表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したので、とりあえず農業を始めました  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第10話 農園の朝、騎士がいる


 六月の末、父から手紙が来た。


 「お前を追い出せてよかった。あとは勝手にしろ」という内容だった。丁寧な言葉で書かれていたが、要約するとそういう話だった。


 手紙を読んだ後、農地に出た。


 土を一握り掘って、手紙を畳んで入れた。深く埋めた。ここの土は腐葉土が豊富だ。紙は半年もすれば土に還る。それでいい。嫌な感情も、土に還せばいい。腐葉土になれば、いつか何かの栄養になる。


 奥歯の力が、ふっと抜けた。怒りではなかった。


 ——これで、終わった。


 全部、終わった。


 終わった、という感触が、予想より軽かった。もっと重いものだと思っていた。怒りが爆発するか、泣くか、長い時間をかけて消化するものだと思っていた。でも実際は、土を一握り掘って、紙を埋めて、それで終わりだった。


 前世の農業試験場でも、理不尽な評価をされたとき、ノートに書いて引き出しの奥にしまった。書いて、仕舞って、翌日また土を触ったら、だいたい忘れていた。感情は腐葉土になる。腐葉土は、次の何かの栄養になる。


 今日の手紙も、たぶん、そうなる。


◇◇◇


 昼前になって、ゴルフの下の子が農地に走り込んできた。麦の列の間を走って、銀の鈴草の前で立ち止まって、また走り回った。ゴルフの妻が「こら、走らないで」と言いながら追いかけていた。


 見ていた。


 半年前、この農地に誰もいなかった。土だけがあった。


 今は、走り回る子供がいる。


◇◇◇


 農業記録ノートを開いた。


 「計算外リスト」のページを開いた。最初の二つを確認した。「農民のゴルフを雇った判断」と「農地が好きになったこと」。


 三つ目の空白を見た。


 ペンを取った。


 書いた。


 「レオン・シルヴェスタが、ここにいてほしいと言ってくれたこと」。


 書いてから、少し止まった。正確かどうか確認した。


 正確だった。


 計算外だった。計算外だったから、書けなかった。書けなかったのは、まだ終わっていなかったからだ。昨夜終わった。だから今日書けた。


 ノートを閉じた。


◇◇◇


 朝、農地に出ると、レオンがいた。


 今日から警備の担当が変わると聞いていた。別の騎士が来るはずだった。でも、いつもの位置に、いつもの背格好の人間が立っていた。


 朝の光の中で、銀の鈴草が白く光っていた。


「……今日は担当外じゃないですか」


「……休みです」


「休みに農地の警備をするんですか」


「……別に。来たかったので」


 別に、と言った後に「来たかったので」と言い直した。


 今日は「別に」のあとに理由が来た。それが少し珍しかった。


 理由、と呼べるのかどうかわからない。「来たかったので」は理由ではなく、気持ちだ。気持ちを言葉にした。今まで「別に」で止めていたのに、今日は先に進んだ。


「……そうですか」


 農地の見回りを始めた。冬麦は収穫が終わって、今は夏作物が育ち始めている。ゴルフが整えた水はけの溝が機能していて、土の状態が去年より格段にいい。薬草の棚も出荷サイクルが安定してきた。宮廷医師団との取引は正式契約になった。


 段取りが全部、見える。


 頭が落ち着く。


 レオンが農地の端を歩いていた。警備の動線とは少し違うルートだった。ゴルフが整えた水はけの溝の近くを通って、薬草の棚の前で少し止まって、また歩いた。


「……薬草の棚、増えましたね」


「宮廷医師団の注文が増えたので。来月からもう二列追加します」


「……二列」


「三列にしたかったですが、今年の土壌改良の進度では二列が限界です。来年に三列目を作ります」


「……来年の計画が、もうあるんですか」


「農業は来年のことを考えながらやります。今年植えた種が、来年の土壌の状態を決めるので」


 レオンが少し、止まった。


「……それは、農地の話だけじゃないですか」


「どういう意味ですか」


「……いえ。なんでもないです」


 なんでもない、は「別に」と同じだ、とは言わなかった。


◇◇◇


 昼過ぎ、ゴルフが来た。


 「子供が麦の穂を全部触って回っています。すみません」と言いながら来た。


「触っても折れないので」


「……それ、前にも言ってましたね」


「言いました。でも今回は確認済みです。成長した穂は指で触れても折れない強度になっています」


 ゴルフが少し笑った。笑い方が最初の頃と変わっていた。最初の日は声に力がなかった。今日は軽かった。土が変われば、人も変わる。どの種も同じだ、と思った。


 ゴルフが帰り際に「今年の収量、去年の三倍になりそうです」と言った。


「指示書通りにやってもらったおかげです」


「……いや、あんたのおかげです」


 受け取り方が少し難しかった。礼を言われた。「とりあえず」と言おうとして、やめた。


「ありがとう、と言えたら言っていました」


「……意味がわからないですが、なんとなくわかります」


 ゴルフが帰った。


 それでいい、と思った。言葉が届かなくても、土が届く。土が届けば、来年また話せる。そういうことだ。


◇◇◇


 夕方、レオンがまだいた。


「帰らないんですか」


「……もう少し」


「もう少し、というのはどのくらいですか」


 レオンが少し考えた。


「……日が暮れるまで」


「日が暮れたら帰りますか」


「……帰ります。帰らないわけにはいかないので」


「じゃあ、明日も来ますか」


 少し間があった。


「……来ます」


 また来ます、ではなかった。来ます、だった。言い方が少し変わっていた。


 第一話からずっと「また来ます」だった。「また」は過去の継続を含む言葉だ。「来ます」は、これからのことだ。


「わかりました」


 農地の見回りを続けた。銀の鈴草が夕風に揺れていた。


 日が暮れるまで、レオンはいつもの位置にいた。農地の端で、農地の外の方向を見ていた。その背中が、半年前の最初の日と同じ場所にあった。同じ背中だった。


 ただ、最初の日はあの背中が何者かわからなかった。今は、わかる。


 ——来ます、と言った。


 来ます、と言う人が、いる。


 計算外リストは三つで終わりではないかもしれない、と思った。でも今夜は、ノートを開かなかった。開かなくても、わかっていた。


 農地の朝はまだ続く。騎士がいる農地の朝が、明日も来る。


 とりあえず、今日はそれで十分だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ