失敗を責められて。やっぱり悲しいから
最近、甘いものが欲しくなって仕方なくなる。ついつい、買ってきた黒糖を食べて自己嫌悪してしまう。
糖分を摂り過ぎれば、血液がどろどろになり、動きづらくなり、さらに健康にも悪い。
どうしたものか。衣替えもしたいし、できる限り「ちゃんと丁寧に」生活を送りたい。
なのに、上手くいかない気がして。いつもいつもいつもいつも。
上手くいった感覚には、なりづらい。
多分、人が苦しむのはこういう部分なのだろうな、と思う。
命には唯一無二の価値がある。
それは真理だ。これについては、特に異を唱える気は私にはない。
ただ。
「命には唯一無二の価値がある」ことと、
「命には唯一無二の価値があることを自分が感じられる」こととは、別問題になってくる。
要するに。感覚的にそう思えない、信じられない、それならこの苦しさは、悲しさは、辛さは痛さは虚しさや孤独や絶望感や自己嫌悪感は。
ぽっかりと心に空いた穴のような、無価値観は。
なんで消えないのかと思うし、思ってしまうものだと思う。
満たされたいがために、自分に外付けの箔をつけたくて。
努力しているのに、自分に合わない努力を続けるのはどこか虚しくて。
満たされるためにやっているのに、いつまでやっても、満たされずに苦しいままで・・・。
と、いう感じなのだと思う。
すべてが楽しいだけはないところがまた・・・。人生なのだろう。
今は、一旦ライブや動画を観ることもやめている。内面と向き合いたいからだ。
もうすぐ、私の誕生日だ。私が住んでる家も誕生日を迎える。
楽しめたし、もう終わっても良いのではと思う自分と。
叶えたい目標をまだ叶えられていないから、それを果たすためにまだ生きようとする自分と。
満たされる必要があるのかと思う自分と。
さまざまな思いが入り乱れる。
楽しみたいだけなのに、上手く、それができなかったりする。
自分の部屋の片付けが進まないのと、よく似ている。
自分で自分のことを嫌っている自分がいる。
それは、私は大切にされていない、という感覚があったり、失敗した自分を許せないからでもある。失敗は、嫌な気持ちになるものだから。
物事自体は単純な話だ。
失敗したくないのに失敗した。嫌な気持ちになった。
「だから」失敗しないように行動しない。
そんな思考癖が私にはあると思う。
これを意識的に変えるのは、私にはそこそこ難易度が高い。そんな感じだ。
ただ、仕方ないよなぁと思うあきらめにも似た部分もある。
失敗することは、誰しもがある。
重要なのは、失敗した後、どう動くかなのだと。失敗を何度も何度も経験すると、人は立ち直りが早くなる。最初は大きなショックを受けるが、それもまた自分の人生に必要不可欠なことなのだろう。巡る、まわる。
愛を感じていても、感じられなくても。
世界に愛は注がれている。
生まれてきたこと、生きていること。
それこそが奇跡。終わりなき探求、思考の整理・言語化。磨くはなんぞ?
己がなりたい姿の定義。己が叶えたい願いの定義。自己実現のための障害は、叶えたいと願ったが故に。
ついぞ、人とは不思議。自らの願いを押し隠し、押し殺し、願いを叶えるための行動を自ら否定する。自分が傷つきたくないが故に。
まぁ、そういうことなのだろう。
あと、別の人の制服を間違えて持ち帰ってしまっていた。
ちなみに、サイズ違うから間違えるわけないでしょ、という店長の言葉があったが。
普通に違和感を流してしまっていた。
なんだかなぁ。そんな間違いする?ミスする?と言われるが、人間である以上失敗するし、上手くできなかったりすることの方が多いと思っている。仕事ができなかったりする原因は自分にあるので、仕方ないが。
いつもと同じような、そうでもないような。
あぁ、なるほど。店長の中では「あり得ないこと」で、私の中では「あり得ること」だったというわけだ。自分は仕事ができないを、自分で叶えてるなぁと思う。
この無意識の防衛反応は根深いなと思う。
傷つきたくないが、生み出しているから。
よく言われるのだ。失敗するな、と。
失敗するなは、行動しようとするなと受け取る人間もいるから。だから、どんどん行動しようとする気力を削がれるんだろうなぁと思う。
今の気持ちを吐き出すなら。いや、やめておこう。ネガティブな発言すぎる。
今日は動けなくても、ひとまず自分を労わろうと思う。
失敗を責められて、やっぱり悲しいから。
ただ、衣替えはする。絶対に。
よし!気持ちを切り替えよう。
今日はここまで。つづきはまた明日。




