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どんでん返し

 フローラは再び寝息を立てて、すうすうと眠っている。三人が三人とも寝てしまったのでは、無防備な状態になってしまうため、俺とお凛は交代で眠ることにした。しかし、結局は俺もお凜も目を開けたままで、ちりちりと燃える焚き火を見つめている。


「……お凛、寝てもいいんだぞ」


 互いにそういうものの、いつ何時、フローラが狙われるかわからない。目など冴えてしまって、寝れたものではないのだ。


「あたしもあなたほどではないけど、夜行性動物よ。目を開けたまま夜を明かすなんてことには慣れてるわ」


「……、いつまで続けるつもりだ?」

「……、フローラの身の安全が確保できるまで……」


 思えば、この件には巻き込まれてしまったのか、巻き込んでいるのかよく分からない。最初はお凜に巻き込まれた厄介ごとと感じていたが、今はお凜が言った言葉。


『最初に助けようとしたのは、あなたよ。あなたもそんな気がないならとっくに、帰っているはず……』


 その言葉に首を横に振れなくなってしまっている自分がいる。だが、フローラの身の安全が保障される日など、いつになったらやって来るというのだろうか。それまで俺たちはこの安息のない、根無し草であり続けなければならないというのか。


「お前ももとは攘夷浪士に雇われたくのいちだろ。いつまでこの気まぐれを続ける気だ?」

「忍びは気まぐれなものよ。時代遅れの攘夷浪士どもの前に跪いたのも、ほんの気まぐれに過ぎないわ」


 納得はできるものの、どこかはぐらかされたような気分になる。どこか、これ以上の問い詰めを拒否しておいて、察してほしいとも思っているような部分も伺える。だが、俺には無理な話だ。それっきり、結局焚き火の上を飛び交う言葉は途絶えてしまった。静寂が訪れた。だがそれも、ほんの少しの間だけだった。



 深い丑三つ時の静寂を乱すもの、尺八の音色だ。



「……、妙ね。虚無僧でもいるって言うの?」


 本当に近くで世を忍んでいる虚無僧なら、さして気にする必要はない。だが、先ほどの地下道で御庭番の残党の差し金にあたる忍の息の根を止めた後だ。捨て駒の扱い、おそらくは彼が帰還しないということは、こちらにその意思がなくとも宣戦布告と取られていることだろう。何らかの刺客を送り込んでくるはずだ。虚無僧は僧などとは言っているものの、天蓋と呼ばれる笠の下は髪を剃ってもおらず、念仏も銭をせびる手段としか考えていないような、生臭坊主もいいところのものもかなりいる。おまけに、その大半はもともと刀を挿していた武士であるという。没落した華族などとのいかがわしい繋がりがあってもおかしくはない。

 そして、こちらが抱いている疑念に応えるようにして、一歩、また一歩と音が近づいて来る。北東の方角からだ。俺とお凜は互いに顔を見合わせて、頷いた。互いに警戒態勢に入るという合図だ。お凜がフローラの肩をゆすり、起こした。


「……、ワッツアップ……?」


 何かを口走るフローラの口をお凛がつぐむ。こちらの正確な位置が相手に漏れてしまえば、先手を取られる可能性がある。それに音色から察するに、相手の距離はかなり近い。お凜は音色の方向へと、睨みを利かせて腰の脇差の束に手をかけ、今にも刃を引き抜こうかとしている。固唾を飲んで、身構えたそのときだった。


「ビハインド・ユア・バック!」


 フローラのその叫び声に、振り向く俺とお凛。ふたりの目に映った者は、忍び。この忍び、獣と呼ばれる俺の感覚の隙間を抜けて、俺を出し抜いたというのか。クナイを両の手に逆手に構え、それを振りかざすかと思うと、彼の右手にあったクナイが姿を消している。その行方は、右肘の裏に走る激痛に告げられた。


 右肘の太い神経が集中している束だ。

 俺の右手が反射で開く。

 得物が地面に落ちる。


 しくじった。尺八の音は陽動。大きく特徴的な音色で、こちらの注意を意図的に操作していたのだ。そして生まれた隙につけこんで、俺の利き手を奪った。


「おいっ! 大丈夫かっ! しっかりし……」


 お凛がこちらを振り返ったと同時に、ごうごうと何かがきしみ、ばきばきと折れていく音が。それは、お凜に向かって巨大な影とともに覆いかぶさろうとしていた。


「あ、危ないっ!」


 とっさの判断で、お凛に向かって体当たりをかます。地響きを立てて、地面に一本の大木が倒れた。人の何十倍もの高さの木だ。下敷きになれば死は免れない。そして、その木はバチバチと音を立てて炎に包まれ始めた。俺たちが焚いていた焚き火から火をもらったらしい。


 尺八の音色、それを聞いて俺たちがその方向に近づく。

 尺八の音色で気に取られた俺たちが、背後からの奇襲に足止めされる。


 大木と、俺たちと焚き火が一直線に並ぶ。

 大木を倒せば、俺たちを下敷きにできる。

 万が一、しくじることがあっても、大木はヒノキ。

 脂分が多く、火の回りが早い。

 焚き火に向かってそれを倒せば、森一帯を焼き尽くす大火への焚き付けにできる。

 全て計算ずくだったのだ。


「計算高い連中だなあ、忍びってやつは……」

「ありがとう……。でも、獣と呼ばれるあなたも存外、甘いのね」


 大木の影から、奇妙な川跡が現れている。夜明けの仄明るい空が照らし出したそれは、真っ直ぐに、俺たちが出てきた地下道へと延びていた。


「まあ、しくじったのは、あたしだったみたいだけど……」

「こ、こいつは……」


 そして、自分が置かれていた蟻地獄の深さを、周りを取り囲む有象無象の足音が告げていた。そう、俺たちは、とっくの前から踊らされていたのだ。



 忍びたちが仕掛けていた筋書きの上で。



 *****



 焼き討ちにあったのか、痛々しい焦げ跡と崩れて穴だらけの壁。折れて宙に浮いてしまった柱。常人からすれば、住むことなど憚れるあばら家に成り果てた武家屋敷。しかし、それもこの男、浅野永勇には。


「浅野殿……、相も変わらずおんぼろ住まいですね。少しはあの空けを見習って、贅沢をすればいかがですか」


 荒れ果てた、かつての面影が残る謁見の間。畳には穴が開き、引っぺがされて底板が見えてしまっているところもあるが、それはまだマシな方。壁や畳には血しぶきがこびりついており、その主たる屍こそないが、きっと怨念が深くこびりついていることだろう。血塗られたぼろぼろの畳に、膝をつくのは、あの空けのところにいた忍びに似合わぬ大鉈を背負った、才蔵という男だ。


「将軍家に仕える武家から、華族と呼び名が変わったとはいえ、あなたは、我々御庭番の一勢力を変えるだけの資産を持っていたではありませんか」

「……才蔵、前にも言っただろ。たとえ、その資産をして屋敷を直そうと、私は武家から没落した華族のままだと。武士としての誇りを失い、抜け殻だけの身分を与えられたこの屈辱……」


 浅野が、自らの屋敷を修繕しないのは、新政府に対する憎しみを忘れないため。彼の屋敷は、同盟を結んでいた武家が新政府に寝返り、焼き討ちにあった。仲間を売って尻尾を振ることで新政府に迎え入れられようという、自らの保身しか考えない魂胆だ。幕府の力が弱り、異国につけこまれて行く中、彼はそれでも幕府を守ろうとしたというのに。同盟からの裏切りによって、屋敷も身体も深い傷を負わされ、回復したころには国は変わり果てていた。


「再び武家としての立場を奪還するまでは、ひとかけらも忘れたくなくてねぇ」

「そのために、我々御庭番を買い付けたというわけですか。私も再び武家の手足として生きれることを喜びに感じております」


 その雪辱を晴らすため、彼はかつての御庭番の一部と手を組み、手足として使う一方、商人や役人に用心棒として売りとばし、情報を集めるための根を張り巡らせ、伸ばして行った。


「しかし、憂き者は武家に仕えるという栄誉を拒み、自らの右手を焼いた。……あいつは、御庭番の誇りを自ら捨てたのです。ですが、その女がどうもとんでもない獲物を持っているようで」


 その根は、ある女を仲介し、それを嗅ぎつけた。


「フローラのことか……」


 才蔵がこくりと頷き、ほくそ笑む。その笑いが浅野に移り、それは膨れ上がり、あばら家に響く高笑いとなった。


「でかしたぞ、才蔵……、やはり栄華には華が必要というものだ」

「組織を裏切った女……、捨て置こうとも思いましたが、何か使えるかと網を張っておいて正解でした」


 浅野は、転覆を企てる財力の確保のために、異国との貿易で莫大な利益を得ていた成金と数々の黒い繋がりを持っていた。浅野の雪辱を晴らすという魂胆は所詮浅いもの。彼がとり戻したかったものは、かつての国ではない。武士という栄華に包まれた己の立場だった。



 そのために彼が欲したものは、……金と地位と女。




 *****


 煌々と燃える炎ヒノキの木を火だるまにする。脂分の多いヒノキがたきつけになったからか、沢の潤いや、土のぬかるみは抑止力にはなり得ない。忍びの群れに加えて、業火までもが俺たちを取り囲もうとしていた。


 俺たちに用意された地獄。


「……、お凛……。かつての同志だ。特別に取引を申し出てやろう」


 俺たちの背後に回り込んでいた忍びが構えを解いて立ち上がる。どうやら、こいつは、御庭番にいたころのお凛を知っているらしい。


「フローラを渡せ。服が濡れたか知らないが妙な服を着ていても分かるぞ。いや……その様子じゃ、お前が服を貸したのか」


 自分を取り囲む業火と忍び。怯えに顔を青くしてがたがたと震えるフローラを、横目で詰る。情けない話、ここから形勢を覆すのは至難の業。それを読み取っているのか、フローラあの透き通った蒼い瞳が少し濁ったように見えた。だが、それも一瞬の瞬きで、どこかに消えた。すくっと立ち上がり、フローラは何も言わずに俺とお凜の前に躍り出ようとするが、それをお凜が制止した。


「……、気丈にふるまってんじゃないわよ。大人しく守られておくのも……、あなたの勤めよ。でないと、……何よりこいつが悲しむからね」

「……それは、フローラを渡す気はないと受け取っていいんだな」


 刀と刀がこすれ合う甲高い音。畜生、気取られたか。お凜との会話をしている隙をついたというのに。流石は、獣をだまくらかしただけのことはある。


「ごちゃごちゃ、うるせんだよ。んな交渉乗るかぁ。俺ぁ、てめぇらにこの女を触れさせるつもりは、毛ほどもねえよ」


 刃渡りの差から考えて相手の刃を直接押しのけることはできない。お留守になっている左手を右手に添えて、相手の刀を押しのける。小刀を介して、相手の刀に体重の一部を乗せて、その顔面を右足で蹴り上げる。舌を噛み切ったのか血を吐きながら後方にのけ反る。とどめを刺そうかと思ったが、後ろから邪魔が入る。とっさに得物の刀を奪い取り、袈裟斬りを喰らわせたはいいものの。まだ右肘の裏に受けた傷からの麻痺が治ってくれない。だからといって、利き腕を使わないわけには行かない。たとえ痛みで感覚が鈍ろうとも、その悲鳴に鈍感になり、頑なに力を込めれば。一瞬だけ、この一瞬だけは、言うことをかろうじて聞いてくれるはずだ。痛みを振り切れ。この死地をかいくぐり、俺は……。


 ……、俺は……。


 フローラを……、守る。


「こいつの息の根をとめろぉおおっ!」


 向かってくる忍びの剣を、刀で弾き飛ばし、顔面に肘をめり込ませる。次は左から飛んできたクナイを避け、それが背後の敵に命中。左脚を後ろに蹴り上げて、とどめの一発をお見舞い。両脇から、斬りかかろうとするものを、右の脚もたたんで姿勢を低くし、同士討ちにさせる。地面を転がって体勢を立て直し、周りを取り囲む者どもをひとり。またひとり。


「ひ、ひるむなぁああっ!」


 冗談よせよ。怯んでくれよ。あと何人片づけさせる気だ。ただでさえ、多勢に無勢だ。おまけに相手は火責めまでしてきている。時間がかかればかかるだけ、不利になっちまう。


 時間がない。


 焦り始める俺は、気付かなかった。忍びは何も考えずに俺に向かってはいない。そして、何も考えずにお凜に向かってもいない。この間にフローラを奪おうとせずに俺たちと刃をご丁寧に交えるのも、全て戦術のうち。たとえ、俺に仲間が何人殺されようと。


「……、ま、まさか……これは……」


 お凜が何かに勘付いた。


 俺の移動する軌跡と、敵が向かってくる方向から、俺が敵に操作されているということを悟ったのだろう。そう、忍びは何人もの仲間を使って、着実に俺とお凜の距離を離し分断することに成功していた。


「うっ!」


 突如として、背中に激痛が走る。背中に鋭いクナイが刺さっていた。それと同時に、俺とお凛を襲ったあの轟音と地鳴りがしたかと思うと、ちょうど目の前に大木が倒れ、土ぼこりが高く舞い上がる。どうやら、クナイによる負傷が俺に命拾いをさせてくれたようだ。投げた主は誰なのか、振り返るとそこには、煌々と燃えるヒノキの木を背に、怪しく微笑むお凜がいた。



 俺の喉元に刀の刃先を突き付けて。



「……、お、お凛……。お前……」



 状況を理解できず、戸惑う俺に、お凜の鉛のように重たい蹴りが喰らわされ、俺の背中は大木に叩きつけられた。起き上がろうとしたところを、顔面を鷲掴みにされ、大木の幹に抉りこまされるかと思うほどの力で抑えつけられる。この女の華奢な腕のどこからこんな力が湧いて出るのか。


「……な、なんの……つもり……だ……」


 返事を答えることはせずに、代わりに俺の腹に刃が突き立てられた。血を吐き、俺は力なくすりすりと、己の背中が木の肌をずり落ちる。歪んだ視界の中でお凜が、俺の懐に何かを忍ばせた。おかしい。お凜の脇差が腹に刺さっているが、それではない。もっと別の何かで強制的に俺の視界が歪められている。刃先に毒を塗りつけたのか。歪んで、へしゃげていく俺の視界の中、お凜は目の前に生えたもう一本の木を刀で切り倒した。視界は完全にその木の肌で覆われた。


 ヒノキではない、イチョウの木だ。


「……、これで、あたしが組織に戻るという意思は示せたかしら」

「賢い女だ。いや、一流の忍びとしての行動か。とどめだ。さらに火をつけろ」


「もういいわよ。毒を盛っておいたから。……、もう目を覚ますことはありはしないわ」


 俺は、深い眠りの中に誘われた。




 自嘲を浮かべ、屈辱に頬を濡らしながら。


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