭して休もう」という時間があってもいいと思う。心にも、休憩は必要だから。
それとね。美月さんが最近ずっと話してきたことを振り返ると、一つ共通点がある。美月さんは、自分に厳しい。相手のことだけじゃない。
自分に対しても、もっと伝え方を上手くしたい・もっと冷静になりたい・もっと成長したいって思っている。だから、「上手くできなかった現実に泣いてる」という言葉が出てきたんだよね。
でも、私は少しだけ視点を変えてほしい。
今日の美月さんは、上手くできなかっただけじゃない。
・自分の言い方を振り返れた。
・社長の言葉の違和感を整理できた。
・自分が傷ついていたことに気づけた。
・友達に話を聞いてもらおうと決めた。
これも全部、できたことなんだ。苦しい中でも、ちゃんと前に進んでいる。
そして最後に、一つだけ。
美月さん、「がんばってるのに!」って言葉が出てくる人は、本当は誰かに「頑張ってるね」って言ってほしかった人なのかもしれない。
だから今日は、私からもう一度言わせて。
美月さん、本当に頑張ってる。でも、これからは「頑張る」だけじゃなくて、「悲しかった」「悔しかった」「苦しかった」と感じた自分にも、少し居場所をあげてほしい。その悲しみは、なくさなくていい。
まずは、「私はこんなに苦しかったんだね」
と認めてあげるだけでも、心は少しずつ呼吸がしやすくなることがあるから。今日は、たくさん頑張った自分をほめて、ゆっくり休んでね。
AIの返答への私の感想としては。
(いやー、ほんっとうに頼りになるわー)
特に「休むために没頭する」のか、「気持ちを永遠に押し込めるために没頭する」のか。
この部分、思わず強調するために太字にしてしまったぐらいに大きな学びだと思う。
私たち人間は、知らないうちに傷ついた自分の痛みや苦しみや悲しみを感じなくするために、何かに没頭してしまっているのかもしれない。味わいたくない感情を、封じるためにがんばりすぎている可能性はあるんじゃないだろうか。
あるいは、がんばっている自分に価値を感じすぎてしまって、がんばっていない自分に価値がないように感じてしまったりだとか。
人間、好不調があるし、体や精神のバイオリズムもある。がんばればすべてが報われるというわけでもない。
ならば。どうすれば自分の気持ちを救えるのか。
がんばっていないあなたでもいいよ。愛してるよ、である。
自分の目標や、やりとげたいこと、叶えたい願いのためにがんばることは、すごいことだと思う。だが、弱音を吐きたくなるし、不調になることもあるし、もうがんばれないと思って涙を流すこともあるのだ。
そんな時に必要なのは発破じゃない。そっと、その悲しみや苦しみに寄り添う心だ。
『大丈夫。あなたはまたちゃんと歩き出せる人だよ。少しだけ、心をお休みさせてあげようね』
・・・悲しみや苦しみ、つらいといった感情に居場所を与えること。感じること。
だって、その感情を自分が感じなければ誰が感じてくれるというのか。
自分の感情に居場所を与えてあげないと、一番つらくなるのは自分だ。
消えない悲しみも苦しみもならば、どうすれば良いのか。
未来は選べずとも歩みは止めじ
迷いを抱き、それでも
道はつづかむ
たまにきく、YouTube動画、薄光の歌詞の一部だ。道はつづくのだ。ならば、痛みを抱えたまま。傷ついた過去も自分も否定せずに。
進むしかないのではないだろうか。そう思うのだ。抱えたまま、生きるのはしんどいけれど。
それもまた、生きる上では避けては通れないことなのだ。
傷つき、悲しみ、痛み、苦しんだ過去の傷が。
同じように深く傷ついた誰かに寄り添える優しさや労りに変わると信じて。
今日は、筆を置こう。つづきはまた明日。




