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空け

 よく見る夢がある。温かくて心地よくてずっと浸っていたい。まるで太陽に温められた海の中に自分が浮いているかのような感覚。そして、大きな声が聞こえる。海の上に広がる空が、撫でられて優しく大きな声が遥か空から聞こえる。声の主は女だが、今知っているよりもずっとずっと大きく感じられる。なぜかは知らない。いつもそれを疑っても、疑問が解決されるまでに、空は割れ、海は氷のように冷たくなった後、世界は真っ赤に染まった。その一部始終が何を表すかはわからない。ただその夢を見るようになってから、俺は女の悲鳴を聞くと邪な理性が消し飛ぶのだった。


 よく見る悪夢。その目覚めは奇妙だった。目を開けるとなぜか、あのくのいちの顔が瞳を閉じて、口元を尖らせている。やけに顔が近い。その距離を感じ取った瞬間、俺はびくりと跳ねあがって後ずさりをした。


「なっ、なっ! お、お前……何をするっ!」


 動揺を隠せない俺の顔が紅くなっているのをけたけたと甲高い声で笑っている。この女、この俺が寝ている隙に、接吻をしようとしていたのだ。


「起きちゃったか、つまんないなあ。うなされていたから、少し和らげようと思って」

「ふざけるなっ!」


 うるんだ唇に人差し指をあてて、片目をつむる。ことごとく異性をおちょくるような仕草にむかっ腹が立った俺は声を荒げるが、自分が今いるのが身に覚えのない場所だということに気づく。じめじめと湿っぽく、ほんのりとすえた匂いが鼻を刺す。石を積み上げて造った壁の岩と岩の間の隙間から微かに雨水がしたたり落ち、その滴を食む苔が生い茂っている。女の寝床にはなんとも似つかわしくなく、罪人か俺のようなゴロツキの寝床にこそ相応しい場所だ。


「……ここは……?」

「城跡。西洋の連中に落とされた城の地下の隠し通路よ。あたしを始め、攘夷浪士のたまり場になっている。あなたと同じくゴロツキも多くたまっているわ」


 攘夷浪士。この島国に足を踏み入れた西洋人の侵略を哀れんで、さっさと白旗を振った腰抜け幕府に異を唱えて、天皇の神輿を掲げたが、その天皇でさえも開国に勅許を出してしまった。それでも尚、好き勝手にこの地を踏みしめる西洋人が気に食わないと居直る者どもだ。


「攘夷だか何だか知らないけど……もう時代の流れは変えられないっていうのにね」


「え……?」


 だが自らを攘夷浪士と名乗り、刃を交わした時も売国奴に天誅などと謳っておきながら、まるでそんなものに興味がないどころか、時代遅れと吐き捨てる始末。何とも矛盾した女の言動には口がぽっかりと開いてしまう。


「なに、間抜けな顔してんの? こっちはただの雇われの身。金さえあればどっちにだって転ぶわよ。でなきゃ、あの娘を助けたりしないわ」


 女が顎で指した先には、相も変わらず死人羽織りの和服に身を包んだ西洋人の女が、すーすーと寝息を立てて寝ている。


「……いいのか、攘夷浪士にやとわれてる身で、西洋人の女を囲うなど」

「いいんじゃない?あの娘、可愛いし」


「あぁっ?」

「そう気を荒立てないの、ただでさえ言葉が通じないっていうのに、眉間にしわなんか寄せてちゃ、あなた嫌われちゃうわよ」


 眉間に寄せた皺を細い人差し指の腹でごそりと撫でられる。思わず俺は懐から刃を引き抜いて振りかざした。それをなんてことはないと、ひらりとかわして見せる女。やはり不自然だとは思った。俺の刃と対等に張り合うほどの馬鹿力の持ち主が、腰が抜けたような仕草をした時点で怪しむべきだった。


「気安く触るなっ! 女に飽き足らず、俺まで匿って何をするつもりだっ!」

「あ~もう、怖いなあ……。そんなんだから、誰も寄り付かず独りぼっちなのよ。そのおひげ、あたしが剃ってあげようか?」

「俺をからかっているのかっ!?」


 つくづく調子の狂う女だ。俺を油断させて捕らえた挙句、接吻をしようとしたり、西洋人の女を可愛いからという理由だけで助け上げる。いったいこの女は何がしたいのか。


「……あの女を捕虜に使うつもりかっ!? それとも情報を聞き出そうと?」

「そこまで、あたしに異国の言葉の知識はなくってよ」


「嘘をつくなっ!俺を謀っておいて、居直る気か!」

「ゴロツキに、騙くらかして利用する価値なんてありはしないわ。そんなもの……、自分の存在の無価値なことは、あなたが一番分かってのことでしょう?」


 俺から冷静さを奪っておきながら、一言で冷静さを取り戻させるこの女。彼女が助けたのは、俺にしろ、西洋人の女にしろ、利用価値など見当たらないものばかり。だとしたら、だとしたらこの女の行動には本当に理由などないのか。


「……、じゃあ、お前……なんで俺の命を助けた?」

「生かして無価値なものが、殺しても無価値なのは見え透いた話。頼まれた人物以外を殺す真似はあまりしたくないしね」


 そしてまた、この女は読めない笑みを浮かべる。

 そしてまた、この俺の無精ひげの生えた顎に気安く触る。


「それに……、まあこの先は内緒にしておいた方がいいかなー?」

「ええいっ!もういいわっ!お前と話してると調子が狂うっ!」


 なぶられ続けた自尊心が悲鳴を上げ、堪忍袋の緒が切れた。これ以上、この女たちと関わっていてはろくなことがない。俺は社会の底辺として、底辺の揺らぎのない生活に慣れ親しんでいた。命の危険はあっても、そこには得たものを失うことも、没落することもない。ゴロツキは大人しくゴロツキに戻るのがお似合いだ。


「待ってよ。女ふたりをこんな湿っぽい暗闇に野放しにするっていうの?」


 捨て台詞を吐いて、その場を去ろうとすると女は呼び止めてきた。利用価値がないと人を切り捨てておきながら、引き留めようというのか。


「……もう、お前の声なんざ聞きたくないからなあ」


「……半端ね。あなたが助けようとしたこの娘は、交渉用に取引される政略的売春婦。悔しいけど、この娘ならば買い手はいくらでもいる。この娘は、この国にいる限り商品として扱われ続けるのよ」


「あの場にいた商人と通訳、西洋人は始末されただろ?」


「あと芸子がいたわ……」


 確かに、あの交渉の場に芸子はいた。だから何だというのか。芸子はただただ目の前のくのいちとゴロツキに恐れおののいていただけではないか。そう反論すると、女は甘いわねとの一言で一蹴した。


「ああいう成金が雇うような芸子は、信用しないほうがいい……。覚えておいた方がよくってよ。女ってのは話を大きくすることが得意なの」

「何が言いたい?」


 振り向くと切れ長の瞳が、鋭い眼光で睨み返してきた。初めて会った時と同じ瞳。獣と呼ばれる俺でさえ、一瞬怯みを見せてしまいそうになる。だがそれに睨みを返そうとすると、女はその視線を流した。


「……、これを見て……」


 奇妙な沈黙の後、女は懐から芸子の三味線を鳴らしていた撥を取り出した。何の変哲もない三味線の撥ではないか。そう言おうとしたそのとき、撥は目の前で頭を落とし、隠れていた抜身の刃が顔を出した。あの夜、芸子が三味線を打ち鳴らすのに用いていた撥には仕込みが施されていたのだ。


「こ、こいつは……?」

「仕込み武器を使うのは、忍びに他ならないわ。この……お、お凜も協力……させてもらうから……」


「何にだ?」


 そう尋ねると、なぜか怒ったような目つきをして、歯をひん剥いた。お凜という名前らしいがこの女。どうにも掴めない。


「……っ、あの女っ!! あんたがフローラを守んのよっ! それに協力してあげるって言ってんのっ!」


 そう声を荒げる理由も、理解に苦しむ。だがお凜の言いたいことは分かった。西洋人の女はフローラという名があるということ。フローラはあの商人をたらしこむがために道具として利用されようとして、それを逃れてここにいる。そして、助け出されたということは、あの夜の交渉の場にいた芸子が口外した可能性があるということ。皮肉かな、あの芸子に手を下せなかったのは、お凜だけでなく、俺もだ。その責が俺にもあると、おそらく彼女は言いたいのだろう。


「わかった。芸子を逃したのは俺の責だ」


 だが、俺が差し出した手を掴むとお凜は、俺の関節をあらぬ方向へとねじった。


「いってぇ!何すんだぁっ!」


 ぷいとそっぽを向いたその背中に叫ぶも、無視される。


「……、あぁ……?」


 どうやら俺は、このわけのわからない女にしばらく振り回されなければならないということらしい。呆れ調子のため息を漏らすと、それと呼吸を合わせるかのようにして、彼女もため息をつくのだった。




 *****




 この時代に西洋との貿易で瞬く間に私腹を肥やす成金は多くいた。金がもうかる話に飛びつかない商人はいない。そこに目を付けた西洋人が、資源と市場を確保するために、商人の目をくらませ、次々と誘致を申し込んだ結果だ。このような西洋人の市場侵略に、私利私欲に目がくらんで尻尾を振る様は、成金商人は売国奴という等式を世間に植え付けた。そして、立派な門構えと塀に囲まれた、ギラギラと輝く金箔を貼りつくされた屋敷は夜だというのに、風流も節操もない明かりを振りまいている。そんな悪趣味な屋敷に住むこの男は、まさしくその類だ。名前は野呂間・ポール・与太郎などという何とも気の抜けたもの。間に挟まったミドルネームが何とも阿保さを強調させている。

 一介の商人でありながら、髷を結い、暑くもないのに金箔を張った扇子をひらひらと見せびらかしながら扇ぐ様はなんともナンセンス極まりない。その空けの前に、ひとりの女は跪き、頭を下げる。貴族の者でもないくせに、御簾なんぞを間に挟み、女からは顔が見えないようにしている。


「妾に何か伝言かのう」

「はい、美しい姫君を探せとの殿の御言葉にて、方々を駆けずっておりましたが、とっておきの姫君を見つけました」


 自らを妾と言い、殿と呼ばせる。本人はこれで見栄を張ったつもりなのだろうが、なんともバカバカしい。御簾の向こうでは、この空け、着流しの下に西洋のズボンを履きながら、脇息を両側に置いて両の膝を乗せるなど何とも頓珍漢。いかにも金を出してもその価値を心得ずと言った具合だ。空けは鼻の下を伸ばし、目を細める。


「それが殿、誠に面白き姫君でございまして、琥珀色の髪に瑠璃色の瞳を持つフローラという西洋人にござります」

「ほう、なるほど、その娘はズローラというのか。ズローラ、なんと良い響きなんだ」


 女は御簾越しに肩を震わせる。


「どうしたのじゃ?」

「いえ、何も……」


 女がそこで濁したものだから、この空けは自らの過ちに全くもって気付こうとはしない。もっともこの男に過ちを正そうなどと言う考えが思い当たるかどうか自体怪しいが。だが、この空け、頭はないが金はあるといった人物。空は芸子として忍び込んだ密偵の女を始めとして、忍びや剣客を買っていたのだ。女の横にひとりの刀身が五尺はあろうかという大鉈を背負った男が、跪く。鎖帷子のついた忍び装束からぐいぐいと主張をしてはみ出ているそれは何とも不釣合いだ。


「才蔵。そのズローラという娘、妾のもとに連れて参れ」


「はっ、殿の仰せのままに」


 その奇妙な成りをした男もまた、この空けの飼い犬だった。


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