私の人生はハッピーエンドがいい
金曜日は夕方シフトだ。出勤したが、意外と最初の三十分程は暇だった。そこから、人が来店し始めて、お冷を全部出すことになった。
それほど忙しかったわけではないのだが・・・なんか、上手くいかないなという感じが強かった。一緒に入っていたバイトメンバーは二人だ。
一人は仕込みで、包丁を使っていたのでいいのだが。もう一人。
どう言えばいいだろうか。
落差、違和感、ざわざわ。
私が動かずを選択して、ようやく動く、みたいな。そんな感じに最初は見えた。
ひょっとしたら、自分が入った週の金曜日が暇だったから、今日もそんな感じだろうと思っていたのかもしれない。
が、結構人が来るし、三人ともきっちり働くことになった。
最後は閉店時間にきっちり仕事があがれたので良かった。
だが、ここで疑問が湧いてくる。
なぜ、私は相手に対して引っかかっているのだろうか。
ちゃんと全員、仕事はしていたし、別に手は抜いていなかった。
心の奥底に、私のエゴがあったのだろう。
もっと成長してもらわないと困る、という。
これは、完全に自分のエゴだ。相手に押し付けていいものではない。
あぁ、そうか。
もう、見守っていなくても大丈夫だという安心感が欲しかったのだ、私は。
見守りは意外と気力を使う。それが大丈夫だと、見守りを外したかったのだ。
本当は仕事あがりに、ちゃんとすごかった、成長したと相手をほめたかったのだが。
ほめたかった相手は仕事が終わるとすぐに店を出て行った。
関わりたくないのか、本当につかれただけなのか。深読みしてしまう自分の性格が出てしまう。
(無意識的に、嫌われてるかもね)
避けているようには見える。ただ、それが真実かどうかなど、当人にしかわからない。わざわざ確かめようとも思わない。私をどう思おうと、それは相手の自由なのだから。
私にベテラン並の力はない。ある程度、相手にも仕事の能力を磨いてもらわなければ、こちらの負担が重くなりすぎる。
嫌なことを言ってくる相手と認識されていても仕方ない。だが、単発バイトで子どもと接していてわかったことがあった。
ダメなものはダメ。良いものは良い。
仕事において、言わなくても良いだろうは、正直、成長につながらない。
ベテランたちが、ミスややるべきことを先回りしてフォローしていた状況は一変した。
フォローがない中で、自分たちの力を磨いてもらう。私の場合は水曜日にきっちり力を磨かれているのだから、文句は言わせまい。
という思考になってしまうのだ。ひとりよがりかもしれないが、チームで動くことを前提にする以上、各自の負担が同じぐらいで分散されるのが理想だ。店長や役職付きであれば、仕事量や責任も重くなるだろうが、そうではない。
(・・・矛盾してたか)
通常、バイトとして立場は一緒。ただ、経験年数は違う。本当なら、私も相手に言えるだけの実力があるわけではない。
いや、だからこそなのだ。私の実力はまだまだだ。だからこそ、私だけが気をつける環境には持っていきたくない。私だってミスをするし、なんならミスの数が一番多いのが私かもしれないと思うぐらいだ。全員が気をつけていれば、ミスに気づける確率は上がる。確率を上げるためには、相手に意識してもらわなければならない。
だから、嫌がられても言う。効率もちょっとは考えて行動してと言う。ミスしたことがあるなら、尚更に。
(損な役回り)
でも、仕方ない。これが私なりのやり方で、今できる精一杯なのだ。もっと上手くできたら良いが、初めから上手くはできない。
結局は、そうやりたいと思う自分を認めて、あきらめて、結果を受け入れるしかない。
甘さと優しさは違う。甘さは行き過ぎると過保護になるし、相手から成長する力を奪ってしまうことにもなりかねない。
成長するためには、時に突き放すことも必要なのだ。厳しいが、曖昧なまま進んでも、歪む(ひずむ)。歪みを見て見ぬふりをして、放置しておけば、いずれ崩壊するか、おかしくなる。
残らないなら、それはそれで仕方ないのだと思う。残ってほしいから、相手のご機嫌伺いばかりして、それは本当に「健全な関係」だろうか?
私は違うと思う。人間関係で摩擦を起こさないように、と動く人間が日本には多い。
ただ、うちは違った。
人間関係で摩擦は起きるし、むしろ起こしてもいい。衝突してもいい。ただ、最終的にちゃんと仲直りしたいのであれば、謝って許してもらうようにした方がいい、の家だった。
完璧なんて、うちの両親は求めなかった。まぁ、行かせたい方向に誘導はあったが、それに乗ったのは自分自身なので別に問題はなかった。
人間関係で摩擦を起こさないように、穏便に?
家系の血筋かもしれないが、難しいだろうなと思う。
うちは、自分の意見や考えや思いはしっかり自分の口で伝えなさい、という教育方針だったからだ。自分の意思・意志、言うべきことがあるのであれば、伝えることから逃げるな、である。
家族であっても、他人なのだ。言ってもらわなければわからないことがある。
八つ当たりされたし、同じように八つ当たりもした。
八つ当たりなんてという人がいるなら、それは怒りの感情がない人間か、自分のことを棚上げしている人間だ。関わる必要などない。
私は私だ。私が言うべきことは私が決める。
私の思いも感情も私のものだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。きついと言われることもある。感情的になりすぎだと言われたこともある。
それでも。それも確かに「私」の一面なのだ。
良いか悪いか、善悪ではもう判断しない。
他人の言葉に惑わされない。
聖人君子になりたいわけじゃない。
身勝手でわがままで感情的できつい。
だから、どうした。傷つきたくないなら、近づかなければ良い。余計なことを言わなければいい。未熟者だが、なにか?
だから、成長するんだろう。成長するために、足掻いて、もがいてをするんだろう。
自分を偽らない。それが、私の矜持だ。
気に入らないなら、私の前から去ればいい。
ただ、それだけの話。・・・確かに、きつい性格だ。だが、落ち込まないわけじゃない。傷つかないわけでもない。何度も何度も泣きながら。
それでも今の自分の精一杯だったということを認めて。泣きながらも、前に進むことをあきらめなかった。
変わりたい、成長したい。
もう、こんな思いをしないで済むようにと、何度願っただろう。
願った数など、最早数えきれない。
私の人生はハッピーエンドが良い。
そのために進む、それだけ。
今日はこの辺りで筆を置こう。つづきはまた明日。




