十人十色に応募してみようと思う
さて。結局は、昼間は睡眠が取れてなかった影響でしばらくゴロゴロしたが。夕方から本格的に動いた。
買い物に行き、こんにゃくを炊いたのを作った。玉こんにゃくが安かったのだ。明日の朝ごはんにもってこいだろう。
カレーも作ったので、ご飯さえあれば、カレーライスで食事は賄える。
最近やけに台所の湿気が強くなり、野菜が痛むのが早い。気をつけないと、せっかく購入した野菜が食べられなくなってしまう。しばらくは、冷蔵庫管理でいいかもしれない。
さて、せっかく文章を書いているので他のサイトにも投稿しようと、ネット検索をしてみた。
すると、文芸社の十人十色のページを発見したのだ。こちらは、賞金付きの公募だそうで、せっかくなら応募してみようと思った。
せっせと、小説サイトに載せた文を引っ張ってきて、パソコンで体裁をある程度整える。
そもそもが企業名など載せていて、あちらの公募規則に反しているかもしれないし、取り上げられない可能性の方が高い。
趣味で書いているようなものだから、別に構わない。応募すれば、文章は読まれる。一人でも読者となってくれる人がいる、というところに価値を感じればいいだけの話だ。
丁度、応募締切も5月末なので、短期的に集中すれば応募は可能だろう。
こうして書くネタにもなる。
私が知りたいのは、「自分が世界をどう見ているのか」なのかもしれない。
文章でも、歌や絵、創作活動にも言えることだが、表現は嘘をつかない。つけない。脚色や取材をし、素晴らしい文章や本となり、出版される人もいる。それだけの時間と情熱を注いだが故に、それらはたくさんの誰かの心に響くのだろう。
私は、創作活動で一番重要なのは自分に嘘をつかないことだと思う。
表現すればわかるものだ。相手がなにを表現したがっているのかが。
だからこそ、おもしろい。文章にすることで、私は自分が世界をどう見ているのか、改めて知ることができる。
意外と、自分には思いも寄らない方向へ、ころころと文章が転がっていくこともある。
書きたかったことではなく、心の内から勝手に出てきた言葉。他愛ない質問。自身とのやりとりや、他者とのやりとり。
思い通りにならない表現。自分の表現さえ、ままならないのに、現実が上手くいかないと嘆く。
矛盾、否定、肯定、愛想、無愛想。
怖さはおもしろさへと変わり、未知をまだまだ探検したい。私という未知を。
だから、文章を書き始めたのだろうなぁと私自身が納得する。私はまだ、私のことを知らない。
どんなものに興味があって、どんな風に物事を捉えて、どんな文章を書くのか。
手探りで模索中だ。気まぐれでわがままな一面もあれば、生真面目過ぎて融通がきかない一面もある。どちらも結局は、私なのだ。
本当は、誰しもが怖いのかもしれない。
自分を知ることは良いことばかりではない。自分の弱さ、狡さ、醜さ、汚さを思い知ることでもあるからだ。
死にたいと、何度思っただろう。
殺したいと、何度思っただろう。
腹が立つと、何度思っただろう。
悲しいと、何度思っただろう。
孤独だと、何度思っただろう。
それでも。
自分で自分の幸せをあきらめることなどできはしない、やってはいけない。
それだけはやってはいけない。
なによりも、自分で自分の幸せを願い、祈れない自分に成り下りたくはない!
幸せになってやる。この今の苦境から脱して。
必ず幸せになってやる。
笑いたければ笑え。除け者にしたければすれば良い。
それでも、私は幸せになることをあきらめはしない、と。
何度誓っただろう。
終われないのだ、不幸なままで。
バッドエンドなんかいらない。
ハッピーエンドがいい。ハッピーエンドを常に目指す自分でいたい。
それが、私が自分に課す課題だ。
自らの奥底にある、激しい怒りも痛みも伴う激情。それすらも、逆境の中で私を生かすためのものだったのだと、もう知っているから。
だって、両親がつけてくれた私の本名には、「希望」の意味が込められているのだ。
ならば、私は「希望」を失わず、生きていきたい。
何度だって人生の中で、迷い、痛み、傷つくだろう。現実と理想とのあまりの違いに打ちのめされ、泣くのだろう。
その度に、問いかけよう。
「自分が不幸なまま、終わっていいのか?」と。
少し、熱くなり過ぎた。今日はこの辺りで筆を置こう。続きはまた明日。




