56話 見えるお化け
空気が、動く。
さっきまでまとわりついていた圧が、
一瞬だけ揺らぐ。
でも。
「……。」
消えてない。
まだ、いる。
「……っ。」
距離が、詰まる。
さっきより、速い。
「下がって。」
短い声。
反射的に、一歩下がる。
女の人が前に出る。
その背中が、さっきより近い。
「……。」
胸元に手をやる。
勾玉。
指で軽く弾くように触れる。
「戻って。」
静かな声。
でも、迷いがない。
手を伸ばす。
何もない空間に。
触れる。
「……っ。」
その瞬間。
見えないはずの“それ”が。
揺れる。
空気ごと、歪む。
「戻って。」
もう一度。
押し込むように。
「……。」
“それ”がブレた様に見えた。
「……。」
目を離さない。
今なら。
分かる。
「……そこ。」
自然に言葉が出る。
女の人の手が、わずかに止まる。
「……。」
“それ”が揺れる。
ブレが大きくなる。
「戻って。」
押す。
“それ”の形が崩れる。
維持できなくなる。
歪む。
ほどける。
——ふっと。
消えた。
音もなく。
跡もなく。
「……。」
静かになる。
さっきまでの圧が、嘘みたいに消える。
「……。」
私は尻餅をついた。
「……今のって。」
息を吐く。
遅れて。
「……消えた?」
女の人が手を下ろす。
「戻しただけ。」
あっさり。
意味は分からない。
でも。
「……。」
確かに、いない。
「……。」
暫く、呆然とする。
音が戻る。
昼の通り。
「……。」
女の人がちらっと見る。
「見えない?」
「……うん。」
「でも分かる?」
「……うん。」
「そう。」
それだけ。
「……。」
安堵と同時に少しだけ、悔しい。
何もできなかった。
「ありがとう。」
女の人は薄く笑う。
「素直。いい。」
女の人が軽く顎で示す。
さっきの場所。
「見える?」
「……見えない。」
「うーん。」
静かに言う。
「少しだけ。」
間。
「ピントを合わせる感じ。」
「……ピント?。」
「うん。」
「……。」
目を細める。
さっきの感覚。
ざらつき。
空気の重さ。
温度の違い。
ピントを、合わせる。
「……。」
意識を、そこに寄せる。
一点に。
「……。」
ぼやけていた何かが。
少しだけ、寄る。
「……っ。」
輪郭じゃない。
でも。
「……いる。」
位置が、分かる。
歪みが、分かる。
「……。」
もう一度。
集中する。
「……。」
さっきより。
はっきり。
「……見えた。」
ぽつり。
女の人が少しだけ笑う。
「やっぱり筋がいい。」
軽く。
「……。」
視線を外すと、消える。
戻すと、また分かる。
「……。」
これが。
「……。」
“視える”ってことか。
「……疲れる。」
正直に呟く。
女が肩をすくめる。
「最初は、そんなもの。」
軽い。
「そのうち、慣れる。」
「……。」
本当かは分からない。
でも。
「……。」
もう一度、目を細める。
「……。」
さっきより。
ちゃんと分かる。
「……。」
少しだけ、息が楽になる。
「……。」
女の人が背を向ける。
「じゃ。」
あっさり。
「え?」
「もう、大丈夫。」
軽い。
何でもないことみたいに。
そのまま歩き出して——
止まって振り返る。
「危ない時は、これ。」
ポケットから取り出す。
小さな勾玉。
いきなり、手を取られる。
「え——」
そのまま、押し付けられる。
「見すぎるとダメ。」
短く。
「どうしようもない時だけ。」
それだけ言って。
今度こそ、人混みに消えた。
「……。」
手の中。
小さな勾玉。
まだ、少し温かい。
「……見すぎると、ダメ。」
ぽつり。
これどうやって使うのかは分からない。
説明、足りなさすぎるよ。
「……。」
でも。
もう一度、前を見る。
「……。」
目を細める。
「……。」
ぼんやりと。
でも、確かに。
「……分かる。」
小さく呟く。
さっきより。
少しだけ。
怖くなかった。
※セイコ視点




