54話 修復のお化け
※ユウト視点
目の前。
距離がゼロになる。
足音はない。
でも、近づいてきたのが分かる。
「……。」
空気が密度を持った気がする。
さっきのとは違う。
あれは“いる”だけだった。
これは。
いるだけで、嫌な感じがする。
女が一歩、前に出る。
「……普通。」
小さく呟く。
「ズレてるやつ。」
首元に、指がかかる。
勾玉に、軽く触れる。
「……。」
——一瞬だけ、光った。
強くはない。
でも、確かに。
目を細める。
(……今の)
次の瞬間。
「戻れ。」
女が踏み込む。
同時に、“それ”も動く。
距離が、消える。
手が伸びる。
触れる。
「……っ。」
空気が、わずかに歪む。
“それ”の輪郭が揺れる。
少しだけ、形が崩れる。
「……やっぱり。」
女が低く言う。
「タチ悪い。」
もう一度、首元に触れる。
ほんの一瞬。
——また、光る。
俺だけが、それを見る。
(……同じだ)
頭の奥で、何かが引っかかる。
あの時。
おじさんの腹。
一瞬だけ、同じ光。
でも。
考える前に。
「戻れ。」
押し込む。
“それ”が、歪む。
後ろに引く。
けど、消えない。
「……チッ。」
女が舌打ちする。
もう一歩、踏み込む。
「ズレが浅い。」
「は?」
思わず声が出る。
「どれくらい戻せば……。」
こっちを見る。
「……そうか。」
また触れる。
今度は長く。
押し戻すみたいに。
「戻れ。」
“それ”の輪郭が揺れる。
崩れかける。
でも、耐える。
「……。」
女が一瞬だけ止まる。
「……足りない。」
小さく呟く。
その瞬間。
“それ”が動く。
前に出る。
距離を詰める。
圧が来る。
息が詰まる。
「……あんた。」
女が言う。
目は逸らさないまま。
「動くな。」
「だから何が——」
「いいから。」
強い声。
「動くな。」
短く。
「……。」
一瞬だけ迷う。
でも。
「……わかった。」
動かない。
そのまま立つ。
視線も外さない。
“それ”がさらに近づく。
もう、触れそうな距離。
女が踏み込む。
同時に、首元に指がかかる。
——光る。
今度は、ほんの少しだけ強く。
ユウトは、はっきり見る。
(……やっぱり)
そのまま。
女の手が“それ”に触れる。
「戻れ。」
その瞬間。
——少しだけ、ズレた。
“それ”の位置が。
横に、ずれる。
ほんのわずか。
「……!」
女の目が変わる。
「やっぱり。」
小さく笑う。
「いいね。」
もう一度、押し込む。
「そのまま。」
俺に言う。
「……。」
意味は分からない。
でも、動かない。
“それ”が揺れる。
さっきより、大きく。
「戻れ。」
押す。
「戻れ。」
もう一度。
「戻れ。」
三度目。
“それ”の形が崩れる。
保てなくなる。
歪む。
縮む。
消えかける。
——一瞬。
強く、光った。
勾玉が。
それと同時に。
“それ”が、消える。
音もなく。
跡もなく。
「……。」
静かになる。
空気が軽い。
さっきまでの重さが嘘みたいに消える。
女が手を下ろす。
「……よし。」
小さく息を吐く。
「……今の、何だよ。」
「普通のやつ。」
あっさり。
「ズレてたから戻した。」
「……。」
意味は分かるような、分からないような。
「……なんで今、いけたんだよ。」
女が少しだけ考える。
でもすぐやめる。
「多分。」
俺の方を見る。
「あんたがいたから。」
「は?」
「さっきズレなかっただろ。」
「……ああ。」
「基準になった。」
それだけ。
「……。」
よく分からない。
でも。
さっきの光が、頭に残る。
女はもう興味を切り替えてる。
「……あんたさ。」
「……。」
「そのままでいなよ。」
同じ言葉。
でも、さっきより軽い。
「変にズレると。」
少しだけ間。
「面倒だから。」
「……。」
それだけ言って、今度は本当に背を向ける。
止めない。
「……。」
俺はその場に残る。
静かな通り。
何もいない。
手を見る。
変わってない。
でも。
「……基準、か。」
小さく呟く。
視線を落とす。
さっき、光っていた場所。
もう、何もない。
「……。」
でも、分かる。
あれはみたことがある。
「……。」
顔を上げる。
空は明るい。
何もなかったみたいに。
それでも。
少しだけ。
ここにいる理由が、なんとなくわかった。




