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悪役令嬢に転生したので、とりあえず農業を始めました  作者: 秋月 もみじ


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第2話 断罪、つつがなく終了


 断罪の会場というものを初めて見た。


 というより、会場と呼ぶほどのものではなかった。応接間の椅子を並べ直しただけで、背景に王家の紋章を入れた布が垂れている。形式だけ整えた、という感じだ。もう少し大がかりなものかと思っていたが、まあ、三年前の記憶を確認してみると、わたしは原作の断罪シーンをちゃんと読んでいなかったことに気づく。


 仕方ない。その頃は農業シミュレーションのゲームに夢中だった。


 窓から外が見えた。農地の方向だ。今頃の時間なら、冬麦に朝日が当たっているはずだ。今日の水分量はどうだろう。昨夜は風が少し強かったから、少し乾いているかもしれない。


 ……とりあえず、終わらせよう。


 ダミアン第三王子は中央に立っていた。隣に、クラリス子爵令嬢がいる。儚げに俯いていた。使用人から聞いた話では、密かに農民と通じていたという証言を出したのはクラリスさんだということだが、見たところ、ものすごく怯えている様子はなかった。上手い人だ、と思った。


 わたしはとりあえず、笑顔で立った。


「アルベルト伯爵令嬢エルゼ。この度の諸事情を鑑み、婚約を解消します」


 諸事情、という言い方が少し引っかかった。諸事情にも種類があると思うが、それを今追及する気はなかった。追及してどうなる。時間の無駄だ。


「反論はありますか」


 ダミアンが言った。


 少し考えた。


「ございません。ご縁がなかったということで」


 場が、静かになった。


 全員が次の言葉を待っているような、息を止めているような、妙な間が生まれた。泣くか、怒るか、少なくとも何か感情的なことが起きると思っていたのだろう。顔に書いてある。


 わたしは笑顔のまま待った。


 部屋の奥の方で、布のこすれる音がした。壁際に立っていた守備隊の騎士が、咳払いを、と思ったが違う。吹き出しかけて、こらえた音だった。


 黒髪の、昨日の騎士だ。


 目が合った。向こうがすっと視線を外した。首の後ろを、さりげなく触っていた。


「……以上でよろしいですか」


 わたしが確認した。


 ダミアンが少し間を置いてから「以上です」と言った。声のトーンが最初より低かった。想定外のことが起きると声が変わる人らしい。それはそれで、参考になる情報だ。


 クラリスさんがこちらを見ていた。泣いていた。それが誰かに向けられた感情なのかどうかは、よくわからなかった。


 わたしは一礼して、部屋を出た。


 廊下を歩きながら、足の裏で床石の冷えを感じた。屋敷の床石は冬になると底冷えがする。知っているのに、今日は少し意識した。


 農具小屋の土の方が冷たい。そちらの方が好きだ。


◇◇◇


 農具小屋に戻ったのは、昼過ぎだった。


 荷物はもともと少ない。農業記録ノートと種入れ壺三つと、藁帽子と、着替えが数枚。伯爵令嬢らしい持ち物(たとえば細工の入ったアクセサリーとか、絹のドレスとか)は全部屋敷に置いてきた。持ち出す気にならなかった、というより、持ち出してもここでは使い道がない。


 ただ、婚約前から使っていた古いリボンだけは、農業記録ノートの表紙に挟んだ。


 理由はよくわからない。捨てられなかった、というだけのことだ。捨てるべきかもしれないが、今日じゃなくていい。今日はほかにやることがある。腐葉土になるまで待つ必要がある感情というのも、あると思う。


 農地の確認をした。冬麦は昨日と変わらない。薬草の葉先が少し乾いていたので水をやった。錆びかけたジョウロが少し重かった。


 問題ない。全部、ここにある。


◇◇◇


 夜、屋敷の窓に明かりがついていた。


 農地の端に座ってそれを見ていたとき、父の声が聞こえた。書斎の窓が開いていたのか、想像より通る声だった。


「——これで厄介払いできた」


 相手が誰かはわからなかった。使用人に話しかけていたのかもしれないし、独り言だったのかもしれない。


 わたしはしばらく、座ったまま動かなかった。


 ——厄介払い。


 そうか。そういう言葉が出てくるということは、そういうことだったのか。


 変なことを言うようだが、泣かなかった理由が少しわかった気がした。泣くほど驚かなかったのだ。驚かなかったということは、どこかで知っていたのだ。知っていたということは、まあ、そういうことだ。


 わかっていた気はする。六年間、特に親しい会話をした記憶がない。夕食の席で目を合わせた記憶も、思い返せば数えるほどしかない。ただ、声に出た言葉を聞くのと、黙って知っているのとは、違った。どう違うのかはうまく言えないが、胃の底のあたりに何かが沈んだ感覚があった。


 べつに、泣きたいわけではなかった。


 ——いや、違う。泣きたいかどうかがよくわからなかった、というのが正確だ。


 土を一握り取った。冷たかった。昨日と同じ、霜の冷え。今日も霜が降りている。当然だ。真冬なのだから。


 冬麦が風に揺れる音が続いていた。屋敷の明かりが一つ消えた。また一つ消えた。最後の一つが消えた頃、空の端が少しだけ白くなり始めた。野薔薇の境界線の向こう、農地の一番奥に、銀の鈴草が一輪だけ揺れていた。誰が植えたのかわからない花だ。風が少し冷たかった。


 計画通りだ。


 計画通りなのに——なんで、土が、こんなに冷たいんだろう。


 まあ。霜が降りているからだ。当然の話だ。わかっている。


◇◇◇


 夜明けに、立ち上がった。


 腰が少し痛かった。地面に直接座りすぎたせいだ。次からは薦でも敷こう、と思った。


 農業記録ノートを開いて、今日の作業を書き込む。薬草の棚の手入れ。冬麦の根元の確認。春告げ菜の植え付け計画の見直し。やることは山ほどある。


 ペンを走らせながら、昨日の騎士の顔を少し思い出した。吹き出しかけていた顔。首の後ろを触っていた手。


 あの人は今日も警備に来るのだろうか。もし来たなら、また「なぜ令嬢が鍬を」と聞くのだろうか。


 まあ、どうでもいいことだ。とりあえず今日の作業が先だ。


 とりあえず、今日はここから始めよう。


 土は冷たかったが、確かにある。確かに、ここにある。


 春告げ菜の種を植えたら、銀の鈴草が農地の隅に咲いているのに気づいた。誰かが植えたのか、それとも風で種が飛んできたのかわからない。この地方には珍しい花のはずだ。


「……きれいだな」


 独り言が出た。前世の研究員時代は、試験圃場で珍しい品種を見つけるたびにこうやって独り言を言っていた癖だ。


 まあ。いいか。


 とりあえず、今日の作業を始めよう。

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