謀反
闇夜を駆ける忍びの群れ。彼らは獲物を担ぎこんで喜びにあふれていた。豪華絢爛な半ば城とも思えるほどの屋敷だ。その立派な門構えの前に皆が跪く。献上物は、忍び装束を着てはいるが、琥珀色の髪に、瑠璃色の瞳を持った異国の美姫だ。頭にかぶせた頭陀袋を取り払い、中からたおやかな金色の髪が振り乱される。彼女の瞳に映ったのは、一目で成金の住まいとわかる。金箔が粗い仕事で貼りつけられた、馬鹿でかい扉のある門だ。それが、きしみながら内側へと招き入れるようにして開かれる。そこには、男がいた。鎖帷子のついた忍び装束に似合わぬ、背中に背負った大鉈。
「……、才蔵……」
お凜がその名を口走ると、ぎろりと鋭い睨みが返された。
「お凛……、懐かしい顔がいるじゃないか。我々から決別したこいつが、フローラを匿っていたはずのこいつが、ここにいるとはどういう了見だ?」
「……、この度組織に戻ることを決意いたしました」
胸に手を当てて、跪く。忠誠の証を態度で見せつける。
「……、お凛、お前が賢い女だということは知っている。だが、その分食えない女であるということもな……」
跪いたところから顔を上げると、忍び頭巾の隙間から鋭い睨みが。まるで心の奥底まで探りを入れるような、鋭利で、鉤爪のように捻じ曲がっている。身中を抉り出されそうだ。生唾をひとつ小さく飲み込んだのが、バレたらしい。
「……、こいつは信用できない。檻に入れろ」
(やはり、才蔵……。お前まで騙すのは不可能だったか)
お凜と才蔵は互いをよく知っていた。
「……、久方ぶりにあったが変わらんな。お凛」
目の前で、鉄格子の扉が鎖でがんじがらめにされて錠前がかけられた。一瞬期待はしたが、やはりフローラとお凜は同じ牢屋ではなかった。牢の向こうには見張りが立っている。ここで監視をさせる気だ。忠誠心というものが本当のものかどうか、試すつもりでいるらしい。
(女の食事から厠から何から何まで監視させる気ね……。なんて、趣味の悪い拷問……)
こんな拷問を用意する才蔵は粘着質だ。
それは、今も組織にしがみついていることに現れている。
彼とお凛は同じ御庭番で一流の忍びとして生まれた。血のつながっていない、腹違いの兄妹。もとより、師範が襲名制のこの世界ではそれが普通なのかもしれないが、お凛と才蔵は、御庭番に買われる前から孤児として支え合いながら暮らしていた。当時の御庭番は人身売買の買い手先として名を馳せていた。遊女がはびこる闇街に、浮浪者が住み着くあなぐら。当時の御庭番師範、服部佐之助。忍よろしく顔や名前を変えたりしながら、孤児を買うために各地を練り歩いていた。
その人に目をつけられたのは、二十年も前のことだ。
「……、買わせてくれぬか。そなたらの身請けをしようと思ってな」
頭巾をかぶった胡散臭い風貌に警戒心を抱いたのも無理はない。才蔵は護身用に持っていた刀を抜き、構える。お凜はその背中にしがみついていた。
「ほう、子供のくせに立派な刀じゃないか。使えるのか。一手見せてもらおうか……」
「お凜に触るなぁぁあっ!」
佐之助に向かって、刀を振り下ろす才蔵。それを佐之助は刃の両側を手で押さえてぴたりと止めてみせた。白刃取りというものだ。この命知らずかつ常人には成せない芸当に、お凛と才蔵は目を見開いた。
「がっははは! 坊ちゃん、まだまだ剣が成ってねえなぁ」
人身売買の買い手とは思えない、人懐っこい笑いが頭巾から漏れ出た。そして、佐之助は頭巾を解いて、にかっと笑いかける。声だけではない、表情も自分たちを奴隷や売春婦としてではなく、養子として迎え入れてくれるかのような。汚らしいひげ面のくせに、なんて屈託のない笑みを浮かべるんだ。その笑顔の前にふたりは、自らの険しい顔を恥じた。
「てめぇら、俺に買われるたぁ、よっぽどの当たりだよ。そりゃ、てめぇらには厳しい修行も危険な仕事も待ってる。でもよぉ、それ以外の時間くらいは、てめぇらの家族としていてやるからよぉ」
家族、聞きなれない言葉だった。孤児として育ってきたふたりには馴染みのない言葉だった。だから、それに魅力を感じたのか。いいや、その屈託のない笑みに疑う余地もなくなったのだ。ふたりは、この男に連れられて御庭番に入ることになった。
初めて出された飯は、食べたことのない品数だった。二食か三食を一度に食べるかのような感覚だ。川魚を焼いたもの。具が豆だけの味噌汁、豆腐。山菜煮込みに、そして照りの入ったつややかな白飯。時間がずれていたからか、食事は二人分しか出されなかったが、それでも出来立てのように美味しそうだった。残飯をあさる生活に慣れていたふたりには見慣れないものだった。
「……、ごはんってこんなに綺麗なんだね……」
そう話しかけようとすると、なぜか才蔵は食卓に戻ってきたところだった。どこかに出かけていたのか。
「……、どこ行ってたの?」
「まだどっか臭いから、いろいろ聞いてきたけどなんも当たらねえ……、それどころか。佐之助って名前らしいこの御庭番とかいうところの師範。底抜けのいい人らしい」
才蔵は、佐之助の身辺の話をここにいる者どもから聞いてきたらしい。
佐之助は昔から子供が好きで、忍びとしての訓練の合間も年下や後輩の相手を常にしていた。やがて成人して、任務をこなすようになってもそれは変わらず。妻をめとって、妻とは子供の話ばかりしていたが、中々ふたりともが望んでも子供はできなかった。そうこうするうちに妻は病にかかり、医者の話ではもう長くないと、子供の件は聞くまでもなかった。母体に負担がかかる出産を病もちの身体が受け付けるはずはない。妻は言った。
「もう、あたしは母親にはなれそうもない……。このまま病が進めばきっとあたしは、見ていられないほど醜く苦しい姿になっていく。それをあなたには見て欲しくない。だから、あたしを捨てておくれ。あたしがあなたに迷惑をかけてしまう前に」
しかし、この要求を佐之助は飲まず。日に日にやせ細り、痛々しく衰えていく妻を最後まで看取り、今も新しい妻を迎えていない。そして、師範代になってからは、たくさんの子供を御庭番に迎えるようになった。新参者の子供は、必ず佐之助が手厚く世話をしている仏壇の前に座らされる。
それは、お凛と才蔵も同じだった。
ふたりの背中に佐之助の手が置かれて、仏壇の前で、ふたりは正座で深々と頭を下げた。新入りには必ず行われる、佐之助の妻を弔った仏壇の前での紹介の儀礼だ。背中に回された温かい手に、ふたりは誓った。
自分たちはこの人の家族でいようと。
だが、時代の流れはそれを許すことはなかった。御庭番の実力不足。何とも不名誉な罪状で取りつぶしが決まった。討幕直前の話、江戸城が異国に攻め込まれ、幕府は何もできず。当時の御庭番は幕府を守るための情報収集を主たる任務として扱っていたが、残念ながら海を越えた異国までは察することが出来なかった。その襲撃への憤怒の当てつけとして御庭番が担ぎ込まれた。奇しくも、これに反対を述べたのは新政府側の人間。新政府は、戊辰戦争などのあとも、幕閣を大和を守ろうとした功労者として、ある程度の立場を保証しようとした。
悲しきかな。御庭番は将軍を守ろうとしたものの、将軍に捨てられ、新政府派が提唱した、師範ひとりの斬首という条件によって、命を救われたのだ。だがこれに納得しないものが、当時の御庭番の大半だった。それどころか、新政府派への偏見からか、あたかも新政府が御庭番を邪魔ものとして切り捨てたいがために、師範の斬首を提唱したというふうに伝わってしまっていた。幕府自身が御庭番全員を抹殺しようとしていたことなど、将軍様がそんなことするはずないという固定観念で跳ね除けられてしまった。
情報収集班たる御庭番の最期にして最大の過ちだ。
お凜はことの全てを知っていた。だが、師範の奪還への士気が高まっていく御庭番の者どもは聞く耳を持たない。お凜は、御庭番からの離脱を決意した。
徳川家の家紋の入れ墨を、自らの右手の皮膚ごと焼いて。
そして、その後才蔵は御庭番を率いて師範の奪還を試みたが、幕府軍から手痛い返り討ちを受け、戦火の中で佐之助の斬首が強行され、その生首を以てこの抗いは終止符が打たれた。結局この抗いは、御庭番の中での犠牲者を増やした上に、師範の処刑を早めるだけになってしまった。お凜にはそれが全て予想できていた。
才蔵はまだ、しがみついている。佐之助を奪ったこの世界の憎しみを新政府へと向けて、志を同じく転覆を目論む者どもと今も徒党を組んでいる。お凜は才蔵を止めるのは自分しかいないと心に決めていた。
佐之助の最期を知る者として。
「……ねぇ、あなたも御庭番にいたころのあたしを知ってるの?」
お凜は、牢の見張りに話しかけた。だが、返事を知ることは禁じられていると。当然のことだろう。だから、口ではなく技で答えてやった。見張りの額を、薄汚れたすえた臭いのする木の板が直撃し、見張りは頭から血を流して倒れた。牢屋の鉄格子の間をすり抜けて飛んできたそれは、お凜の手によって手裏剣のごとく投げられたのだ。
「覚えておいて。今度あたしを閉じ込めるなら……、厠の蓋はしない方がいいって」
*****
目を覚ますと、何故か自分は生きていた。奇妙な感覚だ。目の前で俺は脇差で腹を刺され、刃先に塗り付けた毒に犯されたというのに。もしや、黄泉というものか。それにしては、目を開けていたときの景色と似すぎている。さらにもうひとつ奇妙なことに気が付く。音だ。燃え盛るような火の音が消えている。ちりちりと燃えるような小さな音に成り下がっている。
瞬きを何度もする。少しずつ状況を理解し始める。
目の前で最後にお凜が倒したのはイチョウの木。燃えにくいことで有名な木だ。山火事になったときにイチョウの木から水がほとばしって火を消したという逸話すらある。襲撃をしてきた忍びの者たちが切り倒したのは、マツやヒノキなど脂分が多く燃えやすい。しかし、お凜が倒したイチョウだけは別だ。それも位置関係からして、まるで俺を燃え盛るヒノキから庇うかのように、ヒノキと俺を挟んだ位置に、それを倒していた。
さらに、自分は何か薬を盛られて眠りについていたが、毒で意識を失ったと考えるとどうも、後遺症というものが何もなさ過ぎる。少しふらつく程度だ。おそらくお凜が仕込んだものは麻酔。脇差の位置も見事に急所を外している。胃に穴が開けば人間は、胃酸によって体組織を少しずつ溶かされて重症か死に至る。だが、刃の傷は浅く、簡単な止血帯さえ施せば何とかなってしまうほどのもの。おまけに、懐からお凜が忍ばせた何かがはたりと落ちた。丸薬が数錠、塗り薬が少々、書簡に包まれていた。書簡を開いてみると、そこにはこう書かれてあった。
悪く思うな。あれ以上の交戦があってはお前の命もない。
お前には死んでもらったが、きっとものの数十分で
これを読めるくらいにはなってるだろう。起きたら真っ先に
丸薬を服用し、薬を傷に塗れ。
心当たりがある男がいる。浅野永勇という武家華族だ。
数々の成金と黒い繋がりを持ち、御庭番の残党を手足として動かしている。
恐らく、あたしはフローラとともにそこにいる。
*****
才蔵は、ひとりの女を拘束して、御簾ごしに座る男に献上しようとしていた。このお城まがいの武家屋敷に住まう、成金、空けと呼ぶのも憚られるほどの馬鹿、野呂間だ。相も変わらず将軍になりたいのか、伯爵になりたいのかといった頓珍漢な服装で、己の馬鹿さ加減を裸の王様がごとく周りに振りまいている。
「おうおう、おなわばんの才蔵、ついに女を捉えたか」
「ははっ、こちらが殿の探していたフローラという異国の美姫にございます」
自らが籍を置く組織の名前を間違われているが、そんなことはもういい。もう慣れてしまった。それに今さらただそうとも思えない。フローラは担ぎ込まれてすぐにお凜に着せられていた忍び装束から、艶やかな和服に着替えさせられた。夜に降り注ぐ蒼い月明かりのような淡い色合いに、彼女の琥珀色の髪が色を添える。そして、噂通りの透き通った瑠璃色の瞳。御簾の向こうから、感嘆の声を漏らす空けの声が聞こえる。
「ほぅ……。ズローラ……、噂には聞いていたが、誠に美しき姫だ」
御簾が上がり、鼻を伸ばす野呂間の顔が、フローラと見合うかと思うたそのとき、背後に忍び寄る影が。影は一思いに空けの首を飛ばした。目の前で起こった凶事にフローラは自らの目を覆って悲鳴を上げる。御簾が上がり、空けの首はただただ無念の表情を浮かべて、畳の上に転がりながら、フローラの顔を眺めるのだった。
「……残念ですが、名前も覚えられぬような輩に姫は抱かせませんよ」
首を失った空けの身体を蹴り倒し、フローラの前に跪き、その線の整った顎を掴んで自らの顔に引き寄せる。フローラの瞳が潤んでおり、怯えに涙を浮かべていることが分かる。そして趣味の悪いこの男は、その涙に美しい顔が歪んでいくのがたまらない快感なのだという。
「才蔵、この娘を、私の正室として迎え入れるぞ」
下手人は、浅野永勇。空けに御庭番の連中を売りつけていた武家華族だ。




